シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(4) 日本映画界抱える問題痛感

2010/10/29

 矢田部ディレクターの言う"大粒化"が図られた今年のコンペ部門は、昨年よりも商業映画寄りの作品が並びました。その最右翼が、マーク・ロマネク監督の『わたしを離さないで』、ローワン・ジョフィ監督の『ブライトン・ロック』という2本のイギリス映画と、ジル・パケ=ブレネール監督の『サラの鍵』というフランス映画です。

 『わたしを離さないで』は、カズオ・イシグロの小説の映画化で、ヘールシャムという謎の施設で育てられた子供たちの運命を、その中の一人だった女性の回想で描いた作品。『17歳の肖像』でアカデミー主演女優賞にノミネートされたキャリー・マリガン、『パイレーツ・オブ・カリビアン』の大ヒットで知られるキーラ・ナイトレイ、『スパイダーマン』の新作で主演が決まっているアンドリュー・ガーフィールドというスターたちが出演し、来春20世紀フォックス映画から全国公開されます。

20101030.jpg 『ブライトン・ロック』は文豪グレアム・グリーンが1938年に発表した同名小説を、60年代に移して映画化したもので、ギャング団の中で次第に頭角を現していく不良少年と、ウェイトレスとして働く純情な少女のせつないラブストーリー。主演は『コントロール』で注目された新鋭サム・ライリー。写真は「ブライトンロック」のローワン・ジョフィ監督です。(10月29日、ムービーカフェで開かれた記者会見の後で)
 『サラの鍵』は、タチアナ・ド・ロネの同名のベストセラーの映画化で、主演は『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、英仏の完璧なバイリンガルであるクリスティン・スコット=トーマス。映画は大部な原作を手際よくダイジェストし、1942年に家族と共にフランス警察に逮捕され、収容所に送られることになるユダヤ人の少女サラの数奇な運命に、ホロコーストの取材でサラの存在を知る現在のアメリカ人ジャーナリストの生き方を絡めて描いていて、3本の中では一番よく出来ていました。

 では、この3本からグランプリ作品が選ばれるかといえば、それはまた別の話。国際映画祭で問われるのは、まず芸術性であって商業性(興行的に価値を持つか否か)ではなく、映像表現としての独創性、豊かさ、深さで、そういう意味では3本とも少しずつ不満の残る作品でした。

 実は、今年"大粒化"が図られた裏には、TIFFおよび日本映画界が抱える大問題があると私は思っています。それは、日本の映画界では、映画が芸術作品なのか商品なのかという根本的なコンセンサスさえ未だに出来ていないこと。昨年のフィルメックスでのインタビューで崔洋一監督がおっしゃっていましたが、日本では映画を文部科学省、厚生労働省、経済産業省の3つの省が分かれて管轄しています。作品として認められていないために映画監督に著作権が認められていなかったり、映画祭のような催しを開いたり、映画を援助し、育成する段になると、微妙な問題が発生するのです。いち早く官民あげて映画をもり立てていく体制を整えた韓国・中国・台湾とは大違いで、こんなところにも日本の映画産業の官民あげた認識の遅れを痛感してしまいます。

 さて、映画祭のいいところは普段あえないような人に遭えること。井谷直義さんは、フィレンツェで歴史を勉強する学者の卵。何とか日本文化をフィレンツェに紹介しようと、NPO法人を作ったフィレンツェ在住のオペラ歌手松本高明さんと共に奔走し、トスカーナ州からの援助を取り付け、ついには昨年、第1回日本映画祭を立ち上げたという熱意の人。今年はさらにフィレンツェ市からの後援も受けて11月に第2回を開催するということです。ぜひ長く続けてほしいと思いますし、イタリア側だけでなく、日本側も彼らのような人を援助することができたらと思います。

 2007年のこの欄で少し触れましたが、舞台・映画美術家の星埜恵子さんにばったり会って、彼女がその頃からずっと奔走していた成瀬巳喜男の『浮雲』のセットが、ついに千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館に保存されることになったという嬉しいニュースを聞きました。彼女の努力には本当に頭が下がる思いですが、こういった映画史に残る貴重な文化財が散逸されるままになっている現状に、映画遺産を保護し、保存する意識の薄い日本の映画産業と行政の問題を、またまた感じてしまいました。


221029.jpg写真は、TIFF会場で、フィレンツェ日本映画祭2010を熱心に語る事務局長の井谷直義さんです。

(齋藤敦子)