シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(11・完)日本映画をフランスから見ると・・/「淵に立つ」のフランス側プロデューサー、コム・デ・シネマの澤田正道氏に聞く

2016/06/02

2016_11_01cannnes_photo.jpg ―澤田さんが日本映画の製作に関わったのは今村昌平監督の『カンゾー先生』から?

 澤田:そうです。次の『赤い橋の下のぬるい水』をやって、その次の井伏鱒二原作の映画を用意してたときに今村さんが亡くなって、次が諏訪敦彦さんの『不完全なふたり』。

 ―諏訪さんとは、どういう経緯で?
 澤田:カンヌで知り合った人から諏訪さんをやってくださいと言われたんです。『H story』のときかな。日本で諏訪さんに会ったら、文化庁の給費留学生でパリに来ることになったと言うんで、フランスにいる間に1本撮れるといいですね、という話をして、帰ってから、たまたま自分で書いた2、3ページのアイデアがあったんで、こっちのテレビ局と諏訪さんに送ったら、両方とも興味を示したんで、じゃあやろうということになった、というのが始まり。

 ―諏訪さんの『ユキとニナ』もそうで、この2本はフランス映画と言ってもいい作品ですが、今回の深田晃司監督の『淵に立つ』は完全な日本映画です。日本側とフランス側との製作はどんな感じでしたか?
 澤田:ファイナンスは半分半分くらい。深田さんを紹介されたときにシナリオを読んでみて、まだちょっとという部分に僕が赤を入れて、3か月後くらいにシナリオが戻ってきたら、すごくよくて、これはいけるとなった。それがカンヌのすぐ後だったんで、そのときのスタッフで一気に。

 ―『淵に立つ』の前に、河瀨直美監督の『二つ目の窓』と『あん』、黒沢清監督の『岸辺の旅』がありましたね。
 澤田:『二つ目の窓』は、別件で河瀨さんに会って、何か一緒にやれればという話をしていたんです。河瀨さんには別の企画があって、結局それがなくなり、監督って企画が潰れてもそれを何かに利用したりするものだから、それで『二つ目の窓』のストーリーが彼女の方から出てきて、ではこれをやろうかという話になり、日本のファイナンスを一緒に探したり、僕がフランスのファイナンスを探した。『あん』はその続きで一気に。本当は体力的にも1年くらい間をあけて欲しかったんだけど、原作があって、シナリオが出来たときにすごくよかったんで、これも一気にやっちゃおうと。『あん』を読んだときに、これはひょっとしたら当たるなと思った。

●資金調達のかぎは合作協定
 ―で、実際にフランスで当たった、と。食べ物は強いですね。
 澤田:食べ物だけはうまく撮っといてという話をした覚えがある(笑)。2本ともファイナンス的には日本とフランスの合作で、技術的にも、かなりフランスのスタッフが入っています。

 ―深田さんの話を先に出したのは、彼が授賞式のスピーチで日仏合作協定を早く締結してほしいと言ったからなんですが、合作協定がないと映画製作は難しい?
 澤田:難しくはないです。映画はどこでだって作れる。問題は合作協定がないと集められるファイナンスに限界が出てくることで、アドバンテージがかなり減ります。集められる可能性のあるファイナンスが倍以上違う。もっとかも。フランスにも保護主義があって、フランス映画なら取れるファイナンスがいっぱいあるんです。日本映画の場合、合作協定がないからクォータの問題が出てくる。つまりフランス映画またはヨーロッパ映画のナショナリティがないと、提出できるファイナンス先、たとえばテレビにしてもSOFICA(注:映画および視聴覚作品に資金を投資するための国立の機関)にしても援助金にしても非常に枠が狭くなる。『二つ目の窓』の後で『あん』をやったときにドイツを絡めたのはその辺に理由があるんです。

