シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(5)映画に演技は不要/『ある学生』のダルジャン・オミルバエフ監督に聞く

2012/11/04

tokyo2012_05_01.jpg
 ダルジャン・オミルバエフ監督と初めて会ったのは1992年のナント三大陸映画祭でした。初の長編『カイラット』がロカルノ映画祭で銀豹賞を受賞したばかりで、おりしもカザフスタンのニューウェーヴに大きな注目が集まっていた時期でした。その後、95年に2作目の『カルディオグラム』が上映されたヴェネチアで再会し、直後の東京映画祭の<アジア秀作映画週間>に同作が選ばれて初来日。その後、2001年にNHKアジア・フィルム・フェスティバルで『ザ・ロード』が上映されたときにも来日しているので、今回が3度目の来日です。

 <アジアの風>部門で上映された『ある学生』は、ドストエフスキーの<罪と罰>を下敷きに、資本主義が流入した現在のカザフスタンで、お金のために人を殺してしまう学生を描いたもの。主人公の学生を初め、登場人物およびスタッフにオミルバエフ監督が教鞭をとる映画講座の学生が多く参加しています。

-『ザ・ロード』まではオリジナルな題材だったのに、その後、『シューガ』はトルストイの<アンナ・カレーニナ>、今回の『ある学生』はドストエフスキーの<罪と罰>と、ロシア文学の映画化が続いていますが、何か心境の変化があったんですか?

オミルバエフ 自分の想像力が尽きてしまったので、他の作品を参考に使おうと思ったんですよ(笑)。それに、たぶんネットで見られると思いますが、韓国の映画祭の依頼で撮った短編も、原作がチェーホフです。

-全州映画祭のデジタルプロジェクト"三人三色"で撮った『愛について』ですね。
今回の『ある学生』はご自分の学生を使って撮っていますが、今の学生は、あなたが学生だった頃と違っていますか?
オミルバエフ 私の大学の専門はもともと映画ではなくて数学だったんですよ。。

-でも、モスクワで映画の勉強をしませんでしたっけ?

オミルバエフ 確かに。ただ、学生といっても一般の人と同じで、いろいろいますから。それに私がモスクワで勉強していたときは、映画を撮るために自分の内面を分析するようにしていたので、単純に比べるのは難しいですね。

-あなたが学生だった頃は、フィルムで映画を撮っていたと思いますが、今では日本でもデジタル化が進んでいます。カザフスタンではいかがですか?
オミルバエフ 私の若い頃は携帯電話もありませんでしたからね(笑)。やはり、カザフでもデジタル化は進行しています。今回の『ある学生』もデジタルで撮りました。フィルムを使わないことで失われたものもありますが、プラスもあります。フィルムは高価なので常に使ったフィルムの値段を考えながら撮らなければなりませんが、デジタルは考えなくて済むので、その辺は大変楽です。

-『カイラット』の頃はカザフのニューウェーヴに世界から注目が集まった時期でしたが、2001年に来日されたときのインタビューを読んだら、ソ連の崩壊以降、文化予算が減って製作本数が激減したと話していらっしゃいました。その後、デジタル化で状況は変化しましたか?

オミルバエフ 以前は映画を製作するのは国でした。フィルムは高いので、個人や私営の企業が映画を製作することは出来なかったんです。が、デジタル化によって国営だけでなく私営の会社も映画を製作できるようになりました。ただ、国は今でも映画の撮影に補助金を出してくれています。年間でいえば国営で5、6本、民間で3、4本の映画が製作されています。ただ、製作本数は増えたものの、上映の面では悪くなっています。以前はソ連の映画を初め、日本映画なども映画館で沢山上映されていたんですが、最近は99%がハリウッド映画と言っても過言ではないくらい、ほとんどがハリウッド映画なんです。

-『ザ・ロード』以降、映画を撮る間隔が空いているので、私的な理由の他に、映画を撮れない事情があったのかなと思いまして。

オミルバエフ いや、だいたい3、4年に1本は撮っていますよ(笑)。ただ、大学で教えるようになったので、それに時間をとられるようにはなりました。

-あなたの映画はミニマルな手法なので、フランスではブレッソンに比較されることが多いようです。ミニマルだからブレッソンというのは安易な比較だとは思いますが、今度の『ある学生』は特に『ラルジャン』に似ているように思いました。ブレッソンを意識していらっしゃいますか?

