(10完)パルム・ドールに「ツリー・オブ・ライフ」
2011/05/24
壇上のロバート・デ・ニーロが最高賞のパルムに『ツリー・オブ・ライフ』の名を告げると、副会場のドビュッシー・ホールで授賞式の中継を見ていたプレスの間から、どよめきがあがりました。
このレポートでもお伝えした通り、"今年のカンヌはテレンス・マリックにパルムを与えるためにある"、というのがプレスの間での通説で、私の友人など、"ロバート・デ・ニーロはそのために審査員長に選ばれた"とまで言っているほど。私は『ツリー・オブ・ライフ』がとても好きでしたし、マリックの経歴を考えれば納得の受賞だと思いますが、ストーリーのない、難解な内容には評価が分かれていました。
2席のグランプリには、賞の常連ダルデンヌ兄弟とヌリ・ビルゲ=ジェイランが並びました。『少年と自転車』はダルデンヌ兄弟らしいヒューマニズムに溢れた作品でしたが、彼らの他の作品に比べると少し物足りなさを感じました。逆に、ビルゲ=ジェイランの『昔々、アナトリアで』は、ありふれた殺人事件を通じて人間の弱さや悲しさを細密に描き出した傑作で、3年前に監督賞を獲った『3匹の猿』より遙かに力があり、今年でなければパルムを獲っていたかもしれません。
プレスが最も沸いたのは、今年、最も広く支持を集めた2本、ニコラス・ウィンディング・レフンの『ドライヴ』とミシェル・アザナヴィシウスの『アーティスト』に、それぞれ監督賞と男優賞が与えられたときでした。が、最も驚いたのは『メランコリア』のキルステン・ダンストの女優賞。というのも、数日前の騒動でラース・フォン・トリアー監督に"ペルソナ・ノングラータ"の処分が下された後、彼の作品がどう扱われるかに注目が集まっていたからです。女優賞を獲らせたことは、トリアー作品の無視できない力を映画祭が認めている意思表示と私は理解しました。ただし、これ以上問題が悪化するのを避けるためか、授賞式後に行われる受賞者の記者会見にダンストは現れませんでした。
残念だったのは、私が最も好きだったアキ・カウリスマキの『ルアーヴル』が賞から漏れてしまったことです(ただし、国際映画批評家協会賞を受賞)。実は、授賞式の前日、シネマテーク・スイスの元館長でカンヌ映画祭参加54回目の大長老、フレディ・ビュアシュさんから、"カウリスマキは本賞の審査員には受けてないよ"と聞いていたので、この結果には驚きはしませんでしたが、さらに、犬のライカ(5代目)まで、『アーティスト』で大活躍するジャックラッセルテリアのアギーにパルム(名犬賞)をさらわれ、次点の審査員特別賞に終わってしまいました。
| コンペティション部門 | |
|
パルム・ドール |
『ツリー・オブ・ライフ』監督テレンス・マリック(アメリカ) |
|
グランプリ |
『昔々アナトリアで』監督ヌリ・ビルゲ=ジェイラン(トルコ) |
|
『少年と自転車』監督ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ(ベルギー) | |
|
監督賞 |
ニコラス・ウィンディング・レフン『ドライヴ』(アメリカ) |
|
審査員賞 |
『ポリス』監督マイウェン(フランス) |
|
男優賞 |
ジャン・デュジャルダン『アーティスト』監督ミシェル・アザナヴィシウス(フランス) |
|
女優賞 |
キルステン・ダンスト『メランコリア』監督ラース・フォン・トリアー(デンマーク) |
|
脚本賞 |
ジョセフ・シダー『脚注』監督ジョセフ・シダー(イスラエル) |
| ヴルカン賞(芸術貢献賞) | |
|
ホセ・ルイス・アルカイネ、『私が生きる皮膚』監督ペドロ・アルモドバルの撮影に対して。 | |
|
ジョー・ビニ、ポール・デイヴィス、『ケビンのことを話そう』監督リン・ラムジーの編集と録音に対して。 | |
| 短編コンペティション部門 | |
|
パルム・ドール |
『クロスカントリー』監督マリナ・ヴロダ(ウクライナ) |
|
審査員賞 |
『スイムスーツ46』監督ワンネス・デストープ(ベルギー) |
| ある視点部門 | |
|
ある視点賞 |
『アリラン』監督キム・ギドク(韓国) |
|
『途上の停止』監督アンドレアス・ドレーセン(ドイツ) | |
|
審査員特別賞 |
『エレナ』監督アンドレイ・ズヴィアギンツェフ(ロシア) |
|
監督賞 |
モハメメッド・ラザルス『さよなら』(イラン) |
| カメラ・ドール新人監督賞 | |
