シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(5・完)加瀬亮が主演/ホン・サンス監督の「自由が丘で」にグランプリ

2014/12/07

2014nantes_05p_dollares_de_arena.jpg 12月1日は、夜の閉会式前に、見残していたコンペ作、「DLARES DE ARENA(砂のドル)」と「AS YOU WERE(あるように)」の2本を見た。

 「DLARES DE ARENA」(2014年、アルゼンチン・メキシコ・ドミニカ合作)は、同年齢のメキシコのイスラエル・カルディナス監督とドミニカのローラ・アメリア=グズマン監督の共作だ。

 ドミニカのビーチ、島の若い女性ノエルは、相棒を兄と偽ってはリゾート客に近づき、売春などで金品を得ていた。彼女は島から出たいという夢を持っている。一方、パリから訪れて滞在するアンは、彼女の人生の終盤を太陽の下で過ごしたいと、移住を考えているのだが、まだ果たせずにいる。ノエルはアンの"遊び相手"となり、アンは彼女をパリに連れて行くと約束する。果たして2人の夢はかなうのか?

 人生の終盤を迎えた孤独な富裕層が、リゾート地を訪れるのはなぜだろう?
 
 これまでのしがらみとは関係なく、ドル(カネ)さえ払えば、心の空白を埋めてくれる存在を「手軽に」得られるからではないか。ノエルらは、そこにつけ込んでいる。アンは同姓のノエルに親密さを感じ、彼女のいない「時間」に喪失感を覚えるが、ノエルにとってみれば、島を出るために利用できる存在の1人でしかない。だが、ノエルは妊娠していることが分かり、相棒との仲も最悪になっていく...。

 監督はビーチの美しさ、アンとノエルが海で泳ぐ際の海中シーンなどと対比させることで、人間の心の在りよう、途上国の現実を浮かび上がらせたともいえる。互いに利用し合う関係でなくなったとき、初めて互いが相手を「ひと」と感じるようになる。ラストは、ノエルを失ったアンが、街をさまよいながら、自らを立ち直らせようとする姿だった。

 【写真】ノエル(左)とアンには、越えられない溝が...(「DLARES DE ARENA」より)

2014nantes_p05_as_you_were.jpg 「AS YOU WERE」(2014年)は、シンガポールのリャオ・ジェカイ監督の作品。幼なじみの男女が、離れ離れになりながら、静かに、しかし確実に再会への道を歩むさまを、3話形式で表現したもの。

 その3話は、年代順ではなく、前後に入り組み、バラバラにされる。しばしば、小さい頃の原風景(小さな島)から現代のシンガポールの高層ビルが照射される中で、2人の成長や2人の距離などが暗示される。最後は音楽が2人を結び付けるのだが、穏やかなナレーションとリズム感のある画面が、意欲的な3話構成に、しっかりと一体感を与えていた。

【写真】幼き日の思い出は、2人を結び付ける(「AS YOU WERE」より)

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 閉会式は午後7時半から、ロワール川の中州にある国際会議場「シティ・コングレ」で開かれ、 "香港のクロサワ"といわれたキン・フー監督の武侠劇「残酷ドラゴン・血闘!竜門の宿」(1967年)が上映された。この作品は中国が舞台だが、台湾で製作され、今回は台湾文化財団による修復(リマスター)版で上映された。

 キン・フー監督はワイヤー・ワークの発案者。代表作の「侠女」(1971年)ではトランポリンを使ったアクションが観客をびっくりさせた。「残酷ドラゴン-」は、明朝時代の政変を背景とした善悪対決を集団抗争劇で描いたもの。カンフーの達人たちのテンポの良い動きと相まって、これぞ娯楽映画!の醍醐味を味あわせてくれた。近年のCGと合体させたワイヤー・ワークの洗練度に比べると無骨な演出だが、逆に意表を突いたアクションに観客から「オーッ」と歓声が挙がり、上映後には盛大な拍手が起きた。

 さて、今年のコンペ部門だが、韓国の「自由が丘で」(ホン・サンス監督、2014年)が、ナント出身のジュール・ベルヌにちなんだ金の熱気球賞(グランプリ)を獲得した。主演は日本の加瀬亮で、コンペ部門にノミネートのなかった日本にとっては朗報だった。

2014nantes_05p_shugo.jpg 観客の反応が良く、僕も10作の中では一番かと思ったトルコの「私の母の歌」(エロル・ミンタス監督=トルコ・仏・独合作、2014年)が銀の熱気球賞(準グランプリ)と観賞後の観客投票で決定する観客賞をダブル受賞した。

 また、ベトナムの「人里離れた所ではばたく」(グエン=ホン・ディップ監督、ベトナム・独・仏・ノルウェー合作=2014年)が審査員特別賞、南アフリカの「あなたが愛したものが好き」(ジーナ=カト・バズ監督=2014年)が若い審査員賞を受賞した。

【写真】壇上にそろった受賞者、審査員ら関係者


 グランプリのホン・サンス監督、若い審査員賞のジーナ=カト・バズ監督は欠席したため、代理人が表彰を受けた。グランプリ受賞者が代理だったのは、僕の訪問時では初めて。そのせいか、最後の受賞者、審査員ら関係者全員が壇上に揃うシーンは、いつもの熱気がなく、あっさりと終わってしまった。

