シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(6完)グランプリに南米作品「川の抱擁」

2010/12/03

221203_01.jpg金色の熱気球トロフィーを手にするギレ監督

 今年のコンペ部門だが、ナント出身のジュール・ベルヌにちなんだ金の熱気球賞(グランプリ)はコロンビアの「川の抱擁」(ニコラス・リンコン・ギレ監督=2010年、一部1972年)、銀の熱気球賞(準グランプリ)もパラグアイの「木製のナイフ/108」(レナーテ・コサタ監督=2010年、一部1993年)と、ともに南米のドキュメンタリーが獲得した。

 フィクションとドキュメンタリーの境界がなくなり、両部門が統一されて今年で4年目。統合初年の2007年はドキュメンタリーがグランプリだったものの、以後2年はドキュメンタリーの手法を取り込んだフィクションに軍配が挙がっていた。地元紙「ウエスト・フランス」は今回の結果を翌朝、「南米は気球で発信する」との見出しで報じた。

 「川の抱擁」はコロンビアの西部から北に向かって流れ、カリブ海に注ぐマグダレーナ川と川沿いに住む人たちとの2重の意味での関係を描いたドキュメンタリー。川の幸をもたらし祝福されているかと思えば、時には衝動的に暴れて人を飲み込み、呪われる存在になる。長い時間の間には神話や伝説にまで"昇華"、土俗的信仰の対象にもなっている。ギレ監督は、その伝承を追い続ける中で、人間と自然との関係を視覚化することに挑んだといえる。

 監督は、背反する面を内包した両者の状況を叙情性も加味(特に宗教的なシーンでの静けさには引き込まれる)して見せながらも、息子と兄弟を失った女性の声を契機に、曖昧な関係に切り込み、人間の側の「心の叫び」を見る者に届けた点が評価されたのだろう。

 一方、「木製のナイフ/108」は、人為的な抑圧の事実を、丹念に掘り起こしたドキュメンタリー。パラグアイで長期独裁だったストロエスネル政権下の1980年代、「同性愛者108人リスト」が存在し、多くの人が逮捕・拷問されたが、明らかにされることはなかった。

 コサタ監督は故郷の首都アスンシオンに戻り、故人となっている叔父ロドルフォに関心を抱き、叔父がリストによって逮捕か拷問に遭っていたことを知る。

 自国の暗部を、「ホモなんだから当然。普通人の俺たちには関係ない」と向き合わない人たちに疑問を感じて、自分の父親だけでなく、女装、売春婦、同性愛者らにも調査を広げていく。1人1人に何をすべきかを問いただすのではなく、まず聞いて、その事実に向かい合おうとする、その姿勢が、この作品の品位を高めていて、受賞の大きな決め手になったと思う。


準グランプリと若い観客賞をダブル受賞のコサタ監督(中央)
 "節約"が第一目標になり、昨年から女優、男優、監督賞などの各賞はなくなった。審査員が選ぶのはグランプリ、準グランプリの2つだけ。何も賞を乱発してほしい訳ではないが、同じ審査をして2つしか選ばないのはもったいないような気もするのだが...。

観客賞受賞に笑顔のモンホン監督

 一般選考では観客賞(観賞後の観客の投票で決定)に、台湾の「4枚目の似顔絵」(チェン・モンホン監督=2010年)が選ばれた。父を亡くした10歳の少年が、離婚して今は再婚している母親・義父と暮らす中での苦労や成長ぶりが描かれる。

 脚本・撮影も手掛けた監督は、少年の孤独感と成長ぶりを、少年が描く4枚の肖像画で切り分けるというアイデアが出色の上、風景、特に緑の扱いが素晴らしい。少年を演じるビ・シャオハイ(11)はオーディションで選らばれた素人だが、おもねない表情がぴったりだ。彼と心を通わせる小学校の用務員と年上のぽっちゃりした"こそ泥"の2人も適役で、適度なユーモアが、深刻な部分を引き立たせ、少年を応援しようという気にさせる。

 実は用務員は戦後、上海から台湾に渡ってきた外省人、少年の母親は中国から流れて来てホステスをやっている"新"外省人。親子ほど違う世代の外省人を登場させることで、台湾が抱える中国本土との微妙な帰属問題も描かれている。

 もう1つの若い観客賞は、準グランプリの「木製のナイフ/108」が獲得した。不当な人権抑圧の事実に対し、同時代を生きた人、時代違いで知らないまま生きてきた人、その2つの世代が向き合うきっかけを、この作品が生み出した。ここが、若い観客にとっても高い評価になったのではないだろうか。

 ◇

 閉会式は29日午後7時半から、市内中州にある国際会議場「シティ・コングレ」で行われた。昨年の会場、中心部にある歴史的な建物、グラスリン劇場から、たった1年で元の会場に戻った。ただ、以前のような大ホールではなく、中ホールが使われたが、来場者で満席とはならなかった。

 式典はあっさりした進行だったが、昨年に比べると工夫も見られた。コンペ作品のラインナップ紹介では、アニメの熱気球が飛んで、作品を誘導する形になっていたし、受賞者の紹介も、カメラ撮影を考慮したものだった。最後に受賞はしなかったコンペ作品の来場監督を壇上に呼び寄せ、一堂で記念写真という配慮もあった。ただ、以前のような会場と壇上が一体となった高揚感は感じられなかった。

 それは閉式後のパーティーにも影響したように思う。昨年同様、公園にテントを張っていたのでは、今年の寒さをしのげなかっただろう。もっと快適な環境ではあったが、受賞者を囲んで質問したり、写真に入ってもらったりという場面には出くわさなかった。

 新体制で2年目の採点は、辛くしか付けられない。地元の人たちも首をかしげる事前PRの低調さ。大型ポスターは皆無に近く、アーケード街のポメリー通は定位置のポスターさえなかった。開会式直前になってラジオなどのPRは盛んになったそうだが、映画祭が目的の1つにしている町おこしの側面は、大きく後退しているように感じられて仕方ない。映画祭参加者に食券を支給し、地元飲食店も盛り上げようという試みは中止された。これも節約のせい?

 昨年は事務局の広報支援のスピーディさを評価したが、今年はこれにも首をかしげたくなった。昨年は会期終了後に、映画祭の総括をメールで送ってきた。翌年への意気込みも盛り込まれていた。だから、今年に期待をしていたのだが...。

 映画祭は内容で勝負だ。「ウエスト・フランス」の見出しではないが、昨年よりアジア偏重から南米勢に視野を拡大し、しかも若い力の発掘により積極的だったことは評価したい。中国第6世代の特集は、この世代への理解を一気に深かめるのに役立った。

 いろいろ話題になったワン・ビン監督の「溝」を、陰陽の写し絵の関係にあるドキュメンタリー「名前のない男」と一緒に見られたことは幸せだった。「溝」の衝撃性は、フィクションゆえに、夫の遺体を引き取りに来た妻に"演技"をさせたことで、かえって薄まったかもしれない。監督の2つの手法を使っての「生きる」ということへの問い掛けは、セットなら、どんな評価なのだろうか? そんなジャッジがあってもいいのではないか。

(桂 直之)