シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(7完)日本映画の新たなマーケットが必要/ユニジャパン 西村隆事務局長に聞く

2012/11/05

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 ここ数年、東京映画祭の前に、出品される映画と世界の映画界の状況について、二人のプログラミング・ディレクターに、お話をうかがってきました。今年は、日本映画を世界に発信する役割を担うユニジャパンの事務局長西村隆氏に、もう少し広い視野で、世界の中の日本映画について、お話をうかがいました。

-ユニジャパンはカンヌやベルリンなどの映画祭にブースを設けて、海外に向けて振興している団体ですが、どこまで仕事の視野に入っているんでしょうか。
西村 ユニジャパンの仕事には3段階あります。最初はまず海外の映画祭に働きかけて、海外の映画人やジャーナリストに日本映画を知ってもらい、認知を高めること。たとえば、海外の映画祭に出品する映画を支援する、これは文化庁に委託されてユニジャパンがやっている仕事ですが、映画祭に参加する映画人の渡航費とか、字幕の支援とかです。

-映画祭への出品支援というのは、金額的にはどのくらい?
西村 基本は実費の半額です。上限があって、渡航費は4人までで上限が全部で40万円。当然エコノミーしか出ませんね。1件あたりの金額はそれほど大きくはありません。字幕支援も1件70万が上限ですから。カンヌ、ベルリン、ヴェネチアのコンペ部門に出品する場合は上限300万円なんです。ああいう大きな映画祭だと、通訳とかプレスアタッシェも全部雇わなければいけない。映画祭が出してくれるのは監督と俳優の3泊分の宿泊費程度で、渡航費も出ないので、出品すると全部で1千万とか2千万とか、費用がかかってしまうわけです。コンペだと広告やらパーティやらがありますから。それで高めに設定してあります。それが第1段階。第2段階が、映画祭に留まらず、海外の一般の観客に日本映画を見せる仕事です。

-海外配給支援?
西村 そうです。映画祭にブース出店をして、映画会社のセールスの人に使ってもらって、がんばって日本映画を売り込んでもらう、そういうことです。第3段階は、映画を作る前に外国からお金を引っ張ってこよう、ということで、共同製作の支援という仕事。これを去年から始めたわけです。これも文化庁の仕事を委託でうちがやっているということで、お金は文化庁から出ているわけですが。

-具体的には?
西村 去年は5本支援しました。うち2本がアニメーション、3本が実写で、そのうちの1本がアッバス・キアロスタミ監督の『ライク・サムワン・イン・ラブ』です。初年度でカンヌのコンペに出られたので、まあまあよかったかなと。

-海外に日本映画を知らせるという面では、映画祭にブースを出す以外に、どんなことをやっているんですか?
西村 基本的にインフラとしては情報提供です。今、ウェブサイトで日本映画のデータベースを作って、ネット上で見ることが出来る。そこに作品の概要、監督のプロフィールといった情報に予告編もついていて、興味がある人はそこに載っている連絡先にどうぞ、みたいな。段階で言うと、その3ステップなんですが、具体的にやってることは、まず情報の交流を活発にすること、情報発信ですね。それから物の交流、それは製作支援のようなこと。それから人の交流、TIFFやTIFFCOMや、海外のマーケットに日本の映画会社に参加してもらったり、そこでレセプションをやったりとか。情報と物と人の交流ですね。

-東京映画祭の場合、最初は華々しかったけれど、最近は予算が少なくなって海外から来るジャーナリストも激減しています。映画祭というのは記事が出て初めて外に知られるわけなので、情報発信力という意味ではプサンなど他の映画祭に比べて、大きく落ちている気がするんですが。
西村 ヴァラエティなどの業界紙の記者は今も来ているし、招待してもいるんですが、確かにジャーナリストの数は減りましたね。ただ、東京映画祭というのは、今でも世界の映画を日本に紹介しようという目的が強く、世界の人が東京に来て新しい映画を発見しようという目的はそれほど強くない。プサン映画祭だと、新しいアジア映画の発信が映画祭全体のテーマで、そのテーマに従ってすべてのプログラムが作られている。もちろん上映される作品はアジア映画だけじゃないが、企画マーケットも対象はアジア映画だし、アジアのフィルムコミッションの会合なんかもあそこでやるというように。その辺のキャラクター作りを比べると、東京映画祭はやや広いというか、焦点が定まってないというか、そういうきらいはありますね。

-東京もそろそろ立ち位置を決めた方がいいですね。プサン映画祭の方が後発なのに、すっかり追い抜かれてしまいました。
西村 プサンは世界的に見ても短期間であれだけ成功した映画祭は他にはないんです。プサンよりちょっと前に出来たロッテルダムやサンダンスも成功例だと思うけど、あそこはインディペンデント映画をテーマに作った映画祭ですから。

