短歌(1/12掲載)

【佐藤 成晃 選】

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八十まで生きれば本望(ほんもう)と言いきしが叶(かな)えば次の欲が芽を出す  (石巻市向陽町・鈴木たゑ子)

【評】誰の心にも去来する本音を「あっさり」と詠った佳作。橋本喜典の歌集『聖木立』(H30)に「死の影に怯えゐるにはあらねどもいつでも来いといふは嘘なり」があった。これも本音であろう。悟りの境地には程遠い私などには「やっぱり」と叫びたい何かがある歌だ。本音をどのように吐露するかが腕の見せ所なのかも知れない。いつまでも「小鳥」や「星空」や「つばき」などを詠っているうちに白寿になってしまいます。投稿者のみなさん、自分の命に真向かって詠ってみてはいかがですか。

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制服とマフラーとスマホの冬電車我が時のように本など読まず  (石巻市渡波・小林照子)

【評】今どきの若者の生態を詠みとった一首。まさに現代風俗にまみれっぱなしの若者の「いきいき」した一面でしょうか。これが、もしも若者への説教だとしたら短歌的に「くさい」作品となってしまうのではないだろうか。こんな生き方に対して「責任をとれ」みたいな発想は文学とは縁がないからです。時代が作った環境の中での「生き方」だからです。同時に、時代遅れの生き方を詠うという美学も当然にありますので、そんな作品にも出会いたいものです。面白い視点に、つい、長く書いてしまいました。

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月一の集いのありてマンションの今日はとん汁その後は合唱  (石巻市中央・千葉とみ子)

【評】震災復興住宅という名の「集合住宅」が、被災地のあちこちに建ちあがり、入居を喜ぶニュースが放映されることも多かった。けれども、今までの町内会や集落がそのまま入居したわけではないので、新しい人間関係の構築で苦労するとも。作者の所はうまくいっているのだ。下の句の「とん汁」と「合唱」が雄弁にそのことを語っている。「うまくいってます」と言わないで、行事の中身を並べたところが読者の共感を呼ぶのです。

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看護師の頑張ってねの声を耳に検査ベッドに上がる身重し  (東松島市赤井・茄子川保弘)

年の瀬の慌ただしさも馴れ馴れにそつなく済ます初春近し  (石巻市北村・中塩勝市)

風強き頂きにつけば震災で割れた馬頭観音(ばとうかんのん)碑かたむきしまま  (石巻市高木・鶴岡敏子)

秋日和のベランダに干す幾枚の布団に今宵の夢を託さん  (石巻市わかば・千葉広弥)

歳末の福引当たり鐘鳴りぬ疲れたわれに小さな褒美(ほうび)  (角田市角田・佐藤ひろ子)

ポインセチア紅白錦糸で変身す昨日は西洋今日は和となり  (東松島市矢本・川崎淑子)

物書くは内なるものを育てると言葉の糸で心をぞ編む  (石巻市桃生・佐藤国代)

緞帳(どんちょう)の矢をくわえたる鷹一羽つばさを広げ場内見おろす  (石巻市須江・須藤壽子)

塀越しに咲くテッセンの花模様行きかう人に安らぎ与う  (石巻市桃生・千葉小夜子)

受け止められぬ病と共に生きてきて疲れしならん言葉がほしい  (東松島市野蒜・山崎清美)

かの日から岬の先のその先へ吠えても吠えてもまだ吠え足りぬ  (多賀城市八幡・佐藤嘉久)

ディサービス卒寿の祝いの記念品に勝るものなし今すこし生きん  (石巻市鹿又・高山照雄)

昔から泣くも笑うも年は暮れ新年迎えてことは変わらず  (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

北西風(ならい)背に日和の山に立ち見れば田代郷島のおさなの夢が  (石巻市駅前北通り・津田調作)

眠れぬ夜めずらしく亡夫(ちち)と語り合いようやく言えた感謝の言葉  (東松島市赤井・佐々木スヅ子)

枇杷(びわ)の花白く咲きたる庭の隅 夏の実りに冬日を受けて  (石巻市桃生・三浦多喜夫)

冬来れば春遠からじと言うけれど寒さが日に日にわが身に沁みる  (石巻市水押・小山信吾)