シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(5・完)「原発を扱った点を評価された」/「ほとりの朔子」でグランプリを受けた深田監督

2013/11/30

2013nantes_p_05_04.jpg 閉会式は25日午後7時半から、ロワール川の中州にある国際会議場「シティ・コングレ」で開かれ、インド映画100周年特集にちなみ、サタジット・レイ監督の「チャルラータ」(1964年)が上映された。監督は、「大地のうた」3部作などでインド映画を欧米に知らせる基盤をつくった。上映作は、カルカッタを舞台に、仕事に忙しい男の若い妻チャルラータが、休暇で訪れた夫のいとこに心ひかれることを通して、夫婦の絆を描いたもの。上映後には来場者から盛大な拍手を送られた。

 さて、今年のコンペ部門だが、日本の「ほとりの朔子」(深田晃司監督=日米合作、2013年)が、ナント出身のジュール・ベルヌにちなんだ金の熱気球賞(グランプリ)と若い審査員賞をダブル受賞、中国のドキュメンタリー「収容病棟」(ワン・ビン監督=中・仏・香港・日合作、2013年)が銀の熱気球賞(準グランプリ)を獲得した。また、トルコの「私は彼ではない」(タフン・ビリスリモグ監督=2013年)が審査員特別賞、イランの「ルールを曲げる」(ベハナ・ベザディ監督=2013年)が観客賞(観賞後の観客投票で決定)を受賞した。

2013nantes_p_05_05.jpg 地元紙「ウエスト・フランス」は翌朝、「ほとりの朔子がグランプリ」の見出しで閉会式の様子を報じた。

 「ほとりの朔子」は、大学浪人生の朔子(二階堂ふみ)が、叔母の海希江(鶴田真由)と訪れた海と山のほとりの避暑地で、叔母の幼なじみや、彼の甥の高校生孝史(太賀)らとの出会いを通して、人生の複雑さにも触れ、子どもから大人へと歩み出す姿を、リリカルに描き出している。タイトルの「ほとり」は、境界をやんわり示す辺(あたり)を指し、ヒロイン朔子の微妙な位置づけを、日本語ならではの繊細さで伝える。ちなみに、プログラムの仏訳は「さよなら 夏」で、簡潔に作品の意図を伝えていた。

 脚本も深田監督で、いろいろな視点で「ものの見方」が変わることが、大きなテーマとなっているのだが、大震災による福島原発事故についても、違う視点から何が正しいのか、を問う。孝史は福島から避難者、こちらの高校では不登校状態。久しぶりに会った同級の女学生から声を掛けられ、淡い恋心が募らせるのだが、彼女は別の男性と「原発反対」の集会を企画、孝史に体験談を語らせたかったのだ。原発事故と向き合ってこなかった孝史は、「避難者みんなが大変なのではない。僕は、親と一緒にいるのが嫌だから逃げ出しただけ」と言って、会場から逃げ出す。思い込みだけでは、見えないものがある。

 深田監督は、最初の若い審査員賞受賞で「フランス映画に育てられた人間として、フランスの賞を受賞できるのはうれしい」とあいさつ。グランプリ受賞には「若い審査員賞で(満足して)油断していた」と、最高賞受賞の驚きを表現した後、「2005年にバルザックの『人間喜劇』をモチーフにした、絵画をアニメーション化する『ざくろ屋敷』のロケで、ロワール川を訪れた縁がある。今回の作品は、昨年夏に撮影、つい最近まで編集し、フランスでは初めて公開した。受賞は本当にうれしい」と、喜びを表現した。

 授賞式後に深田監督に会った。

 - 若い人たちの評価をどう感じましたか。

 「原発を避けないで扱っている点を、若い審査員たちが、ちゃんと議論した上で評価してくれたと聞いている。原発大国フランスならでは、と感じている。福島原発のことは脚本を書くときから、必ず入れたいと思っていた。その意図が伝わり、分かってもらえたことが、大変うれしい」

 - いろいろな見方ができる作品ですね。
 
 「『歓待』では、ややにぎやかでユーモアを前面に出しながら家族とは何かを問うものだったが、『朔子』では他者との触れ合いの中で、それぞれが自分を知ることになることを、景観も取り入れながら静かに描いた」

 - 若い2人(二階堂ふみ、太賀)の演技が素晴らしかったが。
 
 「そう注文することなく任せたが、若々しくて自然な演技が出せたと思う」

 - 監督が平田オリザ率いる青年団に所属しているのは。

 「平田演劇を見て、映画づくりのためになるものが詰まっている、と感じたのがきっかけ。"留学"をしているようなもの」

 -次の作品の構想は。

 「平田演劇の短編をベースに、福島をテーマにした長編に仕上げる予定だ」

2013nantes_p_05_03.jpg 準グランプリの「収容病棟」は、ワン・ビン監督ならではの社会派ドキュメンタリー。監督は2003年に3部作、9時間に及ぶ「鉄西区」で、昨年は「三姉妹~雲南の子」、ともにドキュメンタリーでグランプリを受賞しており、今回もグランプリの最有力候補だった。