 地元紙ウエスト・フランスは「3大陸映画祭 金はホン・サンス(監督)」の見出しのもと、前文を「彼が予想された」と書き出し、閉会式の様子を報じた。

2014nantes_p05_sans.jpg 「自由が丘で」は、日本人モリ(加瀬亮)が、片思いの韓国人女性を追って、ソウルを訪れるが、行き違う。彼は、泊まったゲストハウスの周辺の迷路のような街を歩き回り、彼女に宛てて日記風の手紙を書く。その一方で、迷い犬を見つけたことが縁で、カフェ「自由が丘」の女主人(ムン・ソリ)と急接近、同じゲストハウスの米国帰りの韓国男性とも奇妙な付き合いが始まる。

 ここで飛び交うのは韓国語でない。女店主や米国帰りの男性、ゲストハウスの女性オーナー、ともに英語で会話が進み、微妙なズレはあるものの、そのまま「ソウルの日常」として展開していく。

 ホン・サンス監督は、欧米的エスプリがきいた恋愛模様を描き、米国のウディ・アレン(1935~)、フランスのエリック・ロメール(1920~2010)両監督に並ぶともいわれる。「アバンチュールはパリで」(2003年)や「3人のアンヌ」(12年)などの作品はヨーロッパでも大人気だ。昨年のコンペ部門でもヒロインに3人の男が振り回される「ソニはご機嫌ななめ」がノミネートされていた。
 
 国際都市ソウルゆえに成り立つ、韓国語ならぬ英語での会話に意表を突かれるが、大事件が起きるわけではなく、偶然と繰り返しの「日常」が展開する。日常の微妙なズレと相まって、あれあれという間に恋愛が進んでいたり、韓国語なら修羅場になる場面が、サラリと幕切れになったり。中心にいる加瀬の、何ともいえない自然体が、物語そのものの雰囲気と重なって絶妙だ。監督の起用が見事に当たったことになる。

【写真】グランプリ受賞のホン・サンス監督

 準グランプリの「私の母の歌」は、トルコ政府に抑圧されているクルド人が故郷と切り離されてどう生きるのかを、都会で暮らす息子と、同居することになった母親との関係を通して問い直した作品だ。
 
 イスタンブールで教師をするアリは、クルド人ゆえに警察の監視下に置かれているが、一番の懸念は、クルド人村を離れ、彼と同居し始めた母親のことだ。村の生活が忘れられず、夜中にカセットでクルドの歌を繰り返し聞くことでまぎらせる母親。アリは、母親の嘆きと、結婚相手との関係の板挟みになり、疲れ果てる。
 
 母親をバイクに乗せて村を訪ねたり、村の古老からクルドの歌を採録したりして、母親の気持ちをなだめようとするが、根本的な解決にはならず、母親は亡くなってしまう。
亡くなって初めて、母親の故郷への思いの深さと、クルド人本来の生活に思い至ったアリは、クルド人村の学校に赴任する。

2014nantes_p05_mintus.jpg ミンタス監督は、クルド人の置かれた立場を、カラスが孔雀になろうとする寓話(ぐうわ)になぞらえる。現状が厳しいからこそ、子どもたちには、孔雀に「なろう」という気持ちを失わないように、というメッセージを込める。冒頭(1992年)とラスト(2013年)、ともにアリは、教室で子どもたちに向かって寓話をジェスチャー付きで熱演している。アリの中に流れる母親への思い、それはクルド人としてどう生きるかの彼自身の思いとも重なって、強く重く迫ってくる。冒頭のアリの強制連行から、すぐ2013年の都会での生活に切り替わる、大胆な省略で全体を103分にまとめ上げた演出も出色だ。できれば、結婚相手との葛藤、彼女と母親との関わりについても掘り下げてほしかった。

【写真】準グランプリと観客賞をダブル受賞したエロル・ミンタス監督(中央)

 審査員特別賞の「人里離れた所ではばたく」は、ベトナムが抱える貧富の差の一面を、女子学生と家をシェアするニューハーフの売春婦らを通してあぶり出した作品。
 田舎から首都に出た女子学生は、比較的自由な生活を送ってきたが、妊娠してしまう。同郷の恋人は違法な賭け(闘鶏)にのめり込んでいてカネに縁はなく、中絶をしようにもできない。同居人に頼み、売春のまねごとをしようとするのだが...。恋人と共に田舎の廃墟に立ち、孤独を突き抜けた先の生きていく覚悟を感じる。グエン=ホン・ディップ監督は、恋人を高所作業員に設定、作業バスケットの上という特別な場所を用意することで、彼女の心の在りようを視覚化させ、繊細に描き出した。

2014nantes_p05_dip.jpg 貧富がもたらす教育格差、人格を否定する売春は、ここまであからさまではないが日本にも存在する。若い人間の声には出せない悲しみを、どこまで聞き取れるのかが問われている。受賞に監督は「私は言葉がありません。何の準備もしていなかった。私は歌って、ありがとうということができますか?」とスピーチ。会場の拍手に応えて、しみじみと1曲歌った。監督の素直な受賞の喜びが会場内に染みわたり、本当に素晴らしい時間だった。
 
 若い審査員賞の「あなたが愛したものが好き」は、生活費のためにテレフォン・セックスオペレーターをしている女性が、相談者に親身になることでカップルや周囲の人たちにさざ波を起こさせることを通して、愛するとは何か、を問うもの。テーマとジーナ=カト・バズ監督(28)の若さを反映したポップな画面や陽気な音楽も若者に評価されたようだ。
【写真】審査員特別賞に笑顔のグエン=ホン・ディップ監督


