第181話について

『第181話 左馬助の手紙』

先回、秀吉の母、大政所が亡くなったこと、上皇と帝から秀吉が渡航を止めらgaku-181-01.jpgれた話を入れました。

秀吉が動けないまま政宗たちは4月に季節風の強さに難儀をしながら渡海を果たします。

・「石垣普請は上衆に負けない」
この手紙の内容は、左馬助でなく政宗が保春院に当てて書いた内容です。
なお、治家記録にはこの時期保春院は出奔して山形にいる、という記述がありますが、誤りです。
伊達治家記録が編纂されたのは4代綱村の頃で、政宗時代から百年ほどたっています。史料が足りずに間違っているところもあります。
このマンガでは仙台市史をはじめとする新しい研究で治家記録を見直しながら使っていきます。


さて、後はもう、読んで下さい。
考えてみると、みんな400年くらい前に死んでいるのですが、その時を越えて彼らの生死が胸に迫るときがあります。

刃文は鹽竈神社博物館から送っていただいた資料をトレスしました。
うち傷があり、実戦で使ったのではないかということです。
御礼申し上げます。

鹽竈神社博物館には留守政景の文書などもあり、神社参詣とともにこちらの拝観もおすすめします。

政宗は左馬助の死後歌を詠んでいます。
文学青年の感傷にとどまりません。
すぐれた歌には鬼神を払う力がある、と思われていた時代。
たくさんの人を殺した敵地で没し、怨鬼の中で葬儀もできない左馬助です。
政宗はただ一人で歌の力で左馬助の魂魄を守り、黄泉路に送ります。
六首の歌の頭文字をつなげるとなむあみだぶつ、となります。

左馬助と孫兵衛、鹽竈神社の刀については仙台市博物gaku-181-02.jpg館特別展の図録『伊達政宗と家臣たち』に、佐藤憲一さんが書かれた解説コラムがあります。
これにひかれて、いつか必ず入れようと思っていた回です。

描こうと思った時から、左馬助の笑顔がずっと見えていたのですが、続いて見えていた孫兵衛の、豪傑が巨躯を震わせて涙をぼとぼと落とす姿は、どうにも絵に出来ませんでした。塩竃神社に大太刀が伝わっているという事実を描く方を選びました。