|
『アカシア』監督パブロ・ジョルジェリ(アルゼンチン) | |
| シネフォンダシオン部門 | |
|
1等 |
『手紙』ドロテア・ドロメヴァ(ブルガリア) |
|
2等 |
『ドラリ』カマル・ラズラク(モロッコ) |
|
3等 |
『夜間飛行』ソン・テギュン(韓国) |
| 国際映画批評家協会賞(FIPRESCI) | |
|
コンペ部門 |
『ルアーヴル』監督アキ・カウリスマキ(フィンランド) |
|
ある視点部門 |
『政府の演習』監督ピエール・シェレール(フランス) |
|
監督週間&批評家週間 |
テイク・シェルター』監督ジェフ・ニコルズ(アメリカ) |
| エキュメニック賞 | |
|
『ここがその場所かもしれない』監督パオロ・ソレンティーノ(イタリア) | |
|
次点『ルアーヴル』監督アキ・カウリスマキ | |
|
『それで今からどこへ行く?』監督ナディーヌ・ラバキ(レバノン) | |
パルム・ドール『ツリー・オブ・ライフ』プロデューサーのディーディー・ガードナー(左)とビル・ポーラッド
グランプリ『少年と自転車』のジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督
監督賞『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフン監督、左は主演のライアン・ゴスリン
審査員賞『ポリス』のマイウェン監督
男優賞『アーティスト』のジャン・デュジャルダン
短編コンペ部門パルム・ドール『クロス』のマリナ・ヴロダ監督(左)と審査員賞『スイムスーツ46』のワンネス・デストゥープ監督
カメラ・ドール『アカシア』のパブロ・ジョルジェリ監督(9)日本の若手監督育成へ交流支援を
2011/05/24
今年は、若手の登竜門である短編コンペとシネフォンダシオン部門でも日本映画と日本に関連する映画が上映されました。 1本は、短編コンペ部門で上映された田崎恵美(めぐみ)監督の『ふたつのウーテル』。母親が違う姉と弟の出会いを描いた15分の作品。姉弟の複雑な感情に正面から向き合い、きちんと描き出そうとしているところが魅力的な小品でした。田崎さんは1987年生まれの24歳。早稲田大学の映画研究会に所属し、自主映画作りの現場で映画を学んだそうで、若いながら、すでに短編2本、長編2本を撮っているという"ベテラン"です。
昨年の東京フィルメックスのレポートで市山尚三ディレクターにインタビューした際にも話題になった通り、日本映画の課題の1つは若手の育成。今年は2本の日本映画がコンペ入りするという画期的な年でしたが、日本映画界の現状は決して明るいものではありません。市山ディレクターの話にあったように、河瀬直美監督を追って世界に出て行く若手がいないことが、人材の厚い中国や韓国に大きく差をつけられているところです。田崎さんのように、きっかけを掴んだ若い映画作家が、この先も順調に伸びていくにはどうすればいいのかを、日本映画界全体の問題として考えていかなければならないと思います。 もう1本は、シネフォンダシオン部門で上映されたナタナエル・カルトンさんの『スウとウチカワ』で、東京に住む70代の老人ウチカワとミャンマー人の不法滞在者の妻スウを主人公にした11分の短編。監督のカルトンさんは東京生まれ。お父さんがパティシエで、東池袋とアビニョンとパリで育ち、ニューヨーク大学ティッシュ・スクールで映画を学んだという変わり種です。日本映画を知ったのは実はフランスに帰国してからなのだそうで、初めは溝口健二や黒澤明といったクラシックを、最近では黒沢清や是枝裕和の映画を見ているとか。この作品のテーマは、日本の新聞で読んだ不法滞在者の記事に感銘を受けて決めたとのこと。この後もまた東京で映画を撮る予定だそうです。
2年前にヴェネチア映画祭で日系アメリカ人ディーン・ヤマダ監督が東京で撮った『自転車』が短編コンペ部門に出品されていたのも記憶に新しく、カンヌでも10年前にデヴィッド・グリーンスパン監督がカリフォルニアで撮った日本映画『おはぎ』が短編グランプリを獲りました。これからも日本で映画を撮ろうとする若い映画監督がどんどん出てくることでしょう。