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2014nantes_05p_paper.jpg 今年も閉会式当日にコンペ作品の上映が行われ、上映2日目に訪れても、コンペ作品10本すべてを見ることができた。日本作品がノミネートされなかったことは残念だった。日本映画の製作本数は増えているが、コミック原作の恋愛ものが多いのが現状で、映画祭の選考の対象となるものがなかったのだろうか。今年の10本が、全て選りすぐりだったとは思わないが、それぞれのテーマに真剣に取り組んでいることが伝わってきた。韓国の「慶州(キョンジュ)」での日本の戦争責任、フィリピンの「正義」での日本への人身売買に関わる描写は、どこにいようと「日本」であることに向き合わなければならいことを、あらためて突きつけた。

 5つあった特集では、どれも上っ面をのぞくだけに終わった。コロンビア映画は、最初期のものしか見られなかったが、既に映画への思いが込められていた。セネガルのカファディ・シャラ監督は、今回初めて存在を知った。アフリカ女性を隷属から解放しようと、小説やドキュメンタリーで暗部に光を当ててきたが、思いの途中で亡くなっている。じっくりと見たかった。「メロドラマの輝き」は楽しませてもらった。日本からは溝口健二の「楊貴妃」、成瀬巳喜男の「浮雲」が選ばれていた。インドのグル・ダット監督の「渇き」は初めて見たが、歌うインド映画の魅力も生かしながら、芸術家の魂の内面に迫るもので、彼の他の作品も観たくなった。

 運営面で改善されたのは、英語字幕がプラスされたこと。これまでは、他の映画祭出品で最初から英語字幕が入っている以外は、フランス語字幕しかなかっただけに、歓迎だ。将来的には上映全作品に英語字幕を付けてほしいものだ。

【写真】映画祭の閉会式を伝える地元紙「ウエスト・フランス」。グランプリ受賞者が欠席のためか、例年より地味な扱い

(桂 直之)

(4)最後のラバ牧童の世界/アロンソ監督の「山の中」

2014/12/04

nates2014_p04_yamanonaka.jpg 30日はコンペ作品からアルゼンチンのニコラス・マカリオ=アロンソ監督の「山の中」と韓国のホン・サンス監督の「自由が丘で」、メロドラマ特集からメキシコ「Enamorada(愛)」を見た。

 「山の中」(アルゼンチン・コロンビア合作、2014年)は、コンペ作品で唯一のドキュメンタリー。監督自身はアルゼンチンのブエノスアイレス生まれだが、コロンビアで育った縁があり、同国リサラルダ県の山中に暮らす最後のラバ牧童たちの世界を追った。

 母親の介護などで町に向かう者いるが、残った者は共同で昔ながらのラバの牧童として暮らす。農作業でも、町から生活に必要な家具や雑器を運ぶ際もラバを使う。車はもちろん入れない、人でさえも歩きにくい山道を、ラバに隊列を組ませ、最後まで運び上げてしまう。ほぼ自給自足、靴だって自分で直す。生活の何もかもを、かたくなに昔ながらのやり方で続けているのだ。

 彼らは、ラバの気性はもちろん山道の勾配やカーブも熟知し、ラバの隊列がリズム良く登れるように掛け声をかけ、急勾配では最少のムチをふるう。それでも駄目な場面では、自らが代わって運びさえもする。

 監督は、彼らの寡黙で無駄のない暮らしぶりを、自然に立ち向かうのではなく、寄り添って生きる者として、静かな視点で捉えている。またギターを主体とした音楽が、祖父や父と同じように家族を守ろうと決めている彼らと自然を、一体的に包み込むように響いて、心に染みた。

 エンドロールでは、彼らが築いた木造住居が絵模様で現れ、完成するまでの過程を教えてくれるという、監督の遊び心も心憎かった。

【写真】寡黙な男たちはラバの隊列を見事に導いて目的地を目指す(「山の中」より)

 

nates2014_p04_jiyugaoka.jpg 「自由が丘で」は、片思いの韓国人女性を追ってソウルにやってきた日本人モリ(加瀬亮)が、迷路のような街を歩き回りながら彼女に宛てた日記のような手紙を書く。その一方で、迷い犬を見つけたことが縁で、カフェ「自由が丘」(何と日本語表記)の女主人(ムン・ソリ)と急接近することに。モリが泊まるゲストハウスには米国帰りの韓国男性もいて、韓国語でなく英語が飛び交い、微妙なズレのまま「時間の迷路」に迷い込む...。

 ホン・サンス監督は、「アバンチュールはパリで」(2003年)や仏女優のイザベル・ユベールを主演にした「3人のアンヌ」(12年)など、欧米的エスプリがきいた恋愛模様を描き、ヨーロッパでも大人気だ。昨年のコンペ部門でも、つかみどころのない憎めないヒロインに3人の男が振り回される「ソニはご機嫌ななめ」が選ばれていていた。

 今回の「自由が丘で」は、監督が加瀬亮とやりたくて実現した作品だという。お互いが母国語でない言葉を仲介することで、日常の中で見えてくるものがある-、加瀬の自然体の演技が、それを上手く引き出せたようだ。脚本も監督で、多国語都市ソウルならではの設定。東京ではどうか? 日本の監督には、この発想は湧かないだろうと思い、「やられた」という気持ちにさせられた。

