シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(5)独裁政権下の暗部に迫る「木製のナイフ/108」

2010/12/02

「木製のナイフ/108」のポスター

 28日はコンペ作品からパラグアイのドキュメンタリー「木製のナイフ/108」と台湾の「4枚目の似顔絵」、ドミニカの「ジーン・ジェントル」、それから中国第6世代のアニメーションを見た。これで明日の閉会式前にコンペ作品9本を見終えることができた。今年のナントは寒く、この日は夕方から雪交じりの雨になったが、コンペ作品には中高年の映画ファンを中心に、観客が詰め掛けていた。

 「木製のナイフ/108」(2010年、一部1993年)は、パラグアイで1954年から35年間の長期独裁だったストロエスネル政権下の人権的な暗部に迫ったドキュメンタリーだ。監督のレナーテ・コサタ(29)は故郷の首都アスンシオンに戻り、身近な人物、もう故人となっている叔父ロドルフォに関心を抱く。叔父は彼の父や兄弟がやっていた鍛冶屋と違ってダンサーになりたがり、独裁政権下1980年代に「同性愛者108人リスト」で、逮捕か拷問に遭っていたことを知る。

 自国の暗部を、「ホモだから当然で、俺たちには関係ない」と向き合わない人たちに疑問を感じ、父親だけでなく、女装、売春婦、同性愛者らにも調査を広げていく。1人1人に何をすべきかを、詰問するのではなく聞いていく。公式の歴史の中では「未知」であったとしても、存在した事実に目をそらすことはできないという、強い意志に裏付けられている。同時代的に生きた人、知らないで生きた人、その2つの世代が向き合うきっかけを生み出す作品と言えよう。

 「4枚目の似顔絵」(2010年)は東京映画祭の台湾電影ルネッサンス2010で上映されているのでご覧になった方もいるだろう。父を亡くした10歳のシャングは、離婚して今は再婚している母親と暮らすことになるのだが、愛情薄い母と義父との生活に苦しめられていく。
 だが、小学校の用務員、年上のぽっちゃりした"こそ泥"の2人には通じるものを感じ、成長もしていく。

 脚本・撮影も手掛けたチェン・モンホン監督(45)は、少年の孤独感と成長ぶりを、彼が描く4枚の肖像画で切り分けるというアイデアが出色だ。風景の美しさ(特に緑の扱い)や映像の処理も素晴らしい。少年を演じるビ・シャオハイ(11)はオーディションで選んだ素人だそうだが、「目を見て決めた」という監督の言葉通り、おもねないが、閉じ籠もってもいない表情がぴったり。4枚目の肖像画はシャングが鏡を見ながら、どうやって描こうか考え込むアップで終わる。

 無愛想にしながらシャングを思い遣る用務員役も味があるし、母親役もシャングに見せる冷めた表情がいい。こそ泥君との掛け合いはユーモアたっぷり。それが深刻な部分を引き立たせることにもなっていた。
 実は用務員は戦後、上海から台湾に渡ってきた外省人、少年の母親は中国から流れて来てホステスをやっている"新"外省人。用務員は本土に帰りたがっているが、母親はそうではない。世代の違う外省人の姿で台湾が抱える、本土との帰属問題も描かれている。

 「朧月夜」が流れてビックリさせられた。上海で聞きおぼえたであろう用務員の戻りたい気持ちを代弁するために使われている。候孝賢(ホウ・シャオシェン)の「冬冬の夏休み」にも「仰げば尊し」が流れたが、中国への日本のかかわりは一筋縄ではないということだろう。


愛情薄い母に引き取られるシャング(「4枚目の似顔絵」)
 コンペ作品3本目の「ジーン・ジェントル」(2010年)は、ドミニカの首都サントドミンゴで職探しをする、ハイチの教授、ジーン・ジェントルの物語。何度か面接を受けても採用されず、やっと奥地の建設現場で働き始めるが、先生意識が邪魔をして仲間ができにくい。「私は生きている。だけど生活はしていない」。生きる理由とこの世界での居場所を探すための難しい旅が続く...。
 ドミニカのローラ・アメリア=グスマン(29)とメキシコのイスラエル・カルディナ(29)の共作で、メキシコ、ドイツの協力を得ている。虚弱だが優雅な男の肖像がとらえられていて息を飲む。

 中国第6世代のアニメーションは短編2本を見た。「RMBシティに生きて」(2010年、15分)は、RMB通貨によって発展した仮想世界(Second Life)に生きる母親に、赤ん坊が質問をすることで、世界とは、生きるとは、に触れるというもの。過去と近未来がゴッチャになった世界は、言葉(日本が制作に協力、セリフは日本語)で次々と語られるのだが、どこか足が地に着いていない。赤ん坊は「僕は大人になりたくない」と言いだしてしまう...。北京をベースに制作するカオ・フェイ監督は、母親をアンドロイド型で表現しながら、赤ん坊は人間そのもの、動きもそうスムーズではなく、背景も徹底的に緻密に書き込むことはしていない。融合しきれない"混沌(こんとん)"こそが世界だとでも言うようだ。

 もう1本の「民国風景」(2007年、14分)は、中国伝統の墨絵的な香りを残した作品。定点観測的に、20世紀初頭の中国から現代までの政治的なものと日常生活を絡めながら、セリフもナレーションもなく、ただ音楽をバックにつないでいく。日本の占領が崩れていくさまも、建物にひるがえる国旗の様子だけで表現する。ツゥ・アンシャン監督は何が変わり、何が変わらないのか、饒舌でなくとも伝えられることを証明している。

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 ブルターニュ大公城が夜のライトアップをしているので、遅くまで映画を見た後に寄ってみた。一昨年、大幅な修理が終わり、日中は小学生の写生会や一般の人たちが訪れて、思い思いに楽しんでいる。修理前に比べて新しい観覧コースが増え、以前は見られなかった角度から城内、そして市街地を見回すことができるようになり、さらに魅力が増したように思う。ライトアップは全面ではなく、本館の白い壁を浮かび上がらせる一方、城壁の一部に抽象的な図を描いてみせる。このミスマッチ風が、いかにもフランスらしい。


ライトアップされたブルターニュ大公城
(桂 直之)