●映画は農産物、車と同じ。文化と見ない日本

 ―日仏合作協定がないと経済的に不利?
 澤田:締結は絶対に無理だと思う。以前、今村さんと一緒に動いたし、今回河瀨さんとも動いたけど、無理だと思った。日本の行政が動かないと無理です。2005年にジュネーヴで交わされた、映画を含めた文化を特例とするという協定に日本はサインをしたはずなんだけど、国会を通してなくて成立していない。日本は完全にアメリカを向いていて、映画は農産物や車と同じ商品だから、商品は特例にはできないという考え方。フランスは映画は文化として特例であるという考え方。それに中国も韓国も合意したからフランスは中国とも韓国とも合作協定を結んでいる。日本はそれさえクリアすれば合作協定が結べるはずなんですが。

●普遍性に乏しい日本映画
 ―プロデューサーとしてフランスから日本映画を見た場合、どこが一番弱いと思いますか?
 澤田:まず、映画の底に、なぜこの映画を作ろうとしているのかが見えない。だから力がどうしても弱いというか、曖昧で、表面的になる。シナリオを見せられたとき、ナイーヴなものが多い。自分たちではわかっていても、外に対して向けられてない。外国に出られるからいい映画だとは絶対に思わないけど。深田さんの『淵に立つ』を見ると、舞台は日本だけど、どこの国でもありえる話ですよね。実際に出来上がった映画をこっちのジャーナリストに見てもらうと、皆"この話には普遍性がある"と言う。映画って、ラブストーリーも家族の話もそこら中にあるけど、どうやってそれを切り取っていくかが作家じゃないですか。その作家性が彼にはある。

 ―前作の『さようなら』も深くて普遍性があって、私も深田さんてテーマ性を持った、日本人離れした人だなと思います。
 澤田:若いわりに年取った人のようなテーマを扱ったりするから面白い(笑)。僕も今回一緒にやって勉強になった。非常に面白い青年だし、伸びると思います。『淵に立つ』は最初に3時間くらいの荒編集を見て、すごいな、行ける、と思ったけど、ではこれをどういう風に詰めていったら、かなりな作品になるかと。これまで深田さんは、いわゆる自主映画的に編集も全部自分でやってきた。それこそアシスタントのする仕事まで全部自分でやった。だから今回はどうしても外の視点を入れなきゃいけないというんで、知り合いのつてで優秀な編集者を呼んできて、編集というよりコンサルタントとして全部を分析してもらい、もう1回編集をやり直して、という風にしたら、大分変わった。といっても本質は全然変わらないんだけど。深田さんにとっても新たな視点が見えたと思う。日本人だけでやっちゃうと、どこに問題があるかわからない。今回も、たまたま1カット、日本では全然問題視されてなかったところを切った方がいいということになって、彼もいい意味で頑固だから、切るのに1か月半くらいかかった。合作でいいのはそういう点ですね。河瀨さんも同じで、『二つ目の窓』のときからずっと同じフランスの編集者をつけてるし、サウンドデザイナーも同じ。そのサウンドデザイナーに今回の『淵に立つ』もやってもらいました。

●サウンドデザインに弱点
 ―技術的に日本映画の一番弱いところは? 私はサウンドデザインだと思うんだけど。
 澤田:まさにそうです。『TOKYO!』のときに、とにかく日本の美術はすごいと思った。美術のスタッフは本当にすごい。ただ、どこでもすごい人はいるんですよ、音楽でも録音でも。菊池信之さんとか。でも相対的に日本は音がさげすまされている気がする。

 ―私は試写室の音も映画館の音も気になるんです。こっちで見るのと日本で見るのでは音の広がりが全然違う。特に映画祭とかで日本映画を見ると、音が貧しくて、広がりがなくて、映画が見劣りするように思う。
 澤田:映画を撮っているときに、本当なら録音技師に自由にいろんな音を探しに行かせるんです。鳥の鳴き声とか、掃除をしている音とか。いろんな音を拾っておくと後から非常に有効になってくる。それには予算的な問題が当然出てくるけど、日本映画はもうちょっと予算をかけた方がいいと思うね。
 カンヌのドビュッシーは、おそらく世界最高の劇場でしょう。リュミエールよりも音響がいい。深田さんが言ってたのは、日本で『淵に立つ』を見たときに音楽の部分が出すぎていて、少し強すぎたかなと思ったけど、今回カンヌで見たら、微妙な音の構成がずっとよくわかったと。僕もそう思う。オリヴィエ・ゴワナールという優秀な録音技師がいて、彼は今回のアサヤスの『パーソナル・ショッパー』をやったりしているけど、彼と音の話をしていると、映画でこれからもっと可能性のあるのは音と音楽だという気がする。

