青鷹・黄鷹・白鷹・目赤の鷹・鶴取の鷹

私がつまずいたことは、ほかの人の役に立つかもしれなgaku-0908-1.jpgいので載せておきます。
いつもあてにしている伊達治家記録ですが、前後を確認しないと危ないこともあるよ、という話です。

タイトルは、なんかゴレンジャーのように色違いの鷹に見えますが、大体全部タカの呼び方です。
伊達の記録には、鷹に関する記述がたくさん出てきます。

呼び方はこの他にもあるのですが、上記はオス、メス、歳、羽根の色、鶴を獲った、などで呼び分けています。文末に少し紹介します。
例えば、「目赤鶴取の鷹」となれば、鶴を獲ったことがある、目が赤みを帯びている鷹です。
この語順や表現はあんまり厳密でなく、ひとつの記録の中で「目赤鶴取ノ御鷹」「鶴取ノ御鷹」、同じ鷹を別の記録で「目赤之鶴取之鷹」ともあります。

おっとややこしくなったけど、本題はこの次。

小田原参陣前の天正17年、こういう鷹を政宗が持っていることを聞いた秀吉が欲しがります。何度か手紙も行き交い、使者が遣わされます。
その覚書に

一 赤目鶴取急速御進上可然存候gaku-0908-2.jpg

これについては、治家記録では 取急 のところに「とりいそぎ」と振ってありますが、私は前後の文脈から振り仮名は間違いだと考えています。宝文堂版の間違いなのか、資料を書き写すときに治家記録が間違ったのか、あるいはさらに前の段階での間違いかは確かめていません。

・原文本来の読みはおそらく 
ひとつ 赤目鶴取 急ぎ速く御進上しかるべく存じ候  これをAとします。
・ルビを頼りに読むと、 
ひとつ 赤目の鶴、取り急ぎ速く御進上しかるべく存じ候  これはBとします。

Aは、赤目鶴取の鷹です。目が赤い鷹の話。
Bは、赤目の鶴、で、秀吉が鶴を欲しがっていた話になります。
秀吉が欲しがっていたのは鷹か、鶴か。

目の赤い鶴もいるのかもしれませんし、秀吉が欲しがっていたかもしれない。
でも治家記録のこの部分の記述に関しては、前段からずっと赤目鶴取ノ御鷹、鶴取ノ御鷹、赤目之鶴取之鷹之儀、とあるので、鷹で間違いないでしょう。
決定打としてはこの後6月ころ、政宗から秀吉のもとに「目赤の鶴取の鷹並びに取った鶴」が届いたこと。鷹と鶴は別にいました。
そういうことで、振り仮名間違いだと考えているのです。
秀吉からからは、そのお礼に刀を上げようという連絡が来ます。それが鎺国行だと書状の中にあります。この刀については詳しくご存知の方もおいででしょう。私は詳しくないです。


輝宗の鷹の話もしましょう。

伊達輝宗も鶴取の鷹を持っていました。輝宗日記に出てくる鷹狩の時に、特にかわいがっていたらしいツルトリとツメヌケと呼ばれる鷹がいます。
ツメヌケというのは、自分より強い相手に挑んで爪が抜け取れてしまった、傷のある鷹なのでしょうか。傷を嫌わず、呼び名にして、かわいがります。
鷹狩って、優美な感じもありますが、輝宗はツメヌケ達でカラスやトンビを襲わせたりしています。読んだときには、何やってるの輝宗、と思いました。ハンティングというよりファイティングです。まあね、この時の輝宗は数えで31歳だから大人だけど若いんだ。
鷹狩なのに「犬が狐を取った」というのは、犬を使った鷹狩だったからでしょう。



さて鷹の呼び名を少し挙げます。
青鷹=三歳の鷹という情報があり、私も鷹のどこかの本で読んだけどただいま不明。
なお、鷹の羽の色と模様は年を経て変わる。目の色も変わる。
黄鷹=これにオオタカと振り仮名があるのが治家記録天正17年10月1日
鴘黄鷹=伊達日記に「山カヘリ大たか」よくわかりません。
白鷹=白大鷹。「日本では留鳥として存在せず(中略)特に貴重」と『鷹匠の技とこころ』(大塚紀子 白水社 2011)にあります。葛西氏から政宗に贈られています。
目赤の鷹=目ははじめ黄色っぽいが、歳を重ねて赤みを帯びてくる。
鶴取=鶴を獲ったことのある鷹。そうそう出ない名誉の鷹です。
鷂(ハイタカ)鷹の体格の小さいものの雌
兄鷂(このり)同じく雄
兄鷹(ショウ)オオタカの雄
弟鷹(ダイ)オオタカの雌
巣子=すのこ 巣にいた幼鳥でしょうか。

などなどです。

土地や鷹匠の流派などで呼び方が違ったりするかもしれませんが、ここではだいたい治家記録で見かけたものをあげてみました。