第180話について

『第180話 秀吉動けず』gakuya-180-01.jpg

初っ端から肥前名護屋城で徳川家中と浅野家中の喧嘩勃発です。
前回、肥前名護屋城に諸家が集合するときに、すでに船が足りず、順番待ちで殺気立っていました。
名護屋に着いてみれば井戸が不足で水の順番争いです。

マンガを描くまでは、私は、秀吉を兵站の名手だと思っていました。
こういう前線のストレスを見ると、とにかく押して押して押し切っているようです。
数にものを言わせる戦いで、犠牲も多かったのかと思い始めています。


マンガに入りきらなかった話。

・文禄2年2月から3月にかけて、秀吉が能役者を名護屋城に呼んでいる。その中に「をんなのふ「(女能)「をんな大夫」(女太夫)の文言がある。(『萩藩閥閲録遺漏』 191~193頁)
今では「硬い」印象の能ですが、この時代には女役者もいます。『醒酔笑』には、能が終わったらしい邸からまんじゅうが飛んでくる話もあります。
東北人としては、御神楽のおしまいに餅が飛んでくる感じ。上記の、水争いのようなストレスを緩和する役目もあったかもしれません。


・この時期、国許ではまた国替えがあるのではという噂になった。(宝文堂版『伊達治家記録』2 346頁)

・7月14日、盂蘭盆なのでと加賀宰相前田利家の家中、前田彦左衛門のところから踊舞を仕立てて伊達の陣へ差し遣わした。伊達では返礼の踊舞をしようとそれぞれ練習し衣装も凝らして日の暮れるのを待っていたところ、暮れ頃に徳川の陣所で殺人があって犯人が逃走してしまった。伊達の陣は徳川の隣なので、犯人が逃げ込んではいないかと松明を燃やしての捜索となり、gakuya-180-02.jpgお返しの踊りも沙汰闇になってしまった。(宝文堂版『伊達治家記録』2 346~347頁)

どんな踊りだったんでしょう。
踊舞というから、能ではなかったのかもしれない。
もしかしたら鹿踊りのようなものでしょうか。
踊りを饗されたら踊りで返す。
これも当時の武将たちのたしなみなんですね。


楽屋ではできるだけ本の名前と関数、ページ数を出しています。
最近読んでいる中間書(専門書と一般書の間)で、史料名とページ数まできちんと、文章の中で示してくれている本があり、これにはとても助けられています。
私も見習ってみます。

再びマンガに戻る。

秀吉がなかなか渡海できない理由は、船の不足、玄界灘の季節風に加え、朝廷からの抑制にもありました。戦国時代の有名な天皇、正親町天皇は天正14年には退位していて、上皇になっています。この経験豊かな上皇と、若い後奈良町天皇がタッグを組んで秀吉の渡海を制します。
上皇+天皇でようやく太閤+関白に対抗できている感じでしょうか。
朝廷からしたら、大陸に移されるのは大ごとです。

これまで天皇の権威を利用してのし上がってきた秀吉には、たとえ柔らかく出られても、無下に振り切ることができません。
こんな中で秀吉の母、大政所が死にます。
それでも秀吉はあきらめない。

征明については、老いた秀吉の暴走と見る向きもありますが、全く違った角度から見たのが『戦国日本と大航海時代』(平川新 2018 中公新書)。
前にもお勧めしましたが、改めて、900円だし親書で読みやすいよ、とお勧めします。
秀吉の本気度と、事の大きさがわかります。

なお、秀吉はとても低い身分から天下を駆け上った人です。こういう人は他にいたかと思ってみたら、明の始祖である洪武帝がそうでしたね。
秀吉が明を狙う、その因縁を感じました。