シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(5完)グランプリに「パーク・ビア」

2008/12/05

1205-02.jpg 早くも最終日になってしまった。
 今年のコンペだが、ジュール・ベルヌにちなんだ金の熱気球賞(グランプリ)は、メキシコの「パーク・ビア」(エンリケ・リベロ監督)が獲得、日本の「歩いても 歩いても」(是枝裕和監督)で存在感ある演技を見せた樹木希林が最優秀女優賞に輝いた。ノミネートされていた12本の地域別はアジア6本、中南米4本、アフリカ2本。フィクション、ドキュメンタリーの別ではフィクションが8本、ドキュメンタリー3本、両者の合体1本だった。グランプリの「パーク・ビア」はフィクションだが、登場人物のリアルな描写は限りなくドキュメンタリーに近く、ドキュメンタリー3作が全て受賞を果たすなど、フィクションとドキュメンタリーの境界消滅を強く感じさせた。

 閉会式は午後7時30分から、ロワール川の中州にある国際会議場、シティ・コングレで開かれ、フィリピン映画「スリングショット」(ブリヤンテ・メンドーサ監督)を上映後、受賞作が次々と発表された。
 グランプリの「パーク・ビア」は、メキシコシティーにある高級住宅を30年にわたって管理してきた初老の男ベト(ノルベルト・コリア)が、住宅が売りに出されたことで人生の分岐点に立った時の生きざまを描いたもの。
 エンリケ・リベロ監督は、彼が起き出して眠るまでを、それこそ執拗(しつよう)に描いて、今が"安住の地"であることを知らせる。そのことで、この家を出て生きるか、このまま残る方法がないかを探す彼のジレンマの深さが、じんわりと伝わって見る者の心に残る。屋敷を出る当日、彼が自分の中に隠していた本心を凶暴な形で出すシーンに、最初は衝撃を受けるが納得もさせる演出には脱帽だ。
 この作品の成功を支えたのがベト役のコリア。明るく若々しくもあったベトが、家が売りに出てから買い手が決まるまでの過程で老いていくさまは本当にリアルで圧倒された。最優秀男優賞は審査員がもろ手を挙げての決定だ。監督が当初からコリアの実生活をベースにしてベトの人物像を膨らませていった手法がまさに図に当たった格好だ。


1205-01.jpg 日本からの「歩いても 歩いても」は、日程の関係で残念ながら見ることができなかった。長男の命日に、老いた両親(原田芳雄、樹木希林)の元に顔をそろえた次男夫婦(阿部寛、夏川結衣)らの一日を淡々と描いた作品。家族ゆえに分かり合えるけれど、家族だからこそ傷付けてしまう、ほろ苦くも温かい家族がリアルに浮かび上がり、殊に樹木希林の存在感ある演技が印象的だったそうだ。是枝監督は母親の死をきっかけに両親の記憶を刻んでおこうと製作したという。
 その他の各賞は以下の通り。

      ◇準グランプリ 「稟愛(ビンアイ)」(フォン・イェン監督=中国、ドキュメンタリー)
      ◇審査員特別賞 「中国はいまだ遠い」(マルク・ベンスマール=アルジェリア、ドキュメンタリー)
      ◇最優秀男優賞 ノルベルト・コリア(「パーク・ビア」)
      ◇ナント市民賞 「南の海からの歌」(マラット・サリュリュ監督=キルギスタン)
      ◇若い観客賞 「ある中国の村の1年」(リー・ユファン監督=中国、ドキュメンタリー)

