短歌(4/7掲載)

【佐藤 成晃 選】

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名ばかりの温みの庭に切りすぎの木瓜(ぼけ)は一輪くれない咲(ひら)く (石巻市開北・星ゆき)

【評】温かい感じの名前をつけられた庭があるのだが、それは名前だけらしい。庭木の剪定(せんてい)も「切りすぎ」たと思われるほどぞんざいだ。そんなひどい扱いをうけた植物でも、季節がくると花を咲かす自然の摂理に作者は感動したのだろう。ぞんざいな扱いをものともしない植物の生命力への感動でありながら、ぞんざいな扱いをする人間へのかすかな批判ともなっているのかもしれない。「一輪のくれない」がみごとである。

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それぞれの位置から出直す震災後ゼロから白い花辛夷(こぶし)咲く (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

【評】人それぞれに差のあった震災。家屋全壊・流失もあれば半壊もあった。死者や行方不明者の数もさまざまだった。それぞれの置かれた境遇を再出発の起点として復興に励んできたのである。庭や街の街路樹とて同じであろう。いま、作者の前に白い辛夷の花が咲いている。この花は以前はなかった花なのだろうか。ゼロから咲いたという表記は他にも解釈の余地がありそうだが、眼前の新しい復興の現象を逃さずに詠んだ佳作である。

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そくそくと沈む夕日に独りごつ生者必滅会者定離(しょうじゃひつめつえしゃじょうり※) (東松島市大曲・阿部一直)

【評】「そくそくと」は「ゆっくりと」くらいの意味で読むことばであろうか。下の句が全部「引用」で作られている一首。思い切った作り方だ。仏教語であるが「平家物語」などで親しんだ記憶のある言葉だ。人間の一生をこのように短く言い切った忘れがたい言葉だ。若いときに何かで読んで忘れがたかった一句を作品の下の句に忍ばせて、それほどの違和感もなく読ませる力量はなみなみではない。
※「生きている者は必ず滅び(=死ぬ)、出会った者は必ず別れる」という意味。

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秋まつりに神楽師(かぐらし)の吹く笛の音はさやるものなし野に空に行く (石巻市桃生町・三浦多喜夫)

うぐいすに方言ありと知りし朝我が方言の短歌(うた)立ちあがる (石巻市恵み野・木村譲)

牡丹(ぼたん)雪春雷と共にやってきて吹雪のごとし舞いては降りる (東松島市矢本・川崎淑子)

オホーツク日日に織りなす流氷の朝日に映える知床の春 (石巻市わかば・千葉広弥)

揚げひばり囀(さえず)るかたを見上げしがひかりにまぎれその影みえず (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

見渡せば真っ青の海に白き船遠い思い出運びくるごと (石巻市駅前北通り・津田調作)

今年また冬を凌(しの)ぎし畑を打つもんぺの裾(すそ)に土をまぶして (石巻市羽黒町・松村千枝子)

卒寿(そつじゅ)なる師にたまわりし励ましに自分磨きのペンを持ちたり (石巻市水押・佐藤洋子)

百歳まで生きよとばかり体操のパンフいただく「生きがいディ」に (石巻市丸井戸・松川友子)

妻の留守に美味なるものを食べんかと作りし料理卵かけ飯 (石巻市門脇・佐々木一夫)

日の暮れて道遠けれど胸熱くビバークして待つ還暦の朝 (石巻市駅前北通り・工藤久之)

強風の止みたる夕べの湾内にさざ波のごとく群れる海猫 (女川町・阿部重夫)

去年より三日早しと書きながらウグイスを聴く今年の初鳴き (石巻市桃生町・千葉小夜子)

手作りの豆をもらいて構えたる鬼の面撃(う)つ童(わらわ)にかえりて (石巻市蛇田・千葉冨士枝)

土温み陽気が続く春彼岸鍬(くわ)持つこの手八十九歳 (石巻市鹿又・高山照雄)

朝な朝なラジオ体操欠かさずに励むも齢に足腰きしむ (石巻市向陽町・中沢みつゑ)