●デジタル撮影、撮りやすさがあだに。画の力強さに欠ける。
 ―撮影はどうですか? デジタルになって、ちょっと落ちた感じがするけど。
 澤田:トリュフォーが"映画はホームビデオになっていく"と言ってたけど、確かにそれはある。なんでも作りやすくなってきたし、のぞき見的、隠しカメラ的にどんどん撮れるけど、大島渚が撮ってたような、1枚の画の強さというのは、デジタルみたいなものだと逆に作りずらい。なぜかというと長回しができるから。流しっぱなしでいいと画の強さはなくなるね。

 ―全体的に映画が変わってきている気もする。今回のカンヌで皆が文句を言ったのは長い映画があまりにも多いこと。アンドレア・アーノルドの『アメリカン・ハニー』もマーレン・アデの『トニ・エルドマン』も3時間近い。かっちりとした構成がなくて、だらだら撮ってる感じがするのはデジタル撮影の影響じゃないかと思ったんだけど。
 澤田:それは姿勢の問題だと思うよ。たとえば黒沢さんの映画って、今回やらしてもらってよくわかったのは、無声映画的なところがものすごくあるということ。1カットが終わったときにすべて終わらせる。画も音も、パッと切っちゃって次が始まる。普通は情感を込めて重ねたりするのに。昔、僕らシネマテークで無声映画を見てたけど、ああいう映画の強さが最近は本当にないね。

●映画体験の違いも
 ―なぜだろう。勉強してないのか、そういうものを出しても観客が反応しないのか。
 澤田:こっちで若い人と映画を作るとき、見てきた映画が違うんで、映画の記憶が違う。そういうときは"こういうの見たら?"と自分のライブラリーにある古い映画を見せて、その映画を基にしてもう1回話し合ってみると、少しずつお互いの映画の体験が一緒になってくる。"シネマテークでサイレント映画をまとめて見たら君のシナリオも変わるかもしれない"とか言ったり。

 ―今、映画を撮ろうとしている日本の若い人って、フィルムセンターに映画を見に行かないし、スタッフに大先輩がいて昔の話が聞けたりする機会がないから、すごく狭い経験の中で、自分の周りにわかる映画しか作れなくて、日本の若い映画がどんどん弱くなっている気がする。

●韓国映画は海外展開が前提
 澤田:でも、たとえば韓国映画は、韓国のスマートフォンと同じで、最初から海外への展開を考えて作っている。海外のプレセールスをいろんなところから入れてきて作っているから、どこの国にもマッチするような映画を作ることになる。ある意味、そこに合作における危険性がある。カラーがなくなっていくから。韓国映画って、いろんなところにわかりやすい映画になっているけど、本当に見る価値のある映画が少なくなっている。その点、日本映画は遥かに違う。

 ―日本は映画もガラパゴス化してる(笑)
 澤田:それはいいことだよ。ただ、日本の問題は現場でちゃんと映画を学べない、学校もしっかりしてないこと。発想はいいんだよね、子供が初めて絵を描くみたいに。すば抜けた、驚くような映像があったりするけど、基礎というか、底にあるものがしっかりしてないから、90分間を構築できない。せめて基礎があって、その上に何かを描いてもらわないと。皆がピカソになれるわけじゃないから。

 ―最初の映画は面白くても、2本目、3本目と続かない場合がありますね。
 澤田:1本目はいろんな人が投資してくれても、2本目に映画を作れる人は2割しかいない。3本目に残れる人は、ほんの少しだから、映画で本当に食える人なんて、ほとんどいない。

