シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(11・完)日本映画をフランスから見ると・・/「淵に立つ」のフランス側プロデューサー、コム・デ・シネマの澤田正道氏に聞く

2016/06/02

2016_11_01cannnes_photo.jpg ―澤田さんが日本映画の製作に関わったのは今村昌平監督の『カンゾー先生』から?

 澤田:そうです。次の『赤い橋の下のぬるい水』をやって、その次の井伏鱒二原作の映画を用意してたときに今村さんが亡くなって、次が諏訪敦彦さんの『不完全なふたり』。

 ―諏訪さんとは、どういう経緯で?
 澤田:カンヌで知り合った人から諏訪さんをやってくださいと言われたんです。『H story』のときかな。日本で諏訪さんに会ったら、文化庁の給費留学生でパリに来ることになったと言うんで、フランスにいる間に1本撮れるといいですね、という話をして、帰ってから、たまたま自分で書いた2、3ページのアイデアがあったんで、こっちのテレビ局と諏訪さんに送ったら、両方とも興味を示したんで、じゃあやろうということになった、というのが始まり。

 ―諏訪さんの『ユキとニナ』もそうで、この2本はフランス映画と言ってもいい作品ですが、今回の深田晃司監督の『淵に立つ』は完全な日本映画です。日本側とフランス側との製作はどんな感じでしたか?
 澤田:ファイナンスは半分半分くらい。深田さんを紹介されたときにシナリオを読んでみて、まだちょっとという部分に僕が赤を入れて、3か月後くらいにシナリオが戻ってきたら、すごくよくて、これはいけるとなった。それがカンヌのすぐ後だったんで、そのときのスタッフで一気に。

 ―『淵に立つ』の前に、河瀨直美監督の『二つ目の窓』と『あん』、黒沢清監督の『岸辺の旅』がありましたね。
 澤田:『二つ目の窓』は、別件で河瀨さんに会って、何か一緒にやれればという話をしていたんです。河瀨さんには別の企画があって、結局それがなくなり、監督って企画が潰れてもそれを何かに利用したりするものだから、それで『二つ目の窓』のストーリーが彼女の方から出てきて、ではこれをやろうかという話になり、日本のファイナンスを一緒に探したり、僕がフランスのファイナンスを探した。『あん』はその続きで一気に。本当は体力的にも1年くらい間をあけて欲しかったんだけど、原作があって、シナリオが出来たときにすごくよかったんで、これも一気にやっちゃおうと。『あん』を読んだときに、これはひょっとしたら当たるなと思った。

●資金調達のかぎは合作協定
 ―で、実際にフランスで当たった、と。食べ物は強いですね。
 澤田:食べ物だけはうまく撮っといてという話をした覚えがある(笑)。2本ともファイナンス的には日本とフランスの合作で、技術的にも、かなりフランスのスタッフが入っています。

 ―深田さんの話を先に出したのは、彼が授賞式のスピーチで日仏合作協定を早く締結してほしいと言ったからなんですが、合作協定がないと映画製作は難しい?
 澤田:難しくはないです。映画はどこでだって作れる。問題は合作協定がないと集められるファイナンスに限界が出てくることで、アドバンテージがかなり減ります。集められる可能性のあるファイナンスが倍以上違う。もっとかも。フランスにも保護主義があって、フランス映画なら取れるファイナンスがいっぱいあるんです。日本映画の場合、合作協定がないからクォータの問題が出てくる。つまりフランス映画またはヨーロッパ映画のナショナリティがないと、提出できるファイナンス先、たとえばテレビにしてもSOFICA(注:映画および視聴覚作品に資金を投資するための国立の機関)にしても援助金にしても非常に枠が狭くなる。『二つ目の窓』の後で『あん』をやったときにドイツを絡めたのはその辺に理由があるんです。

