第94話について

第94話 国境中山峠

「国境」は、こっきょう ではなく くにざかい と読んでいます。

仙台で暮らす私は、中学生のころ大崎合戦について読んで、中山峠を鳴子の中山だと思っていました。今の山形県上山(かみのやま)市の方だったんですね。米沢と山形の中間になります。同じ地名があちこちにあることがありますから、要チェックです。

gaku9401題箋下の地図を見やすくするため少し描き直しました。このときの伊達は大きく3つ、北の大崎、南には三春と郡山の戦線を抱えていました。

この辺は後で、96話の題箋下に3つの戦の時間の流れ、97話には伊達の戦線移動と集約を図表にして入れてあります。もう少しお待ちください。

(このマンガは文字もですが、図版が多いのも特徴ですね。
オリジナル図版を作るのは、簡単に見えるものでも結構大変ですが、作図することで理解が進むこともあります。
私にとっては外せない作業です。
逆に、作図できない段階はまだ全体像がわかっていない、という自覚もあります。)






「二月に屈辱の大敗を喫した大崎戦線は、留守政景の指揮で巻き返しつつあった」以下
このコマのネーム全体については研究者から「出典は何ですか」とご質問を受けました。
ここは明確な出典は無しです。創作です。
こんな風に考えてみたんですが...。
大崎戦は負けましたが、これは留守泉田、伊達軍だけの負けではありません。応援するよと言っておきながら戦場で活躍できなかった大崎黒川地域の小領主たちにも責任の一端はあるでしょう。ところが、敗戦以降こういう領主たちが順に米沢に出かけてはもてなされているのですね。「負けたけど、次は頑張りましょう」と再結束の確認行為に見えます。少なくとも、弾劾されに米沢まで出かけているわけではないようです。
さて、緊張が続く大崎戦線から順に小領主が米沢に行くのは、戦線全体を統括維持して、
gaku9403「はい、今ならあなたは戦線を抜けて米沢に行ってきてもいいです。その間は私が押さえておきます。その次は○○さん。皆さん順番です。大丈夫。話は通しておいたから、米沢に行くのは怖くありませんよ。お屋形様は待っておいでです。そうだ、今回の小競り合いは、あなたの手柄ということで、これを土産代わりに会いに行かれるといいでしょう
なーんていう、コーディネーターが必要な気がしたのです。
これは顔が広くて強かでないと、できない役。
もう少しすると、留守政景は大崎戦線を離れて郡山戦に参戦します。義姫が大崎戦線に働きかけたにしても、北の伊達同盟が伊達派として安定していないと、留守が抜けて郡山に行くのは危ない気がしました。
こんなことを組み合わせて、このコマのネームを作りました。ここはそういう創作です。
そのままダイレクトに根拠として挙げられる資料や研究はありません。

「母上に口出しはおやめくださいと」
でも政宗は義姫に頼っているし、ありがたがっています。だけど、中山に義姫自身が出かけていくところまで想定できていただろうか。

義姫が粘ったのは中山のどんな場所か
大河だと、義姫は中山峠の山の中に笹小屋をかけて粘ります。それだと、「人間の盾」ですね。赤い鎧を着た義姫は絵になっていました。
一方、今の研究では、中山での義姫は大崎、最上、黒川、伊達の使者を招いて交渉させて、事態の解決を図っています。人間の盾ではなくて、外交交渉の調整を行っているわけです。
だとしたら笹小屋ではないのでは。ちゃんと屋根と壁のある建物でいいと思います。中山峠って言ったって、山の斜面だけじゃない。境目の城があります。義姫の居場所としては、私は城で考えています。
着ているものも、鎧ではなく身分にふさわしい着物だろうと思います。それにせっかくカラーマンガだから、義姫の衣装はきれいなのだ。

第92話で唐突に愛姫に「子供のないことを気に病むな」と労わった義姫ですが、実は自分自身に子供が少なかったことを重く考え続けていたとしたら。
義母の栽松院久保姫は11人の子をなして全員成人させ、前年の天正15年には自分の子ども国分盛重の助命嘆願に、63歳の身で輿を出しています。(第83話 お祖母様ご出陣!!)
義姫積年の思いと強い行動力とが結びついて自ら中山峠へ...という流れで考えてみました。

おおっとお!義姫の輿は白木の杉輿にするべきでした。塗り輿にしたこの絵は間違いです。

イノシシはどうした
動揺した最上義光のセリフ「熊も狼も出る、危ないではないか」について、見てくださった研究者から「中山峠、イノシシは出ませんかね?義姫は大弓でイノシシ倒さないのかなあ。」というご指摘をいただきましたが、それ、このマンガじゃないから。大河だから。
「母の日も近いのに」というのは新聞掲載日が母の日の前だったからです。