シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(1)震災後、映画の力を実感/藤岡ディレクターに聞く

2013/10/12

yama13_01_01.jpg 山形国際ドキュメンタリー映画祭は、89年の第1回から隔年に開催され、今年で12回目。東京国際映画祭と開催日が近いため、私にとっては、なかなか足をのばせない、気になるが縁遠い映画祭だった。前回参加したのはアジア千波万波で国際映画批評家連盟賞の審査員を務めた2005年で、全期間滞在したのはそれが初めて。今回、短いながらも8年ぶりに山形に行けることになったので、まずはディレクターの藤岡朝子さんにお話をうかがった。


Q:山形では、どのように作品を選ばれるですか?

藤岡:部門によって違うんですが、インターナショナル・コンペティションは全世界から公募した中から15本選ぶというのが先に決まっていて、30人くらいの時代もあったらしいんですが、ここ10年ぐらいは10人で、東京と山形が半数ずつ。事務局と外部の評論家の方、市民や学生など一般に近い方、5人、5人で。

Q:会って話し合うというやり方ですか、それとも手分けして?

藤岡:手分けして見ています。1本の作品は必ず2人は見るように調整し、必ず最初から最後まで見てコメントを書いて、コメントを共有するという形です。推薦したいものをどんどん挙げていって、誰かが推薦したものは必ず全員が見るようにしています。

Q:すごく民主的なんですね。

藤岡:でも悩むし、時間がかかります。準備期間の間、半年の間に3回か4回くらい、皆で集まって会議をするんですけど、推薦の数が少なくて、やりたいという人が10人のうち2人くらいでも、そこで強い意見を持っていて説得力があれば、さっと入ることもあるんです。最終的には票の数ではなくて意見の強さで入るか入らないかが決まる。だから大嫌いというものが結構入ったりする。ラインナップとしては、そういうのもいいんですね。

Q:他のセクションは担当の人が中心になって選んでいくわけですか?

藤岡:そうですね。もう1つのコンペティションになっているアジア千波万波なんかは私を入れて4人で選んでいます。

Q:前回はちょうど震災の年だったですよね。昨年はずいぶん震災関係のドキュメンタリーを見た気がするんですが、2年たって、いかがですか?

藤岡:応募作品の数は今年もとても多かったです。日本映画全部で300本くらい応募がありましたが、印象として100本くらいは震災に関する映画だったと思うくらい多かったです。「ともにある」という震災の復興支援上映プロジェクトは仙台のメディアテークの小川さんがコーディネーターなんですが、ご自分も被災者である小川さんが、このプログラムを作っているということに関してすごく自覚的で、意識が強い。作品を見ていく中で、正論みたいな映画、きちんと出来ている映画がいっぱい出てきているなという印象を持ったけれども、それは被災した自分たちとしては違和感があるように感じられたと言うんです。完成度が高ければ高いほどパッケージ化されて、見せ物になっているものであればあるほど、自分たちの現実から遠いという感じを持たれたみたいです。今回は15本選んでいただいたんですが、比較的素朴なもの、その人でなければ作れないもの、商品化されてないもの、アラはたくさんあるけれども、そこには何ともいえないけれども何かある、というような不思議な言い方をされていたんだけど、そういうものを選んでいるようです。

Q:震災後、ドキュメンタリーというもの、あるいは映画祭に対して山形の人たちの見方が変わってきましたか。

藤岡:1つには山形は福島から避難してきた人たちがとっても多いんですね。今でも300人くらい残っておられるみたいですが、当初は何千人かわからないですが、すごくたくさん福島から避難してきておられたので、山形中に福島のムードとか雰囲気があった。映画祭自体も、この人たちと何か一緒にやっていかなければいけないという思いになりましたね。これは東京からの意見なんですが、震災をきっかけに、東北で唯一の国際映画祭なんだということを、ものすごく強く考え始めたような気がします。それまでは自分たちの特徴がよくわからなかった。NPOになったんで、山形の人たち、東北の人たちと繋がらなきゃという思いはあったと思うけど、どこか自分たちのことではないような感じがあったように私は見ていたんです。そしたら急に震災があったことで映画の力というものに実感を持った。

 山形県内には映像関係のオープンセットとか、映画製作の施設があるし、山形市内にもムービーフェスティバルがあったり、映画に関係することが山形県にはいろいろあるんだなということに気づいて、山形事務局の高橋卓也さんが、これを束ねて何かしようと。今年は山形の映像文化都市宣言みたいなことをしようという運動を立ち上げようとしているんです。20年前の東京から映画がやってきた、さあ観光客をお迎えしよう、というところとは全然変わってきているなと私も思いますね。とっても面白い時代で、本当の意味でローカルとインターナショナルのバランスのとれた映画祭になりつつあるなと思います。