-毎年、東京映画祭に行くたびに、コンペの意義がどのくらいあるんだろうとか、日本映画をどんな風に世界に知らせようとしているのかとか考えてしまう。日本の映画産業は映画の未来について何にも考えてないのではないか。ただ目の前にある、売れる映画を作っているだけではないか、という気がします。日本の場合、映画が経産省と文科省に管轄が別れていることも問題なんですが、映画自体がなくなるかもしれないという話が出て来る時代に、いったい何をやっているのかという危機感を私は毎年感じるんですが。
西村 日本映画の国際化というのがユニジャパンの業務なわけだけど、日本映画の場合は、これまで国際化がそれほど必要とされてなかったんです。国内のマーケットがでかいから国内で完結できた。国際化は、その余りでやればいい程度の位置づけで、海外の映画祭へ出品することも、海外で商売することより、国内のプロモーションのために使われてきました。『おくりびと』がアカデミー外国語映画賞を獲って興行収入が倍になったりした、その効果です。日本の映画産業は国内のマーケットに立脚しているから、そこの構造を変えるのは無理なんです。ただ、この先、国内のマーケットだけに立脚していて大丈夫かというと、そうではない。映画の興収でいうと、この20年くらいずっと2000億円程度で続いていて、それ以上は行かない。たまたま2年前に『アバター』のヒットで2200億円になって喜んだけれど、去年1700億まで落ちて、今年はちょっと上がるだろうけど、2000億の壁は越えられないだろうという。そんな飽和状態なんです。シネコン化で映画館のスクリーン数は増えたけど、観客数は全然増えてないし、これから先、日本は人口がどんどん減っていくわけだから、新しいマーケットを見つけないと発展できない。新しいマーケットとは、やはり外国なわけで、それは今、映画をやっている人の誰もが考えていることだとは思う。ただ、まだそこまで行く蓄積がない。

-例えば?
西村 日本映画を売りに行く専門家がどれだけいるか。メジャーな会社の中には何人かいますが、それを日本映画全体で共有できているわけではない。海外セールスのノウハウもそうだし、ましてや共同製作となると、もっと経験者がいない。ジャーナリストだって、日本人として海外で発信できる人が何人いるかと考えると、いないわけです。映画専門の弁護士もいないし、そもそも、そういう人材を育ててこなかった。というか、必要としなかったから人材を育てるためのお金もかけてなかったんだけど、それも含めた全体を変えていかないと無理だと思うんです。よく"日本にはプロデューサーがいない"と言うけれど、プロデューサー個人ではどうしようもない問題がある。海外と共同製作をやろうというときに、外国人とやりとりできるプロデューサーが何人いるか。あれだけ頑張った一瀬隆重氏だって、会社が倒産しちゃうわけだから(注)。

-プロデューサーには倒産がつきものですから。
西村 映画産業では珍しくないし、また上がってくればいいだけの話ですが。

-では、人材育成もユニジャパンの仕事の1つになるわけですか?
西村 映画祭で来日する人と交流する場を設けたり、日本の映画人を映画祭に派遣して、コミュニケーションをとってもらって場になれてもらう。同時に、データベースで日本映画の情報を発信する。日本映画の情報で英語になったものが本当に少ないので。

-言葉の壁が大きいってことですね。でも、それは韓国も同じでは?
西村 韓国や香港はその国のマーケットが小さいから、外に出ざるを得ないんです。中国もそうだけど、あれだけ規制が厳しいと自分たちの撮りたいものは国内では撮れない。だから外国のお金を引っ張ってくるわけで、日本人と迫力が違う。

-日本はある意味恵まれている?
西村 中で安住できる。安住というと言葉がきついですが。

-国内のマーケットがあるから、映画を撮って自分の周りの人たちに見せて、ある程度ペイできるという計算が出来ないわけではない。
西村 外国へ行かなきゃいけないという、尻に火が付いてない。それに、僕らの時代はまだ、欧米に対するあこがれがあったけど、今はないですね。アメリカが凄いとは思わないとか、日本の方がいいと言う。映画や音楽も日本の方が面白いと言う人が多いです。

-作品の質はともかく、興行でも日本映画の方がずっと成績がいいですし。
西村 マーケットのシェアでいうと、日本映画は50%超えているわけで、世界的に見ても驚異的な数字なんです。アメリカとインドは別格として、それ以外では日本と韓国とフランスが自国の映画のマーケットシェアが高い国ですが、フランスなど、あれだけ自国の文化を大事にしていて、やっと40%くらい。日本は何もしてないのに60%近く行くわけです。

-それは今の若い人たちが自分の身の回りにしか関心を持っていないことの現れ?
西村 実は自国の映画のシェアが上がっているのは世界的な現象なんです。ドイツなど、昔はドイツ映画のシェアが10%くらいしかなかったのに、今はそこそこ上がってきている。それは映画だけの現象ではなく、いろんなものが内向きになっているのは確かです。

-ナショナリズムでしょうか?
西村 プチ・ナショナリズム(笑)。

-そういう内向きな人たちに刺激を与えるのでなく、自発的に外に向かおうという人に場を提供するのがユニジャパンの仕事なのだから、考えてみると難しいですね。
西村 難しいです。でも出て行く可能性は絶対にあると思っています。出て行かなきゃいけないということではなく。宮崎駿や黒沢清だけでなく、『踊る大捜査線』のような作品にも外に出て行く可能性はあるし、それを広げるお手伝いをしましょう、というのが僕らの仕事なんです。
                (10月17日、新川のユニジャパン事務局にて)

 写真はカンヌ映画祭の日本ブースです。

(注)清水崇の『呪怨』をハリウッドでリメイクした『THE JUON呪怨』などで知られるプロデューサー。今年7月に代表取締役を務める(株)オズの法的整理が決定した。

 
(齋藤敦子)

(6)家族通してパレスチナ問題に迫る/グランプリにレヴィ監督の『もうひとりの息子』

2012/11/04

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 10月28日の午後、授賞式が行われ、ロレーヌ・レヴィ監督の『もうひとりの息子』に東京サクラ・グランプリが授与され、第25回東京国際映画祭が終了しました。ちなみに女性監督のグランプリ受賞は初めてです。

