シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(3)崔洋一監督に聞く 「デジタルは道具にすぎない」

2009/11/25

フィルメックスは10周年を迎えましたが、10年前の1999年といえば、崔さんが『豚の報い』を監督され、『御法度』に出演された年です。10年後の今年、『カムイ外伝』に至るなかで、ご自身で映画作りのスタンスや、日本映画自体に対する考え方などに変化がありましたか。

091126FILMeX004.jpg 崔「今、一番微妙な時期に入ってきたような気がしますね。『豚の報い』を作ったきっかけは、95年に韓国に留学した際に、たまたま又吉栄喜さんの非常に面白い原作を読んでいたことと、当時僕の相棒であった鄭義信も沖縄を自分の作品の中で相対化することが可能かを考えていた時期で、彼も面白い、やろうということになったことでした。鄭義信には在日のテーマとは別に、島に関心を持っていた時期があるんです。1948年に韓国の済州島で四・三事件と呼ばれる島民の蜂起事件があって、さまざまな文学や映画の題材になっているんだけれども、とりわけ金石範さんの『鴉の死』という小説を僕が非常に愛していて、いつかこれを映画にするという目標を掲げたのが、二人で一緒に事務所を作った理由の1つでもありました。当時は島に果てしない興味があって、島の中の人の愛情や、不思議や、小さな共同体が二分化して行くことに興味があって、そんな前提が幾つか重なる中で、又吉栄喜さんの『豚の報い』との出会いがあり、映画化ということになったわけです。10年で映画の周期は一回りするけど、10年前といえば仙頭がまだ華々しい頃でしたからね」

―プロデューサーの仙頭武則さんのことですね。

 崔「まだ河瀬直美と一緒にいる頃で、WOWOWからサンセント・シネマワークスという自分の会社を立ち上げたところで、その最初の作品が『豚の報い』でした」

―『カムイ外伝』も、ある意味、島の話ではあるし、島でつながっているとはいえ、映画界の状況は10年前と今とでは随分変わりましたね。

 崔「変わってきています。ただ、自分自身のこの10年の変化というのは、自分ではよくわからないんです。いつも居直って、どうせ死ぬまであと何本か撮って、死んだら誰かが映画史的に体系づけてくれるよ、と。自作を語るというのは難しいですね」

―10年前と今とでは邦画と洋画の比率が逆転し、邦画が占める割合の方が多くなりましたが、作品の質は落ちていると思うんです。10年前の仙頭さんのような独立系のプロデューサーは今の状況では生き難いのではないかと思うんですが。

 崔「端的に言ってその通りだと思います。インディペンデントは生き残れませんね」

―今はテレビを通過して出てくる、テレビのディレクター系の新人が多いですね。

 崔「いわゆるメジャーのシネマコンプレックスを中心とした興行に関しては、テレビ出身のディレクターないしはテレビ局の社員ディレクターが映画を撮る、それもほとんどデジタルで撮るのが今日の状況ではあります」

―仙頭さんの時代も、元はWOWOWだったのだから、テレビはテレビだったのでは?

 崔「あのときは逆の発想で、意識的に、映画がテレビに介入する、というアナクロな形を実験的にやろうとしたんです。93年にJ・MOVIE・WARSというのがあり、その延長として、仙頭およびWOWOWの一部の人達が映画作りにのめり込んでいったわけです。それは破綻するわけですけれども。あの時代は、インディペンデントがメジャーと向かい合いながら、どこかでシェイクハンドしていくという時期にさしかかってきていた。サンセントに限らず、シネカノンもメジャーに切り込もうとしていたし、自分の映画をかける劇場を持ちたいというある種の野望を持っていた。
これは2000年前後といっていいと思うが、映画会社の中に、自分で映画を作らず、当たる映画を入れればいいという考え方が出てきた。本音として、映画会社の社内や映画会社の周辺から出てくる企画が観客のニーズと乖離しているのではないかという考えがあり、映画作りがマーケティングを軸に動き始めた。それでもまだ邦画会社の骨のある企画者や興行担当者には、映画会社が映画を作らなければお終いだという抵抗の時期があったが、それも次第になくなり、シネマコンプレックスを中心とする興行で、企画をテレビに任せるようになって、最初はテレビ会社が相乗りという形だったのに、今や軒先を貸して母屋をとられる状態となり、各映画会社がややもすると下請けの製作会社的な、客観的にはそう言わざるをえないような状況も生まれてきている。映画会社が独自に企画を出すのでなく、テレビ局、特に在京キー局の企画にドッキングすることによってヒットさせるという方程式のようなものが、この4、5年で自然に生まれてきていると思います。それで必然的に監督・製作者がテレビから出てくるんです」