 準グランプリの「稟愛(ビンアイ)」は、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でアジアの若手作家の発掘、育成を目的とした「アジア千波万波」部門の最高賞・小川紳介賞を獲得した作品。今回は日程の関係で見られなかったが、山形映画祭で見たときに強く印象に残った作品。中国・三峡ダム建設による水没地区住民の強制移住に立ち向かう女性、稟愛を追っている。フォン・イェン監督は当初、移住をさせられる人たちの群像を描こうとしたが、撮影対象の一人だった稟愛の、土地とともに生きる姿勢に魅せられ、彼女に絞って7年にわたって撮り続けたそうだ。足の弱い夫と2人の子どもを守るために力強くもしなやかなに抵抗する彼女だが、結婚生活を語るときの少しはにかんだような笑顔が本当にまぶしかった。
 審査員特別賞の「中国はいまだ遠い」はフランスと縁が深いアルジェリアの現実を取り上げたドキュメンタリー。アルジェリアでは1954年、フランスからの独立を求めて7年戦争が始まる。62年に独立を果たすが、65年から89年まで軍の独裁政治が続く。その後、共和制をとりながらも92年、総選挙で誕生したイスラム原理主義政権が、軍のクーデターで無効となり、イスラム過激派のテロが続いている。マルク・ベンスマール監督は、独立戦争時に最初の民間犠牲者を出した村を訪れ、当時を知る住民、犠牲者となったフランス人教師のいた学校と児童たちらを通して、過去を照射する。多くの犠牲者を出して勝ち取った独立は本物なのか、深い思い入れと否定の複雑な絡み合いの中で描き出している。「問題解決の道が遠い」ことを意味するタイトル「中国はいまだ遠い」は、フランス人の観客にも大いなる問いを投げ掛けたのだろう。

 ナント市民賞の「南の海からの歌」は、中央高原が持っている特殊さを題材にしながら、血筋の違う夫婦に、互いに反対の髪を持つ子供が誕生するというコミカルな設定で、その実、重い人種問題をもテーマにしている。マラット・サリュリュ監督は中央高原を舞台にしながら、その実、ロシアだカザフだから、大きな視点でヨーロッパだアジアだ、ということすら無意味ではないかとも訴えている。だが、中央高原の景色で目を楽しませ、影絵劇を進行役に使うなど、エンターテイメントな作品に仕上げている点が評価された。
 若い観客賞はドキュメンタリーの「ある中国の村の1年」。重慶近くの中国の典型的な貧しい農村の1年間をリー・ユファン監督が透徹した観察眼で切り取った。村は豊かではないが、人々は明るい。精いっぱいやって、主張すべきところは主張する。準グランプリの「稟愛(ビンアイ)」でも力強くもしなやかな生き方がとらえられていたが、ここでは、その上で人間は一人では生きられないことを、89分の中に凝縮して教えてくれた。観客も終わると同時に大きな拍手で応えていた。

* * *

 今年の閉会式も質素だった。赤字が85,000ユーロ(約1,020万円)に上り、後援するナント市から3年間での立て直しを求められているという。閉会式ではこれまで主役だった、映画祭の創設、運営を一手に担ってきたフィリップ・アランのジャラドー兄弟は、片隅に追いやられた格好だった。兄のフィリップは「われわれは新しい仲間を加えただけ」とあいさつしたが、この映画祭と長く付き合ってきた者としては何とも寂しい思いにさせられた。受賞者や審査員らとの記念写真では、彼らの功労を知る者が2人を壇上に呼び上げたのが救いだった。翌朝の地元紙「ウエスト・フランス」は運営立て直しの必要性を説きながら、「誰が先頭に立つのか、ジャラドー兄弟?」と、その難しさを記していた。

写説上:受賞者、審査委員らが集合。グランプリと最優秀男優賞の2つのトロフィーを手にしているのがエンリケ・リベロ監督=シティ・コングレ
写説下:最優秀女優賞を獲得した樹木希林。「歩いても 歩いても」の一場面((c)2008歩いても 歩いても制作委員会)

(桂 直之)

(4)怖いまでのリアルさ 「パーク・ビア」

2008/12/03

1203-01.jpg 12月入りした。ようやく晴れ間がのぞく。1日(月)はアルゼンチン、メキシコのコンペ部門2作品とエドワード・ヤン特集で彼の処女作といっていい「光陰的故事」と彼を追悼したドキュメンタリー「さようならエドワード・ヤン」を見た。

