シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(2)貧困の中で生きる意味を問う/ジョエル・ラマガン監督の「正義」

2014/12/01

nantes2014_p02_seigi.jpg 28日はフィリピン、トルコのコンペ作品とメロドラマ特集、カファディ・シャラ特集の各1本見た。フィリピンのジョエル・ラマガン監督の「正義」は、悪の手伝いをしながら貧しい存在への心配りも忘れない女性が、主人に代わって悪の張本人になっていく。その過程を追いながら、個人とっての正義(あるいは公正)とは、社会にとってのそれは何なのか-を突きつける作品だ。

 60歳のブリガンはマニラで、同郷出身で成功した女主人の下で働いている。ただ、女主人は悪徳警官らを巻き込んで麻薬密売や人身売買を手掛けていて、ブリガンはその悪行の全容を知りながら、カネの受け渡しや連絡係を淡々と着実に務める。その一方で、妹一家を支援、貧民街で買い物や食事をし、教会を訪れて寄付をし、時には時計台のあるビルの上から紙幣をまく。

 彼女は、女主人が仲間を射殺した現場に遭遇して逮捕されるが、女主人が寄こした弁護士の力で無罪放免となる。が、女主人が彼女を疎ましく思い始めたことから、自分や妹一家を守ろうと、全てを記録したノートを記者に手渡す。一方、女主人のパトロンたちは女主人の排除を実行、ブリガンを後継者に据える。ノートの取り返しを迫られた彼女は、記者を撃ち殺してしまい、パトロンに助けを求める。

 ラストは彼女の盛大な誕生会。パトロンたちに囲まれ、その中の1人に耳打ちされた彼女は、明るい笑い声を上げ続けるのだった...。

 彼女の笑いは何なのか? ボスに収まっても、貧民街がなくなることを望み、ビルの上から紙幣をまくことはやめない。貧民街でカネをねだる赤ん坊を抱いた母親に、「今のままでいいの」とでもいうように平手打ちを加え、その後にカネを渡す。

 社会が貧しい人々生み出しているのなら、個人としてやれることをやる-彼女の中ではこう正義のバランスが取れているのだろうか? 社会悪と個人の関係は簡単には割り切れないし、解決がつくものではない。ブリガンという存在が逆説的に照らすのは、社会の仕組みが連鎖的に生み出す貧困などの悪に囲まれながら、どう目を向け、あらがい続けられるのか、人間の存在そのものではないだろうか。

 この難しい役を実年齢そのままにこなし、作品を成り立たせているのが、フィリピンの国民的大女優ノーラ・オノール(61)。彼女は、貧しい村の出身で、素人のど自慢大会の優勝を機に歌手デビュー、その後に女優になり、芸術性ある映画作品も製作している。ラマガン監督作品では、「フロール事件」(1995年)に主演、カイロ映画祭でグランプリ、最優秀主演女優賞を獲得している。フロール事件とは、シンガポールでフィリピン人メイドのフロールが、事故で子どもを死なせたことから殺人罪で逮捕され、子どもの父親がシンガポールの有力者だったこともあり、フィリピン政府の抗議にもかかわらず95年に死刑が執行されたというもの。この実話に基づき、ドキュメンタリータッチでサスペンスフルに描いて、事件の持つ問題点をあぶり出した。

 「正義」の中には、日本社会の「悪」の側面も登場する。さらわれてきた少女たちの、送り込まれる先は日本なのだ。どこかの国に限ったことではなく、普遍的に人間の在りようが問われているのだが、遠く離れた国では、より強くそのことを思い知らされる。

【写真】弁護士と対応を話し合うブリガン(「正義」より)

nantes2014_p02_mother.jpg トルコのエロル・ミンタス監督(31)の「私の母の歌」(トルコ、仏、独合作)が突きつけるのは、各国でも課題となっている都市と地方の問題や親の見守りだが、そこにクルド人民族問題が重なって、より深刻化させている。

 クルド人のアリは、かつてトルコ国内のクルド人村で教師をしていたが、21年前、授業中に強制連行され、現在は首都イスタンブールで教師をしている。クルド人がクルド語規制などに反発、ゲリラ攻撃を行うなど、対立関係にあることから、アリも今も警察の監視対象だ。彼の最大の懸念は、クルド人村を離れ、彼と同居している母親ことだ。

