2012年1月アーカイブ

 「病院にいる人たち、大変やろな...」
 神戸市須磨区の鈴木和子さん(69)は東日本大震災の惨状を伝える報道に、1995年1月に起きた阪神大震災の記憶を重ねた。
 長男の秀明さん(42)は中学1年生だった82年、首が傾いたままになる斜頸(けい)の手術中に心停止し、遷延性意識障害になった。

(2012/01/24)

 「ここ痛いんだね」。そう言って夫の体をさする妻の姿を見て、看護師村上則恵さん(48)は「すごいな」と思った。遷延性意識障害の患者と初めて接した20代前半、新人看護師時代の記憶だ。
 夫は人工呼吸器を付けていて、体は全く動かない。「痛い所が、なんで分かるんだろう」と不思議だった。看護を続けるうちに、唇の両端のかすかな上げ下げが、イエスかノーかの「サイン」だと気づいた。

(2012/01/23)

 遷延性意識障害をめぐり、世界的な論争を巻き起こした事件がある。
 「ローマ法王庁も『放っておけない』と、国際シンポジウムを開いたほどだ」。私たちはシンポに出席した日本カトリック医師会長の石島武一さん(78)に話を聞いた。

(2012/01/22)

 「withhold」。医療現場で使われるこの言葉は、終末期を迎えた患者への治療や栄養・水分の補給、つまり延命措置を「差し控える」という意味を持つ。

<半歩譲った治療>
 日本カトリック医師会の石島武一さん(78)=東京都=は「2005年に最初で最後の『withhold』を経験した」と、私たちに明かした。医師会は、キリスト教カトリック系の病院などに勤務する医師らでつくる全国組織で、会員は約800人いる。

(2012/01/21)

 昨年12月上旬、超党派の国会議員約90人でつくる「尊厳死法制化を考える議員連盟」の総会。次期通常国会に「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」を議員立法で提出する方針を決めた。
 回復の可能性がなく、死期が間近と判定された場合、本人や家族の希望で栄養・水分補給を含む延命措置をしないことを認め、医師の責任も問わない―。法案の骨子だ。
 議連が震災直前から本格化させた法制化の議論に、私たちは注目してきた。議連は2005年に発足したが、さまざまな曲折があり、法案の具体化には踏み切れずにいた。

(2012/01/20)

 東日本大震災の発生から約1カ月後、山形市の小山田優さんは66歳で亡くなった。2008年11月に脳梗塞で倒れ、遷延性意識障害となってから2年5カ月目だった。
 「震災後、体調が目に見えて悪くなりました。すごく不安そうな様子でした」。震災前から優さんの介護生活を取材していた私たちに、妻の通恵さん(64)から訃報が届いた。優さんは震災後に呼吸困難がひどくなり、肺不全に陥ったという。
 優さんは仕事が多忙を極めた30代後半に不整脈が出始め、生命保険の加入もできなくなった。

(2012/01/19)

 尊厳死の宣言書(リビングウィル=LW)。日本尊厳死協会(本部東京)のホームページでは、「治る見込みのない病気にかかり、死期が迫った時に医師に提示して、人間らしく安らかに自然な死を遂げる」ためのものと説明されている。

(2012/01/18)

 2009年7月13日、東京・永田町の衆院議員会館。民主党の寺田学衆院議員(秋田1区)の妻静さん(36)は、参院本会議を中継するテレビの画面を、複雑な思いで見つめた。

(2012/01/17)

 2011年3月11日、東日本大震災の余震はひっきりなしに続いた。
 さいたま市のマンションで地震に遭った西村理佐さん(35)は、重い意識障害のある娘の帆花(ほのか)ちゃん(4)が横たわるベッドから離れられなかった。
 「ここに帆花を置いておくのは危険だ」。理佐さんは避難のための入院を考えた。安否確認で電話をかけてきた区の職員に相談したが、状態が安定していれば健康な子とみなされ、入院は無理だという。職員は「みんな大変なんですよ」と言って電話を切った。

(2012/01/16)

 揺れる空と大地、ガラスが割れる音、女性の悲鳴。半年前の記憶が生々しくよみがえった。
 私たちは昨年9月、さいたま市のマンションを訪ねた。そのマンションで暮らす西村帆花(ほのか)ちゃん(4)と母親の理佐さん(35)に初めて会ったのは、昨年3月11日。東日本大震災で同市は最大で震度5強の揺れに見舞われた。
 帆花ちゃんは出産時にへその緒が切れ、仮死状態で生まれた。医師には「目を覚ますことも、動きだすこともない」と言われたが、その後も成長は続いている。

(2012/01/15)