 アルゼンチンの「1週間だけ」は、"隔離"された子どもたちを描いた作品。隔離されたといっても、広大な敷地から逃げ出さなければ、何でも食べ放題、学校にも通え、プールでも遊べるのだ。この施設は、親に見捨てられた子どもたちを集め、富豪たちの注文に応じて「1週間だけ」子どもを"貸し出し"ているのだった。
 5歳から20歳前後までの男女が、7、8人ごとに一軒家で集団生活している。最初は母親恋しの気持ちから、携帯電話を気にするが、それも次第になくなり、グループの中で自分がどんな立場に立つか(男女の間では誰と恋愛するか)が関心事になってくる。そんな中、新たに男の子が加わったことでバランスが崩れ始める。
 この施設はユートピアなのだろうか。世界には親に見捨てられて生きていけない子どもたちが大勢いる。収容された子どもたちは幸せだ、とも言えなくはない。子どもたちはパーティーを機に、悪ガキに変じて部屋に落書きをして暴れる。それは施設にとっては「予定された」範囲内(見えない抑圧に対する調整弁)でしかなかった。
 作品は、一暴れの後、子どもたちが一応の"和解"に至ったことを描いて終わる。逃げ出せ、施設を壊すんだ、と言うことは簡単だが、今の世界は、見ようによっては、この施設と同じではないだろうか。セリナ・ムルガ監督(35)は、目の前のことに精いっぱいで自分のことしか考えない大人たちに実は責任がある、と突きつけているのだ。監督は上演前のあいさつで、米国のマーティン・スコセッシ監督の製作であることを誇らしげに紹介していた。

 メキシコの「パーク・ビア」は、メキシコシティーにある高級住宅を長年管理してきた初老の男ベトが、新たに人生の分岐点にぶつかった時の生きざまを描く。
 冒頭、雨の降り出したことを知ったベトが、何度も階段と部屋を通って物干し場までたどり着く姿を延々追い続ける。家の大きさとベト自身の体力を一度に分からせる何ともうまい演出だ。エンリケ・リベロ監督は、これ以外でも彼が起き出して眠るまでを、それこそ執拗に描く。現在が、外界と縁を切った彼にとって、いかに"安住の地"かを知らせた上で、この家が売りに出され、買い手が付いたことを描く。
 ベトは、この家を出て生きるか、このまま残る方法がないかを探すジレンマに陥る。彼は大恩があり尊敬もしているオーナーの夫人に遠慮して、出る決心を口にするのだが、当日になって自分の中に隠れていた本心を凶暴な形で出してしまうのだ。
 明るく若々しくもあったベトが、家が売りに出てから買い手が決まるまでの過程で、どんどんと老いていくさまがリアルだ。ベトを演じたのはノルベルト・コリア。監督は当初からコリアの実生活をベースにしてベトの人物像を膨らませていったそうだが、それにしても彼の演技の見事さに圧倒された。

 1980年代台湾ニューウエーブの旗手、エドワード・ヤンが亡くなったのは昨年の6月。がんで体調を崩し、最近は作品をつくっていなかったとはいえ、59歳での死亡は惜しい。30周年記念の特集の1つで、彼の全作品と彼を追悼するドキュメンタリー「さようならエドワード・ヤン」が上映された。
 82年につくられた「光陰的故事」は、実は新人若手監督4人による4話オムニバスの作品。60~80年代の台北を舞台に、小学校から成長して結婚までを描いている。ヤンが担当したのは2話「指望」(30分)。女子中学生の性的な目覚めを何ともみずみずしく描いていることか。この作品は、85年の「タイペイ・ストーリー」(何とホウ・シャオシェンが主演)とともに日本では劇場未公開。
 冒頭、うつむいた少女(シルヴィア・チャン)が顔を上げて、こちらをじっと見詰める。この澄み切った、何でも見通しそうなまなざしに出会った者は、もうこの作品の虜になってしまう。人間の素直な感性の素晴らしさに、あらためて涙腺が刺激された。
 「さよならエドワード・ヤン」は、シャオ・チェーチェン監督が、ヤン監督の作品で関係のあったプロジューサーや俳優、脚本家らにインタビューする一方で、手塚治虫ファンだった彼が映画化したいと考えていた漫画なども紹介している。彼の才能を惜しむインタビューが主体で、作品そのものの分析はなく、彼の考えが出ている漢詩を単なる紹介だけに終わっているのは、追悼の会に間に合わせようとしたとしても残念だ。

