第141話について

『第141話 愛が人質に行く』

戦のなかで伊達が人質を取ることは、これまでよくありました。
取る側だった伊達が、秀吉に屋形の正室を差し出すことになりました。
時代が変わりました。

本当は大丈夫じゃない人が「大丈夫」といって微笑むのは、それが最後の砦の旗だから。
この旗を降ろしてしまうと立ち上がれなくなるから。
そういう微笑みを、震災の後に見ました。
自分もそうだったかもしれません。

gaku-1.jpg関白への服属は
・小田原に参陣、のち宇都宮に参陣して関白に目通り、帰順を誓う。
・検地と刀狩りを受け入れる。
・正室などを人質に出す。
のセットです。
いきなり京都にではなく、蒲生氏郷など秀吉直属の大名のもとに新たに服属した地域領主の妻子が集められることもありましたが、愛は直接京都に行くことになります。


木綿の反物については、
『伊達政宗言行録 木村宇右衛門覚書』(小井川百合子編 新人物往来社1997)P95の65項の4行目から。
この項目は遠藤基信のことについて晩年の政宗が語っているところです。
抜粋して大意を口語にします。
(本文を読みたい人は、仙台市内なら図書館か、仙台市博物館の情報資料室にあります。)
「ある時京都から染めた木綿が初めて到来した。その見事さは見たこともないようなので、広間に出仕した人たちに「こんな染め木綿は初めて到来した。上方にはこんな染め木綿もあるのだ」と見せると、人々はびっくりして初めて見るのでみんなで手にとりどりした。
そこに遠藤基信が来て、みんなが集まっているのを見る。「どうした」「上方から初めて下ってきた木綿をごらんなさいませ。みんな見て、肝をつぶしています」
基信はそこに来て反物をくるくると巻き取って自分の家(原文は我が宿所)に運んばせてしまい、「大将たるべき人がこんなもので(びっくり感心して)、御心の小さいことではいけません、と、もってのほかの腹立ちっぷりで宿に下がったと聞く。もっともだと感じ入った。」


さて、基信が自分の宿に持ち帰ったgaku-2.jpgあとは書いてありません。
さすがに私物化できないでしょう。
それでマンガの設定で、その後は保春院の手元にあった、としてみました。
それも含めて、保春院から愛の手に渡ったというのは創作です。

愛姫の重要性
この原稿を書いている頃にはまだでしたが、最近、愛姫の重要性が気になっています。
優しい女性とか、いい奥さんとかいう話じゃなくて、伊達の戦略上の重要性です。

政宗青年期の到達点が、芦名を滅ぼしてその後版図が最大になったことであるなら、出発点はどこかを考えてみました。
これまで、輝宗の親芦名路線から、家督を継いだ政宗が対決路線に舵を切ったように考えていましたが、もっと早いように思えてきました。

・輝宗が妹彦姫を養女にし、伊達屋形の娘として芦名に嫁入りさせる。(親芦名路線の確定)
・止々斎の度重なる願いにもかかわらず、輝宗は男子の養子は送らない。(距離ができた?)
・政宗の正室に田村の愛姫を迎える。田村=伊達連合の始まり。芦名とはぶつかることがほぼ確定。

じゃないのかな。

つまり、芦名との対決は、輝宗時代にすでに静かに始まっていたんじゃないかと、思い始めているところです。
時期は、天正2年、盛興が(おそらく酒毒で)動けず、彦姫が手紙で輝宗に、田村と芦名の戦で芦名に名のある死者がたくさん出たことを知らせてきた、その前後かなあ。
(彦姫の手紙については宝文堂版『伊達治家記録』だと1巻の219ページの2行目から。翌年盛興が死去。)
輝宗が版図拡大を目指したとして(この辺まだ、もやもやの妄想)、名分がなければ戦は起こせません。
でも、田村と縁戚関係になると、なにしろ田村が多方面の戦をしていた家なので、田村を助けると言えば四方八方どこにでも戦を仕掛ける名分が立ちます。
本当に、まだぼーっとした妄想ですが政宗と愛姫の結婚の意味について再考しているところです。

そういうことで、私はずっと輝宗が気になっています。
早くに死んでしまったためにマンガでは画面に出てくることが少ない輝宗ですが、天正年間までは、政宗と亡き輝宗、輝宗の意を受けついだ親族たちの物語と見ることもできると思うのです。




※ちょっとお願いを空に向かってつぶやく。
数分の立ち話の会話を一部切り取って、千葉真弓曰くとか書かれるの、やだなあ。
話者と聞き手のすれ違いというのもままあります。今後立ち話のたびに警戒するのも寂しい。忖度と代弁は御勘弁。