シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(8)冤罪の構図 克明に/『セントラル・パーク・ファイヴ』

2012/05/27

 最近はどの映画祭でもドキュメンタリーが大きな位置を占めるようになってきていて、思いがけない作品を見るのが楽しみなのですが、今年のカンヌでもすばらしい発見がありました。それがコンペ外特別招待作品として上映されたレイモン・デパルドン、クローディーヌ・ヌガレ共同監督の『フランスの日記』とケン・バーンズ、サラ・バーンズ、デヴィッド・マクマホン共同監督の『セントラル・パーク・ファイヴ』です。

 『フランスの日記』は、私が"発見"などと言うのもおこがましいほど高名な写真家で映画作家レイモン・デパルドンの足跡を、パートナーのクローディーヌ・ヌガレが描いたもの。1942年生まれのデパルドンは、最初は報道写真家としてキャリアをスタートさせ、ヴェネズエラ、チャド、ビアフラ、イエメンなど世界各地の紛争地帯を回って写真を撮ってきた人。映画に進出したきっかけは1974年にヴァレリー・ジスカール=デスタンの依頼で大統領戦を取材したドキュメンタリーですが、大統領となった当のジスカール=デスタンから公開を禁じられるという皮肉な結果になりました。

 私が彼の作品を知ったのは、1983年の『三面記事』という、パリ5区の警察署が取り扱う様々な事件を追ったドキュメンタリーから。その視線の公平さ、真摯さ、深さはアメリカの名ドキュメンタリー監督フレデリック・ワイズマンとも共通で、彼が報道の現場から見たこの半世紀の世界の動きと、フランスらしさを探して写真機材を積んだトラックでフランスの田舎を回る現在のデパルドンの姿が絶妙にコラージュされた、心に残る作品でした。

8_1.jpg 『セントラル・パーク・ファイヴ』=写真=は1989年にセントラル・パークをジョギング中の女性が何者かに襲われた事件で、当夜、別件で逮捕された黒人とヒスパニック系の5人の少年がどのように犯人に仕立てあげられていったかを克明に追ったドキュメンタリーです。

 1980年代後半のニューヨークは不況のまっただ中。クラックという安価な麻薬の大流行と、麻薬の売買で利益を得た黒人青年たちが街を闊歩するようになり、治安の低下が問題になっていました。そんなとき、ニューヨーカーの聖地であるセントラル・パークでジョギング中の白人女性が何者かに襲われた事件は住民を震え上がらせ、一刻も早く犯人を逮捕・起訴することが警察と検察の責務となりました。そんな大きなプレッシャーがすべての判断を誤らせていくのです。

 実際には事件と何の関わりもなく、会ったこともなかった5人の少年が、なぜ共謀して女性を襲ったと自供したのか。採取されたDNAも指紋も一致せず、自供以外に何の証拠もないのに、どうやって起訴に持ちこめ、有罪の判決が出たのか。警察発表を鵜呑みにした報道がどのように世論を煽っていったか。冷静に考えればどこかがおかしいことがわかるはずなのに、いったんひとつの流れが作られてしまうと、それを覆すことがどれほど困難か、その恐ろしさがテーマの作品でした。

 この事件の根底にあるのは、もちろんアメリカの人種差別問題ですが、冤罪事件を生み出す土壌はどこにでもあり、人種問題のない日本も例外ではないことは、松本サリン事件を見ればわかります。

(齋藤敦子)