* * *

  1203-02.jpg 4日目にしてやっと青空がのぞいたので、上映が途絶える昼間に散策をした。15世紀ゴシック建設のサン・ピエール大聖堂(高さ約63m)は、日の光に白亜の偉容を輝かせていた。ミサの時間に訪れると、オルガンの伴奏で歌われる聖歌が、それこそ高い天井から舞い降りてくる。想像しながらゆっくりと堂内を巡ってきた。
 近くには15世紀に造られた最古の木造建築物が残る。3階建てでややかしいではいるが、現在もカフェとして現役。隣の建物も18世紀半ばのもので人が住んでいる。地震がないからとはいえ、古いものでも使えるものは直して使おうという意識には頭が下がる。 こちらの街歩きの楽しみにはウインドショッピングもある。日本のディスプレイも目を引くものが多くなったが、こちらは"先輩"。力を抜いたものにもハッとさせられるものがあって、次はどうかな、と自然に先に先にと歩いてしまっている。

1203-03.jpg(桂直之)

写説上:上演の前にあいさつするメキシコのエンリケ・リベロ監督(中央)=カトロザ2
写説中:550年以上が経つ最古の木造建築(左)。かしいではいても修復して立派に現役
写説下:クリスマスに合わせた子供服店のウインドー。上品なかわいらしさを演出

(3)幻惑?が魅力か 「ねずみハーブ」

2008/12/02

1202-01.jpg 30日はコンペ部門でブラジルと中国、アルジェリアの3作品、世界の若者の現状を映し出す「Continent J(ジュニア)」部門でアフガニスタンの短編連作と、計4本を見た。

 ブラジルの「ねずみハーブ」はミステリアスで官能的なのだが、見る者を戸惑わせる。というか、どこか居心地を悪くさせながら、最後まで見続けさせる力を持った作品だ。
 突発的な出来事で出会った男と女は、互いに誠実な愛情を育てるのだが、次第に普通ではない関係に落ちていく。その関係にネズミが影を落とし始め、女は亡くなる。だが男は、ガイコツとなった女と、それまでと変わりなく暮らしていく...。
 これは本当の話? すべてが題名通り、ねずみハーブに幻惑された空想の世界なのか。
 ジュリオ・ブレッサン監督(62)は、男と女の関係が普通でないものにエスカレートするさまを執拗に描く。女に触れようとはしない男は、カメラで女に迫る。男の抑圧された本心が、ネズミの妄想を生んだのだろうか。一世代前の落ち着いた色調と男と女のファッションが時代をあいまいにし、見る者の疑念をさらに膨らませる。憎い演出だ。

 中国の「パーフェクト・ライフ」は、2人の女性の生きざまの違いを、フィクションとドキュメンタリーの双方の手法を使って鮮やかに対比させた作品。
 最初に登場する学生のリーは、父親が女性と失踪(しっそう)後、母親にも相手にされず、卒業を機に職のない北東部の村を出る。もう1人のジェニーは、10年前に離婚と窮乏から逃れて香港に移住した30代だ。ともに移住者として、就職にハンディを持つ。
 現実を直視せず、「幸せな結婚生活」を夢見るリーは、南部の都市深川にたどり着き、結局は平凡な結婚をする。一方のジェニーは、子ども2人を抱えて生きるために必死だ。常に前向きで、可能性があるものには挑戦するジェニー。ドキュメンタリーでとらえられた彼女は、どこか絵空事ぽいリーに比べて、格段の存在感がある。
 エミリー・タン監督(38)は、2人の女性の置かれている状況を簡潔に紹介した後、その後の生き方を2つの手法で描くことで、現実の中国に偏在している移住者の差別問題などを効果的にえぐり出している。2人を一度だけ、深川の商店街ですれ違わせることで、2つの手法の融合を図っていることも印象的だった。

