第125話について

『第125話 最大版図、そして急展開』

阿南姫が戦場を去る
大乗院阿南姫が戦場を去る様子については、資料として『藤葉栄衰記』、『伊達治家記録』のほかに
『木村宇右衛門覚書』などがあります。
『藤葉栄衰記』は二階堂家の悲劇と阿南姫の無念が一番濃厚に描かれています。
『治家記録』は相変わらず、一番淡々と戦場報告です。
『木村宇右衛門覚書』は、政宗が語る思い出話ですが、 阿南姫への苦い思いと、成実が苦しんでいた様子が垣間見えます。
gaku125_1.jpg

杉目城の栽松院からの使い
栽松院の使いがどの時点で現れていたのか、軍記とドキュメンタリーと回想録を併読すると
かえってわからなくなるので、ここは話を作る、と。
このマンガでは、一生懸命お祈りしていた留守さんと栽松院のおばば様は、裏でしっかり結託して手を回しています。
現実的な母と子です。

留守さんと栽松院ばばさまについては、想像の手がかりがあります。

gaku125_2.jpg

昨年仙台市博物館で、留守政景直筆の書状が展示されていました。
内容は、記憶だけど、2回目の国分騒動に絡むもので、
「政宗も努力しています」という内容に見えました。

宛名が欠けているのですが、ここからさらに想像。
この書状、栽松院宛だったら面白いなあ、成り立たなくもないなあ。

血族間トラブルのセーフティネットとしての栽松院ってどうでしょうか。

 畠山家はどうなっていたか
ところで、芦名滅亡、芦名義広出奔の際に語っていなかったのが、身を寄せていた
畠山家がどうなっていたかです。

結論から言うと、滅亡です。
畠山国王丸は芦名に身を寄せ、元服して義綱と名乗りました。芦名義広が黒川城を
出奔したときに同行したわずかな人数に入っています。
ですが、佐竹領にたどり着いてから、芦名義広の命令で、義広の家臣父子の手にかかって殺されました。殺されたことについては
畠山氏の系図にかかれています。
殺されたときは十六歳であった、原因は男色の恨み、と
『松府金華抄』は伝えます。
摺上原合戦の時に芦名義広くんに寄せられていた同情が、音を立てて引いて行くのが聞こえる気がした...。


状況急展開
北条氏が大フライングしてしまいました。
2016年の大河ドラマ、『真田丸』に出てきた、名胡桃城奪取です。秀吉と膠着状態であったのに、これで惣無事違反になりました。
北条氏については、上京を要請する秀吉に対して、12月には行きますと返答しながら3月まで粘る腹積もりであったと、
この辺は小田原市史を参考にしています。

政宗にとって、12月と3月の決定的な差異は...そこは次回で。