 『もうひとりの息子』は、イスラエルに住むフランス系ユダヤ人の女医が、自分の息子が出生時にパレスチナ人の赤ん坊と取り違えられていたと知り、本当の我が子に会いに、壁で厳重に囲まれたヨルダン川西岸のパレスチナ自治区に出かけて行くが...、というストーリー。解決の見えないパレスチナ問題を、家族という社会を構成する最小単位を使って身近な問題としてとらえた、頭のよい映画でした。ロレーヌ・レヴィはユダヤ系フランス人で、パリで舞台演出家として活躍、2004年に監督デビューし、本作が4本目の監督作。グランプリと同時に監督賞も受賞されました。
 写真は東京サクラ・グランプリと監督賞をW受賞したロレーヌ・レヴィ監督(右)と主演のジュール・シトリュクさん。

 審査員特別賞と男優賞を受賞したのは韓国のカン・イグァン監督の『未熟な犯罪者』。主人公は、親に捨てられ、病気の祖父の看病をしながら育った16才の少年(ソ・ヨンジュ)。保護観察中に不良仲間と窃盗事件を起こして少年院送りになり、祖父が病死してしまうが、教官が行方不明だった母親を捜し出してきて、長い間離ればなれだった母子が同居を始め...、というストーリー。幼い頃から大人にならざるを得なかった少年と、何をやってもうまく行かない、子供っぽい母親の危うい親子関係を、センチメンタルに流されずに、真摯に見つめた作品でした。

 芸術貢献賞はインドの『テセウスの船』の撮影監督パンカジ・クマールに。『テセウスの船』とはギリシャ神話に登場するパラドックスで、ある物体が徐々に別のものと入れ替えられていったら、できあがった物体は最初の物体と同じと言えるか、というもの。映画は3つのエピソードから成り、角膜移植を受ける視覚障害を持つ女性写真家、肝臓移植を受ける宗教団体の指導者、腎臓移植を受ける投資家の青年のそれぞれが、移植によって長い間信じてきた自分の信条やアイデンティティとの対決を迫られるという、とても面白い作品でした。

 今年の映画祭最大の意欲作で、私が最も好きだった松江哲明監督の『フラッシュバックメモリーズ3D』は残念ながら本賞は逸したものの、観客賞を受賞しました。映画は、追突事故によって脳に損傷を受け、記憶を失ったディジュリドゥ奏者のGOMA(ディジュリドゥとはオーストラリアの先住民アボリジニに伝わる管楽器)が、リハビリによって徐々に記憶を取り戻していく過程を、3Dで撮影したスタジオライブの背後に、過去の記憶を"フラッシュバック"(脳内に関連のない記憶が突然蘇る症状)として重ねて描くことで表現したもの。ジェームズ・キャメロンの『アバター』が大ヒットして以来、3Dがスペクタクル映画を中心に大流行しています。松江監督の『フラッシュバックメモリーズ3D』は、そんな流行とは一線を画し、3D撮影によって得られる映像の深度を時間軸として捉えたところがまったく新しく、3D(立体)に時間の
Dimentionを加えた4D映画といってもいい、不思議な映像体験をさせてくれる作品でした。

 審査員長のロジャー・コーマンには、京都大会でガリン・ヌグロホを発見したような、斬新な審査を期待していたのですが、結果を見ると、誰からも文句のつけようのない作品が順当に選ばれたように感じました。ちなみに、滝田洋二郎監督によれば、中国映画『風水』も最終審査には残っていたとのことですが、受賞には至りませんでした。これもまた、外交問題の軋轢を避けるためにも、順当な判断だったと思います。



【受賞結果】

●コンペティション部門

東京サクラ・グランプリ:『もうひとりの息子』監督ロレーヌ・レヴィ(フランス)

最優秀監督賞:ロレーヌ・レヴィ

審査員特別賞:『未熟な犯罪者』監督カン・イグァン(韓国)

最優秀男優賞:ソ・ヨンジュ『未熟な犯罪者』

最優秀女優賞:ネスリハン・アタギュル『天と地の間のどこか』(トルコ)

最優秀芸術貢献賞:パンカジ・クマール(撮影監督)『テセウスの船』(インド)

観客賞:『フラッシュバックメモリーズ3D』監督松江哲明(日本)


●アジアの風部門

最優秀アジア映画賞:『沈黙の夜』監督レイス・チェリッキ(トルコ)

●日本映画ある視点部門

作品賞:『タリウム少女の毒殺日記』監督土屋豊

●Natural TIFF部門

TOYOTA Earth Grand Prix:『聖者からの食事』監督ヴァレリー・ベルトー、フィリップ・ウィチュス(ベルギー)

審査員特別賞:『ゴミ地球の代償』監督キャンディダ・ブラディ(イギリス)
【写真】
TOYOTA Earth Granx Prix聖者からの食事』のフィリップ・ウィチェス監督(左)と、『ゴミ地球の代償』のアソシエイト・プロデューサー、タビサ・トラウトンさん。
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日本映画ある視点作品賞の土屋豊監督。上映会場で観客に挙手をしてもらい、作品名を『タリウム少女の毒殺日記』に変更したという経過を語る。
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アジアの風部門、最優秀アジア映画賞のレイス・チェリッキ監督
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観客賞の松江哲明監督
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審査員特別賞のカン・イグァン監督
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パンカジ・クマール撮影監督の代理で芸術貢献賞を受けた女優アイーダ・エル・カーシフさん。
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男優賞のソ・ヨンジュさんと女優賞のネスリハン・アタギュルさん。
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(齋藤敦子)

(5)映画に演技は不要/『ある学生』のダルジャン・オミルバエフ監督に聞く

2012/11/04

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 ダルジャン・オミルバエフ監督と初めて会ったのは1992年のナント三大陸映画祭でした。初の長編『カイラット』がロカルノ映画祭で銀豹賞を受賞したばかりで、おりしもカザフスタンのニューウェーヴに大きな注目が集まっていた時期でした。その後、95年に2作目の『カルディオグラム』が上映されたヴェネチアで再会し、直後の東京映画祭の<アジア秀作映画週間>に同作が選ばれて初来日。その後、2001年にNHKアジア・フィルム・フェスティバルで『ザ・ロード』が上映されたときにも来日しているので、今回が3度目の来日です。

