シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(6・完)外からの視線が気になる 「トルパン」

2008/10/27

tiff08_06_01.jpg 最終日の26日に授賞式が行われ、カザフスタンのセルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督の「トルパン」に最高賞の東京サクラ・ゴールド賞と監督賞を、イエジー・スコリモフスキの「アンナと過ごした4日間」に審査員特別賞を授与して、1週間の会期を終えた(詳細は一覧を参照)。

 実は、映画祭が始まる前から「トルパン」が大きな賞を獲るだろうことは、ある程度予測がついていた。カザフスタンの草原で羊を遊牧している青年が、噂を聞いて"トルパン"(チューリップ)という名の娘に求婚に行くが、耳が大きいことを理由に何度も断られ、顔も見ないうちに娘は都会に出ていってしまう、というストーリー。土地が痩せているために羊が死産する場面など、自然の過酷さ、遊牧民の素朴さがユーモラスなタッチで過不足なく描かれている佳作で、こういう作品は減点するところが少なく、民族的な味付けが効いて、映画祭で受賞しやすいのだ。事実、カンヌ映画祭の<ある視点>部門でも、黒沢清の傑作「トウキョウソナタ」やスティーヴ・マクィーンの力作「ハンガー」を抑えて<ある視点>賞を受賞している。

 けれども、私は遊牧民に向けるエキゾチックな視線が気になった。カザフといえば、十年以上前からダルジャン・オミルバエフらが牽引してきたニューウェーヴがあるが、「トルパン」はそれとはまるで異質な作品だ。ドヴォルツェヴォイ自身ロシア人だし、ドイツ、スイス、ロシア、ポーランド、カザフの5カ国の共同製作でもわかるように、外からの目で見たカザフ、砂漠、遊牧民、なのだ。そこに、角川春樹の製作した「蒼き狼」とまでは言わないが、フランス育ちのトラン・アン・ユンの「青いパパイヤの香り」のような、喉の奥に引っかかる小骨のような違和感を感じたし、優等生的な出来のよさに物足りなさも感じた。

tiff08_06_02.jpg 「アンナと過ごした4日間」は、スコリモフスキ得意の屈折した愛をテーマにした作品。病院で下働きをしているレオンは、自分が犯人に間違えられたレイプの被害者で、今は看護婦となったアンナを密かに愛し、夜毎アンナの部屋に忍び込み、こっそり壊れた鳩時計を修理したり、彼女の足の爪にマニキュアを塗ったり、彼女の生活に侵入し始めるが...、というストーリー。すでに巨匠のスコリモフスキだから、描写の上手さは言うまでもなく、審査員特別賞は当然の結果だと思う。問題は、「トルパン」やスコリモフスキなどの受賞作と、それ以外のコンペ作品との差がありすぎる点である。また「超強台風」のようなプロパガンダすれすれの娯楽映画を同じ土俵で競わせることにも大きな疑問を感じた。

 東京映画祭の弱点がコンペ部門であることは今年も明らかだった。映画祭の矛盾が集中する部門なので同情の余地もあるが、私はいっそのことコンペ部門をやめてしまったらどうかと思う。今のコンペで上映される映画で、上映するに足るものは既に他の映画祭で上映されたり、受賞したりしているものばかり。その種の映画は<ワールド・シネマ>部門で上映すれば事足りる。授賞式がやりたければ、<アジアの風>をメインのコンペにすればいい。こうすれば、ずっとすっきりした映画祭になるし、アジアの中心としての東京の意義を世界に発信し、今も東京に興味を持って足を運んでくれる中国や韓国などアジアのジャーナリスト達にも、もっと来たくなる映画祭になるのではないだろうか。

 もう一つ、授賞式について苦言を。日本人のセレモニー好きは分かるが、来賓の祝辞や総評などで式を無駄に長引かせるのはやめてもらいたい。そして、式が長いからといって、受賞者にスピーチの時間を十分に与えないのは本末転倒である。映画祭の最高のスターは受賞者なのだ。壇上でスポットライトを浴びるのは受賞者であって、主催者が彼らの前に立つのは失礼だ。

 写真(上)はグランプリと監督賞を受賞したドヴォルツェヴォイ監督(右)と主演のアスハット・クチンチレコフ。
 写真(下)は観客賞とアース・グランプリの審査員賞をダブル受賞した前田哲監督。右端に置かれた箱は「ブタがいた教室」に出演した子供たちから贈られた手作りの賞。

 

