第178話について

『第178話 異装の行軍』

朝鮮出兵の時の大パレードです。
治家記録を見ると、前もって秀吉から、一番前田利家、二番徳川家康、三番伊達政宗、四番佐竹義宣の順で、聚楽第から戻橋、上杉景勝の邸前を大宮通りに通ったとあります。
洛中の貴賎相聚り(あいあつまり)視る者はなはだおびただし、とあって、そこからずーっと、どんな衣装であったか、馬装がどんなであったかが続きます。
読むとパレードの現場にいるようなんですが、全部写すのは大変だからごかんべん。

なかでも特に詳しく書いているのが原田左馬助と遠藤宗信の2人の衣装です。

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以下、少し読みやすくひらがなを使ったりしていますが、青い文字は治家記録にある文章です。

刀脇差は常のごとく佩き、...ですから刀は大小さしています。
その上にまた木立を流さ一軒半にそろえて佩く。二人御揃いで、長さ2,7メートルの木太刀を佩いたのですね。三本目です。
長きゆえに小尻の下がりたるを、真ん中頃に金物を打ちて金鎖(かねぐさり、だと思います。黄金の鎖でなくて)をもって方へ吊り上げたり。
絵の中で鎖をどうつけようかと思ったのですが、吊り下げやすいのは文中にあるように真ん中あたりにショルダー用の金具を付けることだと思って、そう描きました。

ちょっと文章を戻りますが、絵の上の一行にある名前は原田左馬助と遠藤宗信です。
このとき原田左馬助と後藤孫兵衛が揃って並んで行軍した、という記述を見かけることがありましたが、それはまちがいです。
宝文堂版の伊達治家記録、第二巻の330~334頁まで、名護屋行き、京都留守居役まで人名が上がっていますが、ここに後藤孫兵衛の名は入っていません。
孫兵衛は国許の留守居だったのでしょう。


左馬助の大太刀

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この絵は塩竃神社博物館所蔵の大太刀をもとにしています。
これについてはこれまでも何回も紹介してきた仙台市博物館特別展の図録『伊達政宗と家臣たち』で解説コラムがあります。
伝承では後藤孫兵衛が朝鮮に持って行ったことになっているが、孫兵衛は渡海していない。もしかしたら、左馬助の形見が孫兵衛に渡り...おっと、これはもう少し先のお話。

ところで、これとほぼそっくりな大太刀が幾振りか仙台市博物館に所蔵されているということで、研究が待たれます。というか、全部そろって並んだ特別展があったら是非見たいです。


パレードは、前田、徳川、佐竹が、常のごとく見事なるgaku-178-03.jpg軍装にて別に変りたるいで立ちも無きゆえに 伊達が大うけしたとあります。

四家とも安伊というところまでこのいで立ち、そこで着替えて、あとは常の衣装にして名護屋までご下向なり。
ずーっとこの格好だったわけではないのです。
...でもこの阿伊の場所が私にはわからない。
...小林先生のどの御本かに書いていなかったっけ。

金の尖り笠

この行軍で有名なのが、足軽たちまで軍装を凝らしたことで、特に長さ三尺(90センチくらい)の金の尖り傘がよく紹介されます。
幕末の薩摩兵みたいな、コーンタイプの金色バージョンも考えましたが、構造材が入っていた方が丈夫でもあり作りやすくもあるだろうと(三枚ハギでできる)、筋兜の技術を利用したらどうかと創作してみました。三尺の高さというと、代わり兜の時代ですから、あ~、あるある、です。
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鯰尾の兜など、このくらいの高さがありますよね。