第162話について

『第162話 そこに集いし者たち』

伊達軍の主力が勢ぞろいです。
葛西大崎一揆には上方勢は投入されず、伊達を主軸とした地元勢での合戦になりました。
上方勢は九戸戦に投入されます。
ここに描けなくて残念なのが、伊達には浅野の目付が付いていて行動を共にしており、働きは逐一浅野長吉、また秀吉に報告されているということです。
華々しく戦わざるを得ません。
全員集合は、象徴的な意味合いもあったのでしょう。

上段にあえて、政宗黒幕説はないでしょうという話を入れました。

諸説あるとか検証がされ切っていないと言われるかもしれませんが、地元では政宗黒幕かつ裏切り説もまた検証されずに漠然と信じられています。
違うかも、とあえて言うのも地元での仕事です。

浜田伊豆が撃たれる!gaku-162-001.jpg

浜田伊豆は#88大崎攻め・弐#89大崎攻め・参で留守政景と一緒に戦っています。
もと仙台市博物館館長の浜田先生のご先祖です。
若い時のお顔をモデルにしました。

宮崎城

大崎市に、大崎氏の菩提寺、長興寺があります。
今年も大崎氏家臣の子孫の皆さんが法要をなさっています。
以前ここに参上した際、高清水町史で御縁があった佐藤信之先生から宮崎城調査についてお話を伺い、作成中の縄張図を頂いていました。
(縄張図の途中がまだ未記入で「野猿に阻まれて踏査できず」ということでした。
城跡は猿が住み着いていたりするので城廻の皆さんは気を付けて。)
「宮崎城、しっかり攻めてくださいね」というお言葉を頂き、調べたら大事な合戦でした。
佐藤先生にはその後の踏査で解った新しい縄張り図もいただいて基本資料にしました。
改めて御礼申し上げます。

『宮崎町史』194頁には、宮崎城推定図が掲載されています。
佐藤先生の縄張り図に加えて上記の推定図、Googlemap、デジタル地理院地図、カシミール3dスーパーを使って描いたのがこの城の絵です。
平成3年開業の切込焼記念館の展示計画のため、現地に通ったことがあったのも幸いでした。
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 この城の形をとるだけで時間のほとんどを使ってしまい、美しい絵にするには至らず。
そして、ジオグラフィックスの方の絵を見て、こんな風に地形を描けたらと、尊敬します。

私が読むときには、やっぱり城の全体図は欲しいです。
文字での「険阻な崖」などの表現だけではイメージしきれません。
ところで『宮崎町史』には城の西、六本松という地名が現在は小十郎峯と呼ばれているともあります。激戦が地名に刻み込まれたんですね。


今回参考にしているのは『伊達治家記録』のほかに『政宗卿伝記史料』に入っている「記録抜書」、昭和48年発行の『宮崎町史』など。
特に『宮崎町史』に部分的ながら入っている笠原家文書には、宮崎城に立て籠った笠原氏の側からの視点があります。これはありがたいです。
ただ、この笠原家文書がどういうものかについての記載がなく、私も自分で調べきれませんでした。町史に載っているのだから大丈夫とは思いましたが、同書には原田宗時と後藤孫兵衛の武勇伝として、劇作家 久板栄次郎の『伊達騒動』から抜粋してあります。
『宮崎町史』発行の昭和48年3月というのは微妙なタイミングで、原稿作成時には、昭和47年発行の宝文堂版『伊達治家記録』を参照できなかったのではないかと思われます。
宝文堂さんの仕事の重要性を改めて思います。
昭和50年代以降の市史や町史は大体『伊達治家記録』を参考文献にあげています。

町村合併で新自治体史が作られるときに、各自治体史の全文を継続して記載できません。
史料なども割愛されてしまうこともあり、旧版は貴重です。