国と国との交流は、政治や外交で行うことより、映画を始め、アニメや漫画、音楽といった大衆文化によることの方がずっと広く、深く、温かく、浸透すると思います。聞くところによると、数年前にカンヌで発表された日仏映画合作協定は、日本側の対応の遅れで、いまだに締結に至っておらず、フランスで映画を撮りたい日本の映画人の足かせになっているそうです。カトリーヌ・カドゥ監督の『クロサワの道』を見るまでもなく、黒澤映画が世界中のどれほど多くの人々に日本を知るきっかけを与えたかは明らか。日本政府には映画を通じた文化交流の大切さに目を向け、もっと積極的に取り組んでもらいたいと切に願います。
写真上は田崎恵美さん、今年中に30分の中編を撮る予定とか。
写真下はナタナエル・カルトンさんで、『ドラゴンボールZ』を見て育ったという好青年です。
(8)感服するパナヒ監督の作家魂
2011/05/23
今年から、映画祭が1つの国を選んで、その国の映画を紹介する企画が始まり、最初の招待国にエジプトが選ばれました。これは今年の1月に民衆の抗議活動がムバラク大統領を辞任に追い込み、独裁体制を倒したことを受けてのことで、前のレポートでお伝えした"チュニジアへのオマージュ"も、同じ意図で企画されたものです。
去年のレポートでもお伝えした通り、去年のカンヌは、イラン当局に突然逮捕・拘束されたジャファール・パナヒを助けるため、映画祭が彼を審査員に選び、結果として彼の不在が強調されて、表現の自由を奪われたイランの映画人の問題を世界にアピールした年でした。
その後、各国の映画祭や映画人が連帯して働きかけた結果、パナヒは、今は拘束を解かれて自宅軟禁状態にあります。そのパナヒがドキュメンタリー作家のモジタバ・ミルタマスブと共同で作った『これは映画ではない』が特別上映されました
『これは映画ではない』という題名は、シュールレアリストの画家ルネ・マグリットの有名な絵<これはパイプではない>のもじりではなく、当局から20年の活動禁止を申し渡されているパナヒが編み出した、"映画でなければ何を作ろうと違反にならない"という苦肉の策。
その内容は、テヘランの花火大会の日、自宅でひとり留守番をするパナヒを友人のミルタマスブが訪れ、弁護士からの電話を受けたり(その内容から、パナヒにかかっている罪は法律上には存在しないもので、純粋に政治的な処置であったことがわかってきます)、ペットのイグアナに餌をやったり、隣人の犬を預かったりするなか、彼が撮ろうとしていた映画の内容を説明しようとする(パナヒ曰く"映画に作ることは禁じられているが、脚本を読むことは禁じられていない")1日を追ったドキュメンタリーです。
"人は映画を撮ることで映画監督になる"と言ったのはアニエス・ヴァルダですが、逆の意味で、映画監督に映画を撮ることを禁じるのは、息を吸うことを禁じるようなもの。どんな手段でも創作活動を続けようとするパナヒ監督のゆるぎない強い意志と作家魂に感服すると共に、その勇気に拍手を送りたいと思いました。
写真は、『これは映画ではない』の上映前に、国外はもとより、家の外にさえ出ることが出来ないパナヒ監督に代わって会場の観客に挨拶するミルタマスブ監督(右)です。
今年のカンヌには、こういった特別な企画だけでなく、上映される作品にも政治を扱ったものが沢山ありました。フランスのサルコジ大統領やシラク元大統領といった政治家をそっくりの俳優が演じるグザヴィエ・デュランジェの『征服』や、フランスの架空の運輸大臣を主人公に、政治の裏側を描いたピエール・シェラーの『政府の演習』、コンペ作品のアラン・カヴァリエ『パテル』(ラテン語で"親"の意味)は、カヴァリエと俳優のヴァンサン・ランドンが"フランス大統領と首相ごっこ"をするというドキュメンタリーとフィクションの狭間にある面白い映画でした。
そんな政治的な年だからなのか、映画祭の最中にドミニク・ストロス=カーンの事件が起こって、映画祭から世間の注目が奪われてしまったのは皮肉なことでしたが、最後にだめ押しのようにラース・フォン・トリアーの舌禍事件が起きてしまいました。
事件の発端は、コンペに出品している新作『メランコリア』の記者会見で、映画にゴシックな雰囲気があると質問されたトリアーが、"自分はヒトラーに少し親近感を抱いている"と言ってしまったことでした。その場を取り繕おうと、冗談のつもりで"僕はナチなんだ"と言って笑いを誘ったものの、その日の午後、発言を問題視した映画祭から謝罪を求められ、トリアーもそれに応じて一端騒動は終結しました。
