第166話について

『第166話 佐沼城変容』

この時点での佐沼城gaku-166.jpgの様子は宝文堂版の治家記録では2巻の289頁、27日の項。

公(政宗のこと)宮崎より栗原郡佐沼城へお働き也。この城は、去年木村伊勢守御出城御(木村吉清父子が城から出た後)、一揆の者城を普請し、西舘町郭まであい抱え、人数多く籠れり。

つまり、一揆発生後に一揆衆が城の拡張工事を行って、西舘、町ぐるわ(町人たちが住む街に防御機能を強化して城の一部貸したもの...ていう感じかなあ)
...城が育っているのです。
この佐沼城については、『東北の名城を歩く』(吉川弘文館 2017)で縄張り図などを見ることができます。

こんなに大きくて、でも孤城なのです。
周りの城との連携が絶たれてしまっています。

この時の城主は、294頁後ろから二行目の下から「城主はこの春首を京へ昇せらる。何処方にて討ち取りたるや城主名もまた不明」「今度の城主の子彦九郎兄弟籠城す。」
一揆の首謀者のひとりが城主になっていましたが、すでに討ち取られていて、その息子兄弟が城主になっています。
名の知れるような大将がいなかったのです。

政宗たちが戦をする場合、だいたい複数の城を連携させて使います。時によっては戦略上不要な城を廃城にもします。
戦略の中で城を捨てる、という大きな判断は、いくつも城を持ち、戦を経営する感覚をずっと身に着けていた政宗たち大名クラスのできることで、佐沼城にこもった人たちは、ただひとつの城を普請し続けて強化する方に走ってしまいました。
巨大な超佐沼城は、一揆衆の恐怖と不安が形になったともいえるでしょう。

富左馬允(とみ さまのすけ)のこと


次号では「トミ」さんと呼んでいます。
同じ戦場に伊達軍の原田左馬助がいますので、同じ「さまのすけ」で読者が混乱しないようにこのようにしました。
次回の主人公です。


講演会、研究会、遠足に行ってきました。


仙台市博物館のツイッターやHPには、ときどき講演情報が出ます。
6月30日の明石治郎さんの講演『伊達綱村と歴史書の編さん』を拝聴してきました。
私は素人なので、研究史を押さえていないのが大いに弱点です。資料の性格もわかっていないと、とっくに覆った情報に基づいて考えているかもしれない。
博物館の講演会は講演内容と、レジュメと、資料で充実の90分でした。これで無料。
情報ってジグソーパズルのピースみたいなものです。その時得たものが、何年もして他のものとくっついて全体像が結ばれることがあります。
「政宗」とついていなくても、仙台市博物館の講演会は常にチェックです。

7月1日の東北学院大学中世史研究会にも、参上していいかお伺いしてから拝聴してきました。
入間田亘夫先生の「葛西氏と千葉氏―宗清は千葉市からの入嗣によってー」
院生の佐藤耕太郎さんの修論の途中の発表「奥州仕置に関する研究史と課題―在地社会の視角から―」
東北学院大の竹井英文先生の「中世移行期の利府地域について」
大崎葛西一揆から留守政景に関わる利府城について、研究成果ばかりでなく、いろんな見方や調べ方、疑問の持ち方について勉強させていただきました。
ありがたいです。
ひとりでやっていては見方が狭くなります。
それに何より、研究者の皆さんがどんどんやり合っている姿は楽しかった!
そうだな、調べたり考えたりするのって、楽しいよねと再度思えた回でした。

日付は戻りますが、6月16日には伊達最上弾丸ツアーをやってきました。
最上義光記念館から白鷹に回り、最後は米沢市上杉博物館へ。
最上義光記念館では資料の買い込みです。
受付では音声ガイドの他に単眼鏡も無料で貸してくださいます。
ボランティアガイドさんはいきなり説明せず、最初にガイドするかどうかを訪ねてくださいます。これってとってもありがたいです。
私は時には、モノと向き合って、ゆっくりゆっくり、何かがにじみ出してくるのをじっと待つような干渉をすることがあります。見入っている時後ろから「これは○○です」と話しかけられて飛び上がったことがあります。
最初に聞いてくださるのはありがたいです。

それから長谷堂へ。
おおこういう地形かあ。
えーとつまり、私は関ケ原の準備に入っています。

一日運転してくれたMJさん(移動するにも旧街道や遺跡等を選ぶ)、車の中で下を向いてスマホ検索しても酔わない特技で次々に情報探してくれたY子さん、ありがとうございました。
白鷹の鮎もおいしかったですね。また行こう。

このところ少し頑張りすぎてしまいました。
ちゃんと休みながら仕事をします!