【写真】モリはカフェ「自由が丘」の店主に急接近していく...(「自由が丘で」より)

 メロドラマ特集の「愛」(エミリオ・フェルナンデス監督、1946年)は、混乱期のメキシコで、町を管理下においた将軍と、町の有力者の娘との恋の駆け引きを描いたもの。父親を拘束した将軍に、平手で返したり、花火で撃退したりした彼女だが、あきらめない将軍の純情に、心は次第に揺らいでくる。彼女の窓辺の下でギタートリオが奏でる甘いメロディーが、何とも切ない。彼女はアメリカ人婚約者と挙式寸前にまでなるが、将軍が町のために立ち上がり出陣するのを知り、決然と将軍の馬の傍らに立って行進を始める。戦闘などはアップテンポに、恋愛模様はスローテンポにと描き分け、光と影もうまく取り込みながら、恋の案内役がコミカルに登場もして、飽きさせない。これぞメロドラマという作品を、大いに楽しんだ。

 メロドラマ特集では日本からは、溝口健二監督の「楊貴妃」(1955年)、成瀬巳喜男監督の「浮雲」(1955年)が選ばれていた。「浮雲」は林芙美子原作で、高峰秀子、森雅之が演ずる男女が、腐れ縁のまま墜ちていく姿を、冷静に緊張感を持ちながら描き切った作品。墜ちていきながら離れられない、これも「ひとつの愛の形」。ナントの観客が、どう見たのか関心があったが、時間の関係で足を運ぶことはできなかった。 
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nates2014_p04_graslin.jpg 日曜日の夜は、100年を超すビストロ「シガール」で、映画祭の通訳ボランティアとして知り合った日本人女性の2家族と食事をともにした。食事が終わり、デザートになった時、店のスタッフたちが「Happy Birthday」を歌いながら、ケーキを運んできて、ビックリ。ケーキには僕の名前と20周年というプレートが乗っていた。

 「今年で映画祭訪問20回目」と知った友人の1人が、この日参加できなかった友人たちにも声を掛けて、計画してくれたものだった。周囲のお客もちょっとビックリした表情だった。いつも甘すぎ

nates2014_p04_cigarl.jpgるケーキなのだが、それ以上に、友人たちの思いに浸って、さらに甘く感じられた。今年のナントは想像していた以上に温かく、昨年の寒さにこりて、重装備の冬支度をしてきたのだが、逆に重荷になった。これも温暖化の影響なのだろうか。

【写真・上】整備されたグラスリン劇場前のロータリー。正面のひと際明るい照明が「シガール」。この日は月がきれいだった。
【写真・下】100年を超すビストロ「シガール」の異国趣味にあふれた店内

(桂 直之)

(3)混乱の時代のアンチ・ヒーロー描く/ロッセーリ監督の「マウロ(MAURO)」

2014/12/02

nantes2014_p03_mauro.jpg 29日はコンペ作品、アルゼンチンのヘルマン・ロッセーリ監督の「マウロ(MAURO)」(2014年)とユー・リクウァイ特集の彼の監督作、メロドラマ特集のインド作品、コロンビア特集の短編2作を見た。

 21世紀に入りアルゼンチンの財政危機は深刻で、人身売買、麻薬密売、インフレで額面だけ高くなった紙幣の偽札づくりが横行する。監督が「マウロ」で描きたかったのは、混乱の時代だからこそヒーロー、いやアンチ・ヒーローを登場させたかったのだろう。

 マウロもバス運転手としての平凡な生活に隠れて、裏家業に手を染めていく。母親の言いなりから飛び出し、親しい友人のカップルと新しい「ビジネス」を始め、パプロという相手も見つける。手刷りから輪転機を使った本格的な偽札づくりへと乗り出し、それは見ようによっては工芸品をつくり出すようなものだった。

 監督は偽札づくりの工程を、手刷りから輪転機まで、札の出来栄えとともに作業の様子について細部にこだわって描き出している。そのことで、逆説的に「悪」である存在もヒーローとなりえることを示した。

【写真】パウロが現れ、「仕事」にも励むマウロ(「マウロ」より)

 ユー・リクウァイ特集は、彼の長編デビュー作で脚本も手掛けた「天上の恋歌」(2000年)を見た。
 香港を舞台に、アダルトビデオ店を経営するヒモ男と事故でダンサーをあきらめて男のパトロンになった中年女、中国本土からやってきて娼婦となった若い女、エレベーター整備士の若い男、この不器用な男女4人の出会いとすれ違いが描かれる。


 彼は撮影助手を務めるかたわら、映画製作も始め、1996年、田舎から北京に出てきた女性3人の生活をとらえた中編ドキュメンタリー「ネオンの女神たち」を撮り上げ、翌年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でシネマ・ダイスキ賞を受賞している。この撮影で出会った女性たちのエピソードや考え方が、「天上の恋歌」の下敷きになっているという。決して、このままでいいとは思っていないのだが、突き破ることができないでいる。だからこそ不器用になってしまうさまが、伝わってくる。


