何も終わらぬ5年/余震の中で新聞をつくる152 帰れるか、帰れぬのか~飯舘村比曽 その5

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 「環境省が行った『実証事業』とは、こういうものだった」。2015年12月23日、飯舘村比曽の農業菅野義人さん(63)は、自宅から車で数分の距離にある1軒の留守宅を訪れ、裏手の居久根(いぐね・屋敷林)に案内してくれました。高い杉林の居久根は、家の端から続く高さ5メートルほどの急な斜面の上にあります。その斜面の表土は工事ではぎ取られており、数十メートルにわたって真新しい土が出ており、下の方には土砂の流出を防ぐ土留めが作られていました。
 「実証事業」とは、つまり試験除染のことです。義人さんも役員を務める比曽行政区が繰り返し要望していました。86戸ある比曽では、同省による家屋の除染作業が15年春までに終わりました。が、義人さんの仲間である前区長の菅野啓一さん(60)が中心となって行政区独自の検証測定を全戸で行ったところ、多くの家で、居久根や山林がある裏手の放射線量が高い実態が分かりました(本ブログ131『 帰れるか、帰れぬのか~飯舘村・比曽 その2』参照)。
 環境省の福島環境再生事務所に要望を重ねた末、「実証事業」が行われたのは3戸。除染後の検証測定では、家屋の表(玄関側)と裏手の放射線量がそれぞれ①0.7マイクロシーベルト(毎時)と3.1マイクロシーベルト、②0.6マイクロシーベルトと4.7マイクロシーベルト、③1.1マイクロシーベルトと7.4マイクロシーベルト―と極端に違った結果が出ました。そのうちの1軒が義人さんに案内された家で、2代前の区長で羽山神社の氏子総代長、菅野民雄さん(69)=本ブログ132 『帰れるか、帰れぬのか~飯舘村・比曽 その3』参照=の自宅です。「居久根から飛んでくる放射線の影響は明らかだ」と義人さん。居久根はそれぞれの家の財産で、子や孫が建てる家の材料などに―と代々植えられ、守られてきました。2011年3月の福島第1原発事故で拡散し、北東方向の飯舘村に降った放射性物質が高木の居久根の葉や枝に付着しました。

 環境省の除染は家屋の周囲の汚染土を5センチの厚さではぎ取り、放射線量を下げる方法ですが、居久根の部分は、森林について定めた除染基準に沿って落ち葉など表面の堆積物を除去するのみです。「農家は家にこもって暮らせない。居久根は昔から生活圏なんだ。家の周囲が等しく安全な環境に戻らなければ、人も帰れない。土のはぎ取りは必須の条件だ」と義人さんは憤りました。自宅のすぐ裏の斜面の上に、やはり大きな杉木立の居久根があり、氏神をまつる社がたたずんでいます。中に古い鉦が下がっており、見せてもらうと、延享2(1745)年の年号と先祖の菅野伝左衛門の銘がありました。「代々の家族がお参りしてきた場所だ。生活圏と認めてもらわなくては困る」と同省の現地担当者に訴え、14年秋、特例的に社の周りだけ土のはぎ取りが行われました。
 義人さんはこの時の除染作業前後の放射線量を測定し、記録したデータを11月末の比曽行政区の役員会に報告しました。社の周囲7~8メートル四方の4地点での①除染前②堆積物除去後③はぎ取り・覆土後の空間線量(地表1メートル)は次のようになりました。
 【A地点①7.13→②5.87(①と比べ18%減)→③2.43(①と比べて66%減) B地点①8.73→②6.96(①と比べ20%減)→③2.74(①と比べて69%減) C地点①データなし②3.68→③1.49 D地点①データなし②6.01→③2.49】

