シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(2)クールな非情さが魅力「蛇の道」

2009/11/30

 28日は中国(チベット)のコンペ作品「捜索」と黒沢清監督特集から「蛇の道」の2本だけを見た。

 「捜索」は、映画のディレクターらがチベット演劇の主人公役を求めて、チベットの奥深くに入っていく一種のロードムービー。

 奥地の郷土演劇の盛んな村で理想的な声を持つ少女に出会い、王妃役は決まったものの王様役がいない。少女とかつて一緒に王様役を演じた、彼女の前のボーイフレンドを見つけ出さなければ役を引き受けてくれそうもない。前のボーイフレンドを捜しながら、各地でそれ以外の役回りに当たるうちに、彼を見つけ出した。果たして...。

 映画祭でチベットの作品は初めてだが、ペナ・チェデン監督にとっては9作目の作品。今回の広大な土地を車で苦労しながら進む中で物語が生まれる、という設定での制作はハードルが高かったはずだ。イランのアッバス・キアロスタミ監督が既に同じ設定で、「そして人生はつづく」(1992年)、「オリーブの林をぬけて」(94年)という完成度の高い作品を世に出しているからだ。

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チベットの地方芸能にも触れられる「捜索」

 監督はあえて困難な設定のままで、メロドラマ(少女のかつての恋への思い)と社会的リアリズム(村々の過疎化)の融合に挑戦しているともいえる。

 その結果はどうだったのか。やや消化不良だったように思える。人物を遠景にばかり置くため個々人の表情はほとんど分からない上に、大半が車内での映画ディレクターと彼の友人のビジネスパートーナーの会話ばかり。一般の人を登場させたとしても、彼らから表情を引き出すのも監督の力量ではないだろうか。最近、生活音などをわい雑なまでに取り入れた傾向が強いが、この作品も、終始聞こえる車のエンジン音が耳についた。これでは、ずっと流れる郷土音楽の意味がないように思えるのだが。

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「蛇の道」上映前にあいさつする黒沢清監督(シネマトグラフ)

 黒沢清監督の「蛇の道」(1998年)は、同時に制作された「蜘蛛の瞳」とともに劇場公開よりもビデオ販売を主目的としたVシネマで、「ヤクザもの」といえるもの。

 小学生の娘を誘拐されて殺された宮下は、自らの手で犯人を突き止めて復讐しようとする。新島という男が手を貸し、ヤクザの幹部を拉致、強引に口を割らすと、組長の指示だと言う。宮下はかつて組長の下で働いていた。宮下の行動はエスカレートし、組長も拉致する。組長が犯人なのか、新島はどうして宮下を助けるのか?

 憶病なくせに行動に踏み切ると自分で舞い上がってしまう宮下を香川照之がはまり役的に演じているが、何といっても哀川翔演じる新島が怖い。宮下をそれと気付かれずにそそのかす一方で、宮下に隠れて組長や幹部に取引を持ち掛ける。彼の正体は? 彼の非情さには隠された理由があった。緊張をはらんだまま意外な結末へところがっていく。

 上映前に監督自身が「最初脚本を見て、ここまで非情にやっていいのかと思った。責任の半分は脚本の高橋洋(「リング」「リング2」などを手掛ける)のせいです」と話して笑いを誘っていたが、哀川からクールな非情さをここまで引き出したのは、あくまでも監督の力だろう。

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 今年のナントは例年に比べてちょっとした"異常気象"だ。この時期、すっかり晴れる日は少ないのだが、1日中雨というのも珍しくて、大抵は傘なしでやり過ごす。ところが27、28の両日は降るときは激しく降り、おまけに風まで吹き付けてきた。ナント在住の知人によると、到着する1週間ほど前にはヒョウも降ったそうだ。

 映画祭の入場券は、昨年からPCによる事前予約がなくなったため、ジャーナリストや関係者も含めて長い列を作って待つほかはない。おかしなことに待っているときに降ってきて、見ている間は晴れ、終わって出てくるとまた雨、という具合。

 大西洋の暖流のせいでほとんど雪も降らず、雨も小雨、だからフード付きコートがあれば大丈夫、という例年の常識が崩れた。僕も慌てて折りたたみ傘を買いに走った。

 とはいえ、列をつくる人たちは映画ファンだけに、「アラ、アラ」と言いながらも澄ました顔の人が大半、列は崩れることなくさらに長くなるのだ。

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雨にもめげず並んで開場を待つナントの市民ら(カトロザ前)
(桂 直之)