第123話について

『第123話 須賀川攻め』

この回を含めて、須賀川攻めは3話構成になります。大乗院阿南姫も3話とも登場。
開戦まではなるべく資料に沿っていますが、何故こういうことになったのかは、物語上の想像で進めています。
どうして阿南姫はこんなに強硬だったのだろうと不思議に思っていろいろ考えました。勝てそうにないのになあ。
『仙道軍記』別名『藤葉栄衰記』という資料があります。須賀川二階堂氏の興亡を書いたもので、江戸時代になってから出来た軍記ものですし、治家記録編纂者は記述が不正確として参考にしないと言っています。でもとりあえず読んでみました。
このなかに、大乗院阿南姫が政宗の罪を数え立てて戦う理由を語る箇所があります。
どれ、その政宗の罪を上げてみましょう。原文は長いから端折りますね。
(原文を読みたい人は『戦記資料 仙道軍記 磐城軍記集』(株式会社歴史図書社 昭和54年)に掲載されています。宮城県図書館にはあります。)

その1 政宗は昔二階堂の敵である田村清顕の味方をした。

その2 従兄弟の居城、黒川城を取った。

その3 芦名義広を逃亡に追い込んだ。義広は政宗の叔母彦姫の名跡、自分阿南姫の息子盛隆の名跡、佐竹義重の子であり、3つの家に災いをなした。

その4 己の欲で自分阿南姫の兄(原文ママ。弟の間違い)輝宗の首を取った。

その5 佐竹義重の城に兵を出し、叔母(晴宗娘)と義宣を滅ぼそうとした。

戦う理由としてはこのほかに佐竹への恩を上げています。

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4は、もしこれが阿南姫の言い分であれば、政宗は看過できないでしょう。また小十郎も見過ごせないでしょう。

阿南姫の強硬姿勢、政宗が「廻状」に引っかかっていたように見えること、その理由をこの辺に見て、物語を進めています。