 アルジェリアの「中国はいまだ遠い」はドキュメンタリー。1954年、フランス植民地からの独立戦争(アルジェリア戦争)が始まる。62年に独立するが3年後に軍がクーデターを起こし、89年まで独裁政治が続いた。その独立戦争時、小さな村のフランス人教師夫妻と行政区長が最初の民間犠牲者となった。マルク・ベンスマール監督(42)は、その村を訪れ、住民と学校、その児童たちをフィルムに収めた。
 作品は、現在と過去をバランス良く取り上げながら、アルジェリアの現実を、深い思い入れと否定の複雑な絡み合いの中で描き出している。
 タイトルの「中国はいまだ遠い」は、アルジェリアで「問題解決の道が遠い」ことを意味することわざのようなもの。共和制をとりながらも、1992年、軍のクーデターでイスラム原理主義政権が無効になり、イスラム過激派によるテロが続いているのが現状。多くの犠牲者を出して勝ち取った独立は本物なのか、も問われている。

 4本目はアフガニスタンの短編連作「カブールのこどもたち」を見た。
 首都カブールを舞台に、伝統音楽に取り組む13歳と14歳の兄弟、レンガ工場で働きながら夢を育てる13歳と11歳、真冬に車の洗車で生活費を稼ぐ子どもたち-など、5人の監督が5つのテーマ(各26分、計130分)で切り取り、アフガニスタンの子どもたちに降りかかっているストリートチルドレン化や過酷な労働などの問題点を明らかにしている。それぞれの冒頭では監督が製作意図を語っている。真冬の洗車には「bulbul(ブルブル)」のタイトル。車が来るとすかさず近付き、すぐ洗い始めて既成事実化するなど、子どもの側も必死。でも誰も泣き言は言わず、仕事はきっちりやり遂げる。やや恵まれた家庭の子どもたちも、音楽や読み聞かせに目的を持って真剣に取り組んでいるのが伝わってくる。
 この作品は、映画祭がかかわって、若者の働く姿などを通して、世界の今を写す鏡の役割も担わせようと始めたプロジェクトの成果の1つ。今年はブラジル、韓国、南アフリカ、ジンバブエなどがフィクションを発表したが、時間の関係で見ることができなかった。

* * *

1202-02.jpg

 週末は一足早いクリスマス・モードに乗せられ、人出がどっと増える。通りには到着した28日、イルミネーションが飾り付けられ、この時期特有の"マルシェ(出店)"も登場した。マルシェは1~3坪程度の三角屋根の木造小屋で、扱う商品はクリスマス用品の小物からお菓子、装身具、お香までとさまざま。ナントの中心ロータリー、パレ・ロワイヤルではライトアップされた噴水を囲んで、60近くのマルシェが肩を寄せ合うように並び、昨年に続いて大型のメリーゴーランドも登場していた。

 今年のナントは天候に恵まれず、到着日から3日連続で曇り時々小雨となっている。それにもかかわらず週末の29、30日は、子ども連れやカップルが歩道から車道にまであふれ出し、さながら歩行者天国のような込みよう。寒いだけに大人たちはホットワインを楽しんでいた。
 こちらでは物価上昇が止まらないのに加え、世界同時株安の影響で少しずつだが雇用不安も出てきているという。中心商店街も、ずっと続いていた店が変わっていたり、空き店舗の状態が散見されたりした。クリスマス・イルミネーションもどこか控えめで、デザインもパッとしていない。昨年に比べて街角で寄付を求める人が増えたのが気懸かりだ。