●「戦争」ってなんだろう。
 ―では、最後に今度日本公開になる長編デビュー作『人間爆弾 桜花-特攻を命じた兵士の遺言』というドキュメンタリーについて。
 澤田:僕は『カンゾー先生』で映画に関わらせてもらったんだけど、その前は、できるだけ日本から離れようと思ってたんです。日本と関わらないで映画に関りたいと。でも、今村さんに出会って、自分が日本人であることを認めていかなきゃいけないという部分が一気に出てきた。10年前、2006年に父親や親友が亡くなって、生と死というか、自分の死に場所を考えていたとき、日本の友達が芝居で神風特攻隊員の役をやるというんで、特攻隊の生き残りの人、50人か60人くらいに会ったと言うんです。僕も興味を持って、彼が絞り込んでくれた数人のうちの一人が、この林富士夫さんだった。実際に会ってみたら自分の体験を過去のことじゃなく、まるで昨日起きたことのように話してくれる。それで世界観が全然変わってきて、この人を通してドキュメンタリー映画で生と死を追ってみようと思った。では、誰に監督を頼もうかと考えて、ベルトラン・ボネロに連絡をとったら、"わかった。でも、その人に会ってから決めたい"と言うんで、では日本に行こうということになり、林さんは当時もう80代後半だったから、とりあえず撮れるものは撮っとこう、みたいな話になって、ジョゼっていうベルトランのカメラマンとアシスタントも連れて行って、取材を申し込んで1週間くらい撮影した。結局ベルトランとはその企画を立ち上げられなくて、彼も残念がってたけど、後は僕がやるとは言ったものの、そのまま引き出しに30時間分の素材を仕舞ったままにしていたわけ。それをあるときに見たんだよね、全部。それで、これで1本作ろうと。自分はプロデューサーだから、何か枷を与えなければいけない、と思って、それが、この素材だけで作るという枷。見ればわかるけど、最後に写真を1枚だけ使ったけど、それ以外は全部あるものだけ。ほとんど林さんの顔で、インサート・カットも一切なし。

 ―編集の妙技で見せるわけですね(笑)。
 澤田:1時間15分で25カットしかないけど(笑)。できたときにベルトランに見せたら、めちゃくちゃ喜んでくれて、共同監督で名前を出すと言ったら、"マサが作りたいと言った気持ちがやっとわかった。これは君の作品だ"と言ってくれて、ベルトランと一緒に取材したことだけ表記するということになった。その後で、アルテのオリヴィエ・ペールに見せたら、彼はロカルノ映画祭のディレクターだったから、気に入ってすぐロカルノに電話してくれて、ロカルノのディレクターも気に入って、賞も貰った。

 ―遅ればせの受賞でしたね(笑)。
 澤田:この歳で新人特別賞はないよね(注:2014年ロカルノ映画祭新人監督賞スペシャル・メンション)。
ドキュメンタリーなんて全然作ったこともなかったんだけど、一番よかったのは、林さんは埼玉県入間市に住んでいたので、1週間毎日ベルトランやスタッフを連れて東京から40分かけて行くわけ。行くときには話をしたり、音楽を聴いたり、それぞれ好きなことをやってるんだけど、インタビューを終えて帰ってくるときは誰も話ができない。あまりにも重くて。東京に戻って一緒に食事というときに、死って何だろう、戦争って何だろうって延々と話をした、1週間毎日。結局それだったね、この映画は。

(2016年5月24日、パリのコム・デ・シネマのオフィスにて)

(齋藤敦子)

(10)社会派の面目躍如/ケン・ローチ監督の「ダニエル・ブレイク」にパルム・ドール

2016/05/24

2016_10_01cannes_photo.jpg 5月22日夜、主会場リュミエールでコンペ部門の授賞式が行われました(結果はこの欄の最後をご覧ください)。プレスの評価の審査員の評価が食い違うのは当然のことですが、その差が今年ほど大きかった年はないように思いました。

 2度目のパルム・ドールを手にした『ダニエル・ブレイク』は、福祉行政の理不尽さを告発する社会派ローチの面目躍如の作品。昨年の『ディーパンの闘い』の移民というテーマ同様、社会的なテーマ性を持った作品がパルムを獲るという最近の傾向を示すものだと思います。

 グランプリの「まさに世界の終わり」は、不治の病に罹った主人公が、長年疎遠だった家族に別れを告げにいくという物語を、ガスパール・ウリエル、ナタリー・バイ、ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティヤール、レア・セドゥというフランスのオールスター・キャストで描いたもの。デビュー以来、世界の注目を集めてきた期待の星のドランですが、いがみ合う家族というテーマも新鮮味がなく、演出も単調で、私はあまり感心しませんでした。