 <アジアの風>部門で上映された『ある学生』は、ドストエフスキーの<罪と罰>を下敷きに、資本主義が流入した現在のカザフスタンで、お金のために人を殺してしまう学生を描いたもの。主人公の学生を初め、登場人物およびスタッフにオミルバエフ監督が教鞭をとる映画講座の学生が多く参加しています。

-『ザ・ロード』まではオリジナルな題材だったのに、その後、『シューガ』はトルストイの<アンナ・カレーニナ>、今回の『ある学生』はドストエフスキーの<罪と罰>と、ロシア文学の映画化が続いていますが、何か心境の変化があったんですか?

オミルバエフ 自分の想像力が尽きてしまったので、他の作品を参考に使おうと思ったんですよ(笑)。それに、たぶんネットで見られると思いますが、韓国の映画祭の依頼で撮った短編も、原作がチェーホフです。

-全州映画祭のデジタルプロジェクト"三人三色"で撮った『愛について』ですね。
今回の『ある学生』はご自分の学生を使って撮っていますが、今の学生は、あなたが学生だった頃と違っていますか?
オミルバエフ 私の大学の専門はもともと映画ではなくて数学だったんですよ。。

-でも、モスクワで映画の勉強をしませんでしたっけ?

オミルバエフ 確かに。ただ、学生といっても一般の人と同じで、いろいろいますから。それに私がモスクワで勉強していたときは、映画を撮るために自分の内面を分析するようにしていたので、単純に比べるのは難しいですね。

-あなたが学生だった頃は、フィルムで映画を撮っていたと思いますが、今では日本でもデジタル化が進んでいます。カザフスタンではいかがですか?
オミルバエフ 私の若い頃は携帯電話もありませんでしたからね(笑)。やはり、カザフでもデジタル化は進行しています。今回の『ある学生』もデジタルで撮りました。フィルムを使わないことで失われたものもありますが、プラスもあります。フィルムは高価なので常に使ったフィルムの値段を考えながら撮らなければなりませんが、デジタルは考えなくて済むので、その辺は大変楽です。

-『カイラット』の頃はカザフのニューウェーヴに世界から注目が集まった時期でしたが、2001年に来日されたときのインタビューを読んだら、ソ連の崩壊以降、文化予算が減って製作本数が激減したと話していらっしゃいました。その後、デジタル化で状況は変化しましたか?

オミルバエフ 以前は映画を製作するのは国でした。フィルムは高いので、個人や私営の企業が映画を製作することは出来なかったんです。が、デジタル化によって国営だけでなく私営の会社も映画を製作できるようになりました。ただ、国は今でも映画の撮影に補助金を出してくれています。年間でいえば国営で5、6本、民間で3、4本の映画が製作されています。ただ、製作本数は増えたものの、上映の面では悪くなっています。以前はソ連の映画を初め、日本映画なども映画館で沢山上映されていたんですが、最近は99%がハリウッド映画と言っても過言ではないくらい、ほとんどがハリウッド映画なんです。

-『ザ・ロード』以降、映画を撮る間隔が空いているので、私的な理由の他に、映画を撮れない事情があったのかなと思いまして。

オミルバエフ いや、だいたい3、4年に1本は撮っていますよ(笑)。ただ、大学で教えるようになったので、それに時間をとられるようにはなりました。

-あなたの映画はミニマルな手法なので、フランスではブレッソンに比較されることが多いようです。ミニマルだからブレッソンというのは安易な比較だとは思いますが、今度の『ある学生』は特に『ラルジャン』に似ているように思いました。ブレッソンを意識していらっしゃいますか?

オミルバエフ ブレッソンは私が一番好きな映画監督です。私が子供の頃、学校で一番好きな科目は図画で、絵を描くことは好きだったんですが、演技とか芝居については今でもほとんど関心がなく、芝居を見に行ったことも2、3回しかないくらいです。田舎育ちだから演劇に縁がなかったとも言えますが。ブレッソンの映像の見せ方や音の使い方は私の映画に近いものがあります。私の映画も演技ではなく、映像の見せ方を重視していますから。たとえば、すばらしい芝居を映像に撮って観客に見せたら、観客は感動するかもしれないが、それは映画を見た感動ではなく、俳優がいい芝居をしていることへの感動です。芝居を映画に撮ることによって、どこででも上映して見せることができるようにはなっても、その場合、映画は単なる芝居の媒体にすぎません。ブレッソンはそうではなく、映画そのものの表現を考えた人なんです。たとえば顕微鏡で細菌を観察するなら、顕微鏡本来の役割を100%果たしていますが、顕微鏡で釘を打ったとしたら、本来の役割の1%くらいしか果たしてないことになるでしょう?
有名な映画監督の作品でも、芝居や音楽が何十%かの割合を占めてしまい、その分、映画の役割が少なくなっているものがありますが、ブレッソンの作品は映画の役割を100%果たしていると言えるのです。

 映画とは何かといえば、写真に動きをつけたものです。まずは写真の発明があり、その後70年間くらい写真は動かず、それから写真を動かす技術が発明されました。1枚の写真からは芝居や筋は見えません。映画が"動く写真"である以上、映画に演技を求めるのはおかしいし、必要ではないと思います。演技は演劇というまったく違う芸術の分野に属しています。芝居を撮った映画を見るのは気持ちがいいし、感動するけれど、それは芝居を見た感動であって、映画を見た感動ではない。映像は映像だけの感動であるべきで、いろんな料理をごちゃまぜにしすぎない方がいいのと同じです。ブレッソンが<キネマトグラフについて>という素晴らしい本を書いています。日本語にも翻訳されているんじゃないですか(<シネマトグラフ覚書>筑摩書房刊)。

-『ある学生』の主人公はアルマトイの郊外に住んでいるという設定ですが、郊外にしては車の騒音が凄いですね。あの音は意図的なものなんですか?

