第152話について

『第152話 風烈小田原城』

天正19年正月15日、政宗たちは上洛のgaku-152.jpg途中小田原を訪れます。大急ぎの上洛のはずが、16日にも滞在してしっかり見て歩いています。
政宗の自発的な見学とも、秀吉の指示とも書いてありませんが、出発前に浅野長吉と打ち合わせをしてからなので、豊臣政権の意向とみていいんじゃないでしょうか。

政宗が小田原城を見たのは1年前の夏です。
22万ともいわれる秀吉の軍勢に囲まれて、落城寸前の姿でした。
今回小田原城の内部をじっくり見た政宗の感慨が今回のお話です。
政宗の見るところ、小田原城は武器や食料が尽きて落ちたのではなかったようです。
戦闘が可能なのに、戦争続行不能な状態に陥って陥落したのでした。
「かかる要害普請のてい、言語を絶し給う。」(すさまじい城だ!)
「さりとてかようの要害、兵糧兵具際限なく、何事も不足なくして無体に果てらること是非なし。」(こんなにすごい城で、兵糧も武具も十分すぎるほどあって、それで負けたのか)

大崎葛西一揆の黒幕が政宗だったという話について、少なくてもこの見学以降は成り立たないように思われます。
北条氏を滅ぼしてさらに強くなった豊臣政権には、戦を仕掛けても勝てないのです。

小田原に調査に行った際、障子堀の角度にびっくりしました。
同時に、「あ、過去の噴火の降灰層!」地層の縞が新鮮で、背景に書き込んでいます。
...でもほとんど見えないですね。
こういうのは現地に行って教えていただいてわかること。
障子堀に梯子をかけておりてみたなどという記述はないのですが、これは資料を基に、人間の大きさを書き込みたくて入れました。
でも、障子堀って、水を入れていたかもしれないんですか?
だとするとこの地層が描けなくて残念なことになるので、ここは水なしで行きます。