 監督賞をムンジウとアサヤスの2人に、ファルハディの『セールスマン』に2つの賞を出すという変則的な結果は、審査員の中でかなり意見が分かれた結果だと思います。

 コンペの中で私が好きだったのはジム・ジャームッシュの『パタースン』、ポール・バーホーベンがイザベル・ユペール主演でフランスで撮った『彼女』、相変わらずキッチュな映像で魅せるニコラス・ウィンディング・レフンの『ネオン・デーモン』、ギロディ的世界が炸裂するアラン・ギロディの『まっすぐ立つこと』でしたが、どの作品も見事に賞に絡みませんでした。こんな年もあるものです。

 写真は見事2度目のパルムを手にしたケン・ローチ監督、右はプロデューサーのレベッカ・オブライエンさんです。

【受賞結果】
●コンペティション部門
パルム・ドール:「ダニエル・ブレイク」監督ケン・ローチ(イギリス)
グランプリ:「まさに世界の終わり」監督グザヴィエ・ドラン(カナダ)
監督賞:クリスティアン・ムンジウ「バカロレア」(ルーマニア)
    オリヴィエ・アサヤス「パーソナル・ショッパー」(フランス)
脚本賞:アスガー・ファルハディ「セールスマン」監督アスガー・ファルハディ(イラン)
審査員賞:「アメリカン・ハニー」監督アンドレア・アーノルド(イギリス)
女優賞:ジャクリン・ホセ「マ・ローサ」監督ブリヤンテ・メンドーサ(フィリピン)
男優賞:シャハブ・ホセイニ「セールスマン」監督アスガー・ファルハディ(イラン)

●短編コンペティション部門
パルム・ドール:「タイムコード」監督フアンホ・ヒメネス(スペイン)
次点:「悪魔と踊った娘」監督パウロ・ミランダ・マリア(ブラジル)

●カメラ・ドール(新人監督賞)
「女神たち」監督ウッダ・ベンヤミナ(監督週間部門)

●シネフォンダシオン
1席:「アンナ」監督オル・シナイ(イスラエル)
2席:「イン・ザ・ヒルズ」監督ハミッド・アフマディ(イラン)
3席:「舐める音」監督ナジャ・アンドラセフ(ハンガリー)
   「罪、おそらく」監督マイケル・ラバルカ(ベネズエラ)
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●FIPRESCI賞
コンペ部門:「トニ・エルドマン」マーレン・アデ(ドイツ)
ある視点部門:「犬たち」ボグダン・ミリカ(ルーマニア)
監督週間&批評家週間の初監督作に対して:「大変」ジュリア・ドゥクルノー(フランス/ベルギー)

●エキュメニック賞
「ただの世界の終わり」グザヴィエ・ドラン(カナダ)
次点「アメリカン・ハニー」アンドレア・アーノルド(イギリス)
  「ダニエル・ブレイク」ケン・ローチ(イギリス)

(齋藤敦子)

(9)テーマ性に高い評価/深田監督の「淵に立つ」にある視点部門審査員賞

2016/05/24

2016_09_01cannes_photo.jpg 5月21日の夜、ある視点部門の授賞式が行われ、深田晃司監督の『淵に立つ』が見事2席の審査員賞を受賞しました。もう1本の日本映画『海よりもまだ深く』は、是枝裕和監督の抜群の知名度と、昨年ある視点のオープニング作品だった『あん』での名演がカンヌでも評判だった樹木希林さんの出演とあって、多くの観客を集めて大変な人気でしたが、女優のマルト・ケラーを長とする審査員は、地味ながら強いテーマを持った『淵に立つ』の方を高く評価してくれました。

 1席の『オリ・マキの人生で一番幸せな日』は、1962年の夏、ヘルシンキで行われるフェザー級タイトル・マッチを目前に、恋に落ちてしまうボクサーをモノクロームで描いた作品だそうですが、残念ながら未見。

 特別賞の『レッドタートル ある島の物語』はオランダのアニメーター、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の10年に及ぶ努力の成果で、日本のスタジオジブリが制作にかかわっています。