オミルバエフ 最近は郊外でも車の渋滞がひどくて問題になっているくらいです(笑)。去年ようやく地下鉄が出来たんですが。映画に登場する学生の家も、詩人の家も、百年以上前に建てられた非常に古い建物です。もちろん効果を出すために意図的に車を走らせたわけではなく、実際に交通量が多いんですが、結果的に、交通量の増加といった文明の進化に、建物や通りなどの環境が追いついていないことの象徴になったかもしれません。

-ドストエフスキーの原作はとても暗い話ですが、『ある学生』は明るいというか、ユーモアのようなものが漂っていました。去年、お母様と奥様を亡くされたと聞いたので、暗い映画を想像していたんですが。

オミルバエフ 母と妻が亡くなったのは撮影の後で、本当に突然のことでした。妻は『ある学生』のプロデューサーで、映画の最後に"この映画を妻に捧げる"というクレジットを入れました。

-次回作は、またロシア文学の映画化になるんでしょうか?
オミルバエフ アイデア次第ですね。今の段階では、まだ特に撮りたいものはありません。アイデアが出て来たら、そのときに考えます。ただ、正直、映画を撮ろうという意欲がだんだんなくなってきているんです。私が撮るような映画は、映画祭には呼んでもらえても、なかなか映画館で上映してもらえないし。最近では映画そのものに終わりが来ていると思うようになりました。オペラやバレエもだんだん新作が少なくなっています。それと同じように、映画という芸術も終わろうとしてる。昨年プサン映画祭が巨大なシネマセンターをオープンしましたが、ちょっと遅きに失したんじゃないでしょうか(笑)
               (10月27日、六本木ヒルズの映画祭事務局にて)

 写真は、お嬢さんのアリューシャさんとオミルバエフ監督。

(齋藤敦子)

(4)地域を超えた映画作りも/アジアの風、石坂健治プログラミング・ディレクターに聞く

2012/10/29

20121029.jpg-今年はヴェネチア映画祭でキム・ギドクが韓国映画初の金獅子賞を獲り、韓国映画が奮闘した年でしたが、石坂さんは今年のアジアの映画地図をどのように感じましたか?

 石坂 韓国はかなり目立った動きがありましたね。映画祭での評判もそうですが、プサン映画祭の規模などには凄いものがあります。あそこのアジア映画のセクションは<アジアの窓>と言うんですが、4倍くらいの本数を上映しています。我が<アジアの風>は、量では負けても、ちゃんと1本ずつ丁寧に扱おうとしています。配給面でも、日本にはまだミニシアター文化がありますが、韓国にはないんです。たとえばエドワード・ヤン作品でも映画祭では紹介するが、それっきりなんです。最近痛感しているのは、80年代以降の日本のミニシアター文化はアジアでは独特の現象だったということですね。

-日本でも今ではシネコン化が進行し、渋谷のシネセゾン渋谷が2月に閉館し、シアターN渋谷も12月についに閉館という状況ですが。

 石坂 ただ、中国を含め、アジアではアート系の映画監督が自分の作品を自国で発表できる場がまだまだ少ないんです。日本では、その受け皿というか、映画祭で花火のように打ち上げるだけとは違う紹介ができるのではないかと思っています。それで、韓国映画ですが、今年一番選ぶのに苦労したのが韓国なんです。ものすごい数の作品が既に日本配給が決まっている。<アジアの風>は配給なしの作品のショーケースと考えているので、いいなと思ったものが全部決まっていて、それはいいことなんですが。

-以前、韓国映画は日本での興行がうまく行かなくなっていたようですが、盛り返したんですか?

 石坂 今年のカンヌで日本のバイヤーがいっぱい動いていたという話は聞いていたけど、確かに相当買っていますね。後はDVDスルーではなく、きちっと公開されることを願うばかりですが、そういうものを含めて、非常に元気になったというか、なってきているのではないでしょうか。

-中国は?

 石坂 本数からいったらものすごい伸びです。年々100本くらい右肩上がりで増えていて、どんな切り口で選ぶべきか難しくなっています。インディーズの作家も最近は、ちゃんと製作許可をとる人たちもいるし、相変わらず許可なしで撮ってヨーロッパでお披露目という人たちもいる。

-今年はヴェネチアのオリゾンティ部門で王兵の受賞があったとはいえ、中国映画はあまり振るわなかったように思います。メジャー系の作家と王兵のようなインディーズ系の作家の間にギャップが出来ていて、昔の張芸某や陳凱歌のような、規模も大きくクオリティもある作品がなくなり、インディーズ系の作品だとカンヌのような大きな映画祭のコンペにはちょっと物足りない、というような。

 石坂 大柄な作品で、中身はないが香港の映画スターがいっぱい出ているとか、あるいは韓国まで巻き込んだ共同製作とか、スケールの大きな作品は、本土とか韓国とかという地域を越えた作り方になっています。例えば玉木宏がチョウ・ユンファと共演している三国志の時代の映画『銅雀台』とか。韓国のホ・ジノがシャン・ツィイーやセシリア・チャンなど、中・韓・香港のスターを集めて作っている『危険な関係』のリメイクとか。あの作品も決して成功しているとは思わないですが、ああいうでっかいものを仕掛けるプロデューサーが両国にいるわけで、質はともかくその動きは加速していますね。韓国、中国は国策で映画をプロモーションしている国の代表です。

-台湾は?