―でも、それはすごく不毛な感じがするんですが。

 崔「おっしゃるとおりです。みんな、パーフェストなスタイルで映画を作るということを夢に見るんだけれども、実はそうはいかなくなってる。それにプラスして、この10年で、製作委員会方式の問題、ファンドの問題が出てきた。つまり、まったくの他業種異業種から資本が投下されて映画が製作されるわけで、そのためにマーケティングをして、大衆的に人気がある題材を、前提として原作はコミックス、俳優は今一番売れてるスター、大量宣伝をかける、というヒットの方程式、それもテレビ局プラス東宝というような形が客も安心するんだ、というような意識が定着してしまった」

―ただ、そういう映画はヒットはしても、観客が完全に満足しているかといえば、ヒットしていると聞いて何となく見に行っているだけで、また映画館に足を運んでくれる観客を縮小再生産しているだけような気がするし、映画というものがどんどん痩せていくという危機感があるんですが。

 崔「危機感は僕にもあります。僕もテレビ局と組んで成功した映画が1本あります。それが『クイール』です。これは幸い、在京キー局ではあったけれども12チャンネルという小さな局で、出資の率も大変低く、基本的に松竹がヘゲモニーをとって進めたということで、ある意味で映画会社の勝利ではありました。それと、『クイール』に関しては、香港・台北を中軸にした東南アジアでも大成功し、日本では知られてないけれど、アジアに輸出された作品としては数字の上で1、2を争うくらい大ヒットしたんです。あの映画はいろんな意味で、とば口に立った作品でしたが、残念ながら、そこでお終いになってしまいました」

―日本映画監督協会が製作した『映画監督って何だ』という映画を見せていただいて、日本では映画監督に著作権が認められておらず、映画は作品でなく商品として扱われていると知って驚きました。

 崔「著作権の問題は40年来解決していません。それぐらい敵は強靱なんです。日本では、映画は、大中小含めて著作権に関しては文部科学省、劇場については厚生労働省、映画産業全体の行政監督は経産省と3つの役所に管轄が別れている。映画を作品だなんて誰も考えてこなかった、というか、大昔はほっといても金が儲かる業界だったんです。ただ、これからも、権利をめぐる問題については、我々はどこまでもしゃしゃり出るつもりですけどね。
今現在の話に戻すと、いわゆるメジャーの映画会社が直営館を軸にした系列に同じ映画をかけるというブロックブッキングはなくなったけれども、シネマコンプレックスという形で別のブロックブッキングが生まれたようなものです。しかし、一概にシネマコンプレックスをやり玉にあげるというのは、諸刃の剣になる。たとえば都市型のシネコンでは、かつてミニシアターや単館系で上映されたような映画を掛け始めているし、その中でヒットの芽のあるものは拡大公開になるという現実もある。シネコン批判というのは、どうしても東京視線になりがちで、地方にいけばそれなりの番組の作り方をしているし、批判するなら、そういうことをデータ的に挙げた上でしなければならない。シネコンが日本をダメにしたと言えばそれで収まってしまうけれども、そこにはいろんな矛盾と矛盾しないことが両方あるってことを、僕らは作り手として把握しなければいけない時期に来ていると思います」

―名画座がどんどん潰れたり、立ち行かなくなっているときに、シネコンが映画を見る場所を提供する、最後の砦みたいになってきていますしね。

 崔「さっきご指摘があったように、邦高洋低という時代に入ってきて、これも複合的な意味において洋画というか外国映画がダメになっている一方、情報世代である若年層が、メディアリテレシーという観点で非常に弱くなってきていて、自分で選択する力を持とうとしない。"ゆとり教育が悪い"なんて、やけくそで言い放つ人もいるんだけど、それだけではなくて、たとえば字幕を読むというような、我々にとってはごく当たり前な習慣が崩れてきている。ディズニーのアニメだから吹き替え、というようなことじゃなくて、大人向けの恋愛物まで、典型的なデート映画まで、今や吹き替え版の方がお客が入る状況です」