【受賞結果】
コンペティション部門
 東京サクラ・グランプリ:「トルパン」セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督(カザフスタン)
 審査員特別賞:「アンナと過ごした4日間」イエジー・スコリモフスキ監督(ポーランド)
 監督賞:セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督
 男優賞:ヴァンサン・カッセル「パブリック・エネミー・ナンバー1」(フランス)
 女優賞:フェリシテ・ウワシー「がんばればいいこともある」(フランス)
 芸術貢献賞:「がんばればいいこともある」フランソワ・デュペイロン監督
 観客賞:「ブタがいた教室」前田哲監督

<アジアの風>部門
 アジア映画賞:「私のマーロンとブランド」フセイン・カラベイ監督(トルコ)

<日本映画ある視点>部門
 作品賞:「buy a suit」市川準監督
 特別賞:岸部一徳「大阪ハムレット」
 黒澤明賞:ニキータ・ミハルコフ監督、陳凱歌監督

アース・グランプリ
 大賞:「フェデリコ親父とサクラの木」ホセ・アントニオ・キロス監督
 審査員賞:「ブタがいた教室」前田哲監督
 特別賞:「ミーアキャット」ジェームズ・ハニーボーン監督

(斎藤敦子)

(5)マレーシア・ニューウェーヴ 「ムアラフ-改心」

2008/10/26

tiff08_05_01.jpg 歴代のディレクターの映画センスと努力で、最もうまくいっている部門が<アジアの風>だろう。ただし、コンペ作品のように事前にプレス用の試写がないので、期間中に作品を追いかけるのはなかなか難しく、今年も見逃してしまった作品が多かった。

 今年の収穫は、まずヤスミン・アハマドの「ムアラフ-改心」=写真=だった。アハマドはマレーシア・ニューウェーヴを代表する女性監督で、3年前に<アジアの風>で小特集が組まれている。新作の「ムアラフ」は、そのときの作品よりさらに人間を見る目に優しさがあった。主人公は、家計を助けるためにバーで働き始めるが、客に酒を飲まないように勧めているのがバレて首になる姉、ムスリム系の学校に通いながら、キリスト教の聖書を引用して教師に嫌われる妹、姉に密かに好意を寄せる妹の学校の教師の3人。マレー系、インド系、中国系の人々が暮らし、公用語を英語にして調和を図る多民族国家マレーシアの抱える、決して軽くはない問題が、さらりとユーモラスに描かれていて、アハマドの円熟を感じさせた。

tiff08_05_02.jpg 「火山高」や「オオカミの誘惑」で知られるキム・デギュンの「クロッシング 祈りの大地」は、栄養失調で結核になった身重の妻の薬を買うために脱北する父親(チャ・インピョ)と、後に残された息子の苦難を描いた作品で、キム監督が100人あまりの脱北者から取材して作り上げた北朝鮮のリアルな日常生活や、鬼気迫る収容所生活の様子に圧倒された。息子が可愛がっていた愛犬をついには食べざるを得なくなるほどの貧窮の描写に、前田哲のコンペ作品「ブタがいた教室」で活写された日本のいびつな"豊かさ"を連想させられた。「クロッシング」がコンペでなかったことを前田監督は喜ぶべきかもしれない。

 今年の最大の収穫は、何と言ってもキム・ギヨン監督のレトロスペクティヴだろう。デビュー作「陽山道」(55)から、韓国映画史上の最高傑作というべき「下女」(60)、「下女」をリメイクした「火女 '82」など6本の"女シリーズ"が集められ、"怪奇版増村保造"ともいうべきキム・ギヨン・ワールドの一端を垣間見ることができた。会場には青山真治監督や篠崎誠監督などの顔も見え、上映後は大いに盛り上がった。見た後で、今見たものの"奇怪さ"を誰かと確認したくなる監督なのだ。

 写真(下)はコンペ作品「ブタがいた教室」の記者会見で、主演の妻夫木聡さん(左)と前田哲監督。
(斎藤敦子)

(4)主人公はバルセロナ 「ダルフールのために歌え」

2008/10/25

Sing_for_Darfur_main.jpg

 石坂健治氏の言葉にもあるように、現在の映画界はデジタル化の流れを無視して語ることはできない。私の記憶が正しければ、初めてカンヌ映画祭のコンペでデジタル作品のデジタル上映が行われたのは2006年のヌリ・ビルゲ・ジェイランの「クライメート」だったと思うが、今年、東京映画祭でも初めてデジタル作品のデジタル上映が行われた。それが「ハーフ・ライフ」、「プラネット・カルロス」、「ダルフールのために歌え」の3本だ。