ところが翌朝、映画祭のオフィスで開かれた謝罪会見のときのフォトセッションで、今度はFUCKと書いた拳をカメラに突き出してみせ、反省の色のないトリアーに映画祭側も堪忍袋の緒が切れて、前代未聞の"ペルソナ・ノングラータ"(好ましからざる人物)処分が下り、トリアーの会場への立入が一切禁止されてしまいました。
トリアーは、いわゆる紙一重の天才で、これまで何度も舌禍事件を起こしているうえ、特に最近は精神的に不安定な状態にあるので、映画関係者の間では"ああ、またか"という反応が多いのですが、ヨーロッパではネオナチの台頭が無視できない時期。真意はともかく、トリアーには公人としての自覚を持ち、発言・行動を謹んでもらいたいというのがプレス共通の思いです。
(7)ちょっとした日本デイズ
2011/05/22
映画祭が終盤に入った18日に河瀬直美監督の『朱花の月』、翌19日に三池崇史監督の『一命』の公式上映がありました。17日の夜には、ある視点部門で、シンガポールのエリック・クー監督が日本の劇画家辰巳ヨシヒロの作品をアニメ化した『TATSUMI』の上映があり、18日の夜には、監督週間で園子温監督の『恋の罪』の上映もあったので、この3日間は、ちょっとした日本デイズとなりました。
『朱花の月』は、万葉集で歌われた愛の三角関係(畝傍山の愛を香具山と耳成山が争ったという巻一の十三の歌)をモチーフに、古代から現代へと続いてきた果たせない人間の思いを、河瀬らしい感性で綴った作品で、日本では9月3日から公開されます。
前日17日の午後には、エストニア・パビリオンで「零年における60秒の孤独」プロジェクトの発表が行われ、河瀬監督が会見に招かれました。これは、ヨーロッパ文化首都に選ばれたタリン市が、世界中の映画人に60秒の映像の絵葉書を撮ってもらい、それをコラージュした作品を1度だけ上映してタリンの海に沈めるというプロジェクトで、カウリスマキ、クローネンバーグ、ジャームッシュら、そうそうたる世界の映画監督と共に河瀬監督の参加が決まったもの。
この会見に引き続き、今度は河瀬監督から、"3.11 A Sense of Home"フィルム・プロジェクトの発表がありました。これは河瀬監督が発起人となって、3月11日の東日本大震災にちなんで世界の20人の映画作家に3分11秒の短編を撮ってもらい、1本の作品にして9月11日に奈良の寺院で上映し、その後、被災地で巡回上映するというプロジェクトです。写真は、2012年に映画誕生百年を迎えるエストニア映画を記念するポスターの前に立つ河瀬直美監督です。
19日の午後、コンペ部門では2本目となる三池崇史監督の『一命』の上映がありました。三池監督は、前作の『十三人の刺客』が昨年ヴェネチア映画祭のコンペ部門に選ばれており、今、世界が注目する最も熱い日本人の映画監督と言ってもいいでしょう。製作は前作と同じジェレミー・トーマスで、コンペ部門初の3D作品ということも大きな話題になりました。写真は記者会見の模様で、三池監督(左)と瑛太さん(右)。カンヌに現れなかった主演の市川海老蔵さんに代わって、瑛太さんが役に込めた思いを語ってくれました。![110522-3CIMG1259[1].jpg](http://blog.kahoku.co.jp/cinema/110522-3CIMG1259%5B1%5D.jpg)
写真上は、『恋の罪』の上映前に観客に挨拶する園子温監督と主演の神楽坂恵さん。左は監督週間のディレクター、フレデリック・ボワイエ氏。
写真下は、『TATSUMI』の上映後、観客からの拍手に応える辰巳ヨシヒロさん(左)とエリック・クー監督です。
(6)メディアに迫るソーシャル・ネットワーク革命
2011/05/20
本来なら、大本命の『ツリー・オブ・ライフ』の登場で一気に盛り上がるはずのカンヌでしたが、土曜の深夜、IMFのトップで、来年の大統領選の最有力候補といわれるドミニク・ストロス=カーン(愛称DSK)がニューヨークのホテルで部屋を掃除に来たメイドをレイプしようとして逮捕され、フランス中がひっくり返るような大騒ぎになりました。月曜には憔悴したDSKがニューヨークの法廷で女性判事から"逃亡の怖れあり"(ケネディ空港で離陸直前のパリ行きの機内で逮捕されたため)として(百万ドルの保釈金を積んでも)保釈が拒否される映像がニュース・チャンネルで繰り返し流され、映画祭の会場でもテレビの前に人だかりが出来るほど。