 除染後も放射線量の高止まり状態が続くことの原因について、比曽行政区に協力して義人さんと一緒に居久根の汚染実態を調べた辻修帯広畜産大教授(農業土木/防風林を研究)はこう解説しました「林床では、落ち葉が腐って分解すると腐葉土になっていく。その過程で、葉に付いた放射性物質が外に離れる。これが土ならば、粘土分に付着する性質のあるセシウムはがっちり固定されるが、腐葉土の層には粘土がないので吸着せず、降ってくる雨水がとともに下に動いていく。原発事故から3年半がたち、落ち葉は積もって腐葉土となり、セシウムは既に林床に染み込んでいる。表面の堆積物の除去だけでは不十分なことは明らかだ」(本ブログ131参照)。
 帰還のために、生活圏の放射線量を確実に下げる「はぎ取りは必須の条件だ」という義人さんの訴えの根拠はここにあります。福島県森林計画課が15年3月にまとめた森林のモニタリング調査で、同県内の森林に降った放射性物質の75%が、それまで4年の間に木々の枝葉から、辻教授が語ったメカニズムによって、土壌(深さ5センチ内)に移行したことが分かりました。表面の堆積物除去で足りないのは自明でした。問題は、自らの基準に固執し、被災地の現場からの声に耳を傾けなかった環境省の姿勢でした。
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 「実証事業をしたい」と環境省福島環境再生事務所から比曽行政区に話があり、それが実施されたのは15年10~11月だった。義人さんによると、「これでは、とても帰還などできない。再除染をしてほしい」という行政区からの度重なる要望があったから応えるものでない―と環境省側から断りを入れられ、「(同じく放射線量が下がらないとの声が挙がった)他の地区からつつかれるので、おおっぴらにしねいで。事前にマスコミにも出さないでもらいたい」と注文をつけられ、さらに「確認し合ったことをきちんと文書にしてほしい」という行政区の求めも容れられず、実証事業の実施日も明らかにされない、という異例づくめの出来事でした。実施の個所については行政区から、前述のように除染後の検証測定で玄関側と居久根側の放射線量の差が大きい家々の中から3戸を選んで要望しました。
 菅野民雄さん宅の実施個所で見た限り、重機ではなく作業員の手作業による工事でした。はぎ取りの深さは5センチとみられますが、義人さんが問題だと指摘したのは、「斜面の表土はぎ取りが、家との境から約5メートルという狭い範囲にとどまっていたこと」。実証事業の結果について同事務所から報告があったのは、比曽行政区が同年12月4日に開いた新旧役員らの除染協議会の席上です。「環境省側からは『除染効果が上がった』と話し、『放射線量の低減率はおおむね45%だった』と説明された。が、詳しいデータなどを記した資料は、いったんわれわれに配られながら、すべて回収されてしまった」。義人さんはやり取りをこう振り返りました。

 実証事業が「表土から5センチのはぎ取りを」という地元の希望に沿ったはぎ取り試験を行ったことは事実でした。しかし、「除染の範囲(奥行)がわずか5メートル程度では、放射線量の低減効果は限られている。『居久根という空間全体を住民の生活圏と認めてほしい』という行政区の要望から遠かった」。行政区はさらに「こちらの意見も生かして、本格的な再除染を比曽の全戸で実施してほしい。住民の不安を取り除いてもらいたい」と訴えましたが、これに対して環境省側は「今回の結果を踏まえて新たな基準をつくって、除染のガイドラインに盛り込む」というあいまいな回答を後に残しただけでした。「いったい、この実証事業が何につながるのか、現地の当事者にも知らされない。記録も文書も約束も地元には残されない。住民に言われたからやった、とは決して認めたくないからないのだろう」。それが国の姿勢だ、と義人さんは厳しく語りました。

 「除染後も高い線量が残る場所でフォローアップ(追加)除染を行う」という方針案を環境省が明らかにしたのは同年12月21日、原発事故被災地をめぐる「環境回復検討会」(第16回)の場でした。飯舘村比曽(地名は公表せず)のほか南相馬市、福島県川俣町、葛尾村などの斜面など計30カ所で同様の「実証事業」を行って検討したといい、「基本的に面的な除染は再度実施しないということでありますが、除染効果が維持されていない箇所が確認された場合には、その原因も可能な限り把握して、合理性や実施可能性を判断した上で、フォローアップの除染を実施する」=鈴木基之座長(東京大名誉教授/環境工学・環境省中央環境審議会会長)=。その中で、従来「土砂崩れの恐れが出る」という理由で実施してこなかった斜面でのはぎ取りを特例的に認めました。その理由は地元住民からの要望があったからでなく、あくまで政府内の期限、都合に迫られての方針転換でした。
 鈴木座長はこう触れました。「最近の動きでございますけども、6月の閣議決定、原子力災害からの福島復興の加速に向けてにおきましては、遅くとも平成29年3月までに避難指示を解除し、住民の方々の帰還を可能にしていけるよう、除染の十分な実施等に取り組むと。また、併せまして、居住地周辺における除染効果を確実なものとするための取り組み等、復興の動きと連携した除染を推進するとされております。ご承知のとおり、避難指示解除に向けましては、年間積算線量が20ミリシーベルト以下になることが確実であることという要件を満たすこととされておりまして、今後、円滑な避難指示解除にできる限り貢献できるように、除染を進めていく必要があるという状況でございます。」