 アジア系アメリカ人ジェニファー・ファングの「ハーフ・ライフ」は、地球温暖化と環境破壊で人類が破滅に向かう近未来を舞台に、カリフォルニア郊外に住むアジア系家族の屈折した人間模様を描いた作品で、ところどころにリチャード・リンクレイターの「ウェイ
キング・ライフ」に似たデジタル・ペインティングによるアニメーションが挿入される。設定を別にすれば、物語はどこかしらリサ・チョロデンコの「しあわせの法則」を彷彿とするし、幼い弟に不思議な力があるところはタルコフスキーの「ストーカー」っぽいが、
彼ら巨匠に比べ、映像に想像力を喚起する力がなく、非常に退屈だった。

 「プラネット・カルロス」はドキュメンタリー出身のドイツ人アンドレアス・カネンギーサーがニカラグアで撮った作品。ヒガントーナという人形劇の主役である "詩人"の役をやりたいカルロス少年が、ヒガントーナを演じるグループに奨学金が出るという噂を信じて仲間を集めるが、噂が勘違いだったと分かって窮地に陥るというストーリー。少年が自分の夢を追求するというテーマは悪くないが、それをストーリーに結び付けていく力が弱い。ドキュメンタリー的な手法でフィクションを撮るのはいいが、よほどプロットをしっかり作っておかないと作品に締まりがなくなってしまう。カネンギーサーはフィクションを甘く見すぎていたと私は思う。

 ヨハン・クレイマーの「ダルフールのために歌え」=写真=は、今回新たに見た作品の中で最もよくまとまっていた作品の1本だった。主人公はバルセロナという街と人で、チャリティ・コンサート"ダルフールのために歌え"を見にきたアメリカ人観光客がスリに遭い、コンサートのチケットを盗まれてしまうのを発端に、盗まれたチケットを手にする人々、彼らに関わりのある人々を繋いでいき、再びアメリカ人観光客に戻って終わる"輪舞"形式で描く。縦横にバルセロナの街を切り取っていく、まさにデジタルの機動力を生かした作品だった。

 それ以外で作品的にまとまっていたのは、フランスの中堅フランソワ・デュペイロンの「がんばればいいこともある」とジャン=フランソワ・リシェの「パブリック・エネミー・ナンバー1」だった。「がんばればいいこともある」は、郊外の低所得者団地に住む黒人家族のギャンブル狂の父親が急死し、窮地に陥った母親が、向かいの老人の入れ知恵で父親の死体を地下室に埋め、一家の大黒柱として頑張るうちに運が向いてくる。黄色を強調した画面作りなど、スパイク・リーの「ドゥ・ザ・ライト・シング」によく似たテイストを持っているが、ストーリーが寓話風なので、どことなく切実さに欠けるのが欠点。

 「パブリック・エネミー・ナンバー1」は、フランス史上最凶の犯罪者といわれたジャック・メスリーヌの伝記映画で、ヴァンサン・カッセルがメスリーヌを演じている。2部構成で、フランスでは現在前編が公開中だが、映画祭では前後編が合わせて上映された。メスリーヌは79年に警察の待ち伏せにあって銃殺されるが、当時の雰囲気が忠実に再現されていて、まるで70年代のギャング映画を見ているような爽快感があった。けれども、商業性の勝ったこのような作品を映画祭のコンペで上映することについては、大きな疑問を感じた。東京は2年前に「OSS117 カイロ、スパイの巣窟」をコンペに選んだおかげで大恥をかいているではないか。再び同じ過ちが繰り返されないとは限らない。ジョン・ヴォイトがジャン=ピエール・ジュネほどへそ曲がりではないと誰に断言できるだろう?

(斎藤敦子)

 

(3)コンペ部門に15作品

2008/10/23

1024.jpg  映画祭の華は、赤絨毯ならぬ緑絨毯を歩くスターたち、ではなくて、コンペティションだと私は思う。最終日、授賞式の壇上で栄誉を受ける受賞者が映画祭最大のスターであるし、その年の顔となる。ここにどんな顔が並ぶかで映画祭の価値が決まるといっても過言ではない。ナント三大陸映画祭のような地方都市の小さな映画祭が名声を得たのは、世界に先駆けて侯孝賢や蔡明亮、賈樟柯といった監督を発掘し、賞を与えてきたからであって、赤絨毯を歩いたスターが多かったからではないのだ。けれども、映画が娯楽の王様だった時代が終わり、世界の"グローバル化"や技術の著しい変化で、映画界が非常に流動的な状況になっている今、どの映画祭もコンペ部門の充実が一番頭の痛い問題になっている。