月曜からメディアの話題はすべてDSKの事件で、火曜の朝刊一面も、『ツリー・オブ・ライフ』のブラピに代わってDSK一色。『ツリー・オブ・ライフ』があまりに強力なので、他の作品が別の日の上映を希望したため、通常なら1日2本上映されるコンペ作品が、月曜は1本だけになってしまったという、いわくがあるのですが、そんな配慮も吹き飛んでしまいました。
私が驚いたのは、DSKの逮捕が最初にフランスに伝わったのが一般人のツイッターだったという事実です。東日本大震災のときも、テレビや新聞といったマスコミに代わってツイッターが大きな威力を発揮したのはご存知の通り。事件の報道があってから、映画祭の会場でもスマートフォンでニュースをチェックしている人達をあちこちで見かけ、今は情報伝達の流れが、量も質も方向も、まったく変わってしまったことを肌で感じます。
"チュニジアへのオマージュ"として特別上映されたムラド・ベン・チェイクの『もう怖れない』を見たときも同じ感想を持ちました。この映画は、今年1月、ベン=アリ大統領の圧政に抗議する人々のデモによって大統領が辞任に追い込まれた、いわゆるジャスミン革命についてのドキュメンタリーで、若者が中心になって起こした抗議運動がFacebookを使って組織されたため、ソーシャル・ネットワークが起こした初めての革命とも言われています。
映画の中でも、町の壁に"サンキューFacebook" と書かれた落書きが出てきたりするのですが、私が面白いと思ったのは、これまでニュースとは現場にカメラマンや記者が派遣されて取材するものだったのに、デジカメやスマートフォンを誰もが携帯するようになった今、偶然事件のそばにいた普通の人、あるいは事件に関わる当事者自身がニュースを発信する時代なったのだということでした。新聞やテレビといったマスコミは報道のやり方や考え方を全面的に改革する必要がある、メディアのソーシャル・ネットワーク革命が今そこに迫っている、いや、もう起こってしまったのかもしれません。
写真は、映画祭会場のテレビの前に集まり、ニューヨークの法廷でDSKの保釈が却下されるときの中継映像を見る人々です。
(5)賞獲得有力の「ツリー・オブ・ライフ」の評価
2011/05/18
映画祭が後半に入った16日の月曜日、今年のパルム・ドール候補ナンバーワン、テレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』の上映がありました。
テレンス・マリックは『天国の日々』で1979年に監督賞を獲っていますが、ハリウッド映画界に嫌気がさして故郷のテキサスに帰り、半ば隠遁生活を送っているうちに、作品の評価がどんどん高まっていったという伝説的な人物です。
特に、日没直前の"マジック・アワー"と呼ばれる太陽が絶妙な光を放つ時間帯だけを使って、名撮影監督の故ネストール・アルメンドロスが撮りあげた『天国の日々』の見事な映像は、世界中の映画ファン、映画関係者から高く評価されています。
実は『ツリー・オブ・ライフ』は去年のカンヌにエントリーが決まっていたのですが、結局完成が間に合わず、今年に回されたもの。カンヌがコンペの枠を空けて1年待ったほどの作品なのだから、と前評判は上々。
前日、友人のジャーナリストから"明日は大変だぞ"と忠告を受けていた通り、いつもは朝寝坊のプレスもこの日だけは早起きしたようで、8時半の上映開始30分前には主会場のリュミエール・ホールがほぼ満席になってしまいました。
映画は、1950年代のテキサスに暮らす家族、特に父親(ブラッド・ピット)とマリック自身を思わせる息子との関係を、宇宙の誕生から現在、そして未来へと続いていく"生命の樹"の一部として捉えたもの。
哲学教授でもあるマリックらしい壮大なテーマの作品でしたが、普通の映画の範疇に入らない、詩的で思索的な描き方に途惑う人も多く、評価は賛否両論にはっきり別れてしまいました。
写真は『ツリー・オブ・ライフ』記者会見のブラッド・ピットとジェシカ・チャスティン。映画のプロデューサーも兼ねたピットは、カンヌに現れなかったテレンス・マリックに代わって、ユーモアを交えながら記者の質問に答え、最後まで残ってサインをするサービスぶり。大スターとは思えない、気さくな人でした。
日曜日の午後、ある視点部門の上映を待っているときに、私が日本人だと知ったトルコの女性ジャーナリストから声を掛けられました。
話を聞くと、彼女は1999年にトルコ北西部のイズミットという町で1万6千人が亡くなったM7.4の地震が起きたときに、2か月間ボランティアに行ったことがあるのだそうです。そのときの悲惨な体験に比べ、日本人は逆境のときにも人間の尊厳を世界に示して、本当に素晴らしいと賞賛してくれました。