オミルバエフ ブレッソンは私が一番好きな映画監督です。私が子供の頃、学校で一番好きな科目は図画で、絵を描くことは好きだったんですが、演技とか芝居については今でもほとんど関心がなく、芝居を見に行ったことも2、3回しかないくらいです。田舎育ちだから演劇に縁がなかったとも言えますが。ブレッソンの映像の見せ方や音の使い方は私の映画に近いものがあります。私の映画も演技ではなく、映像の見せ方を重視していますから。たとえば、すばらしい芝居を映像に撮って観客に見せたら、観客は感動するかもしれないが、それは映画を見た感動ではなく、俳優がいい芝居をしていることへの感動です。芝居を映画に撮ることによって、どこででも上映して見せることができるようにはなっても、その場合、映画は単なる芝居の媒体にすぎません。ブレッソンはそうではなく、映画そのものの表現を考えた人なんです。たとえば顕微鏡で細菌を観察するなら、顕微鏡本来の役割を100%果たしていますが、顕微鏡で釘を打ったとしたら、本来の役割の1%くらいしか果たしてないことになるでしょう?
有名な映画監督の作品でも、芝居や音楽が何十%かの割合を占めてしまい、その分、映画の役割が少なくなっているものがありますが、ブレッソンの作品は映画の役割を100%果たしていると言えるのです。

 映画とは何かといえば、写真に動きをつけたものです。まずは写真の発明があり、その後70年間くらい写真は動かず、それから写真を動かす技術が発明されました。1枚の写真からは芝居や筋は見えません。映画が"動く写真"である以上、映画に演技を求めるのはおかしいし、必要ではないと思います。演技は演劇というまったく違う芸術の分野に属しています。芝居を撮った映画を見るのは気持ちがいいし、感動するけれど、それは芝居を見た感動であって、映画を見た感動ではない。映像は映像だけの感動であるべきで、いろんな料理をごちゃまぜにしすぎない方がいいのと同じです。ブレッソンが<キネマトグラフについて>という素晴らしい本を書いています。日本語にも翻訳されているんじゃないですか(<シネマトグラフ覚書>筑摩書房刊)。

-『ある学生』の主人公はアルマトイの郊外に住んでいるという設定ですが、郊外にしては車の騒音が凄いですね。あの音は意図的なものなんですか?

オミルバエフ 最近は郊外でも車の渋滞がひどくて問題になっているくらいです(笑)。去年ようやく地下鉄が出来たんですが。映画に登場する学生の家も、詩人の家も、百年以上前に建てられた非常に古い建物です。もちろん効果を出すために意図的に車を走らせたわけではなく、実際に交通量が多いんですが、結果的に、交通量の増加といった文明の進化に、建物や通りなどの環境が追いついていないことの象徴になったかもしれません。

-ドストエフスキーの原作はとても暗い話ですが、『ある学生』は明るいというか、ユーモアのようなものが漂っていました。去年、お母様と奥様を亡くされたと聞いたので、暗い映画を想像していたんですが。

オミルバエフ 母と妻が亡くなったのは撮影の後で、本当に突然のことでした。妻は『ある学生』のプロデューサーで、映画の最後に"この映画を妻に捧げる"というクレジットを入れました。

-次回作は、またロシア文学の映画化になるんでしょうか?
オミルバエフ アイデア次第ですね。今の段階では、まだ特に撮りたいものはありません。アイデアが出て来たら、そのときに考えます。ただ、正直、映画を撮ろうという意欲がだんだんなくなってきているんです。私が撮るような映画は、映画祭には呼んでもらえても、なかなか映画館で上映してもらえないし。最近では映画そのものに終わりが来ていると思うようになりました。オペラやバレエもだんだん新作が少なくなっています。それと同じように、映画という芸術も終わろうとしてる。昨年プサン映画祭が巨大なシネマセンターをオープンしましたが、ちょっと遅きに失したんじゃないでしょうか(笑)
               (10月27日、六本木ヒルズの映画祭事務局にて)

 写真は、お嬢さんのアリューシャさんとオミルバエフ監督。

(齋藤敦子)