 ただし、この日の環境再生検討会の資料には「宅地内の法(のり)面の表土の削り取り」との表現はありますが、居久根、標準語なら屋敷林への言及はありません。環境省の現地担当者に対する「居久根を住民の生活圏と認めてほしい」という比曽行政区の訴えは、顧みられなかったことになります。検討会の議事録には「住民に近い自治体の方々にフォローアップ除染をしていただく、あるいは判断をしていただく、それから住民の方々と実際に相談をして必要なところを除染する。全て環境省がおやりになるんじゃなくて、次のフェーズへ移していくような措置も、ぜひ、とっていただきたいと思います。」という委員の要望も記されています。「現地のことは、現地の人が一番よく知っている。意見を聴け」との提言です。が、これと正反対の姿勢を翌年2月、環境大臣自身が露呈してしまいました。
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 2月8日の信濃毎日新聞。丸川珠代環境相が前日、松本市で講演したという記事を載せましたが、その中での発言が他メディアにも波紋を広げました。東京電力福島第1原発事故の後、政府が全住民避難を指示した福島県の被災地で行っている除染で、年間被ばく量の目標を1ミリシーベルト(毎時換算0.23マイクロシーベルト)としている点について「『反放射能派』と言うと変ですが、どれだけ下げても心配だと言う人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだ中で、何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」と同紙は報じました。
 「年間1ミリシーベルト」は、政府の原子力災害対策本部が15年6月に決定した基本方針「原子力災害からの福島復興の加速に向けて」(改訂版)に以下のように明記してあります。「住民の方々が帰還し、生活する中で、個人が受ける追加被ばく線量を、長期目標として、年間1ミリシーベルト以下になることを引き続き目指していく」。この文言に続き、線量水準に関する国際的・科学的な考え方を踏まえて対応することについて、「住民の方々に丁寧に説明を行い、正確な理解の浸透に引き続き努める」という努力を政府自らに課しています。「年間1ミリシーベルト」は、国際放射線防護委員会(ICRP)が原子力災害の「復興期(現存被ばく状況)」にある場合の目標を1~20マイクロシーベルトと勧告し、その範囲での適切な防護をした上での長期目標としています。原発事故被災地の避難指示解除要件として、政府は「年間20ミリシーベルトを下回る」ことを除染目標を掲げています。

 原発事故被災地の復興に向けて政府が決めた最高方針であり、責任者の丸川環境相が知らぬはずはありません。同9日の衆議院予算委員会で発言を問われ、「反放射能派」について「秘書がおらず記録も取っておらず、こういう言い回しをしたという記憶もない」と答弁し、翌10日には「1ミリシーベルトを除染だけで達成するとか、帰還の際の目標値だと誤解している人がいる。住民との意思疎通が不十分だったとの指摘をしたいとの趣旨だった」と釈明しました。ご当人は就任後の15年10月8日に福島市入りした際、同省福島環境再生事務所で「『原発事故直後、東京で電気を使っている立場として申し訳ないと思っていた。皆さんと共に頑張っていきたい』と言葉を詰まらせながら職員に訓示した」(同9日の河北新報より)。どちらが本心か。比曽の菅野義人さんにはどう響いたのでしょう。
 「あれだけの原発事故を起こして、政府が自らの責任で除染を行っている以上、被災地の環境回復と住民の帰還のために少しでも線量を下げる、しっかりやっていく、と言うべき立場なのが環境相ではないか」「目標通りの安全達成を目指してもらいたいのは『反放射能派』でなく、われわれ当事者なのだ」「(丸川環境相は)初心の謙虚さを忘れたというより、線量よりも『早く幕引きをしたい』という政府の本音を出したようだ。政府は来年3月までの避難指示解除(全住民避難地域が対象。帰還困難区域を除く)を決めたが、そこからどうやって生活していけるかが、帰還する者には問題なのだ」