トルコは日本と同じ地震大国なので、日本の震災が身近に感じられたのだと思います。私自身は特に何をしているわけでもないので、おもはゆく思いましたが、この場を借りて被災地の皆さんに彼女の賞賛の言葉をお伝えしておきます。
(4)王座の重圧 「法王誕生」
2011/05/16
映画祭が折り返しを迎える土曜日の夕方、今年のカンヌ最大の目玉である『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の特別上映が行われ、レッドカーペットを歩くジョニー・デップとペネローペ・クルスを一目見ようと、大勢のファンが会場前に詰めかけました。
この週末にかけてフランスの天気は下り坂で、午後には雷を伴う夕立に見舞われたカンヌですが、主役の二人がレッドカーペットに登場する頃にはすっかり晴れ、深夜には恒例の花火大会も無事行われて、映画祭を盛り上げました。
ここまでにコンペティションで上映された映画は8本。なかで私が好きだったのは、ナンニ・モレッティの『法王誕生』です。原題の"Habemus papam" はラテン語で、バチカンのバルコニーで新しい法王を紹介するときに必ず使われる言葉です。
映画は、法王が亡くなり、コンクラーベ(法王選挙)が行われるところから始まります。
現実のバチカンには法王という最高権力をめぐる様々な欲望が渦巻いているでしょうが、モレッティの枢機卿達は、"私が選ばれないように"と必死に神に祈り、一番ぼんやりしていたメルヴィル枢機卿(ミシェル・ピコリ)が貧乏くじ(?)を引いてしまいます。
ところが、いざバルコニーで"Habemus papam"が宣言された途端、新法王は玉座の重みに耐えかねて、逃げ出してしまうのです。
写真は、記者会見のときのナンニ・モレッティとミシェル・ピコリ。メルヴィル枢機卿とは、もちろんフランスの名匠ジャン=ピエール・メルヴィルにちなむ名前(メルヴィル自身はこの名を<白鯨>のハーマン・メルヴィルから取っています)。
現在85歳のピコリには60年以上にわたる映画のキャリアがあり、もちろんメルヴィルの映画にも出演している、映画界の生きる伝説のような人。
その彼を演出した感想を聞かれたモレッティは、"ピコリのすばらしいところは、すぐに私達のやり方に合わせてくれ、撮影現場に親密で、熱い関係を作り出してしまうこと。
彼のまなざし、動き、笑顔、そのすべてが映画にプラスの効果をもたらしてくれた。
彼がいなければ、きっと悲しい映画になっていただろう"と手放しで賞賛していました。
今年のコンペ作品には日本映画の2本とトルコのヌリ・ビルゲ=ジェイランを除き、アジア映画が1本もない寂しい年であることは既にお伝えしました。
特に中国映画のエントリーがなかったことは中国人ジャーナリストにとって大いに不満だったようですが、その埋め合わせなのか、ピーター・チャンの新作『武侠』の特別上映がありました。
『武侠』は清朝末期、雲南省の山奥の村で、雑貨屋に押し入った二人組の強盗を、村に住む紙漉職人が運良く退治してしまいます。
ところが、事件を調査しに来た検察官(金城武)は、科学的な現場検証を行った結果、実は二人組がお尋ね者の凶悪犯で、しがない紙漉職人(ドニー・イェン)の正体が、悪名高い強盗団の親分(ジミー・ウォング)の息子であることを暴いてしまう、というストーリー。
もちろんドニー・イェンの武術指導による、すばらしいアクション・シーンが見所ですが、面白かったのは金城武演じる検察官の描き方で、証拠を集めて推理を重ねていくところは今テレビで大流行のCSI(科学捜査班)シリーズのよう、漢方に精通していて、血液の流れや神経などの体の内部の映像が出てくるところは<Dr.HOUSE>のようで、こういった新しい流行をいち早く映画に取り入れてしまうところが、いかにも香港映画だなと感心しました。
(3)世界中からの声援に"ありがとうナイト"
2011/05/14
