1本の扇から♪

えーと、まず最初に。今日の記事は2本です。
私がネットの記事を読むのが苦手な理由は、記事がどのくらい長いのかがぱっと見で解らないことです。本だと手に持つとわかるから。
ということで、せめて目次。画像込みでA4版3枚くらいです。
今日は
今週の表紙!
1本の扇から
の2本です(サザエさんの感じで)

gaku20170518_01.jpg今週の表紙
武水しぎのさんから頂いた写真、伊達実元の居城であった大森城からの景色に、実元横顔を入れてみました。

政宗以外の人が単独で表紙になるのは初めてですね。
最初は、後ろの景色をもっと春にしようかとか、昔の景色にしようかと思ったのですが、今の福島を見て、その将来を思って、実元がほほ笑むようになってほしいと思い、こうしました。
実元の大笑いというのは、本編では描いたことがありません。
仙台市博物館には、子どもが生まれてくる準備について晴宗から聞いた覚書が残っています。心に残るのは、「嫡子誕生」だけが重要だったのではなく、項目ごとに男子だったらこうする、女子だったらこうする、と全部書いてあること。女の子でも大事だったのですね。

武水しぎの様、ありがとうございました。



gaku20170518_02.jpg1本の扇から

自分でやっておいて、ほかの人が気が付くのを見て思い出した件です。

先回の第127話『土の城 石の城』で、最後のコマの政宗の扇が観世流ではないかというご指摘、その通りです。

文禄の役で政宗が朝鮮半島にいるときに書いた謡曲...政宗は記憶で書いたんでしょうか。これに観世流の節付けがされていると教えていただきました。同時に、現在法政大学所蔵の輝宗の謡曲本もまた観世流と、これも教わりました。
ということは、127話のあたりの政宗は観世流ということでいいのではないか。




gaku20170518_03.jpg写真は資料にしている扇です。

それから、使僧が帰ってきて報告している部屋ですが、城内でなく、別棟の鷹屋のつもりです。
政宗の鷹屋というのは鳥小屋というより、鷹飼育施設を伴う屋敷くらいの規模があったと考えています。米沢でも大きな鷹屋がありました。会津に移って間もなく鷹屋の修築をしています。
政宗が鷹屋で重臣、近臣、客との面談や宴会をした記録がよくあります。
時おり能もやっているんですね。
なので、密談するにしても扇を持って鷹屋に行くというのは有りかと。

鷹屋が大きいだろうと考える根拠のひとつは演能です。鷹が演能の音や声で驚いて傷ついたら大変です。十分な距離や空間があったのではないかなあと思っています。

鷹屋で会議をするというのは、輝宗が始めたと、これは性山公治家記録にあります。
政治の決定体制が変わると、政務の場所が変わる、と、これも教わったことがあります。
すると、晴宗と輝宗の間には政務のシステムに大きな変更があった。輝宗から政宗へは、システムは引き継がれた、というのはどうでしょう。

...というようなことで、鷹屋で打ち合わせをする政宗が持っている扇が観世流だったりするのですが、まさかそんなこと全部漫画に書いていたら話が止まります。
...でも気が付く人は気が付くんだ。そりゃそうだった。

...実はですね。
『伊達政宗と時代劇メディア』へのある書評で、「ここまで史実と向き合わないと歴史漫画は描けないのかと感嘆させられる」と書いていただいたのです。感嘆というから、ほめてくださっているのですが、私は複雑でした。
調べないと描けない、描いてはいけないという印象を振りまいているのだとしたら、この楽屋は大失敗です。
どちらかというと、描こうとすると見えてくるものがたくさんあるよと言いたい。
いちど自分で文章でもイラストでも漫画でも描くと、地元に対する見方がふくよかになって、楽しくなります。
それから、何かがわかるのも楽しいですが、疑問が浮かぶというのも、これまた楽しいと思うのですが、いかがでしょう。