―加えて、デジタルの問題も、ここ10年すごく映画界を変えてきたと思いますが。

 崔「実は、人間の脳内に映画という倉庫があるとしたら、アナログの方が脳内の倉庫に収まりやすいんですよ。これは当たり前の話なんです。たとえば色の再現能力なんかもフィルムの方が高いことは科学的にも実証されていることだし、実はデジタルを開発しているトップクラスは皆知っていることです。デジタルは今、いかにアナログに近づくかに努力している最中なのに、いつのまにかデジタル万能であるという風になってきた。これはこの国、およびアメリカの特色ですよ。それに、安価であると言われているが、フル・デジタルを技術的に映画並のところに持っていこうとすると、実はまだデジタルの方がお金がかかるんです。ここも経産省やハードウェアの会社がきちんと伝えていない。大衆的に説明責任を果たしてないところです」

―デジタルの方が、その場で見られたり、編集できて安上がりと聞いていますが。

 崔「そんなのは嘘っぱち、というのは言い過ぎにしても、"なんちゃってデジタル"なら、フィルムよりは安くあがる、それだけの話です。デジタルだって、手が込んでくればフィルム並に金がかかるってことは皆が知っていることです。今、僕が試みているのは、『カムイ外伝』もそうですが、アナログで撮って、デジタルで処理して、アナログで出す(上映する)という、これはハリウッドやヨーロッパでも今、一般的になっている世界水準の方法で、編集や特殊効果、サウンド系の音に関する様々なエディティングは全部デジタルでやっているんです。実は、僕はかなり早くからデジタルを使っていて、だから余計わかるんだけど、デジタルは道具にすぎない。ツール・ボックスの1つですよ」

―でも、これから上映までデジタル化されていくと、映画製作や作品自体が変わりませんか。

 崔「変わるし、それによって日が当たる作家たちがいることは間違いない。つまり、フィルムを回す製作費を保証できない若いインディペンデントの人達が、自らデジタルカメラを持って撮るという、そういう利点は確かにあります。ただ、アナログで見る際の記憶のされ方と、デジタルの記憶のされ方は明らかに違うんです。これは何人もの人が実験で科学的に照明しています」

―今の若い人はテレビをいっぱい見ているけど、フィルム経験が少なく、デジタルの世界に近いですよね。とすると、脳でアナログ映像を感じ取る感性というのが育たないのではないでしょうか。

 崔「その危険性はすでに出ていますね。今、東宝を中心にデジタル上映に切り替えると言っているけれど、そうなってくると、ますますそういうことになるでしょう。つまり、観客は、普段は家のテレビもしくは携帯のワンセグで映像を見ていて、映画館に行くというのが、"たまには大型テレビを見に行くか"、というような発想になってくる。そのうち、巨大なサーバーから回路を通じて映画を配信するということになれば、映画館は完全に大型テレビになってしまう。今はそういう方向に向かっていますね。幸い、たとえば5000館以上映画館があるインドでは、それだけの設備投資が出来ない。中国も無理です。つまり、まだまだフィルムとデジタル、アナログとデジタルの競合は続くだろうと思います。
また、技術論でいえば、アナログの方が優れているし、なおかつ意識の問題でいうと、デジタルで作ってデジタルで上映されるものよりは、アナログで作ってアナログで見ることの方が人間の身体に向いている。記憶する能力とは自分の中で物語を再生産する能力です。映画という一つの歴史に、デジタルで知識を注入するのとアナログで注入するのと、どちらが向いているのかといえば、当然ながらそれはアナログ=フィルムです。フィルムを一人一人の観客の脳内の映画館にデリバリーし、記憶としてテイクアウトしてもらうのが一番いいわけです」

―問題が資本だけなら、世界はどんどんデジタル化してしまうけれど、問題が人間だったら、アナログが踏みとどまれる余地がある?

 崔「僕はそう思ってますし、そうしなければいけないと思います。ただ、日本映画監督協会の場合、ほとんどの会員はデジタルで仕事をしている、これが現実です」

(齋藤敦子)