 石坂 商業的にきちっとペイできるようになってきています。あそこも元気は元気だけど、娯楽映画ばかりになって、逆に"いかがなものか"というような意見が評論家の側から出て来ている。しかし、この好調をもうちょっと維持していけば、またとんがった人たちも撮れるようになっていくのではないかと期待はしているんです。

-政治的に揺れている中東の方はいかがですか?

 石坂 応募作の中にはアラブの春の後を描いた作品がぼちぼち入っていました。それはそれで、レポートとしては興味深く、その辺を見たい人もいるとは思うんですが、作品の表現としてはもう少し時間がかかるという感じです。イランもまだまだわかりませんし。中東の映画は今年はスパッと減ったんですが、来年なんとかアラブの春以降の作品を紹介できたらなと思います。

-周辺があれだけワサワサしていると落ち着いて映画を撮っていられないですからね。
今年はインドネシアの特集がありますが。

 石坂 今年は25回目なので、ゆかりのある人たちに久々に登場してもらいます。たとえばガリン・ヌグロホ、それからアソカ・ハンダガマというスリランカの監督、カザフのダルジャン・オミルバエフ、香港のパン・ホーチョンなど。インドネシアは、スハルト独裁が終わった後、風通しがよくなり、スハルト時代は年間製作本数がゼロとか1本のときもあったのに、このところ年間100本まで盛り返して来たので。

-スハルト政権は映画産業を振興しなかったんですか?

 石坂 検閲が厳しかったので、国内の作家は窮屈だったんですね。ただ映画館のチェーンを一族で独占していたので、外国映画は沢山輸入されていました。インドネシアも映画の王国ではあるんで、今はまた娯楽映画もアート系もホラー映画も、かなりバラエティに富んできています。それで現在進行形のレポートをしたいなと思いまして。

-特に3人の監督を選ばれていますが。

 石坂 <インドネシア・エクスプレス>でアート系のインドネシア映画を、<ディスカバー亜州電影>でホラーというジャンルのカンボジア映画を、ということを考えました。ヌグロホは今ではもうお馴染みの監督ですが、彼が最初にTIFFでヤングシネマ・ゴールド賞をとったのが『天使への手紙』という作品で、これは94年の京都大会だったんです。あのときの本命は『多桑/父さん』というホウ・シャオシェンの仲間だったウー・ニェンツェンの作品で、あそこに行くと思ったら審査員長がロジャー・コーマンで、ヌグロホをえらく気に入って彼に賞をあげたので、皆がびっくりしたんです。彼はあそこからインドネシアで認められるようになった。今年コーマンと再会を果たすことになるのが個人的にも楽しみです。ヌグロホは今年2本撮っていて、『目隠し』は、原理主義集団に誘拐された少女を描いて、国内で物議をかもした作品だし、『スギヤ』はほとんどデヴィッド・リーンみたいな、神父さんの伝記映画です。

 リリ・リザはジャカルタ芸大でヌグロホの生徒だった人です。<アジアの風>で上映する彼の2本はインドネシアの木下恵介で、特にこの『虹の兵士たち』というのはほとんど『二十四の瞳』といっていい。離れ小島で、若い女性教師と貧しい子供たちが交流する話で、インドネシア映画史上ナンバーワンのヒット作です。『夢追いかけて』はその続編の高校生版です。そういう人なんだけど、今回コンペに出る『ティモール島アタンプア39℃』という作品は、ほとんどヌグロホ化している。師匠の方が『スギヤ』でデヴィッド・リーン化していて、この師弟関係が面白い。一番若いのがエドウィンで、78年生まれ。インドネシア映画初のシュールレアリズム作家です。オランダはインドネシアの旧宗主国なので、彼は今、オランダで勉強していて、彼だけはアムステルダムから来ます。というわけで三人三様ですね。

-それで、"伝説のホラー&ファンタ王国カンボジア"特集ですが。

 石坂 タイやインドネシアの監督に聞いても小さい頃はカンボジアのホラー映画を見ていたと言う。昔からそういう話を聞いていたんです。東南アジア一帯がホラー王国と言われています。暑いからゾッとする映画が好きという下らないものから、土着の豊かな自然信仰と後から入ってきた宗教との心理的な葛藤があり、土着の側がホラーという形を借りて出て来るという人類学的な説まで、諸説あるんですが、理由はさておき、カンボジア・ホラーは資料がほとんど残っていなかったんです。ポル・ポトの時代に映画人も粛正され、フィルムも焼かれ、『華氏451』ではないけれど...。

-"焚書坑儒"ですね。

 石坂 今は、亡命した先のフランスで生まれた若い映画監督が映画史を発掘する時代になり、ダヴィ・チュウが『ゴールデン・スランバーズ』というドキュメンタリーを撮っています。また、カナダにフィルムを抱えて逃れた老巨匠ティ・リム・クゥンがそのフィルムをやっと発表することになって、今年のベルリン映画祭でも上映されたのが『怪奇ヘビ男』です。最近リティー・パニュがプノンペンにフィルム・アーカイブを作ってFIAF(国際フィルム・アーカイブ連盟)から表彰されています。

 カンボジアでは、1960年から、ベトナム戦争終了と同時にポル・ポト派が入ってきた1975年までの15年間に400本作られたという記録があるんですが、パニュによると、ポル・ポトの焚書を逃れて残っているのが30本、上映できるものはそれよりさらに少ないということです。若いチュウ監督が作った『ゴールデン・スランバーズ』で、カンボジアの映画史発掘ドキュメンタリーを見てもらい、その中に断片で出て来る古い作品をまるごと2本上映する目玉の企画で、早くも新聞の社会面から取材の申し込みが来ていますし、映画ファンの間で話題になっていて、チケットは早くも売り切れているようです。『怪奇ヘビ男』は東南アジアの人なら誰でも知っている映画で、今回はインドネシア大使館もそうですが、カンボジア大使館の人たちがとても熱心に応援してくれています。

-今のカンボジア映画界の状況は?

