シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(3)故郷喪失の現実 「サバイバル・ソング」

2008/11/28

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 コンペティションの中国映画3本のうち、ヴェネチア映画祭の批評家週間で既に見ていた「黄瓜(きゅうり)」を除く2本を今回、見ることができた。

 そのうちの1本、ユー・グァンイー監督の「サバイバル・ソング」は、黒龍江省長白山脈で暮らす人々についてのドキュメンタリーである。その一帯は、急激に人口が増加した大都市ハルビン市に飲料水を供給するための貯水池建設のため、何十万もの人々が家を失うこととなったという。主人公の猟師ハンの家は貯水池の予定地から15キロ離れているために難を逃れたが、冬は雪に閉ざされる山の中の一軒家で、ハンは妻と二人で暮らし、娘2人を都会に出している。普段はヤギを飼い、冬になれば野生のイノシシを獲って暮らす。山の生活は厳しい。そのうえ、ハンは密猟を摘発されて拘留され、ハンの家は薬草の栽培用地に指定されて当局の手で取り壊されることになり、一家は離散の憂き目に遭うのだ。ユー監督はそんな猟師の生活をフィルムに収めながら、次第に、ハンの家で下働きをする小李子(シャオリーズ)という男に興味を移していく。

filmex08_photo02.jpg 家もなく、家族もなく、教育もない。拾ってくれる家があれば下働きをして生活する。小李子は悪人ではないが、隙あればハンのヤギも盗むし、ハンの妻のトイレを盗み見たりもする。歌が好きで、いつも一人で歌ったり踊ったりする。私は彼に魯迅の阿Qの姿を見た。百年近く前、辛亥革命の頃の亡霊が、今の中国に生きて現れた驚き。結局、庶民は何も変わっていないのだ。この貯水池だけでなく、三峡ダムの立ち退きも含め、今も何十万、何百万の人々が流民・棄民となっている。清朝末の混乱時と同じとは言わないが、突然家を奪われ、故郷を捨てねばならない現実が、まだそこにある。

 エミリー・タン監督の「完美生活」は、今年のヴェネチア映画祭のオリゾンティ部門で上映されている。マルコ・ミュラーのお薦め作品だったが、サプライズ上映でスケジュールが合わなかったために見逃していた。主人公は2人の女性、一人は中国東北部で暮らすリー、もう一人は香港で暮らすジェニーで、リーの部分はフィクション、ジェニーの部分はドキュメンタリーとして撮られている。21歳のリーは歌も踊りも出来ないのに瀋陽の歌舞団の試験を受けたりする。何かがやりたいが、何がやりたいか分からず、何も出来ない。結局、ホテルのメイドとして働き始め、そこで脚の悪い中年の画商と知り合い、絵を深圳に届けることになる。一方のジェニーは香港人の夫と別れ、深圳に戻ろうとする。この二人の物語が交互に描かれていく。

 原題の完美生活とは完璧な生活のこと。誰もが求めるが、誰にも得られない夢のことである。リーもジェニーも、共に完璧な生活にあこがれ、ここにはない、どこかを目指して家を出る。ある意味でこの二人の女性もまた、現代中国の流民ではないかと私は思う。

(齋藤敦子)

写真(上)ユー・グァンイー監督

写真(下)エミリー・タン監督(右)とプロデューサーのチャウ・キョン氏(左)