 彼はジャ・ジャンクー監督の「一瞬の夢」(1997年=3大陸映画祭でグランプリ)に撮影監督として参加して以降、「プラットホーム」(2000年=ベネチア映画祭最優秀アジア映画賞)「青い稲妻」(2002年)「長江哀歌」(06年=ベネチア映画祭グランプリ)「四川のうた」(08年)と、ジャ・ジャンクー作品にはなくてはならない存在となっている。今回の特集では、「プラットホーム」以降のジャ・ジャンクー4作品、彼の長編第2作「オール・トゥモローズ・パーティーズ」(03年)などが上映された。

 メロドラマ特集はインドのグル・ダット監督の「渇き」(1957年)。売れない詩人(グル・ダット)は兄弟や周囲からも相手にされないが、若い娼婦(ワヒーダ・ラフマーン)だけは良さを理解する。列車事故に巻き込まれ、彼は自殺したと思われ、娼婦が出版社に頼み込んで出版された遺稿集は大ベストセラーになる。彼が生きていたと分かると、出版社の社長らは彼を精神病院に閉じ込めてしまう。何とか脱走したら、彼の1周忌が盛大に行われる日だった。彼はその会場を訪れるが...。 

 本来の詩の良さなど理解せずに、金もうけとしての詩集にむらがる人たち。詩人は、そんな人たちが求めるのは名前であって自分ではないと否定、会場は大混乱になる。

 テーマは重苦しいのだが、詩人の翻弄される人生、彼の支える娼婦のけなげさなど、メロドラマの要素はちゃんと盛り込まれている。殊に、インド映画特有の歌が、詩を歌い上げる形で登場するのだが、歌詞が詩のレベルにまで近づいていて、ただ耳に優しいのではなく、力強く主張し、魂にまで迫ってくる。随所に見られるコメディ的場面も楽しく、芸術性と大衆娯楽性を両立させた作品となっていて、今見ても決して古くない。

 2005年の米タイム誌「永遠の名作100選」に選出されている。ただグル・ダット自身は映画製作のすべてに自分が関わろうとし、納得いくまで撮り直したことなどもあって、自分を追い詰め、1964年、自宅で自ら命を絶っている。39歳だった。

 コロンビア特集は草創期の2本を見た。ともにモノクロで、サイレント。「黄金の爪」(1926年、P・P・ジャンバリーナ監督)は、パナマ運河開通の1914年に設定され、北米の人たちが、合衆国の国家事業に対して国益を守ろうと、コロンビアと組んで右往左往するさまを描いたもの。映画史上で最初に反帝国主義を扱った作品と見られている。

 もう1本の「青いロブスター」(1954年、アルバロ・セペダ・サムディオら4人が監督)は、秘密機関員グリンゴがカリブ海で捕れたロブスターに放射線汚染の疑いが起こって調査するのだが、このロブスターを猫が盗んでしまう。彼は猫を追って道という道を歩き回る。サイレントのため字幕が出るのだが、迷い犬、子どもや凧など、視覚的に目を引くように工夫されているのも珍しい。

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nantes2014_p03_nigiwai.jpg 今年のナントは温かく、平日でも人通りが多いのだが、やはり週末となると、歩道全部が人で埋まるほどになってしまう。クリスマス用品の小物から装身具、チョコレートやワインとさまざまなものを扱う、この時期特有の"マルシェ(出店)"も店開きして、こちらも大にぎわい。ただ気になったのが、ヴァイオリンなどを演奏するのでもなく、ただ座り込んで寄付を求める人の数が、昨年より目立つことだ。それだけ厳しさが続いているということなのだろう。

【写真】映画祭の旗が連なる商店街通も、歩道は人でいっぱい

nantes2014_p03_tohyo.jpg

【写真】コンペ作品を見終わった後で投票する観客たち(KATORZAで)

(桂 直之)

(2)貧困の中で生きる意味を問う/ジョエル・ラマガン監督の「正義」

2014/12/01

nantes2014_p02_seigi.jpg 28日はフィリピン、トルコのコンペ作品とメロドラマ特集、カファディ・シャラ特集の各1本見た。フィリピンのジョエル・ラマガン監督の「正義」は、悪の手伝いをしながら貧しい存在への心配りも忘れない女性が、主人に代わって悪の張本人になっていく。その過程を追いながら、個人とっての正義(あるいは公正)とは、社会にとってのそれは何なのか-を突きつける作品だ。

 60歳のブリガンはマニラで、同郷出身で成功した女主人の下で働いている。ただ、女主人は悪徳警官らを巻き込んで麻薬密売や人身売買を手掛けていて、ブリガンはその悪行の全容を知りながら、カネの受け渡しや連絡係を淡々と着実に務める。その一方で、妹一家を支援、貧民街で買い物や食事をし、教会を訪れて寄付をし、時には時計台のあるビルの上から紙幣をまく。

 彼女は、女主人が仲間を射殺した現場に遭遇して逮捕されるが、女主人が寄こした弁護士の力で無罪放免となる。が、女主人が彼女を疎ましく思い始めたことから、自分や妹一家を守ろうと、全てを記録したノートを記者に手渡す。一方、女主人のパトロンたちは女主人の排除を実行、ブリガンを後継者に据える。ノートの取り返しを迫られた彼女は、記者を撃ち殺してしまい、パトロンに助けを求める。

 ラストは彼女の盛大な誕生会。パトロンたちに囲まれ、その中の1人に耳打ちされた彼女は、明るい笑い声を上げ続けるのだった...。

 彼女の笑いは何なのか? ボスに収まっても、貧民街がなくなることを望み、ビルの上から紙幣をまくことはやめない。貧民街でカネをねだる赤ん坊を抱いた母親に、「今のままでいいの」とでもいうように平手打ちを加え、その後にカネを渡す。