 彼はマンションに母親の居場所をつくるのだが、母親は村の生活を思い出しては寝付けず、夜中にカセットでクルドの歌を繰り返し聞くことでまぎらせていた。彼女にとってマンションでの生活は、現在と過去との間の"無人地帯"でしかなかったのだ。アリは、母親の嘆きと、自身の結婚生活をどう始めようかの板挟みになり、疲れ果てる。

 母親をバイクに乗せて村を訪ねたり、村の古老からカセットに収録したクルドの歌を聞かせたりして、母親の気持ちをなだめようとするのだが、根本的な解決にはならない。そんな中、母親は亡くなってしまう。

 亡くなって初めて、母親の故郷への思いの深さと、クルド人本来の都会では暮らすべきではない、に思い至ったアリは、村の学校に赴任する。

 もともと遊牧民のクルド人は中東の山岳地帯に暮らしたが、近年はトルコなどを中心に都市生活を送るようになっていて、イスタンブールが最大で190万人ともいわれる。
ミンタス監督の冒頭とラストの光景を同じにした演出が何とも心憎い。

 冒頭は1992年。クルド人の子どもたちを前に、アリはカラスが孔雀になろうとする話を、鳴き声とジェスチャーつきで熱演する。決して孔雀にはなれないけれど、「なろう」とする気持ちを失わないように、というメッセージが込められている。ラストは2013年、同じように彼は、子どもたちに向かって熱演しているのだが、そこには母親の思い、あらためて思い至った彼自身の思いも重なっていることを感じて、熱いものがこみ上げてくる。冒頭の強制連行からすぐ、2013年に切り替わる省略も妙も拍手ものだ。

【写真】村を思い出しながら、マンションで干物をつくる母親(「私の母の歌」より)

 メロドラマ特集はインドのリテーシュ・バトラ監督の「めぐり逢わせのお弁当」(2013年、インド、独、仏合作)を見た。インドの大都市ムンバイでは、家庭で作った弁当を職場に届ける仕組みがあり、5000人のダッバーワーラー(弁当配達人)が、1日20万食が配っているという。

 めったにない誤配で届けられた弁当が、夫との関係が冷め切った主婦と、妻を亡くした定年間近の下級役人を結び付ける。監督にとっての長編デビュー作は、弁当箱に忍ばせた手紙で2人が心の隙間を埋めていく様子を温かく描き出す。脚本も監督。きっかけがお弁当の誤配、メール時代に手紙、いう設定が憎い。女性からの「会いたい」に、出掛けてはみるが、声をかけないままの男性。2人はどうなるのか...。日本でも夏以降に公開されたので、ご覧になった方もいるだろう。女性の料理の指南役であるおばさんが、マンションの階上に住んでいて、調味料などを籠で下ろすが、声だけの登場というのも粋な演出だ。カンヌ映画祭で批評家週間観客賞を受賞している。

nantes2014_p02_khady.jpg セネガルのカファディ・シャラ(1963~2013)特集は「開いた窓」を見た。彼女は映画製作のほか、小説家、語り手として、アフリカ社会で沈黙をしいられている女性に光を当てた。映画はドキュメンタリーで、女性が働くなかで社会の規制や男性らによって隷属させられ、"気が変になる"ことを、自身が語りかけることで女性の口を開かせ、自らの主張も重ねている。時折差し挟まれる、窓から外を眺める女性の姿が、希望への出口を思わせる。バスの乗客の生態を捉えた「Colobane Express」のほか、彼女の遺志を継ぎ、妹マリアム・シャラが完成させた祖母をインタビューした「A Single Word」なども上映されたが、時間の関係で見ることはできなかった。

【写真】アフリカの隷属する女性に光当てるカファディ・シャラ監督

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nantes2014_p02_pasaju.jpg 街中はすっかりXmasの飾り付け一色。週末ともなると、親子連れをはじめ大勢の人が繰り出してプレゼントの下調べに余念がない。ガラス天井の3階建てアーケード、パサージュ・ポメリも、今年は赤系でお化粧直し。LEDの照明が付けられたのが今風か。ロイヤル広場と映画館GAUMONT前広場にはマルシェが店開き、ホッとワインの香りを漂わせながらにぎわっていた。
 【写真】Xmasの装いで赤系に化粧直しをしたパサージュ・ポメリ

(桂 直之)