1202-03.jpg

 長年にわたる修復作業が完了したブルターニュ大公城では、新しい夜間照明を始めたと聞いたので、小雨の中、出掛けてみた。堀沿いの城壁には連続したリング状の柔らかい光線が映し出され、そこに別の細かい光線が重なって刻々と動くのだ。一転、城内は青白い光の束で、修復なった建物の壁面が幻想的に浮かび上っていた。

(桂直之)


写説上:コンペ作品上映の主会場「カトロザ」前に列を作る人たち
写説中:パレ・ロワイヤルに店開きしたマルシェ。週末とあって、小雨でも込み合った
写説下:ライトアップで幻想的に浮かび上がるブルターニュ大公城

(2)深い"おとぎ話" 「南の海からの歌」

2008/11/30

02nantes_01.jpg 29日はキルギスタンのコンペ作品「南の海からの歌」だけを見て、午後からはロワール川の中州に昨年からオープンしたアミューズメント・パークを見学した。

 「南の海からの歌」はカザフスタンの小さな村を舞台に、複雑に入り組んだ人種、宗教問題を、隣り合わせに住む、人種の違う2人を軸に描いたもの。
 ロシア系のイワンに子どもが誕生するが、赤ちゃんは金髪(ロシア系の象徴)ではなくて黒髪(カザフスタン系の象徴)だった。イワンは、妻と隣家の友人、カザフ系のアッサンとの仲を疑ってしまう。夫婦は壮絶なケンカの後、落ち着くのだが、事あるごとにイワンには疑念がわき起こる。誕生した男の子が、馬好きで、カザフ風なのも気に障る。

 15年がたったある日、イワンの妻の肉親たちがやって来て酒盛りとなった。妻の出身はカザフ、酒宴は歌に踊りにと大いに盛り上がるが、イワンだけは溶け込めず、とうとうケンカになってしまう。家を飛び出したイワンは、バイクで自分の親類の古老を訪ね、出自を知ろうとする。そこで聞かされたのは、彼の血筋は純粋なロシア系ではなく、カザフでの生活とカザフの女性を愛した者もいた-ということだった。
 どこか吹っ切れて帰宅するイワン。同じころ、アッサンも馬で自分の出身地を巡りながら、自分につながる長い歴史に思いめぐらしたのだった。2人には、以前の付き合いが戻ってきそうだ。

 マラット・サリュリュ監督(51)は、中央高原が持っている特殊さを題材にしながら、血筋の違う夫婦に、互いに反対の髪を持つ子供が誕生するというコミカルな設定で、その実、重い人種問題をもテーマにしている。中央高原でロシアだカザフだ、もっと目を開けばヨーロッパだアジアだ、ということすら無意味ではないかとも訴えている。でも、イワン夫婦の真剣なケンカぷりはさわやかだし、中央高原の素晴らしい景色も満載、影絵劇を進行役に使うなど、深刻ぶるより"おとぎ話"的な演出にして、エンターテイメントな作品に仕上げている。

 このあたりの心憎い演出が観客にも受け、終わった直後には大きな拍手が送られていた。


<<<    >>>

02nantes_02.jpg

 ナントは、ここ15年人口が増え続けているという。物価高が殊にひどいパリを逃れて、ナントに割安な一戸建てを求める人すらいるそうだ。

 パリの日本語新聞OVNI(オヴニー)は、5年前に「生活度ナンバーワンの町」としてナントを取り上げているが、最近号ではナントの魅力を「文化が町を活性化させている」として、三大陸映画祭、クラシックをより身近にさせたラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭、現代アートビエンナーレ・エスチュエールを挙げている。

 そこに新たに加わったのが、「文化+町おこし」事業、中州の再開発「レ・マシン・ド・リル」だ。著名な建築家3人がプランを立て、フランス国内の技術者を結集して"動く生物"をつくり出す一方で、集大成した巨大なメリーゴーラウンド(高さ25m)を完成させ、永続的な町のシンボルとしての遊園地にしようというもの。