 社会が貧しい人々生み出しているのなら、個人としてやれることをやる-彼女の中ではこう正義のバランスが取れているのだろうか? 社会悪と個人の関係は簡単には割り切れないし、解決がつくものではない。ブリガンという存在が逆説的に照らすのは、社会の仕組みが連鎖的に生み出す貧困などの悪に囲まれながら、どう目を向け、あらがい続けられるのか、人間の存在そのものではないだろうか。

 この難しい役を実年齢そのままにこなし、作品を成り立たせているのが、フィリピンの国民的大女優ノーラ・オノール(61)。彼女は、貧しい村の出身で、素人のど自慢大会の優勝を機に歌手デビュー、その後に女優になり、芸術性ある映画作品も製作している。ラマガン監督作品では、「フロール事件」(1995年)に主演、カイロ映画祭でグランプリ、最優秀主演女優賞を獲得している。フロール事件とは、シンガポールでフィリピン人メイドのフロールが、事故で子どもを死なせたことから殺人罪で逮捕され、子どもの父親がシンガポールの有力者だったこともあり、フィリピン政府の抗議にもかかわらず95年に死刑が執行されたというもの。この実話に基づき、ドキュメンタリータッチでサスペンスフルに描いて、事件の持つ問題点をあぶり出した。

 「正義」の中には、日本社会の「悪」の側面も登場する。さらわれてきた少女たちの、送り込まれる先は日本なのだ。どこかの国に限ったことではなく、普遍的に人間の在りようが問われているのだが、遠く離れた国では、より強くそのことを思い知らされる。

【写真】弁護士と対応を話し合うブリガン(「正義」より)

nantes2014_p02_mother.jpg トルコのエロル・ミンタス監督(31)の「私の母の歌」(トルコ、仏、独合作)が突きつけるのは、各国でも課題となっている都市と地方の問題や親の見守りだが、そこにクルド人民族問題が重なって、より深刻化させている。

 クルド人のアリは、かつてトルコ国内のクルド人村で教師をしていたが、21年前、授業中に強制連行され、現在は首都イスタンブールで教師をしている。クルド人がクルド語規制などに反発、ゲリラ攻撃を行うなど、対立関係にあることから、アリも今も警察の監視対象だ。彼の最大の懸念は、クルド人村を離れ、彼と同居している母親ことだ。

 彼はマンションに母親の居場所をつくるのだが、母親は村の生活を思い出しては寝付けず、夜中にカセットでクルドの歌を繰り返し聞くことでまぎらせていた。彼女にとってマンションでの生活は、現在と過去との間の"無人地帯"でしかなかったのだ。アリは、母親の嘆きと、自身の結婚生活をどう始めようかの板挟みになり、疲れ果てる。

 母親をバイクに乗せて村を訪ねたり、村の古老からカセットに収録したクルドの歌を聞かせたりして、母親の気持ちをなだめようとするのだが、根本的な解決にはならない。そんな中、母親は亡くなってしまう。

 亡くなって初めて、母親の故郷への思いの深さと、クルド人本来の都会では暮らすべきではない、に思い至ったアリは、村の学校に赴任する。

 もともと遊牧民のクルド人は中東の山岳地帯に暮らしたが、近年はトルコなどを中心に都市生活を送るようになっていて、イスタンブールが最大で190万人ともいわれる。
ミンタス監督の冒頭とラストの光景を同じにした演出が何とも心憎い。

 冒頭は1992年。クルド人の子どもたちを前に、アリはカラスが孔雀になろうとする話を、鳴き声とジェスチャーつきで熱演する。決して孔雀にはなれないけれど、「なろう」とする気持ちを失わないように、というメッセージが込められている。ラストは2013年、同じように彼は、子どもたちに向かって熱演しているのだが、そこには母親の思い、あらためて思い至った彼自身の思いも重なっていることを感じて、熱いものがこみ上げてくる。冒頭の強制連行からすぐ、2013年に切り替わる省略も妙も拍手ものだ。

【写真】村を思い出しながら、マンションで干物をつくる母親(「私の母の歌」より)

 メロドラマ特集はインドのリテーシュ・バトラ監督の「めぐり逢わせのお弁当」(2013年、インド、独、仏合作)を見た。インドの大都市ムンバイでは、家庭で作った弁当を職場に届ける仕組みがあり、5000人のダッバーワーラー(弁当配達人)が、1日20万食が配っているという。

 めったにない誤配で届けられた弁当が、夫との関係が冷め切った主婦と、妻を亡くした定年間近の下級役人を結び付ける。監督にとっての長編デビュー作は、弁当箱に忍ばせた手紙で2人が心の隙間を埋めていく様子を温かく描き出す。脚本も監督。きっかけがお弁当の誤配、メール時代に手紙、いう設定が憎い。女性からの「会いたい」に、出掛けてはみるが、声をかけないままの男性。2人はどうなるのか...。日本でも夏以降に公開されたので、ご覧になった方もいるだろう。女性の料理の指南役であるおばさんが、マンションの階上に住んでいて、調味料などを籠で下ろすが、声だけの登場というのも粋な演出だ。カンヌ映画祭で批評家週間観客賞を受賞している。

nantes2014_p02_khady.jpg セネガルのカファディ・シャラ(1963~2013)特集は「開いた窓」を見た。彼女は映画製作のほか、小説家、語り手として、アフリカ社会で沈黙をしいられている女性に光を当てた。映画はドキュメンタリーで、女性が働くなかで社会の規制や男性らによって隷属させられ、"気が変になる"ことを、自身が語りかけることで女性の口を開かせ、自らの主張も重ねている。時折差し挟まれる、窓から外を眺める女性の姿が、希望への出口を思わせる。バスの乗客の生態を捉えた「Colobane Express」のほか、彼女の遺志を継ぎ、妹マリアム・シャラが完成させた祖母をインタビューした「A Single Word」なども上映されたが、時間の関係で見ることはできなかった。