 石坂 復活のきざしが出て来ています。何にもなかったところにリティー・パニュの尽力があったりで、少しずつ映画が作られるようになってきたようです。まだ見たことはないんですが、復活してもまたホラー映画を作っているらしい。

-皆が一番見たいのがホラーなのかもしれませんね。幽霊がいっぱいいそうですし。

(10月11日、東京映画祭事務局にて)

写真は、上梓されたばかりの共著<アジア映画の森――新世紀の映画地図>を手にした石坂健治氏。

(齋藤敦子)

(3)震災、福島はあえて意識せず/矢田部吉彦プログラミング・ディレクターに聞く

2012/10/27

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-矢田部さんがプログラミング・ディレクターになって6年目ですが、東京映画祭の矢田部色というのは?

 矢田部 自分からは言いにくいですが、1つ意識していることは、アートとしての映画を擁護すること。映画祭本来の役割はそこにあると思いますので、そこを踏み外さない、勘違いしないという前提を踏まえたうえで、国内の配給につながるようなセレクションをやってきました。ワールドシネマを作ったというのもそういう意図で、それが、ここ5、6年で、ある程度定着してきたのかなとは思っています。よくも悪くも『最強のふたり』が、象徴的な出来事だったかもしれません。去年、あれをコンペに入れるかどうか迷った末に入れて、結果、フランスで大ヒットして、世界中でヒットして、日本でも配給が決まってヒットしたというのは、トライしてきたことが実を結んだことの1つだったかもしれませんけど、それが矢田部色かと言われると、わかりませんね。もう1つは、やはり、なるべく新しい作品をやりたいということは常々思ってます。今年のセレクションは、1本を除いて、ほぼ2012年後半の作品です。ヴェネチア、トロントという秋のサーキットの流れで発表される作品を東京にもタイミングよく持って来たいというのを心がけつつ、その中で監督の個性がきちんと出ている作品を絞っていったという感じでしょうか。

-『最強のふたり』で言えば、あれをコンペに選ぶのは禁じ手だなと私は思いました。東京はミシェル・アザナヴィシウスの『OSS117』のときに身に染みてわかっているはずなのに、またやったのかと。カンヌも『アーティスト』で同じ失敗をしましたし、作品を選ぶ側と賞をあげる側が違うので、どうしても起こる問題だとは思うんです。ただ、映画ファンの質がどんどん変わってきているうえに、映画ファン自体もいなくなっている。だから『最強のふたり』や『アーティスト』のような商業映画が映画祭のセレクションに入ってきてしまうのも仕方がないかなとは思っているんです。矢田部さんが目指していた、いわゆる大粒化は業界の要請でもありますし、映画祭を一般に広げるための要請でもあるわけですが、ちょっと危険な綱渡りではありますね。今年のセレクションはいかがですか。小粒化した?

 矢田部 弱冠反動が来てるかもしれないですね(笑)。小粒化というか、作家主義的化というか、どちらかというと監督の個性が出ているものに、最終的にはこだわりました。それが結果的に小粒化になるかはわかりませんけど。ただ、今年も充実しています。

-映画祭のセレクションは、劇場で公開される商業映画より進んだ感じになるんですが、審査員が映画人であっても、今の映画をそんなに見ているわけではないので、少し齟齬をきたすわけです。今年の審査員長ロジャー・コーマンは?

 矢田部 非常に楽しみなのは、コーマンはB級とかジャンル映画の神様という面で語られがちですが、しっかりゴダール、トリュフォーをアメリカに配給していた人でもあるわけで、そこら辺の彼なりのバランス感覚というのが、どのように発揮されるのか楽しみです。

-日本映画は、今年は1本なんですか?

 矢田部 2本です。奥原浩志さんの『黒い四角』は、中国で撮ってはいるんですが、日本映画なので。

-日中合作?

 矢田部 合作ではなくて、日本映画です。日本映画の2本は非常にチャレンジングです。松江哲明さんの『フラッシュバックメモリーズ3D』は大傑作だと思うし、日本映画ある視点から付き合いが始まって、満を持してコンペに出て来たという、こういう作家との付き合い方というのは面白いと思うし、まだ国際的に名の知れた人ではないので、これがブレークスルーになればいいなと思っています。

-コンペティションのお薦め作品などについては、他のところでも書いていらっしゃるので。

 矢田部 そうですね。それをやり始めると全部になっちゃう。

-ワールドシネマは、私にとっては一番知っている作品が多いですね。レイガダスの『闇の後の光』が一番凄いと思ったけど。

 矢田部 これはここで見ないと、たぶん一生見られないと思います。前回彼の特集をやった縁がありますし、今年のカンヌの大問題作の1本でもあったわけで。オリヴィエ・アサイヤスの『五月の後』は、見たときに大傑作だと思ったんですが、ヴェネチアでの反応はそうでもなかったようですね。レイモン・デパルドンの『フランス日記』は、絶対にやりたかった作品です。デパルドンが日本であまり知名度が高くないので、何とかしたいなと。

-日本でもっと知られていい作家ですね。ワイズマンと並ぶくらいの人です。それで、私はnatural TIFFにちょっと言いたいことがあるんです。震災から1年たって、ちまたでは震災やフクシマを題材にした映画が結構あるのに、TIFFにはさっぱりないですね。