 今回は中国雲南省の公立精神病院に隔離収容された患者たちの生活ぶりを執よう追いかけ、227分という長編の記録にまとめている。

 20年間収容されている患者の一方で、まだ20日の患者もいる。「ドクター!」と呼ぶ声はするのだが、医師らしき存在も、治療行為の様子も見られない。ただ、収容しているだけの施設なのか? 労働が義務づけられている様子もなく、各人は自由(?)に振る舞っている。日本の精神病院からイメージされる情景とは大いに違う。

 病棟は決して明るくはないが、どうしようもなく暗いのではなく、意外に明るい。争いごとはなく、患者同士が微妙に助け合うというか、寄り添っているのだ。社会や家族との生き方に、他人より敏感に疎外感を感じている人たちが、現状に立ち向かうのではなく、身を寄せ合って、互いをかばい合っているのでは、と思わせられた。

 ここには、攻撃的な人間が存在しない。そこに救いがあるので、日常の執ような描写からも目をそむけようと思わず、最後まで見通した。人間は意志でなく、本能のままでも生きていけるということなのか。昨年の「三姉妹~雲南の子」は、より悲惨な状況の描写であっても、生きる人間の力強さを感じさせてくれた。今回の記録が伝えたいものは何なのか、見つけられないでいる。
 
2013nantes_p_05_02.jpg 審査員特別賞の「私は彼ではない」は、自分じゃない自分を夢想するという、人間の密かな欲望を逆手に取った、不思議な味わいのファンタジーだ。平凡な中年男が、若くて美しい彼女と暮らすことになるのだが、どこか自分が自分でないような、自分は誰か別人と思われているのかもしれない、という微妙な不安感を拭えないまま、ある種、幸せな状況が繰り返される。これが現実だとしたら、ちょっとしたスリラーだ。
 疑わずに幸せにかまけていれば、何ごともうまくいったのだろうか。だが、そこに疑念を持ってしまうと、消し去ることができないのが人間。タフン・ピリスリモグ監督=写真(上)=は、忘れがちな、人間本来の夢想を思い出させ、ちょっぴり恐怖の味付けもして、清涼感漂う作品に仕上げた。観客の反応も上々で、カトロザでの上映時には拍手が鳴りやまなかった。
 
2013nantes_p_05_01.jpg 観客賞の「ルールを曲げる」は、学生たちのアマチュア劇団が、団員の1人と親の意見の食い違いで、海外招待公演そのものが危うくなる、という中で、現代イランの若者の仲間意識と世代間の対立を描いたもの。
 ベハナ・ベザディ監督は、劇団員を個性豊かに描き分けて、現代イランの若者像を浮かび上がらせる一方で、厳格な、それでいて娘思いの父親と娘との溝は埋まらない状況も丁寧に描いた。モバイルカメラによる緊迫した演出、即興演奏の音楽の扱いも出色で、若者を中心に観客の心をつかんだようだ。

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 前年からプログラム構成が変わり、閉会式当日もコンペ作品の上映が行われようになり、初日から訪れなくとも、コンペ作品すべてを見ることができるようになった。今回は9本と、例年より作品数が少なかったこともあり、余裕をもってすべてを見ることができた。とはいえ、特集はインド映画100周年の一部を楽しんだだけで、中国映画、ブラジルなどの特集も楽しむことができなかった。

 一昨年の「日活100周年」、昨年の「相米慎二全作品」と日本の特集が2年続いたこともあって、今回は日本の作品が「ほとりの朔子」1本だったことは寂しかった。上映会場で日本人の姿を余り見かけなかったことも、その影響かもしれない。ただ、その1本がグランプリと、日本の新しい才能が育っていることを証明して、大いに満足だった。

 上映面では、例年以上にトラブルが多かった。21日の「ほとりの朔子」では、フランス語の字幕なしで上映が始まり、10分後に観客が騒ぎ始めて初めて、上映が中断された。英語の字幕は焼き込んであるのだが、フランス語字幕は、パソコンで連動させて、画面下の表示窓に映すことになっていたのだが、担当者がいなく、そのまま上映を始めてしまったというのだ。上映時刻がズルズルとずれ込むのは、「フランス流で仕方ない」と諦めているのだが、字幕なしには、ちょっとびっくりした。

【写真(上から】
金の熱気球トロフィーを手にする深田晃司監督
深田監督のグランプリ受賞を伝える「ウエスト・フランス」
準グランプリのワン・ビン監督
審査員特別賞のタフン・ビリスリモグ監督
観客賞のベハナ・ベザディ監督

(桂 直之)