Q:この20年で世界のドキュメンタリーに変わってきたことはありますか。

藤岡:今、いろんなことを思います。私は95年から最初は百花繚乱、今は千波万波というアジアの部門をやってきて、アジアの勃興してきた時代とちょうど同じ時期で、一緒に歩んできたという気持ちがあり、作り手の人たちに対するシンパシーが強いので、あえてアジアのことを言えば、ずる賢いという部分も含めて賢くなっていると思います。今はネットなどの情報と、映像をネットで見られるということの関連性で、若い人が映画というものが簡単にマネできるものというか、こういう風に作れば成功できる、という感じを持ち始めているのではないか。20年前には、映画作家として成功していくというストーリーがドキュメンタリーの世界では絶対にありえなかった。でも今は、ドキュメンタリストも映像作家として非常に尊敬される立場にあるということに気づき始めていて、大きな映画祭で賞をとったりしていけば、そういう立場にいけるかもと思っている。特に中国は野心家が多いから、そう思う人が多い。あと、海外の映画祭で賞金をとることによって食えるんじゃないかという具体的な道筋が見えてきている。それが見えてきた途端に作っていくものが変わるような気がするんです。昔はという言い方はおかしいけど、無我夢中で、何も知らないけれども自分はこれを撮りたいと思って撮った。そんな、どうやって撮っていけばいいんだろうと一生懸命自分なりに考えるというプロセスを通らないで、簡単に、じゃあアピチャッポンのあれをマネしようとか、マネじゃないけれども、無意識のうちになぞってしまっている自分がいる。

Q:映像が氾濫しているから、マネしやすいし。

藤岡:あと、メディアが煽るじゃないですか。ヒーローを煽りたてるところがあるんで、それに乗ってしまう。もう1つは、世界の映画祭のサーキットの閉鎖性。閉鎖性という言葉が正しいかどうかわからないですが。ネットワーキングと言うけれども、実際は世界のメジャーな映画祭にいくと同じ人たち、同じ作品がぐるぐる回っている。でも、そこに乗ればいいんだという感じがある。グローバライズされてしまった映画のネットワークの問題でもあると思うんですが。山形はそこから、幸か不幸か非常に切り離されているんです。私たちは1800本応募が来たけど1本1本最初から最後まで見ます。どこで受賞したかということと関係なしに、1本1本向き合いましょうという姿勢で、すごく木訥にやってきていて、それは結構誇らしいです。あの映画祭でああいう大きな賞をとったものを上映しないのかとか、いろいろ批判はあるんですが、映画祭グローバリゼーションのネットワークに絡みとられない映画祭であり続けていくことを山形はしていかなきゃいけないと思います。今年のアジア千波万波は、山形は初めての人たちばかりだし、世界でもまだ紹介されていない人たちが多いんですよ。

Q:ドキュメンタリーって、はまると深いじゃないですか。だから困る。山形に行くと皆から、あれがよかったこれがよかったと言われるけれども、自分の体は1つなので、見られないものばかりが増えていって、だんだん機嫌が悪くなる。1つに絞れないのが山形の良さではあるけれど、ふんぎりがつかないとなかなか行けないんです。

藤岡:だから、名残惜しくて2年後もまた行っちゃう、みたいな。フィルメックスみたいにすべての映画が見られる映画祭というのも1つの方針として貴重だと思うけれど、観客の"全部制覇したぞ"みたいなおたく的な感性って、なんとなく好きじゃないんです。

Q:見きれないフラストレーションを与えて、2年後にまた、というのが手なんですね(笑)。観客はどうですか?

藤岡:毎回少しずつ上がってきています。微増ですかね。でも、今年はすごく増えそうな予感がするんです。ちまたでの雰囲気もあるし、プレスの申請がすごく多い。海外から自費で来るという人も3~40人くらいいて、こんなことはここ最近なかったことです。
 それに観客も若くなっています。学生がすごく多いんです。いろいろな社会の変化の中で、批判的な見方ができる若い人たちが増えているのかな。世界が何を思っているのか興味を持つ人が増えている。TPPでも反原発でも、声をあげ始めているということと関係があるかもしれません。社会的なテーマで映画を作る人と、それを見に行きたい人が増えている。それはすごく嬉しいことです。 (10月8日、東京・四谷にて)

(齋藤敦子)