シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(3)中国の暗部に迫る「溝」

2010/11/29


枯れ草のわずかな実も貴重だ(「溝」)

 26日はコンペ作品の中国「溝」とパラグアイの「祈りの9日間」、招待作の「イエローキッド」などを見た。

 中国第6世代の旗手の1人、ワン・ビン監督(43)の「溝」(2010年)は初の長編フィクションで、今年のベネチア国際映画祭にサプライズ出品され、大きな反響を呼んだ。今回、第6世代特集に組み込まれていた彼のドキュメンタリー「名前のない男」(2009年)を合わせて見たことで、手法を変えた2作品が「人間とは」をより強烈にあぶり出していたように思う。

 中国党中央は1957~61年、反右派(反革命)闘争で、知識人たちをモンゴル国境近くのゴビ砂漠に送って強制労働させた。収容所は砂漠に溝を掘り、板を渡しただけのもので、多数の犠牲者を出した。中国現代史の暗部で、中国では許可にならないことから、生存者にも取材、フランス、ベルギーの協力を仰いで制作された。

 毛沢東の大躍進政策が破たん、天災も重なって収容所では餓死者が相次ぎ、とうとう強制労働すら中止になる。ネズミを捕らえたり、草の実を集めたり、他人の吐瀉物に手を出す事態も。さえぎるものがなく晴れわった地上と対比させ、逆光で溝の中での生活を淡々と描写していく。

 ワン・ビン監督は3部作、9時間に及ぶドキュメンタリー「鉄西区」で2003年、山形国際ドキュメンタリー映画祭と、ここ3大陸映画祭でともにグランプリに輝いている。なぜ今、フィクションなのか?

 1つの契機は「鳳鳴(ファンミン)―中国の記憶」(2007年、山形ドキュメンタリーでグランプリ)だろう。反右派闘争と文化大革命で迫害を受けた女性・鳳鳴が30年をかけて名誉回復するまでを語るさまを描いたドキュメンタリーだ。監督は「人間の経験や考えを伝えることが歴史を伝えることだ」と語っている。歴史をさかのばらなければ描けないものもあるのだ。

 「溝」は、そこでの地獄ぶりを淡々と、だからこそ怖いのだが、描いていく。ただ、夫を亡くした妻が上海からやって来たところから、濃厚な、フィクションならではの展開になる。遺体を引き取りたいという妻に、収容所の仲間は、衣服も肉体の一部も奪われていることを伝えることはできない。でも妻は1人で雪の舞う荒野に出て遺体を探す...。

 さて、ドキュメンタリーの「名前のない男」だが、こちらも凄まじい。土中に穴を掘り、土を運び、馬ふんを肥料にしながら野菜を育てる。食べ物の小さな破片1つ見逃さず食べ尽くし、完全な自給自足生活を送っている。居住区の補習もあって毎日が"忙しい"。名前を捨てたところに彼の自在さがあるように見える。

 一方、「溝」の知識人は1人ぼっちではないのだが、生きているのではなく、生きながらえているだけなのだ。強いられて「食べる糧」を得るかどうかが、分岐点のような気がする。ワン・ビン監督は、同じような状況でありながら、手法を変えて陰陽、背中合わせのような2作品を生み出すことで、中国だけにこだわらない人間の根源に迫っていることを強く感じた。

 もう1つのコンペ作「祈りの9日間」(2010年、一部1997年)は、同じ人間が生きる中でも「鎮魂」の持つ深い静まりに魅了された。

 パラグアイの小さな村に住む、詩人で職人のジャンは、この地を離れたことがなく、ずっと一緒に暮らしてきた母親を亡くす。平穏な生活が、祈りの9日間で訪れた親族らによって、少し波立ったりする。エンリケ・コララ監督(46)は、ほとんど変わりのない日常を淡々と描きながら、微妙な人情の行き違いや交流を織り込んでいる。ジャンがタイヤを加工して植木鉢や籠にするさま、夕闇の中で静かに詩を朗読するさまなどは、「溝」を見た後では、何と世界が違うのだろうか、思わせられてしまった。

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映画製作について語る真利子監督(右端)=3大陸映画祭カフェ

 最後に招待作の「イエローキッド」を見た。真利子哲也監督(29)の東京芸大修士科の卒業制作で、監督にとって初の長編。若さが持つエキセントリックな突っ張りが良い形で表に出た作品だった。
 米国のコミック・ストリップ・ヒーロー「イエローキッド」をテーマに、現状からの脱皮をヒーローに仮託しようとしながら、果たせない若者たちの物語だ。

 祖母2人暮らしの田村(遠藤要)はボクシングジムに通っているが上達には程遠い。漫画家(岩瀬亮)が、彼をモデルにヒーロー漫画を書き出したことで、内心、高揚してくるのだが、周囲との状況は悪化をたどる。ヒーローもどきに元世界チャンピオンに挑んだり、憎らしい先輩に鉄槌を加えはするが、それは何も裏付けのないものだった...。

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漫画家も現実と夢が交錯、混乱していく(「イエローキッド」)

 真利子監督は、ふんどし姿で食堂内を怪走したり、建物の屋上からバンジージャンプで飛びおりたりと、自らが出演、手持ちカメラで撮影した多くの短編で、若者たちを刺激してきた。

 今回は初めて俳優、カメラマンを揃えて制作。ナントの地元ラジオ局での対談で、「イエローキッド」の背景について、監督は「誰もがヒーローに変身したいという気持ちを持っているはず。その気持ちを大事にしながら、現状は...ということを描いた」と話していた。「一回性」にこだわってワンカットを多用した映像は迫力があった。

 ◇

 週末になって劇場には徐々に観客が戻ってはきているものの、満席となることはない。どうしてなのだろうか、と悩んでしまう。昨年に比べると若者たちのグループもおおいようなのだが...。

 とはいっても、ナントの観客は温かい。たまに席を立つ人もいるが、ほとんどは最後まで見終わって、拍手やブーイング(今回はまだない)で自らの感想を表明する。コンペ作品だけに実施されている観客賞投票には、競って投票していた。

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コンペ作の観客賞を投票する観客たち=カトロザ
(桂 直之)