●映画は農産物、車と同じ。文化と見ない日本

 ―日仏合作協定がないと経済的に不利?
 澤田:締結は絶対に無理だと思う。以前、今村さんと一緒に動いたし、今回河瀨さんとも動いたけど、無理だと思った。日本の行政が動かないと無理です。2005年にジュネーヴで交わされた、映画を含めた文化を特例とするという協定に日本はサインをしたはずなんだけど、国会を通してなくて成立していない。日本は完全にアメリカを向いていて、映画は農産物や車と同じ商品だから、商品は特例にはできないという考え方。フランスは映画は文化として特例であるという考え方。それに中国も韓国も合意したからフランスは中国とも韓国とも合作協定を結んでいる。日本はそれさえクリアすれば合作協定が結べるはずなんですが。

●普遍性に乏しい日本映画
 ―プロデューサーとしてフランスから日本映画を見た場合、どこが一番弱いと思いますか?
 澤田:まず、映画の底に、なぜこの映画を作ろうとしているのかが見えない。だから力がどうしても弱いというか、曖昧で、表面的になる。シナリオを見せられたとき、ナイーヴなものが多い。自分たちではわかっていても、外に対して向けられてない。外国に出られるからいい映画だとは絶対に思わないけど。深田さんの『淵に立つ』を見ると、舞台は日本だけど、どこの国でもありえる話ですよね。実際に出来上がった映画をこっちのジャーナリストに見てもらうと、皆"この話には普遍性がある"と言う。映画って、ラブストーリーも家族の話もそこら中にあるけど、どうやってそれを切り取っていくかが作家じゃないですか。その作家性が彼にはある。

 ―前作の『さようなら』も深くて普遍性があって、私も深田さんてテーマ性を持った、日本人離れした人だなと思います。
 澤田:若いわりに年取った人のようなテーマを扱ったりするから面白い(笑)。僕も今回一緒にやって勉強になった。非常に面白い青年だし、伸びると思います。『淵に立つ』は最初に3時間くらいの荒編集を見て、すごいな、行ける、と思ったけど、ではこれをどういう風に詰めていったら、かなりな作品になるかと。これまで深田さんは、いわゆる自主映画的に編集も全部自分でやってきた。それこそアシスタントのする仕事まで全部自分でやった。だから今回はどうしても外の視点を入れなきゃいけないというんで、知り合いのつてで優秀な編集者を呼んできて、編集というよりコンサルタントとして全部を分析してもらい、もう1回編集をやり直して、という風にしたら、大分変わった。といっても本質は全然変わらないんだけど。深田さんにとっても新たな視点が見えたと思う。日本人だけでやっちゃうと、どこに問題があるかわからない。今回も、たまたま1カット、日本では全然問題視されてなかったところを切った方がいいということになって、彼もいい意味で頑固だから、切るのに1か月半くらいかかった。合作でいいのはそういう点ですね。河瀨さんも同じで、『二つ目の窓』のときからずっと同じフランスの編集者をつけてるし、サウンドデザイナーも同じ。そのサウンドデザイナーに今回の『淵に立つ』もやってもらいました。

●サウンドデザインに弱点
 ―技術的に日本映画の一番弱いところは? 私はサウンドデザインだと思うんだけど。
 澤田:まさにそうです。『TOKYO!』のときに、とにかく日本の美術はすごいと思った。美術のスタッフは本当にすごい。ただ、どこでもすごい人はいるんですよ、音楽でも録音でも。菊池信之さんとか。でも相対的に日本は音がさげすまされている気がする。