 本心はどこにあるのか? その疑問は、環境省の「フォローアップ除染」のこれからの進め方にもありました。「除染後も高い放射線量が残る場所を再測定した上で実施を判断する」というのが基本の手順ですが、その判断の基準は被災地の住民の常識とは違っています。環境省は「年間20ミリシーベルトを下回る」という政府の避難指示解除要件を超える放射線量がある場合を挙げますが、「年間20ミリ」の中身は、毎時単純換算をした数値の2.28マイクロシーベルトでなく、「3.8マイクロシーベルト」だとしています。その根拠とは「屋外に8時間、屋内に16時間とどまる」という生活パターンを想定したケースでの独自の計算です。文部科学省も原発事故があった11年、この計算による「3.8マイクロシーベルト」を福島県の学校における校庭・校舎使用の基準として通知しました。
 しかし、平常時の基準1ミリシーベルトと比べて「あまりにも高線量だ」と保護者らの強い批判を浴び、撤回した経緯がありました。にもかかわらず、避難指示解除後にやはり子どもが帰るかもしれない被災地に適用しようとする構えです。同省除染チームは筆者の問い合わせに「『3.8マイクロシーベルト』は政府・原子力災害対策本部の基本方針で、それに準拠している」と答えました。が、政府の最高方針である「原子力災害からの福島復興の加速に向けて」(改訂版)に、その説明は明記されていません。もし、「3・8マイクロシーベルト」がフォローアップ除染の判断基準として運用されるならば、「農家は、家にこもっていては仕事にならない」と語る比曽の住民たちが、「安心できない」と受け止める多くの場所が「問題なし」と片付けられてしまいます。その科学的根拠についてこそ、責任者の丸川環境相は被災地の住民訪ねて説明するべきでしょう。(11年4月、福島県の学校への通知に当時の内閣官房参与の小佐古敏荘東大教授が『年間1ミリシーベルトで管理すべき』と泣いて抗議しました。文科省は通知を撤回し、『年間1ミリシーベルト』以下を目標にすると発表しました)。
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 「田んぼ(の稲作)は諦めているよ。風評がどうだという前に、このありさまではなあ」
 16年1月初めの夕方、比曽の小盆地は厳しい寒さと薄雪に包まれ、全住民避難の里のわびしさを増していました。菅野啓一さん(61)は荒れ果てた水田を指さしました。避難先の福島市内のアパートから車で40~50分の道を足しげく通い、自宅に残した農地の草刈りなど維持管理を怠っていません。しかし、見渡す限りの水田の土はめちゃくちゃに掘り返され、くぼみの凹凸の深さは30センチもありました。イノシシがミミズなど土中の餌をあさった跡です。人の姿がなくなった飯舘村の全域で数を増し、縄張りを広げたのがイノシシとサル。他地区でも深刻な問題になっています。
「うちの田んぼにはまだ除染作業の順番が回ってきていないが、イノシシは(放射性物質で)汚染された土を、くぼみの底までかき混ぜている。深さ5センチまで土をはぎ取る環境省の方法では、もうやれない。でこぼこをいったん重機で平らにならしたとしても、汚染土は取り切れないだろうな」

 啓一さんは福島第1原発事故の前、稲作と和牛繁殖、トルコキキョウのハウス栽培を手掛けていました。原発事故を挟んで12年3月まで8年間、比曽行政区長を務め、菅野義人さんとは地元青年会以来の地域づくりの仲間で、避難指示解除後の帰還とそれからの生き直しの道を共に模索しています。「手塩に掛けた皆の財産を取り戻したい。そのために、できることを何でもやる」と地区の放射線量測定やソバの栽培試験、自前の除染実験、行政区除染協議会メンバーとして家屋除染後の検証測定にも取り組んできました(本ブログ131参照)。
 築後28年になる家も、帰還に備えてリフォーム工事を終え、外壁などは真新しく輝いています。「(来年3月が期限の)避難指示解除後は税や医療費などの減免、賠償や補償もなくなるだろう。当分は無収入を覚悟しなくてはな。村の『見守り隊』(住民による行政区ごとの巡回活動)に代わる臨時雇用事業も要望しながら、生業の再建を準備しないとならない」
 「いくら除染をしても、口に入るもの(コメなどの作物)を作るのは無理だろう」と、先の見通しがつかない農地の利用では、まずトルコキキョウの栽培を再開するつもりです。「比曽は標高600メートル。9年間栽培したトルコキキョウは、高冷地の気候に合って発色が良いと、市場で評判だった。その経験があるから自信はある」。避難中も風雪による破損から守ってきた10棟のハウスは、15年秋にビニールを全て外しました。「土を新鮮な空気と雨水にさらして生き返らせ、春には耕起する」。啓一さんは、復興加速化事業として10アール規模の大型ハウスを建てる計画を村に申請しています。「連作障害を防いで1年交代で栽培できるようにハウスを広げる。だが、実際に花作りを始められるのは早くて2年後だろうな」。そう言って、啓一さんは骨組みだけのハウスの梁に手を伸ばしました。無収入を覚悟の生活再建の厳しさ、辛抱して待つ年月の長さを、その日の寒さの中で感じました。

