シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(2)予告編が放送禁止になった映画

2009/09/05

Venezia09-Day4.jpg 内外のスターを集めて華々しく開幕した翌3日、今年のヴェネチアで最も話題を集めるかもしれない映画が上映されました。それがエリック・ガンディーニの『ビデオクラシー(Videocracy)』です。批評家週間というマイナーな部門にもかかわらず、1回しかない上映に溢れるほどの観客が集まりました。開場の1時間近く前から山のような人が待っているのを見て、ペルラ2という小さな会場ということもあり、私など列に並ぶのさえ諦めてしまいました。

 なぜそんなに人気なのかといえば、この映画がイタリアの首相であり、イタリア最大のメディア企業のオーナーでもあるシルヴィオ・ベルルスコーニのメディア戦略についてのドキュメンタリーだからです。そのうえ、イタリア公開を前に、ヴェネチアとトロントの両映画祭に出品されるこの映画の予告編が、イタリアの公共テレビRAIから、首相の名誉に対して"攻撃的である"ことを理由に放送を拒否される事件が起きて、かえって注目を集める結果になったのでした("放送禁止"となった予告編はYouTubeで見ることができます)。実は、オープニングのトルナトーレの『バーリア』も、ベルルスコーニが出資者で、ベルルスコーニの息子がプロデューサーでした。そのためかどうか、テレビには映画の批判が一切出ませんでしたが、テレビ以外のジャーナリストには当然のことながら評判は芳しくなく、チャック誌に代わって今年から映画祭の日刊紙となったヴァラエティからは、"嘘っぽいノスタルジー、安っぽいセンチメンタリズム"などと、ばっさり斬られてしまいました。

 では、『ビデオクラシー』は、どの家庭にも1台はあるテレビという魔法の箱を使って、権力者がどのようにイメージを操作してきたというのでしょうか。その内容については、残念ながら、映画自体を見ていないので、ここで詳細を述べるわけにはいきません。ただ、イタリアにはベルルスコーニというシンボルがあるからわかりやすいのですが(わかりやすすぎて、問題の深刻さの目くらましになっているとも言えますが)、メディアを使った権力のイメージ操作、表現の自由への間接的な関与については、まったく同じ問題が日本にもあると私は思います。その一例が、テレビには様々な番組で映画の情報が氾濫しているのに、きちんとした批評が一つもないという不思議な現象です。日本にはベルルスコーニのようなメディアの権力者がいないにもかかわらず、いるのと同じことが行われている。この現状について、日本のマスコミはもっときちんと対峙すべきだと私は思います。

写真:かろうじて緑が残ったチネマ・ガーデン。隣では新宮殿の建設工事が進行中

(齋藤敦子)