シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(2)1回限りの挑戦「牛皮Ⅱ」

2010/11/29

 25日はイランのコンペ作品「Gesher」と中国第6世代特集の「牛皮Ⅱ」、セネガルのジブリル・ジオップ・マンベティ監督特集の短編などを見た。

 「Gesher」(2010年、一部1984年)は、より良い生活を求めて家を離れ、イランの中で豊かな産油量を誇る南部地域に向かった3人の男たちを描く。低賃金と厳しい生活環境の中で、彼らは原油パイプラインの不要パイプを仮の宿とするしかなかった。直面している困難な状況を打開しようと、彼らは仲間意識を築こうとするのだが...。ヴァヒド・ヴァキリファ監督(29)は、目の前に広がり、大型タンカーが行き来する海を、彼らの"逃避"と"憧憬"の象徴として、豊かなイメージの中に織り込んで描いており、特にラストシーンが印象的だった。

091129-01.jpgイランで生きる労働者に温かい眼差し(「Gesher」のポスター)
 リュウ・ジョンウ監督(29)の「牛皮Ⅱ」(2009年)はフィクションだが、リアルタイムで流れる133分に、見る者が付き合えるかどうかで評価が分かれる作品だろう。

なめし皮店の作業場で男が黙々と作業をしている。そこに妻が来て手伝った後、2人で部屋を片付けて夕食の水ギョウザ作りが始まる。娘も慣れぬ手付きで手伝い、3人で食べて、おしまい-。粗筋で書けば、こうなって身もフタもない。おまけにカメラは1つの部屋の中で9回位置を変えるが、すべて固定カメラで、省略がないまま、まさにリアルタイムで描かれるのだ。耐えきれずに途中で出ていった人も少なからずいた。

 ただ、行動や会話の端々から、店が決して順調ではなく、今後について3人3様で意見があること、ギョウザの皮作りでは経験のない娘であっても、父親の意見に異論を唱える-その「とき」の共有を良しとすれば、133分は決して長くはない。僕もこの家族のゆるやかな「とき」の流れを肯定する。フィクションならではのユーモアある演出がある一方で、現代の家族、食の持つ問題点が静かにあぶり出されている。
 とは言っても、フィクションがリアルタイムだけの演出でいいのか、言えば、省略もカメラワークも必要だと思う。1回限りの挑戦だろう。
091129-02.jpgユーモアも漂う133分の同時進行劇(「牛皮Ⅱ」)

 マンベティ監督は独学で映画製作を学び、庶民の日常をリアルで飾り気のない撮影で描き出し「アフリカのゴダール」と言われたが、1998年に53歳で亡くなっている。

 23歳のデビュー作「コントラス・シティ」(1969年)は、独立後10年近くたった国内の光と影の部分をコラージュ風に21分間でつないだものだが、その対比の軽やかさが、逆に深刻さを浮き彫りにして印象深い。カンヌ、モスクワ両国際映画祭で高い評価を得て、彼の名前を知らしめたが、今見ても色あせていない。

 「正直者」(1994年)は、売れないミュージシャン、マリゴが主人公。家賃を滞納して楽器を取り上げられるが、思わぬことで手に入れた宝くじが当選する。ただ、宝くじは、無くさないようにと家のドアに張り付けてあったので、そのドアを外し、大騒ぎしながら窓口に持ち込む...。オーケストラを従えたり、舟を雇うなどして演奏を行う、そんな当選を夢見た想像の場面が自在に挟み込まれる。むき出しの生々しさとともに叙情性(隠喩に富んだ表情や視線の何と印象的なことか)があって引き付けられる。短編3部作「普通の人々」として構想されたが、「太陽を売った少女」(1998年)が遺作となり、3部作は完成しなかった。

 もう1本の「祖母の話をしよう」(1989年)は、監督の祖母を扱った長編「Yaaba」の撮影風景をとらえたドキュメンタリー。毅然とした祖母の生き方への温かい眼差しと、子役たちへのユーモアあふれる演技指導ぶりなど、監督の素顔を知ることができて貴重だ。

091129-01.jpgジブリル・ジオップ・マンベティ監督 
 今年のナントは例年に比べて寒さが厳しい。24、25日と青空に恵まれたが最高気温は5度。週末は最低気温が氷点下になり雪の予報だ。

 25日になって映画祭会場は徐々に込み始めた。ナントに住む友人は「今年は事前のPRがほとんどなく、どうしたのかな、と思っていた。今週に入ってからようやくラジオなどでPRが始まった」と話していた。少しホッとしていたら、カトロザ前の路上に、新しいPRを発見した。道路標識に見せかけて白い文字で「32eMe Festival Des 3 Continents」と描かれていた。足元にまで注意が及ぶかどうか心配だが、努力は買おう。

091129-04.jpg新たに路上に登場した映画祭のPR文字(カトロザ前)
(桂 直之)