 家の裏手に大木の杉の居久根が広がっています。「おやじが杉を植え、この家を建てた時、俺が一本一本を切って材料にした。居久根は、次の世代に手渡す財産なんだ」。12年9月には、それらの枝を独力で切り払い、長年の冬仕事で習得した小型重機操縦の技術で林床の土をはぎ取る実験をしました。
 『実験範囲は、家の周囲と、境を接する屋敷林の奥行き約20メートル。林床に積もった落ち葉を除去し、小型ショベルカーを入れ、表土から十数センチの土をはぎ取った。廃土や落ち葉は、深さ約1メートルの粘土層まで穴を掘って埋め、きれいな土で覆った。
実験前後の線量の変化を測った結果、家と屋敷林の境の計測地点では、地表面が20.5マイクロシーベルトから1.8マイクロシーベルトに減り、地上1メートルの線量も9マイクロシーベルトから2マイクロシーベルトに減った。
 家の周囲、屋敷林の計23地点で、実験後の計測値は1〜3マイクロシーベルト(いずれも地上1メートル)と低く、生活圏を一体にした除染の効果が確かめられた。
菅野さんは「高所の枝切り、急斜面の場所での作業などに課題はあるが、実際にここまでやれると分かったことは希望だ。各地区の除染を行う国にデータを示し、住民の提案を採り入れてもらいたい」と話している。』(12年9月24日の河北新報より)

 その居久根の杉材で造られた小屋が、一番家屋寄りの場所に立っています。内部には汚染されていない土と杉材を組み合わせた三重の壁があり、真ん中の空間に放射線を24時間測定する装置が据えられています。居久根から飛んでくる放射線を土の壁で遮り、帰還後の安全な住まい方を工夫するための実験施設。原発事故のため需要がなくなった地元材を活用するモデルハウスの試作品でもあります。村民有志と協働し、生業と生活の再建を支援しているNPO法人「ふくしま再生の会」(田尾陽一理事長)から実験を提案され、啓一さんが頭領役になって15年秋、再生の会メンバーと建てました。
 小屋の周囲は奥行き20メートルまで杉の木々が切られ、家の敷地の一部として堆積物除去の除染が行われていました。残った居久根の一番前列に立つ木、そこからさらに10メートル奥にある木などにも点々と放射線量の測定機が取り付けられ、「居久根の放射線の実態を調べるんだ。奥に向かって自前の除染実験も進めていき、小屋に届く線量がどう変わるかも測定する」と啓一さんは語りました。「『フォローアップ』なんて、環境省のやることを当てにしていられない」という強い言葉とともに。
 「何度も言ってきたのに、環境省は居久根の除染をする気がない。俺たちは、モルモットにされるのはごめんだ。俺も義人さんもここに戻って、生きていかなきゃならないんだ。戻ることを決めた自分たちで除染を続けていくしかないと思っているんだ。俺は4年も前に居久根の除染実験をやって、どうやればどこまで下がるか、やり方を分かっている。村が新しい臨時雇用事業にしてもくれるよう働き掛けて、一緒に比曽に戻る仲間、外から参加してくれる人を募り、安全な状態まで除染をしたい」
 避難指示解除とはバラ色の夢でなく、新たな闘いの始まり―。啓一さんのもう一つの厳しい覚悟でした。

2016年12月23日、環境省の「実証事業」が行われた現場に立つ菅野義人さん=飯舘村比曽。

12月23日、自宅裏の居久根にある氏神の社と義人さん。社の周囲の土がはぎ取られた。

社に残る、延享2年(1745年)の銘と先祖の名が刻まれた鉦

2016年1月12日の雪をかぶった菅野啓一さんの田んぼ。イノシシに掘り返された。

トルコキキョウの栽培再開を決意し、骨組みになったハウスを見る啓一さん

帰村に向けてリフォームした自宅と、裏手の居久根にむかって立つ実験小屋

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