 ―私は試写室の音も映画館の音も気になるんです。こっちで見るのと日本で見るのでは音の広がりが全然違う。特に映画祭とかで日本映画を見ると、音が貧しくて、広がりがなくて、映画が見劣りするように思う。
 澤田:映画を撮っているときに、本当なら録音技師に自由にいろんな音を探しに行かせるんです。鳥の鳴き声とか、掃除をしている音とか。いろんな音を拾っておくと後から非常に有効になってくる。それには予算的な問題が当然出てくるけど、日本映画はもうちょっと予算をかけた方がいいと思うね。
 カンヌのドビュッシーは、おそらく世界最高の劇場でしょう。リュミエールよりも音響がいい。深田さんが言ってたのは、日本で『淵に立つ』を見たときに音楽の部分が出すぎていて、少し強すぎたかなと思ったけど、今回カンヌで見たら、微妙な音の構成がずっとよくわかったと。僕もそう思う。オリヴィエ・ゴワナールという優秀な録音技師がいて、彼は今回のアサヤスの『パーソナル・ショッパー』をやったりしているけど、彼と音の話をしていると、映画でこれからもっと可能性のあるのは音と音楽だという気がする。

●デジタル撮影、撮りやすさがあだに。画の力強さに欠ける。
 ―撮影はどうですか? デジタルになって、ちょっと落ちた感じがするけど。
 澤田:トリュフォーが"映画はホームビデオになっていく"と言ってたけど、確かにそれはある。なんでも作りやすくなってきたし、のぞき見的、隠しカメラ的にどんどん撮れるけど、大島渚が撮ってたような、1枚の画の強さというのは、デジタルみたいなものだと逆に作りずらい。なぜかというと長回しができるから。流しっぱなしでいいと画の強さはなくなるね。

 ―全体的に映画が変わってきている気もする。今回のカンヌで皆が文句を言ったのは長い映画があまりにも多いこと。アンドレア・アーノルドの『アメリカン・ハニー』もマーレン・アデの『トニ・エルドマン』も3時間近い。かっちりとした構成がなくて、だらだら撮ってる感じがするのはデジタル撮影の影響じゃないかと思ったんだけど。
 澤田:それは姿勢の問題だと思うよ。たとえば黒沢さんの映画って、今回やらしてもらってよくわかったのは、無声映画的なところがものすごくあるということ。1カットが終わったときにすべて終わらせる。画も音も、パッと切っちゃって次が始まる。普通は情感を込めて重ねたりするのに。昔、僕らシネマテークで無声映画を見てたけど、ああいう映画の強さが最近は本当にないね。

●映画体験の違いも
 ―なぜだろう。勉強してないのか、そういうものを出しても観客が反応しないのか。
 澤田:こっちで若い人と映画を作るとき、見てきた映画が違うんで、映画の記憶が違う。そういうときは"こういうの見たら?"と自分のライブラリーにある古い映画を見せて、その映画を基にしてもう1回話し合ってみると、少しずつお互いの映画の体験が一緒になってくる。"シネマテークでサイレント映画をまとめて見たら君のシナリオも変わるかもしれない"とか言ったり。

 ―今、映画を撮ろうとしている日本の若い人って、フィルムセンターに映画を見に行かないし、スタッフに大先輩がいて昔の話が聞けたりする機会がないから、すごく狭い経験の中で、自分の周りにわかる映画しか作れなくて、日本の若い映画がどんどん弱くなっている気がする。

●韓国映画は海外展開が前提
 澤田:でも、たとえば韓国映画は、韓国のスマートフォンと同じで、最初から海外への展開を考えて作っている。海外のプレセールスをいろんなところから入れてきて作っているから、どこの国にもマッチするような映画を作ることになる。ある意味、そこに合作における危険性がある。カラーがなくなっていくから。韓国映画って、いろんなところにわかりやすい映画になっているけど、本当に見る価値のある映画が少なくなっている。その点、日本映画は遥かに違う。

 ―日本は映画もガラパゴス化してる(笑)
 澤田:それはいいことだよ。ただ、日本の問題は現場でちゃんと映画を学べない、学校もしっかりしてないこと。発想はいいんだよね、子供が初めて絵を描くみたいに。すば抜けた、驚くような映像があったりするけど、基礎というか、底にあるものがしっかりしてないから、90分間を構築できない。せめて基礎があって、その上に何かを描いてもらわないと。皆がピカソになれるわけじゃないから。