 写真は、授賞式後の壇上で握手をかわす深田監督とデュドク・ドゥ・ヴィット監督。

●ある視点部門受賞結果

 ある視点賞:「オリ・マキの人生で一番幸せな日」ユホ・クオウスマネン
 審査員賞:「淵に立つ」深田晃司
 監督賞:マット・ロス「キャプテン・ファンタスティック」
 脚本賞:デルフィーヌ・クーラン&ミュリエル・クーラン「ストップオーバー」
 特別賞:「レッドタートル ある島の物語」マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット

(齋藤敦子)

(8)ガッツで平和を描く/サダト監督の「狼と羊」がアート・シネマ賞

2016/05/23

2016_08_01cannes_photo.jpg 監督週間で、アフガニスタンの『狼と羊』という映画を見ました。監督のシャフルバノー・サダトはアフガニスタン初の女性監督で、これが長編デビュー。まだ26歳の若さです。映画は戦争前のアフガニスタンの村を舞台に、子供たちの毎日をスケッチ風に描いたもので、特に大きなストーリーはありません。上映後の監督とのQ&Aによれば、戦争のない、平和な時代の人々の暮らしを描きたかったとのこと。それでも最後は戦火が迫って村を捨てて逃げ出すところで終わっています。20日に発表になった監督週間部門の賞で、『狼と羊』は見事1席にあたるアート・シネマ賞を受賞しました。

 写真は上映後のQ&Aの模様で、この映画をアフガニスタンの人は見たのかという質問に、以前は野外映画館があったが、今は駐車場になってしまい、映画館自体がないので、上映するとしたら大使館や集会所を使わせてもらうことになる。テレビで放映するにしても放映料を払わなければならないので不可能、とのことでした。困難な状況の下で映画を撮り続けようとするサダト監督は、体は小さいが大きなガッツを持った女性でした。

(齋藤敦子)

(7)クルド部隊の対テロ戦争ルポ/追加上映された「ペシュメルガ」

2016/05/21

2016_07_01cannes_photo.jpg 最終日の2日前、20日の午後3時に、映画祭開催後に追加で特別上映されることが発表になったベルナール=アンリ・レヴィの「ペシュメルガ」の公式上映がパレ内のサル・バザン(映画批評家アンドレ・バザンの名を冠した、リュミエール、ドビュッシーに次ぐ500席程度の上映会場)で行われました。この日は朝の上映前のリュミエールを警察が探索したり、制服姿の警察官がいつもより目立つなど、ピリピリとした雰囲気が漂っていましたが、それはこの上映のためだったことが行ってみてわかりました。

 ペシュメルガとはクルド自治政府に属する戦闘部隊のこと。映画はダーイシュ(イスラム国)と戦うペシュメルガの最前線を南から北へたどるルポルタージュで、実際の戦闘や、ダーイシュの占領地域をドローンで撮った映像などが出てきます。会場にはペシュメルガの将校やクルド自治政府の要人が登場。壇上で世界最悪のテロ組織と戦うクルド人の悲願である独立に支持を求める声明が読み上げられました。

 カンヌ映画祭はこの映画を公式上映作品に選んだことで、テロ組織に対して宣戦布告をしたのも同然。もちろんテロとの闘いを表明しているフランス政府の指示もあって、余計な緊張を高めないよう、この映画の上映を会期が始まるまで待って発表したのでしょう。パレの入口とバザンの入口で2度のボディチェックを受けるものものしさでした。

 写真は上映前の挨拶の模様で、中央で手を挙げているのがベルナール=アンリ・レヴィ、すぐ右の小柄な男性が彼に付き添ったカメラマン、その右が(私の理解が正しければ)声明を読み上げたペシュメルガのプレジデントです。

(齋藤敦子)

