第134話について


『第134話 嵐の前を駆ける』

この辺、いつ何が起きたかみてみましょう。青文字は宝文堂版の伊達治家記録の目次から、赤い文字は小田原市史通史編(小田原市 平成10年)を手掛かりにしました。

6月5日 政宗 小田原着 底蔵に宿
小田原城内の兵150人が役所に火をかけ退去。
6日 織田信雄配下の岡田利世が小田原城に入って二夜にわたり氏直に対面。
7日 政宗の元へ関白より詰問使。政宗ひとつひとつ答える。
徳川家康が北条氏規に城を出て関白に詫びるよう書状を送る。
9日 政宗、関白に謁見。片倉小十郎らもお目見え
10日 政宗、関白に奥州・羽州仕置きについて命じられる

16日 北条内で関白軍を引き入れる動きか、露見して成敗か。内紛。
18日 政宗、この頃小田原を出立か。
7月1日 北条氏直、秀吉への投稿に同意。
    5日 氏直、城を出て滝川一益の陣所に入り、自身切腹と引き換えに城兵の助命嘆願。

 政宗が小田原をいつ出立したかについては正確な記録がなく、18日の後ろの方に、この日のころ、公小田原を発せられ、会津へ赴き給う とありました。
政宗が小田原を去ったという知らせが北条父子に届いたのは19日か、20日か。
7月1日には北条氏直は投降の決意を固めます。

小田原市史のP943には、「六月初旬以来、城内にはこうして明らかに動揺が広がっていた。」とあります。
この動揺と政宗の動きとの関連については書いてありませんが、関係ないと断じてもいません。政宗の小田原参陣については、落城前で滑り込みセーフ、みたいに言われることもありますね。でも、秀吉が政宗の参陣を利用して北条にダメ押しの圧力をかけたという見方はどうでしょうか。


政宗の小田原参陣は、むろん秀吉へ臣従、平たく言えば降伏に行ったのでした。このマンガでは、それに加えて、「天下の戦」なるものを自分の目で見てみたいという気持ちと、遠望ながら、北条にきちんと挨拶をしたい政宗だったという表現をしてみました。
これはこの漫画の中での政宗像です。

今日では政宗は野心家、陰謀家、gaku-134.jpgハチャメチャなキャラクターが表に立っています。
資料から私が感じるのは、政宗はとにかくいいところの御曹子だということです。
少なくとも秀吉と会うまでは、不思議なはっちゃけ話は見当たりません。
戦国武将とひとくくりに語られますが、全くの地下から成りあがってきた秀吉、国衆から大きくなった家康、百年以上の大名の北条や伊達、それぞれ家のキャラが違うでしょう。
政宗たち奥羽の大名に関しては、私は「軍人貴族」というイメージを持っています。
そんな彼らの時代が終わるのです。







石垣山城の仕掛け
秀吉の「一夜城伝説」が一連の秀吉の面白話ではなく、実際にあったということが分かったのは『木村宇右衛門覚書』のおかげです。P69を意訳しましょう。
秀吉が近くに来なさいと言って政宗の右の肩に手をかけて指であちこちさして、いちいち説明する。昨日までは見えなかったあたりに、今朝までの間に白い塀が立っている。城中ゆるりと立てまわしてあるのを秀吉が「不思議だろう」と言う。政宗が全くだと思ってみれば、一晩のうちにおびただしい数の塗り塀が立っている。「あれは、みんな紙を貼っているのではありませんか」と申し上げると、秀吉をはじめ諸大名ももっともだといった。後に聞けばみな紙だったそうだ。

『木村宇右衛門』にはありませんが、一夜城伝説には、ほかにこんな話もあったように思います。
小田原城から見えないように内密に城普請をしていた。ある日突然小田原城に向いた木を切り倒したので、まるで一夜にして城ができたように見えた。...という話もあったはず。どこで読んだんだっけ。こういう出典解らずが泣けるなあもう。
小田原でお聞きしたのは、工事の音も聞こえ、様子も見えていただろうから、秘密裏に石垣山城を作ることは不可能、ということでした。
それを踏まえてですが、
樹間から工事が見えていたとしても、ある日一斉に木が切り倒されたら...、前にも書きましたが、石垣山城と小田原城の間は音が良く響くのです。
合図の鐘、太鼓、法螺。一斉に木が倒れるべきべきべき、ざーん、どーんという音が響き渡り、立ち昇る煙、木っ端。その中から現れる東国ではじめての大石垣、と言ったら聞いてくれたJさんが「なんですかそのマジンガーZ感」でも、そんなんだったらすごーく怖かったと思います。