 今年の東京映画祭の顔、コンペ部門には世界各国から15作品が並んだ。そのうち、ワールド・プレミア作品は4本(うち2本が日本映画)。イエジー・スコリモフスキの「アンナと過ごした4日間」はカンヌの<監督週間>で、とセルゲイ・ドヴォルツェヴォイの「トルパンヴェネチアの<批評家週間>で紹介され、「トルパン」はある視点賞、グレゴリオは新人賞を受賞し、いわば国際的なお墨付きを持った作品。東京らしさを出すのは、それ以外の、特にプレミア作品ということになるだろう。

  日本映画以外のワールド・プレミア作品2本はいずれも中国映画だ。香港の脚本家アイヴィー・ホーの監督デビュー作「親密」と、フォン・シャオニンの「超強台風」である。「親密」は職場の上司で家庭のあるイーキン・チェンを好きになってしまったカリーナ・ラムの淡い恋心を、時間を遡りながら描いていく。ラムの恋心の淡さが脚本に伝染したのか、映画自体の輪郭が淡くなりすぎてしまったのが惜しまれる。

 「超強台風」は、巨大な台風に襲われた中国・温州の市長の活躍を描いたスペクタクル映画。気象学者の提案で台風の目の無風状態を利用して緊急救助を行うところは「252」、山肌にぶつかった台風が竜巻を起こすところは「ツイスター」、高波で壊れた壁から避難所にサメが飛び込んできて「ジョーズ」になるなど見所満載。円谷プロを彷彿とさせるミニチュアを使った、昭和の香りのする特撮など、"とんでも"系の抱腹絶倒なエンターテイメント映画ではあるのだが、なぜこれが映画祭のコンペ作品なのかがよくわからないのだ。知り合いの中国人記者は、監督が政府の受けがいい人だからだろう、と言っていたが、さて。 

 写真はコンペ部門に出品された「トルパン」の記者会見の模様。「トルパン」は、今年のカンヌ映画祭で黒沢清の「トウキョウソナタ」やスティーヴ・マクィーンの「ハンガー」といった強敵を抑えて、ある視点賞を受賞した作品。

(斎藤敦子)

(2)石坂健治ディレクターに聞く アジアの風部門

2008/10/20

tiff08_02_01.jpg 映画祭開幕前日の17日、昨年に引き続き、アジアの風部門プログラミング・ディレクター石坂健治氏にアジア映画の現状と映画祭について話を聞いた。  

-昨年、初めて<アジアの風>を担当されたわけですが、感想は?
 
 石坂「反響はすごく良かったです。それも"今後こういう映画をやって欲しい"というような、具体的な意見を数多くいただきました。ただ、評判がよい作品でも国内配給に結びつかなかったという問題点が残りましたね。アジア部門の賞はコンペより小さく、目立たないということもありますが、受賞作品ぐらいは何とか公開したいという思いはあるんです。

 ただ、今、配給会社があまり冒険しなくなっているという気配を感じますね。例えば、パン・ホーチョン監督の作品はチケットが毎年完売するし、ファンクラブみたいなコアな女性ファンがついているんですが、彼にしても、まだ1本も日本公開されていないんです。ですから、手応えを喜ぶと同時に、アジア映画がもう一つ広く知れ渡りにくいというハードルも感じました」
 
-ヴェネチアでマルコ・ミュラーにインタビューしたとき、彼も個性的な独立系の配給業者がいなくなったことを嘆いていましたから、それはアジアというより、グローバルな現象かもしれませんね。昨年から、いわば"暉峻アジア"から"石坂アジア"へ、ちょっと緯度が西寄りに変わったわけですが、その点の反応はどうでしたか?
 
 石坂「東アジア映画のファンは数多いし、彼らは何本でも上映して欲しいという人達ですからね。でも、昨年はサブ・イベントとして韓国映画や香港映画の特集もありましたし。ブログなんかでは不満が書き込まれたりしていたようですが(笑)、気にすればキリがないですから。でも、劇場へ行って観客の顔を見れば、西寄りのファンが増えたなという反応をビシビシ感じました。ただ、西寄りとは言うけど、パノラマの作品も数的に東西釣り合っているし、レトロスペクティヴもパレスチナのラシード・マシャラーウィと韓国のキム・ギヨンで釣り合っているし、結構釣り合いがとれているんですよ」 
 

-今年のラインナップはどうですか?