 昨年訪れた際は、月曜日で休園。木と鋼を組み合わせたゾウ(高さ12m、幅8m、重さ45トン)が動くところは見ることができなかった。また「機械たちのギャラリー」の人が乗って楽しめる小型のイカやアンコウ、エイなども、眺めるだけで終わっていた。
 今回は、動くゾウを確認し、「機械たちのギャラリー」の新人たちに合うのが目的だった。

02nantes_03.jpg 小雨模様のあいにくの天候だったが、子ども連れで大にぎわい。ゾウは、それこそノッシノッシと歩くだけでなく、鳴き声をあげ、鼻を振り上げながら水も吹き出す。そして動くイカやアンコウ、カニの幼虫などは、もっと楽しい。微妙な動きがちゃんと再現されているだけでなく、入場者がスタッフの指導で運転できるのだ。スタッフは「アンコウの運転者は、力がないとダメ。毛むくじゃらの大柄の人、志願してくれませんか」と、大道芸人さながらの口上で入場者の興味を引く。選ばれるのは普通の大人や子どもたち。アンコウの口を大きく開かせ、背びれをばたつかせ、さらには"毒ガス"まで吐く。乗れなかった人たちからも大拍手。時間はあっという間に過ぎていた。

 全体の完成は2013年。遠大な計画だが、完成したものを順次公開して、未来の来場者を早くも取り込んでいる、何ともしたたかだ。もっと関心のある方は「Les Machines de l'ile」プロジェクトのサイトをご覧ください(英語版)。

(桂 直之)

写真(上)コンペ作品を見終わった後、評価を投票する観客たち
写真(中)客を乗せ、鼻を振り上げて歩く巨大なゾウ
写真(下)乗客の操作で口を大きく開け、"毒ガス"を吐くアンコウ

(1)都会の孤独が染み出す「水族館」

2008/11/30

nantes_map.jpg

 11月27日深夜、成田を発って、今年も西フランスの古都ナントで開かれている3大陸映画祭(11月25-12月2日)にやってきた。14度目の訪問だ。

 「映画後進地(今やそんなことはないが)」のアジア、アフリカ、中南米にまで映画の地平線を広げようと、3大陸に絞った作品だけを提供し続けるユニークな映画祭も、今年で30回となる。今年はコンペティション部門(12作品、昨年からフィクションとドキュメンタリーを統合)、30周年記念として過去のグランプリ(金の熱気球賞)獲得作品と、2度グランプリを受賞した4監督(台湾のホウ・シャオシェン、イランのアミール・ナデリとアボルファズル・ジャリリ、中国のジャ・ジャンクー)や昨年亡くなった中国のエドワード・ヤン監督の業績などの特集が組まれ、盛りだくさんの内容だ。会期中、3つの映画館の6スクリーンを中心に106本が上映される。

01nantes_03.jpg 成田から約19時間の旅。時差がマイナス8時間のためパリ着は22日早朝4時過ぎ。6時半発のナント行き新幹線(TGV)で28日午前9時前に到着。28日朝から映画を見始めた。初日はトルコ、エジプト、中国、チリと、お国柄の違うコンペ作品4本を見た。


 トルコの「ミルク」は、地方の鉱山村で牧場を営む2人暮らしの母子の物語。息子のヨスフは高校を卒業、大学を目指すが、詩作に時間を割いて不合格となる。父親の死後、牧場を手伝って母親を支えてきた彼だったが、受験失敗などの後、母親に変化が起きる。鏡に向かって化粧をしてうっとりしたり、彼のミルク配達中に度々出掛けたりするようになる。母子2人が、互いだけ見て支え合う"幸せな時間"は過ぎ去ったのだ。彼は炭鉱労働者として独り立ちする道を選ぶ。
 この作品は昨年の映画祭閉会式で上映された「エッグ」に次ぐ、ヨスフ3部作の第2作だという。小さな村に通じる1つの鉄道が外から新しい規範を持ち込む中で、ヨスフは自分の存在を問い続け、母親は因習からの脱皮を目指す。1963年生まれのセミ・カプラノグ監督は、出演者の演技を最小限にして、特に目の表情を印象的に使っていた。第3作が待ち遠しい。