(6)逃げる詩人、追う刑事/パブロ・ララインの新作「ネルーダ」

2016/05/20

2016_06_01cannes_photo.jpg パブロ・ララインの映画を初めて見たのは2010年のヴェネツィア映画祭で、作品は『検死』。アジェンデ政権がクーデタで倒れた時期を舞台に、死体を検視する医師の目から軍の弾圧を描いた映画でした。続いて、ピノチェトの独裁制を倒すことになる国民投票のキャンペーンを米国仕込みの宣伝戦略で可能にしてしまう宣伝マンを主人公にした『NO』は2012年の監督週間で上映され、このときはスペイン語圏の友人たちのほぼ全員から見るように薦められたのでした。そして昨年ベルリン映画祭で銀熊賞を獲った『クラブ』は、聖職者の犯罪をテーマにしたブラックユーモアたっぶりの作品で、昨年のベルリンで私が最も好きだった1本。ということで、今年の監督週間で上映されるララインの最新作『ネルーダ』を見るのがとても楽しみでした。

 パブロ・ネルーダはノーベル文学賞を受賞したチリの国民的詩人で政治家。映画は1948年、ビデラ政権によって共産党が非合法化され、共産党員で上院議員のネルーダにも逮捕命令が出て、警察に追われながら、やっとのことで国外逃亡を果たすまでを描いています。面白いのはネルーダと彼を逮捕しようとする刑事を対比しながら交互に描いているうちに、ネルーダの詩を媒介にして、追われる者と追う者が次第に共鳴していくところ。ネルーダの国外逃亡は史実ですし、彼を追う刑事も実在の人物だそうですが、ララインは現実にとらわれず、まるで詩のような映画にしていました。

 写真は13日に行われた上映前の舞台挨拶の模様で、左からパブロ・ラライン監督、ネルーダ役のルイス・ネコ、ネルーダの妻役のメルセデス・モラン。刑事役のガエル・ガルシア・ベルナルで、ベルナルは『NO』に続く主演です。

(齋藤敦子)

(5)罪の意識描く/深田晃司監督の「淵に立つ」

2016/05/18

2016_05_01cannes_photo.jpg 映画祭4日目の14日夜、ある視点部門で深田晃司監督の『淵に立つ』の公式上映がありました。今年コンペに日本映画は1本もなく、ある視点部門に『淵に立つ』と是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』の2本がエントリーしています。

 『淵に立つ』は、鉄工所を経営している家族のもとに、夫の古い友人が現れ、住み込みで働き始める。謎めいた男は夫の古い友人で、実は刑務所を出てきたばかり。男の登場で平和だった家族の生活が脅かされて...、というストーリーです。夫を古館寛治、妻を筒井真理子、夫の友人を浅野忠信が演じています。妻が敬虔なキリスト教徒で、幼い娘にオルガンを習わせているところから、フランス語の題名は『ハルモニウム』(オルガンのこと)となっていました。登場人物の1人がキリスト教徒ということから、日本映画には珍しく、罪と罪の意識についてを扱った、とても深い作品でした。

 写真は、ある視点での公式上映の後、会場のホールで行われた取材のときのもので、左から古館寛治、深田晃司、筒井真理子、浅野忠信の各氏です。

(齋藤敦子)

(4)ドキュメンタリーの古典「ファルビーク」/批評家連盟賞70年を記念し上映

2016/05/17

2016_04_01cannes_photo.jpg 13日金曜の午後、カンヌ・クラシック部門でデジタル修復された1946年のフランス映画『ファルビーク』の上映がありました。今ではドキュメンタリー映画の古典として名高い『ファルビーク』ですが、当初はカンヌ映画祭から上映を拒否されたため、批評家の力で映画祭での上映が可能になったという経緯があります。

 その前年、1945年に創立された、私もメンバーの一員である国際映画批評家連盟(FIPRESCI)は、第1回のカンヌから独自に国際映画批評家連盟賞を決定、表彰を行ってきましたが、その栄えある1回目の受賞作品が、コンペ部門のデヴィッド・リーン『逢びき』と、非コンペ部門のジョルジュ・ルーキエ『ファルビーク』だったということで、今回の上映はカンヌでの国際映画批評家連盟賞の70年を記念するものでもありました。

 写真は上映に先立っての挨拶の模様で、右が映画の撮影中に誕生し、映画にも出演しているモーリス・ルーキエさん、左が国際映画批評家連盟会長のアリン・タシヤンさんです。ちなみに、先月行われた連盟の総会で行われた投票の結果、今期の役員は、会長と2名の副会長の3名とも全員女性で、連盟の歴史始まって以来の快挙となりました。