 石坂「今年は姜文やアン・ホイ、ヤスミン・アハマドといった巨匠の作品もあるんですが、むしろ、若手や、評価の定まっていない新人の作品を自分で発見するという形にシフトしているかもしれません」 

 -7月に亡くなったユセフ・シャヒーンの追悼上映作品に「カイロ中央駅」を選んだ理由は? というのは、ヴェネチアでも同じ作品だったので。 

 石坂「この作品は去年のアラブ映画祭で上映したものなので、字幕がついていて出しやすかったのと、個人的にシャヒーンはやはり50年代が一番いいと思っているからです。それに、今回の反応がよければ、レトロスペクティヴをやりたい気持ちがあるんです。今年、キム・ギヨン監督のレトロスペクティヴが出来たのも、去年の「高麗葬」の反響がすごかったからなんです。マシャラーウィの方は、古巣の国際交流基金の映画祭で「Waiting」を上映した際に監督と出会い、そのときにビデオで作品を見せてもらいました。パレスチナというと政治的な問題もあるし、敷居が高いように感じるかもしれないけど、どれも映画的にすごく面白かった。今回、「ライラの誕生日」という新作が出来るタイミングと映画祭がぴったり合ったので、この機会に彼の作品を全部やろう、ということになりました」 

-2年目を迎えて、今後の展望が見えてきた?

 石坂「今年は初動が早くできたので、いろいろな映画祭や現地調査へ行くことができました。ドバイ、テヘラン、デリー、香港、台北、ソウルと、大映画祭ではないが、現地の映画の顔が見えるようなところです。おかげでニューウェーヴというか、新しい映画の動きが出かかっている地域が幾つか見えてきて、地域の特集を含めて3年分くらいの青写真が頭に入った気がします。例えば、前回の地域の特集はマレーシアでした。2006年に暉峻君と一緒にやったときで、ヤスミン・モハマドなどを紹介しました。あの反響は大きく、その後つながりが出来て、ヤスミンの今回の新作はチケットがすぐに売り切れてしまったほどです。そういうつながりが大切だと思うんです。具体的に言えば、台湾、トルコ、シンガポールあたりで新しい芽が出だしていて、今後継続して見て行きたいと思っています。

 また、デジタルが新しい動きを生み出している点も注目です。今年は6本ほどデジタル作品が入っていますが、質が高まっています。マレーシアなどはマイノリティがデジタルの簡便さを利用してマイノリティの問題を作品にして成果をあげています。多民族国家のマイノリティの動きは注目ですね。これからの<アジアの風>は、アジアという広い地域をカバーしつつ、各地を定点観測し、そこで起こっている新しい動きは絶えず視野に入れ、その成果を毎年獲り入れるのがパノラマ、その動きが一つの流れになってきたら特集として引き上げる、という風にしたいと思っています」

 -アジアは広いから大変ですね。 

 石坂「でも好きなんですよ(笑)。それから、西洋的な視点でない、アジア映画史の発掘も考えています。アジア各地に知られざる巨匠がいるんです。戦前の上海や50年代のマレー半島、大映の永田雅一と香港とのつながりとか。そうそう、もう1つ、ぜひやりたいと思っているのは、サブテキスト的なカタログを作ることなんです。現状では人手もないし、難しいんですが、いつかはやりたいと思っています」 
-石坂さんの博覧強記と実行力に大いに期待しています。

(斎藤敦子)

(1)メッセージは環境

2008/10/19

 18日から第21回東京国際映画祭(以下、TIFFと表記)が開幕した。今年は映画祭の総責任者であるチェアマンが、角川グループの角川歴彦氏からエイベックス元会長の依田巽氏に交替。新チェアマンの発案で環境問題というメッセージを掲げ、レッドカーペットを、ペットボトルをリサイクルしたグリーンカーペットに替えたり、クリーン・エネルギーを上映に活用したり、新たにエコロジーをテーマにした作品にアース・グランプリという賞を新設したり、という新機軸を打ち出した。

 カンヌ、ヴェネチア、ベルリンに比肩し、4大映画祭の一角を担うという大きな目標を掲げたTIFFだが、問題点の多い映画祭であることは昨年のレポートでも触れた通り。そのさまざまな問題を解決する方法がエコロジーの中にあるのかどうか。新たに映画祭に取り組もうとする新チェアマンが初めて打ち出したこのメッセージに、ちょっと肩透かしを喰った気になったのは私だけではないだろう。

 とはいえ、映画配給の"グローバル化"が進み、個性の強い、新進気鋭の配給業者が少なくなった昨今、TIFFは商業ベースではなかなか目に触れることのない、世界の映画を知る貴重な機会であることは確か。今年もまた、TIFFで上映される映画を通して、東京および日本の映画界の現状を考えていきたい。(斎藤敦子)

1