第168話について 

『第168話 佐沼城、落つ。』

葛西大崎一揆は、始まって最初にgaku-168.jpg華々しい戦闘が起き、その後ほぼ一年攻撃されませんでした。その間拡張された佐沼城には非戦闘員が町郭(まちぐるわ)に沢山いました。
伊達の猛攻で町郭が放棄され、その人たちは主郭に移ります。
部屋や廊下の位置に慣れる暇がなく、互いの顔も覚えきれず、そんな中で未明の襲撃を受けました。
一揆衆の一部が何度も早朝の出撃でそれなりの成果を上げ、いささか油断が生じたところに原田左馬助と後藤孫兵衛に門を抜かれたのです。
左馬助と孫兵衛は何日も門に張り付いて佐沼衆を観察していました。門を抜くタイミングを計っていたかもしれません。
同じ時刻に突撃を繰り返した佐沼衆と比べると、まるで戦のアマとプロです。

佐沼衆が何日か、門から突撃をしてはある程度の戦果を挙げていたこと。
この間左馬助と孫兵衛が一番槍を競って何日も未明から門に張り付いていたこと。
これは治家記録から。
前号でトミが「伊達は正面から攻めてくるから後ろの迫川から逃げられる」も一応ネタがあります。
戦闘が決着してから、政宗と浅野の目付の前に左馬助が呼ばれていました。
その席に中島勘解由が手柄首を持ち込んできます。佐沼城正面から攻めてきた伊達を避けて裏から一揆衆が逃げるのを、中島は逃げ口で待ち受けて首を挙げていたのです。
左馬助は「城門や柵を破るのが戦だ、なぜ逃げ首を挙げてきた」と言い、中島は「首を挙げるのが戦だ」と、浅野家臣の前で言いあい、政宗から自分の浅野の目付の前で今言い争うのは無礼であると一喝されます。
浅野家臣は伊達の士気が高いと言って大喜びします。
代々伊達の重臣である原田左馬助と、陪臣からのし上がってきた中島の違いがあります。

そう言えば、その前の戦闘段階では、政宗が中島と同じく伊具郡の高野壱岐に「あの柵に取り付け」という命令をしたところ「あそこにとりついては、高野勢は単なる埋め草になる」と命令拒否をしています。
ほかの将がとりついて撃たれて、初めて高野は動きます。
主君のために喜んで突撃する伊達軍、というひとくくりはできないようです。
佐藤宮内たちも含め、伊具郡に代表される独立心の強い領主たちの動向も注目です。

えーこの辺はマンガに出てこない話です。
出てこない話をもう一つ。


政宗はここで約2500の首を挙げました。
ところが浅野の目付と浅野長吉は、南部戦線に「伊達は1万討った」と報告します。
想像ですが、自分が指南している伊達の軍功を過大報告することで、南部戦線にいる石田三成に張り合ったのではないでしょうか。
豊臣が奥羽の大名諸将につけた指南役の張り合いが、奥羽の悲劇を増長してはいなかったか。
伊達が一万討ったという話が南部方面に届き、それが九戸戦の最後の度はずれた惨劇につながっていっていないだろうか。

影響は双方向にあります。九戸戦が先に終わったら、もしかしたら上衆が佐沼攻めに加わってきます。
政宗をはじめ政宗に着いた葛西大崎の旧臣たちは、なんとしても上方勢抜きで決着したいところです。
もう説得に時間をかけていられなかったでしょう。


このマンガを書きながら佐沼城にいたらどうやって逃げられるだろう、どうやったら誰かを逃がせるだろうと何度も何度もシミュレートしてみました。
町郭が落ちて主郭に人が集まった時点で、ほぼ逃げる道はなくなります。

今の佐沼城は周囲が宅地や田んぼになって、穏やかな姿です。
冬は白鳥がたくさん飛んでいます。