番外 政宗の竹二雀とは

 大河ドラマ『独眼竜政宗』の再放送「二人の父」の回見ました! 
 アバンタイトルで水玉の陣羽織が...。
 そうか!!あの水玉の陣羽織、これで有名になったんですね。あの家紋も、ドラマの中で何度も出てきて、政宗の竹二雀だという印象が広まったのか...。全国的にはそうだったのか。ドラマ以前からあの家紋に親しんでいた仙台人としては、目から鱗です。
 そうでした。この頃は、あの水玉の陣羽織が政宗のものだと広く信じられていて、信頼の出来る政宗本でも図録にそういう説明があったのでした。

 先々週の繰り返しになりますが、現在ではこの陣羽織は政宗時代からあとになって作られたと考えられています。ですから、この家紋が政宗の竹二雀だという根拠は揺らいだのですね。
 でも、仙台周辺では大河ドラマの前からずっと伊達の家紋として大切に使われてきた形です。昔は「家」が県庁とか市役所のような行政機関でした。この家紋は仙台市のルーツともいえます。今仙台市のあちこちでこれを見かけるのは、政宗一代の家紋ではなく、開府から戊申戦争を経て、今は東日本大震災を超えていこうとする歴史都市仙台の象徴、と考えると、納得です。

では、歴史的な政宗の竹二雀は...?そのひとつはこんなのではなかったのか?

gaku0220_1.jpg 今回新たに描き起こしたもの。私の想像復元です。
 手がかりは二つ。
 瑞巌寺にある政宗木像の草摺にある竹二雀。
 登米伊達家で、政宗の孫である登米伊達家初代宗倫時代(1640~70)を中心に使われていた竹二雀紋。
 登米の雀と竹の幹を利用し、葉の数と位置を瑞巌寺仕様に変えて作りました。

 瑞巌寺にある木像は、政宗の死後に愛姫が作らせたものです。政宗の画像木像が本人の遺言で両目が晴眼で作られているのに対し、「本当の姿が伝わらないのは残念」と、あえて右目の白濁を表現してあります。政宗のリアリズムにこだわった陽徳院愛姫が、草刷りの家紋を間違うとは思えないのです。特に、外葉が有るか無いかという明らかな特徴を間違わないでしょう。

 じゃあこれが政宗の竹二雀決定版か?

 むかしの家紋は、ひとつひとつが微妙に違います。画像の写し取りというのは、伝言ゲームみたいなもので、少しずつブレが出ます。それだけでなく、金工、刺繍、染め物、陶器、漆器などで、細部を変える必要が出てきます。

 それに、たとえば同じ染め物でも、図柄の大小で技術的理由から細部が変化してしまうことがあります。染める前には染料がにじんではみ出さないように糊で輪郭を描きますが、糊で引く線の細さには物理的限界があるからです。説明のため極端にやってみましょう。

gaku0220_2.jpg

 左から右へ見ていって下さい。
 一番左は、幔幕のように大きな紋を染めるとき。右に行くにしたがって、小さなサイズだと思って下さい。図が小さくなると糊の線は相対的に太くなってしまいます。線を省略していかないと図がつぶれます。
 右から二つ目は、くちばし先端が糊でつぶれたために阿形のようになっています。これを見て写すと、開いたくちばしの先に要らない欠片が付いているのかと誤解して省略しかねません。 一番右を見て下さい。こういう竹二雀をご覧になったことはありませんか。

 こんな風に、家紋は同じものを作ろうとしてさえどうしても差異が生じます。勘違いや見落としで別な形を作ってしまうことがあります。必要に応じてわざと行う省略や変形もあります。
 現代のように、PDFやAiデータを渡して、「この通りに作って下さい」ではないのです。
(データがあっても、拡大縮小が極端の時には加工し直さないときれいじゃないんですよ~)

 こんなふうに、むかしの家紋表現はけっこう自由で、変化があります。

 私の今の興味は、竹二雀にいつ外葉が出たかなんですが、外葉付きが誕生してからも、外葉なしの古い形が併存していたのは十分考えられます。中世末期から江戸初期にかけて、家紋の形は同時期ひとつの家の中であっても、唯一無二であったかどうか、私には疑問です。逆に言うと、政宗が生きている時代にも外葉付きの竹二雀が誕生していたのかも知れません。
 そこは、証拠資料がない以上肯定も否定も出来ない、判らないのです。

まとめますね。
・大河で有名になった竹二雀はおそらく政宗時代の物ではない。
・しかし長く市民に愛されてきた仙台の歴史を象徴する家紋である。
・政宗が使っていた竹二雀は外葉がない可能性が高い。(その一つを今回想像復元)
・政宗時代に外葉有りがあったことを否定する証拠もない。

結論
・研究者じゃない歴史ファンは、自由に考えて楽しみませんか。

 私はストーリーの流れの中で考えてみます。

誤字お詫び!
 先々回 木村宇右衛門の名前の「宇」を落としてしまいました。