【写真】アフリカの隷属する女性に光当てるカファディ・シャラ監督

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nantes2014_p02_pasaju.jpg 街中はすっかりXmasの飾り付け一色。週末ともなると、親子連れをはじめ大勢の人が繰り出してプレゼントの下調べに余念がない。ガラス天井の3階建てアーケード、パサージュ・ポメリも、今年は赤系でお化粧直し。LEDの照明が付けられたのが今風か。ロイヤル広場と映画館GAUMONT前広場にはマルシェが店開き、ホッとワインの香りを漂わせながらにぎわっていた。
 【写真】Xmasの装いで赤系に化粧直しをしたパサージュ・ポメリ

(桂 直之)

(1) 根底にベトナムの貧富の差/「人里離れたところで羽ばたく」

2014/11/29

nantes2014_map.jpg 11月の第3火曜日開催と決まっているが、今年は暦の関係で例年より遅く11月27日朝、西フランスの古都ナントにやってきた。3大陸映画祭(11月25-12月2日)は第36回を数え、当方は20度目の訪問となる。

  映画祭はアジア、アフリカ、中南米の3大陸に絞った作品だけを提供し続けるユニークなもの。コンペティション部門10作品(フィクション9作品、ドキュメンタリー1作品)、招待作7作品のほか、「コロンビア映画の位置づけ」33作品、「香港の監督・撮影監督ユー・リクウァイのモダンな世界とデジタルリアリティ」11作品、「セネガルの映像制作者・小説家カファディ・シャラ」8作品、「春の行進~アラブ世界の思考」12作品、「メロドラマの輝き」11本の特集が組まれ、今年も盛りだくさんだ。ただ今年のコンペ部門には残念ながら日本作品はない。会期中、中心街の3つの映画館(6スクリーン)と郊外の2会場で計92本が延べ196回上映される。 

 今年は羽田経由で少し楽をした。27日早朝のパリは激しい濃霧で自動操縦での着陸となったものの、気温は6度と思った以上に暖かだった。新幹線(TGV)を使ってのナント着が午前10時前。10時半から映画を見始めた。初日はコンペ部門3作品と、招待作と特集の各1本を見た。 

nantes2014_p01_anata.jpg 南アフリカのジーナ=カトー・バス監督(28)の「あなたが愛したものが好き」(2014年)は、監督の若さを反映して、タイトルからポップな画面で、陽気な音楽が流れ続ける。ただ、内容はそう簡単ではない。テリーとサンディルは仲間たちに愛されるカップルだが、サンディルがテレフォン・セックスオペレーターをやっていて、彼女へのコールは、2人の間にさざ波を起こした。彼女はどんな場面でも電話に出て、時には相手に親身になってしまうのだ。2人の間だけでなく、テリーの顧客の1人は親身なサンディルにのめり込むのだが...。

 2人の親密な空間に割り込む電話、対応後の気まずさ、関係修復の繰り返しに、取り巻く友達や家族、社会までもが関わってくる。関係のミスマッチが生む滑稽さ、時には辛辣さを、監督は第1作ながら、優れた俳優たちを使って最小限の構成で生み出している。

【写真】テリーとサンディルの間はどうなるのか(「あなたが愛したものが好き」より)

nantes2014_p01_hitozato.jpg  ベトナムのグエン=ホン・ディップ監督の「人里離れたところで羽ばたく(FLAPING IN THE MIDDLE OF NOWHERE)」(2014年、ベトナム・独・仏・ノルウェー合作)は、ベトナムが抱える貧富の差が生み出す一面を、女子学生と家をシェアしているニューハーフの売春婦を通してあぶり出している。

 ヒェンエンは田舎から首都に出て学校に通っているが、実態は「無一文の労働者」ながら、同居人のたくましさにも助けられ、比較的自由な生活をやってきた。ところが妊娠していることが分かった。相手は同郷の高所作業員だが、違法な賭け(闘鶏)にのめり込み、カネには縁がない。中絶をしようにも先立つものがなく、同居人に頼み、売春のまねごとをしようとする。そんな時、若い医師を紹介され、彼と中絶の契約を結ぶのだが、実は彼は若い女性を実験台に、中絶前後の体や性的な変化を調べて論文に仕上げようとしていたのだ。ヒェンエンはそうとも知らずにホッとするのだが、ひどいつわりに見舞われ、相手にも知られてしまう。田舎がホッとするのだが、このままでは帰れない。良く通っていた田舎の廃墟へ、相手と一緒に高所作業車で行き、作業バスケットの中から、都会では感じたことのない空気と開放感を味わう。孤独を突き抜けて、自分で立っていく覚悟が生まれたのでは...。医師との契約は、同居人が体を張って阻止してくれた。

