第173話について 

『第173話 黒川月舟斎』

黒川の系図を見てみましょう。gaku173-01.jpg
月舟斎の妻が大崎当主の姉か妹です。
黒川家には娘一人しかいません。この竹乙姫が留守政景の正室です。
前にも書きましたが、私は、竹乙姫が留守家に養女となって入り、ここに政景が婿入りしたと考えていますので、黒川氏は留守氏に養子を出せる家格。
これで子供がいなくなってしまったので、黒川家の跡継ぎには大崎十二代当主の弟が養嗣子に入りました。
黒川晴氏=月舟斎は、正室に続き養嗣子も大崎からもらいました。
留守氏や大崎氏と子女をやったり撮ったりできる家格です。

とことん政宗に頭を下げませんでした。

ただ大崎合戦での動きを見ていると、婿の留守政景のことは守ろうとしています。
政景が19歳の時から娘婿として合戦の面倒を見てきた義父です。
留守政景が政宗にとことん食い下がったのも、この義父と婿には気持ちが通っていたのだと思ってこの回を描きました。
このふたり、マンガの中で直接対面するのはこれが初めてです。


多利丸と多理丸

留守さんのところは嫡子の誕生が遅かったですね。
四十過ぎてからです。
実元もそうでしたね。
戦続きのせいもあるでしょうし、留守さんの場合は大宮司としての斎戒もあるでしょう。
先に生まれて育たなかった子もいるのかも。

ところで、留守政景嫡子の名前は多利丸。gaku173-02.jpg
このなまえ「あれ、他のところで見ているな」と思ったら、政宗が元服する直前の杉目城の正月連歌でした。
梵天丸が父の輝宗と御祖父さんの晴宗のところに行って、正月連歌をする。有名な伊達の正月連歌で、これが初めての記録ですが、性山公治家記録には歌と詠んだ人の名が記録されています。政宗はまだ何宗か決まっていないので 宗 とだけ記されています。
連歌を詠んだ人の中に、「多理丸」という名があります。
留守政景の息子は多利丸。梵天丸と連歌をしたのは多理丸。利と理は違うけれど、多利丸というのは、伊達系の名前なのでしょうか。
それにしてもこの多理丸って誰なんでしょう。

留守政景が嫡子にこの名を与えたのだとしたら、政景にとっても大事な人なのだろうけれど。
gaku173-03.jpg奥州の強者として他の家をいいようにしてきた伊達が、秀吉の下に入ります。
月舟斎は「ざまあみろ」ではなく、「奥州探題家なら呑み込んだ家ごと生き残って見せよ」と言います。

斎がついても剃髪していたかどうか

月舟斎には肖像などは残っていません。剃髪姿に描いたのは、モデルが中新田の長興寺、大崎氏の菩提寺の和尚さんだからです。門脇先生ありがとうございます。
芦名止々斎を描いたときも剃髪にしましたが、これは勘違い。木像が残っていたのでそれをもとに描いたのですが、木造頭部には髷を付けていたらしい跡が残っていると、会津の福島県立博物館で教わりました。
斎というのは雅号でも付きます。
『醒酔笑』には、何かの道を究めたわけでもないのに名前に斎を付けたがる人をからかう笑い話があります。えーと、クレヨンしんちゃん雲黒斎の野望、と同じパターンです。
実元も棲安斎、亘理元宗も元安斎、留守さんは雪斎です。
この三人は、髷を付けて描いています。