 矢田部 各部門に散ってます。あえてnatural TIFFで震災ものは扱わず、エコロジーを結構がっつり正面から行こうとしました。今の日本の監督で意識的な人であれば震災を意識していないわけがないわけで、それが表に出ているか潜在的に流れているかの違いであって、基本的に特集を組む必要はないと思っています。

-私は、今エコロジー問題を考えるうえで、フクシマをおいては何も考えられないと思っているんですが。

 矢田部 僕ら、natural TIFFの作品を春先からずっと捜していて、今年はここ5年の中で一番沢山の候補から絞り込んでいったんですけど、ほぼ外国映画になってしまったというのもあるんですが、フクシマを本当に意識しなかったですね。あえて入れるとか入れないとかではなく、とにかく映画として面白いものを選んでいったということではあります。

-その他、矢田部さんが関わっているセクションというと?

 矢田部 日本映画ある視点ですが、今年もまたまたかなりディープにインディペンデントという感じです。

-矢田部さんが見た日本映画の現状は?

 矢田部 やっぱり本数が多いですね。ものすごい量が作られていて、ここ数年で検討した本数が一番多かったです。ただ、作ったはいいけど、見せることを意識していない作品も多くて、ゴールを意識していない作品が多いですね。
                  (10月4日、東京国際映画祭事務局にて)


(齋藤敦子)

(2)出品、会見の中止相次ぐ/不毛な政治の介入

2012/10/25

 今年の映画祭は開催前から政治に揺れています。特に9月の尖閣諸島国有化から派生した日中関係の悪化により、中国国内で激化した反日運動の余波で、アジアの風部門に出品が予定されていた香港映画『浮城』が9月末にキャンセルになった他、TIFF特別感謝賞の受賞が決まっていたレイモンド・チョウ氏も直前で"中耳炎悪化でドクターストップにより"来日中止になりました。

 実は22日の審査員記者会見後に、コンペ部門の中国映画『風水』の記者会見が予定されていたのですが、それもキャンセルになりました。

20121025.jpg 写真は、出席予定だった撮影監督に代わって、事情を説明する東京国際映画祭の都島信成事務局長です。

 『風水』は、開幕直前の18日に中国側が北京で会見を開き、参加をとりやめると発表、監督と出演者の来日が中止になりました。映画祭側は"双方の合意がなければ出品を取りやめることはできない"という契約の条項を尊重し、予定通りコンペ作品としての上映を決定、別ルートから『風水』の撮影監督リウ・ヨウニエン氏にコンタクトし、来日が実現したのでした。が、来日したリウ氏から製作会社の意向を無視して勝手な宣伝活動はできないと申し入れがあり、結局、記者会見、舞台挨拶、Q&Aがキャンセルになった、というわけです。

 世界から大きな注目を集める映画祭は、政治の影響を受けやすい場でもあります。東京では2年前にも台湾の呼称に中国側がクレームをつけ、台湾の代表団がオープニングの出席をキャンセルするという出来事がありましたが、今回のような大きな軋轢が生じたのは、
25回目となる映画祭の歴史で初めてのことでしょう。とはいえ、映画祭とは様々な国の映画を見て、様々な国の文化を知り、友好を深める場であって、政治のプロパガンダの場ではないし、そういう目的に使われるべきではありません。

 今回の東京国際映画祭の判断は当然で、都島事務局長の"映画祭は文化交流の場であって、政治を介入させることはあってはならない"という発言に私は全面的に賛成です。真摯で温かな目で見ること、それが他国の文化を知るための初めの1歩です。映画ファンも簡単に政治に踊らされることがないよう願ってやみません。


(齋藤敦子)

(1)東京は二度目/審査員長ロジャー・コーマン氏

2012/10/23

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 第25回東京国際映画祭が10月20日夜、『シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語』の上映から開幕、22日の午後、六本木ヒルズの会場で審査員の記者会見が開かれました。

 今年の審査員は、プロデューサーで映画監督のロジャー・コーマンを長として、イタリアの映画監督エマヌエーレ・クリアレーゼ、プロデューサーのリュック・ローグ、日本から、映画監督の滝田洋二郎、美術監督の部谷京子の5人。ロジャー・コーマンは1994年に京都で開催された第回東京映画祭でヤングシネマ部門の審査員長を務めており、そのときの体験が素晴らしかったので、もしまた機会があれば東京に戻ってきたいと思っていたのことでした。

cine_tokyo2012_0102.jpg エマヌエーレ・クリアレーゼは昨年ヴェネチア映画祭のコンペで『大陸(テッラフェルマ)』で審査員特別賞を受賞していますし、映画監督のニコラス・ローグのご子息であるリュック・ローグは、昨年カンヌ映画祭のコンペに出品されたリン・ラムジーの『少年は残酷な弓を射る』を製作し、注目を集めている若手プロデューサーです。お二人は初来日で、映画でしか知らなかった日本の発見を楽しみになさっていました。

 また、滝田洋二郎監督は、2009年に『おくりびと』がアカデミー外国語映画賞を受賞したことも記憶に新しい、今の日本を代表する監督の一人で、現在最新作の『天地明察』が公開中。部谷京子さんは、周防正行監督作品や滝田洋二郎監督作品などの美術を多数手がけた他、新藤兼人監督のレトロスペクティヴなどの上映活動でも活躍されている方です。

 写真上は恒例の六本木ヒルズ入口の映画祭の飾り付け。
 写真下は審査員記者会見後に行われたフォトセッションの模様で、左からエマヌエーレ・クリアレーゼ、部谷京子、ロジャー・コーマン、滝田洋二郎、リュック・ローグの各氏です。
(齋藤敦子)
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