シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(6完)歴史、どう生かす?来年に期待

2009/12/04

 今年の最終日はこれまでと違った。前日30日に閉会式が行われたため、最終日は特集の一部上映と、コンペ部門受賞作の再上映のみが行われた。今回は幸いというか、残念というか、到着後に上映されたコンペ作品の中から受賞作が出たため、最終日に映画を見る意欲を失ってしまい、黒沢清監督特集のVシネマ「蜘蛛(くも)の瞳」(1998年、「蛇の道」と同時撮影)だけを見て切り上げた。

 30回という区切りを経て、新体制で行われた第31回の映画祭は、果たして望むようなスタートを切ることができたのだろうか?

 新しい試みは見られたものの、それがスムーズに機能したとは言い切れないし、課題は依然残っている。ただ、30年続いてきたものを改革しようというのだから、1年だけで判断するのは早計だろう。今年の映画祭を検証してみた。

 映画祭はフィリップ、アランのジャラド-兄弟が創設、ずっと運営を担ってきた。良くも悪くもジャラドー兄弟の個性で成り立っていた面があった。2000年以降、禁煙運動の高まりによる大スポンサーたばこ産業の降板、それ以降の経済情勢の悪化も重なり、企業頼みの運営は厳しくなっていた。参加者への宿泊・昼食補助の削減やパーティーの質素化など、経費節減が目に見える形で始まった。02年の第24回では、大型の映画祭ポスターが姿を消し、閉会式以外のパーティーは全廃だった。「第25回を盛大にするため経費を抑えている」という"言い訳"が流れたが、翌年も同じ緊縮スタイルだった。

 昨年の第30回では、赤字が85,000ユーロ(約1,150万円)に上り、後援するナント市から3年間での立て直しを求められ、ジャラドー兄弟が運営から手を引くことになった。

091204-02.jpg
仮設テントでの閉会式パーティー、華やかさとは無縁だった

 今年も節約色が全面に出ていた。遠来の参加者の宿泊補助は4日から2日に半減。閉会式は、会場費やバスのチャーター代などを考慮して、従来のロワール川中州にある国際会議場シティ・コングレをやめ、中心部にある歴史的な建物、グラスリン劇場だった。ここではパーティー会場がとれないので、近くの公園内にテントを仮設して対応。もちろん周囲は覆われていて暖房もされていた。一般参加者は有料なのだが、飲み物、食べ物も寂しい限り、遠来のゲストもビックリしたのではないだろうか。

 閉会式が最終日でなかったことは、どうだろう。受賞作に関心を持ってもらい、新たな観客動員につなげようという試みは評価できなくはない。その一方で映画祭がどこか尻切れトンボのようになったのも事実だろう。

 閉会式の進行はよく言えばコンパクト、見方を変えれば素っ気なかった。受賞者は舞台右袖のマイク台でスピーチするのだが、前に張ってある映画祭ポスターが邪魔をして、受賞者の表情やポーズがほとんど見えないケースもあった。トロフィーの授与も左袖でアッという間に終わってしまい、こちらとしてはシャッターチャンスがつかめず、冷や汗ものだった。もっと余韻のある進行、例えば受賞者と来場者がともに受賞を喜び合う時間の余裕があっても良かったのではないだろうか。

 疑問点ばかり挙げてきたが、評価すべき点もあった。小学生を対象とした上映会は初の試みだった。中州にある木工と機械工学を合体させた動く動物(マシーン)を生み出している「ラ・マシーン・デ・イル」のギャラリーが会場だったのはユニーク。映画館でない所へも映画の方から出ていった。子どもたちはお泊まり感覚で寝ころびながら眺め、同伴の親たちもくつろいで楽しんでいた。何人かの子どもたちの心の中には映画の火が灯ったことだろう。

 総じて映画祭の広報は迅速で、工夫も見られた。プログラムは事前にメールで送られてきたため、到着後の観賞スケジュールが立てやすかった。一般に配られた簡易プログラムは昨年以上にビジュアル化され、監督、出演者らのゲスト来場や英語字幕付きの有無などが一目で分かるようになっていて、大いに助かった。最終日には、今回を総括するデータなどが早々とメールで送られてきた。

091204-03.jpg
地元紙「ウエスト・フランス」の閉会式記事。カラーでもなく、扱いも地味だった

 「映画祭の起源と歴史をつくったジャラドー兄弟の心を尊重して準備したことで新体制への移行は滑らかだった」が結びの言葉だった。閉会式にジャラドー兄弟の姿はなかった。唯一、「黒沢清監督との対話」の場にアランが姿を見せたが、壇上で対話に加わって欲しいという、こちらの思いはかなわなかった。

 来年の第32回は11月23~30日開催と公表されている。歴史を生かしながら、どう変革していくのだろうか。来年も訪れて確かめてみたい。

(桂 直之)