 エジプトのヨスリー・マサラフ監督(56)の「水族館」は、冬の首都カイロで生きる人たちの孤独と思わぬつながりを描いて印象的だ。
 医者ヨセフは自分の病院とは別にスラム街の中絶医院も手伝い、ほとんどの夜を車の中で寝る超多忙な生活を送っている。そして自分の患者が妄想から話す内容を興味深く聞く一方で、ラジオで人気の対話コーナー「ナイト・シークレッツ」を担当するライラの声に耳を傾ける。ライラはコーナーに電話してきたヨセフと、彼女の友人の治療ですれ違う。声を聞いて驚くライラ...。
 大都市の華やかさとは別に、人々は生きる。ヨセフはがんの父親を熱心に治療するが、父親はそれに満足せず、ヨセフは毎日追われるだけの生活。一方のライラは母親を抱えて恋すらままならない。彼らは水族館の水槽に入れられた魚と同じでしかない。一方でバー「水族館」では、"囚われの身"であることから本能的に逃れようとする人々が群れ集うのだ。ヨセフ、ライラの人物造形のほか、2人に絡むヨセフの父親やライラの友人らも丁寧に描かれていて、じわりと染みだしてくる現代の人間の孤独に、こちらも感染してしまう。


 3本目の「ある中国の村の1年」はドキュメンタリー。重慶近くの中国の典型的な貧しい農村の1年間(2005年冬~06年12月)を、リー・ユファン監督が透徹した観察眼で切り取っている。
 村は人口が減っていき、決して豊かではないのだが、住む人々は暗くない。農機具はなく、それぞれが手作業でやれることだけを精いっぱいやって、主張すべきところは主張する。といいながら、村の総代表選挙は、"お祭り気分"的ないい加減さでやり過ごす。田園風景の緑が何ともまぶしい。
 人間は1人では生きられないことを、この作品は89分間に凝縮して、静かに教えてくれる。ラストで村人が、家族単位のスナップで紹介されるのもいい。そこからは、それぞれの人柄が素直に伝わってくる。


 最後に見たのはチリのジョゼ・ルイス・トレス・レイヴァ監督(33)の「空、地上、そして雨」。チリ南部の湖近くに住む孤独な男女4人。寡黙に決まり切った日常を送っていたが、互いの接点から、暗黙のうちに極端な方法で自分たちを救おうとする。互いが孤独を感じない距離感を保ちつつ"疑似家族"をつくることだった。だが、その試みはそう簡単ではない。空に向かって枝を広げる巨大な木々、フェリーが航行する湖面のさざなみ、その向こう岸ではけたたましく行き交う車の騒音が、4人の気持ちを代弁する役を任されているのだが、監督の意図ほど明確には伝わってこないのが歯がゆい。というか、もっとストレートな表現を交えた方が、全体に締まった構成になったと思われる。


<<<<   >>>>
01nantes_02.jpg 30周年なのだから、街中がもっとお祭り気分かと思ったら、意外に静かなのには驚いた。大型ポスターの掲示はなく、赤いフラッグだけがメインストリートになびいていた。

 混雑緩和のために導入されていた、コンピューターによる事前発券は、何が理由か取り止めになり、以前の順番待ちに戻っていた(一説には経費節減の結果だという)。以前と違うのは、ジャーナリストや映画関係者らのゲストと通し券所有者を開始5分前まで優先、その後に一般客を入れる点。このため、カトロザの前には2列の長い列ができた。

 入り口で観客数をカウントしているが、席数の少ないスクリーンに客が殺到すると立ち見が出ることになる。この日のエジプト作品「水族館」では、立ち見どころか、ゲストのマサラフ監督の席すらない状態だった。監督の席は何とかなったが、10人近くが立ち見となり、ギリギリに滑り込んだ僕も、もちろん立ち見だった。

(桂 直之)

写真(上)ナントの地図
写真(中)第30回のポスター
写真(下)映画祭の赤いフラッグがなびく商店街

1