(齋藤敦子)

(3)国家への怒り激しく/ケン・ローチの「俺、ダニエル・ブレイク」

2016/05/16

2016_03_01cannes_photo.jpg コンペ部門のトップを切って登場したのは、ルーマニアのクリスティ・プイウの『シエラネバダ』。主人公は40代の医師ラリー、父親の死後40日目の喪開けの儀式が行われる日を舞台に、家族や患者が入れ替わり現れては様々な問題を持ち込むというもの。ほとんどがラリーの家の中にカメラが限定され、1シーン1カットに近い長回しで登場人物たちの動きを追っていく、その演出力と俳優たちの演技が見事で、とても見応えのある作品でした。3日目を終わった時点でジャーナリストの評価が最も高い1本です。

 3日目に公式上映されたケン・ローチの『俺、ダニエル・ブレイク』の主人公は、ニューカッスルに住む59歳の大工ダニエル。心臓発作を起こして仕事が出来なくなり、生まれて初めて国からの援助を受けることになるのですが、医者から働くことを禁じられているのに、失業手当を受けるためには求職活動をしなければならず、その矛盾を正そうとすると、今度は複雑な行政手続きの罠にとらわれてしまうというもの。

 『リフラフ』や『レイニング・ストーンズ』など過去の作品を見ればわかるように、もともとケン・ローチは失業者や社会の底辺で苦しんでいる人々に暖かい視線を向けてきた映画作家でした。今回の『俺、ダニエル・ブレイク』の特徴は、登場するのは善人ばかりで、いつも悪役を振られる理不尽な上司や、やくざまがいの高利貸などは一切登場しないということ。にもかかわらず、主人公のダニエルは、これまでのローチの主人公以上に過酷な扱いを受けるのです。もはや敵は個人ではなく、国家という巨大な組織なのだ、ということなのでしょう。この作品には、ローチらしい、ユーモラスな笑える場面が一切なく、それだけローチの怒りが深いことを思わせました。

 写真は記者会見の模様で、左がダニエルを演じたコメディアンのデイヴ・ジョーンズ、右がケン・ローチ監督。英国のEU離脱問題を聞かれた監督は、「EUを出れば英国は一気に極右に向かうだろう。EUにとどまって、ヨーロッパの中で一緒に闘う方がいい」と答えていました。

(齋藤敦子)

(2)審査員の過半数が俳優/委員長は「マッドマックス」のミラー監督

2016/05/14

2016_02_01cannes_photo.jpg 今年の審査員長は、昨年のカンヌの特別招待作品で、アカデミー賞を始め数々の賞に輝いた『マッドマックス 怒りのデスロード』のジョージ・ミラー監督。審査員は、監督のアルノー・デプレシャン、ネメシュ・ラースロー、男優のマッツ・ミケルセン、ドナルド・サザーランド、女優のヴァレリア・ゴリーノ、キルステン・2016_02_02cannes_photo.jpgダンスト、女優で歌手のヴァネッサ・パラディ、イランの女性プロデューサー、カタヨーン・シャハビ。最近の傾向を反映し、俳優が5人と過半数を超えた、スターの多い顔ぶれになっています。

 今年のポスターは、黄色を基調に、ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』に登場する超モダンな建物をコラージュしたもの。この建物はイタリアの作家クルツィオ・マラパルテが自身の設計で建てた別荘で、カプリ島の岬の突端にあるそうですが、1957年にマラパルテが死去した後、人手に渡り、現在は私邸になっているとか。友人の友人の話によれば、本当かウソか、共産党シンパだったマラパルテは遺言でこの別荘を中国共産党に遺贈したのだそうです。

 写真上は、審査員記者会見の模様で、審査員長のジョージ・ミラー監督とヴァネッサ・パラディ。ヴァネッサと前夫で俳優のジョニー・デップとの間に生まれた娘リリー=ローズ・デップがイサドラ・ダンカン役で出演した『ダンサー』という作品がある視点で上映され、話題になっています。

 写真下は、今年のポスターを壁に使ったパレ・ド・フェスティバルの正面入口です。

(齋藤敦子)
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