5月11日の夕方、マドリッドから350Km離れた地方でM5.1の地震があり、震源地に近いロルカという町で建物が崩れ、8人が死亡、250人以上の負傷者が出ました。死者の出た地震はスペインでは1956年以来だそうです。思えば去年は、アイスランドの火山噴火でヨーロッパの空港が閉鎖されたり、南仏の海岸が高波に襲われたりと、自然災害の影響で揺れたカンヌでした。今、改めて、この1年を振り返ると、地球的な規模で何かが変わりつつある、そんな気分になってきます。 映画祭3日目の5月13日夜、東京国際映画祭(TIFF)主催の"ありがとうナイト"が開催されました。このパーティは、東日本大震災の後、世界の映画人から寄せられた励ましの言葉や支援に感謝すると同時に、日本の現状を正しく伝え、"日本の力"を世界に発信していく決意を報告する目的だそうで、くだいて言えばTIFFは今年もちゃんと開催することをアピールするために開かれたものです。私も香港のケーブルテレビから取材を受けてみて、地震、津波、原発と、次々に起こった大災害の映像があまりに強烈だったため、日本全体が壊滅的な被害を受けたという印象を持った人達が非常に多いことに気がつきました。世界地図で見ると、日本はユーラシア大陸の端っこにある小さな島国なので、香港はもとより、地球の反対側に住む人達から、そんな印象を持たれてしまうことは仕方がないのかもしれません。が、どっこい日本は沈没していないし、今、復興のために力を合わせて頑張っているのだ、世界中からの声援・支援をありがたく思い、感謝しているのだ、と大きな声でアピールすることの重要性を感じました。
写真上は、マーケットの日本のブースに設けられた募金箱で、TIFFの広報の筆坂健太さんと征矢あづささん。募金してくれた方には無料で緑の"ありがとう"リストバンドを差し上げるのだそうです。写真中は"ありがとうナイト"の模様で、リストバンドを見せる"頑張れ 日本!"キャンペーンのダニエル・マルケさんとTIFFの依田巽チェアマン。
同じ13日の午後、カンヌ・クラシック部門で、ベルナルド・ベルトルッチ、マーティン・スコセッシ、テオ・アンゲロプロス、クリント・イーストウッド、ジュリー・テイモア、アッバス・キアロスタミ、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、ポン・ジュノ、塚本晋也、宮崎駿という、11人のそうそうたる映画監督が黒澤明の影響について語る『クロサワの道』が上映されました。この映画を監督したのは、日本の映画監督の通訳として、あるいは日本映画の字幕翻訳者として、日本映画界に多大な貢献のあるカトリーヌ・カドゥさんです。カトリーヌ(友人なので、以下敬称略)はフランスとの合作である『乱』から、通訳として現場で黒澤を支え、『夢』では、洗濯女の役で出演もしています。去年、東京で会ったときに、この映画の構想を聞いていたのですが、出来上がった作品は、長年、名匠の傍で培ってきた豊富な映画的経験が活かされた、愛に溢れた黒澤賛歌になっていました。
写真下は、上映前に観客に挨拶するカトリーヌ・カドゥ監督と吉武美知子プロデューサーです。
(2)1920年代のパリにタイムスリップ「ミッドナイト・イン・パリ」
2011/05/13
今年のオープニング作品はウッディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』。婚約者(レイチェル・マクアダムス)と一緒にパリに観光に来た小説家志望のハリウッドの脚本家(オーウェン・ウィルソン)が、真夜中に1920年代のパリにタイムスリップし、フィッツジェラルドやヘミングウェイ、ガートルード・スタイン(キャシー・ベイツ)らロスト・ジェネレーションの作家達やアーティストに出会い、ピカソの愛人(マリオン・コティヤール)と恋に落ちる...、というストーリー。
フランスではサルコジ大統領夫人のカルラ・ブルーニがカメオ出演しているのが話題になっています。カルラの姉は仏伊両国で活躍する女優のヴァレリア・ブルーニ=テデスキですから、もともと素養はある人。ファースト・レディの仕事より向いているかもしれません。
11日の午後、『ミッドナイト・イン・パリ』、名誉賞を受賞するベルナルド・ベルトルッチ、今年の審査員の記者会見が連続して行われました。ベルトルッチは数年前から車椅子生活になっていると聞いて心配していましたが、壇上に現れたベルトルッチは、頭脳明晰、好奇心旺盛で、ユーモアに溢れているところは、まったく変わらず。
今年はカンヌ・クラシック部門で修復された『暗殺の森』がニュープリントで上映されるのですが、"出来ることなら自分の体を修復してもらいたい"と言ったり、どこにでも車椅子で出かけるようになって"世界がすべて移動撮影に見える"と言ったり。『アバター』を見てから3D映画に興味を持っているのだそうで、全編移動撮影の3D映画の新作を、ぜひ撮って欲しいと思いました。