 ここに描かれる、貧富がもたらす教育格差、人格を否定する売春は一端でしかない。ここまであからさまではない日本にも存在する。若い人間の声には出せない悲しみを、どこまで聞き取り、何か行動を起こせるのかを問われている。

【写真】作業車の男の誕生日に、謎の女がバスケットに載った2人(「人里離れたところで羽ばたく」より)

nantes2014_p01_keishu.jpg 韓国のチャン・ルー監督の「慶州(キョンジュ)」は、韓国の微妙な位置関係によるアイデンティティと合わせて、予期せぬ所で日本の戦争犯罪での謝罪問題にも触れていて、不意打ちをくらった。

 北京から韓国南西部の歴史都市、慶州に7年振りに戻ったヘヨンは、同僚の葬儀の後、この街での生活を思い出し、街を巡ってみることにした。学生時代のかつての恋人を呼び出して復縁を図ろうとするが果たせず、かつて壁に絵を描いた場所を訪れると喫茶店になっていた。不思議な雰囲気の女店主と親しくなり、その日にもう一度訪れる。日本人の中年婦人2人が先客でいて、彼を俳優と思い込み、一緒の写真撮影を頼まれる。その後、いったん帰った客の1人が、わざわざ戻ってきて「戦争中の犯罪には深く反省しています」と謝罪をする。彼は戸惑い、あいまいな返事を返すだけです。

 その後、女主人の縁で地元の大学教員、店主の恋人らと一緒に飲むことになった。ヘヨンが韓国出身なのに北京で大学教員をしていることを知った地元教員は、中国との関係とヘヨンの立ち位置、南北統一問題について、しつこく論戦を仕掛ける。何とか論戦の輪を逃れたものの、女店主とその恋人との微妙な関係から、3人とも帰れず、世界遺産になっている古墳公園を歩き続けることに...。

 慶州は3つの世界遺産がある観光地で、韓国の歴史のランドマークになっているところ。新しい出会いに「ときめく」ものの、あらためて自己直視すれば夢でしかない。古墳公園で微妙な位置関係で歩く3人は、現実の個人の関係だけでなく、韓国と中国、北朝鮮の関係ともいえなくはない。ただ、この部分の描写はいいのだが、3人の関係をやや引きずりすぎて、折角の緊張感が薄れたように感じたのは残念だった。

【写真】喫茶店主を自転車に乗せるヘヨン(「慶州より)

 韓国の立ち位置、中国、北朝鮮との関係、国内の居酒屋でも、この中で描かれたような論戦が交わされているのだろう。それを取り込み、「とき」の流れの中の人間関係に置き換えて、より監督自身が言いたいことを描き切ったことに拍手を送りたい。戦争犯罪の件は、決して終わったことではないこともあらためて教えられた。

  「アラブ世界の思考」特集で見たのは、レバノンのカリム・B・ハロン監督による、直訳すれば「神秘の塊」(レバノン・カナダ合作)というドキュメンタリーだ。

 7世紀に殉死したイマーム・フセインの死を記念、再生させる「アシュラーナ」の全容をえがいたもの。レバノン南部の都市ナバティーユで10日間にわたって開かれるのだが、裸の体に鉄鎖を打ち付け、頭を刀で割り、血を流しながら行進する凄まじい行事。 

 人間が1つの集団として整然と行うものとしては世界一の規模とも言われる。宗教への帰依の純粋さ、行為に同化することでの達成感が背景にあるのだろうが、想像を超えている。モスク会場が血の海となり、終了後に、女性と子どもたちが消防ホースも使って洗い流すさまも宗教に裏打ちされた団体行動だ。ラストに1人の女の子が外れた行動取るところが救いともいえるのだが、彼女が成長したとき、この場面を見たら、どう思うのだろうか。

 最後に見たのは招待作の「探索」。メキシコのラス・ブスキェダ監督がモノクロで切り取った画面のこだわりに圧倒された。導入部となる男の自殺では、いっさい余分な言葉も音楽もない。彼が淡々と自殺に向けて行動するさまが、残されたメモの表現1つでも背筋を寒くさせる。後半、財布をすられた男が、犯人を追い詰めていくまでが描かれるが、その緊張感が最後まで続く。77分は短くはなく十分の長さだった。終わった瞬間から拍手が沸き上がった。 

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nates2014_p01_01_postar.jpg.jpg 今年のポスターはコロンビア特集にあやかって、「EL RIO DE LAS TUMBAS(川が墓場)」(1964年、ジュリオ・ルザード監督)のワンシーンが使われている。モノクロ画面に金色を配した、簡潔だが、かつての映画の勢いを前面に押し出した魅力ある構図になっている。

 上映開始時の映像は、ここ3年と全く同じもので、これまでの受賞作のうち、ツァイ・ミンリャン、サタジット・レイ、ウォン・カーウィらの代表作の場面をつないだもので、最後に砂が洗われて字が浮かび、受賞者一覧に変わるという趣向。これはこれで良しとして眺めた。見始めたのは平日の木曜日だったが、夕方まではコンペ作品会場は満員。相変わらnantes2014_p01_yoru.jpgず運営はひどく、長い列を作って待たされるのだが、映画談義をしながら余裕で待っている。このあたりは映画祭が根付いている証拠なのだろう。

 【写真】夜になっても長い行列(KATORZA前で)

 

(桂 直之)
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