 ―最初の映画は面白くても、2本目、3本目と続かない場合がありますね。
 澤田:1本目はいろんな人が投資してくれても、2本目に映画を作れる人は2割しかいない。3本目に残れる人は、ほんの少しだから、映画で本当に食える人なんて、ほとんどいない。

●「戦争」ってなんだろう。
 ―では、最後に今度日本公開になる長編デビュー作『人間爆弾 桜花-特攻を命じた兵士の遺言』というドキュメンタリーについて。
 澤田:僕は『カンゾー先生』で映画に関わらせてもらったんだけど、その前は、できるだけ日本から離れようと思ってたんです。日本と関わらないで映画に関りたいと。でも、今村さんに出会って、自分が日本人であることを認めていかなきゃいけないという部分が一気に出てきた。10年前、2006年に父親や親友が亡くなって、生と死というか、自分の死に場所を考えていたとき、日本の友達が芝居で神風特攻隊員の役をやるというんで、特攻隊の生き残りの人、50人か60人くらいに会ったと言うんです。僕も興味を持って、彼が絞り込んでくれた数人のうちの一人が、この林富士夫さんだった。実際に会ってみたら自分の体験を過去のことじゃなく、まるで昨日起きたことのように話してくれる。それで世界観が全然変わってきて、この人を通してドキュメンタリー映画で生と死を追ってみようと思った。では、誰に監督を頼もうかと考えて、ベルトラン・ボネロに連絡をとったら、"わかった。でも、その人に会ってから決めたい"と言うんで、では日本に行こうということになり、林さんは当時もう80代後半だったから、とりあえず撮れるものは撮っとこう、みたいな話になって、ジョゼっていうベルトランのカメラマンとアシスタントも連れて行って、取材を申し込んで1週間くらい撮影した。結局ベルトランとはその企画を立ち上げられなくて、彼も残念がってたけど、後は僕がやるとは言ったものの、そのまま引き出しに30時間分の素材を仕舞ったままにしていたわけ。それをあるときに見たんだよね、全部。それで、これで1本作ろうと。自分はプロデューサーだから、何か枷を与えなければいけない、と思って、それが、この素材だけで作るという枷。見ればわかるけど、最後に写真を1枚だけ使ったけど、それ以外は全部あるものだけ。ほとんど林さんの顔で、インサート・カットも一切なし。

 ―編集の妙技で見せるわけですね(笑)。
 澤田:1時間15分で25カットしかないけど(笑)。できたときにベルトランに見せたら、めちゃくちゃ喜んでくれて、共同監督で名前を出すと言ったら、"マサが作りたいと言った気持ちがやっとわかった。これは君の作品だ"と言ってくれて、ベルトランと一緒に取材したことだけ表記するということになった。その後で、アルテのオリヴィエ・ペールに見せたら、彼はロカルノ映画祭のディレクターだったから、気に入ってすぐロカルノに電話してくれて、ロカルノのディレクターも気に入って、賞も貰った。

 ―遅ればせの受賞でしたね(笑)。
 澤田:この歳で新人特別賞はないよね(注:2014年ロカルノ映画祭新人監督賞スペシャル・メンション)。
ドキュメンタリーなんて全然作ったこともなかったんだけど、一番よかったのは、林さんは埼玉県入間市に住んでいたので、1週間毎日ベルトランやスタッフを連れて東京から40分かけて行くわけ。行くときには話をしたり、音楽を聴いたり、それぞれ好きなことをやってるんだけど、インタビューを終えて帰ってくるときは誰も話ができない。あまりにも重くて。東京に戻って一緒に食事というときに、死って何だろう、戦争って何だろうって延々と話をした、1週間毎日。結局それだったね、この映画は。

(2016年5月24日、パリのコム・デ・シネマのオフィスにて)

(齋藤敦子)