今年の審査員長はロバート・デ・ニーロ。もちろん、押しも押されもしないアメリカを代表する名優ですが、トライベッカ映画祭を主催したり、映画を育成する側での活躍も知られていますし、マーティン・スコセッシの『タクシー・ドライバー』(1976年)とローランド・ジョフィの『ミッション』(1986年)という2本のパルム・ドール作品の主演者でもあり、カンヌとも浅からぬ関係があります。
審査員の顔ぶれは、俳優のユマ・サーマン、ジュード・ロー、女優でプロデューサーのマルチナ・グスマン、作家のリン・ウルマン、プロデューサーの施南生(シ・ナンスン)、映画監督のオリヴィエ・アサヤス、マハマット・サレ=ハルン、ジョニー・トーです。イングマル・ベルイマンとリヴ・ウルマンを両親に持つリン・ウルマンは、"ノルウェーでは普通、父親が子供にスキーを教えるものだけど、私の父はスキーが出来ないので、夏休みに毎日2本ずつ映画を見せられた。それが父の教育だった"と語っていました。
今年はコンペ部門に河瀬直美の『朱花(はねづ)の月』と三池崇史の『一命』という2本の日本映画がエントリーしていますが、映画祭の常連、中国映画、韓国映画からは1本も入っていません。その代わりに、といっていいのか、審査員に中国人を2人入れて、アジア的なバランスをとったように思われます。
写真上はベルナルド・ベルトルッチの記者会見。ベルトルッチの左にいるのは、記者会見の名物司会者アンリ・ベアール。映画評論家で英仏のバイリンガル。彼の卓越した采配がなければ、3つの記者会見を時間通りに終わらせることは不可能です。
写真下は、審査員記者会見の模様で、左からジョニー・トー、ユマ・サーマン、オリヴィエ・アサヤス、リン・ウルマン、ロバート・デ・ニーロ、シ・ナンスン、ジュード・ローです。
(1)カンヌでも声援「頑張れ 日本!」
2011/05/11
東日本大震災から2か月目の5月11日、ウッディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』の上映から第64回カンヌ国際映画祭が開幕します。被災地ではまだ大勢の方々が復興にはほど遠い、厳しい日々を過ごされているなか、今年もまたレポートを書かせていただけることを素直に嬉しく思い、英断を下された河北新報社に感謝いたします。
今年のカンヌで最初に目に飛び込んできたのは、プレス登録に行った主会場のオフィスの壁に貼られたポスターでした。赤い日の丸の顔から涙がぽろりと落ちているモチーフに、フランス語と日本語で"Courage Japon ! 頑張れ 日本!"の文字。誰が考えた、どんな運動なのか。10日の午後、このキャンペーンの主催者に会うことが出来ました。
その人はダニエル・マルケさんといって、長年フランス映画の製作や海外配給の仕事をしてきた方でした。日本の映画界にも友人知人友人が多く、今度の震災で大いに心を痛め、自分でも何か出来ないか考え、世界中の注目が集まる映画祭でキャンペーンをと思いついたのだそうです。カンヌ映画祭もすぐに協力を申し出てくれ、映画祭、フランス映画輸出協会、フランス赤十字との協賛でキャンペーンと募金活動を行い、集まった金額はフランス赤十字を通じて日本に送るということです。
被災地に声援を送っているのは彼ひとりではありません。プレス・ルームで1年ぶりに再会したカタロニアの友人は、恋人や友人同士で花と本を贈り合う4月23日のサン・ジョルディの日に、今年は日本のためのチャリティー活動が行われ、サグラダ・ファミリア教会に日本を応援する垂れ幕が掛けられたのだと話してくれました。会場の入口でセキュリティのスタッフから日本語で声をかけられたり、会う人ごとに皆が日本を思ってくれていることを肌で感じる今年のカンヌです。
写真上は、今年の会場風景。使われているのは、1974年に『スケアクロウ』でパルムを受賞したジェリー・シャッツバーグ監督のデビュー作『ルーという女』のフェイ・ダナウェイです。
写真中は、"頑張れ 日本!"キャンペーンの主催者、ダニエル・マルケさん。私とも間接的に接点のある方でした。
写真下は、"頑張れ 日本!"のポスターを会場に貼っていたキャンペーンのスタッフ。ポスター500枚、葉書大のカード2万枚、7500個のバッジを作ったそうです。