短歌(2/9掲載)

【佐藤 成晃 選】

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歳(よわい)九十 拾い集めた宝もの短歌に溶かして老いを楽しむ  (石巻市駅前北通り・津田調作)

【評】九十歳になった。何をもって毎日の楽しみとするか。答えは、これまでの長い人生で経験したさまざまなことを「短歌」に詠むことだと。人生経験を「宝もの」と呼び、短歌に詠むことを「短歌に溶かして」と言う。ことに後者はなかなかの表現だと思う。短歌に腰を据えて楽しんでいる様子が見えるようだ。「歳九十」と切り出して半呼吸くらいの間を置いてからゆっくりと読み継いでいくことが求められている。

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鯖缶(さばかん)を開ければあの頃が甦(よみがえ)るこの美味しさのおかしくかなし  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

【評】「あの頃」とは3.11の避難所暮らしの頃か。支援物資の中にあった「鯖の缶詰」を思い出しての一首である。今の平穏な生活の中で食べるとそれなりの美味しさであって、あらためて納得したりもするが、避難所での味覚はどんなであったか。結句の「おかしくかなし」が、あの当時と現在との微妙な違いを言い当てていて涙がにじんできそうな雰囲気をかもし出すのです。

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スモークで大輪(だいりん)三つ描きゆく聖火待ってる空のキャンバス  (東松島市矢本・川崎淑子)

【評】東松島の自衛隊基地にギリシャから「聖火」が来ると言う。そのことを頭に置いて鑑賞すべき作品である。前回の東京オリンピックの時も、ここの基地のインパルスが五つの輪を東京の空に書いたのだった。下の句の「聖火待ってる空のキャンバス」が見事だ。空が私たちの気持ちを代弁しているかのごとき描写だ。3.11の悲惨な体験につながる≪「みちのく」から聖火を≫のこのイベントの大成功を祈らずにいられない。

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音もなく育つらしいと五年目を聞けば雲さへ癌らしく見ゆ  (石巻市恵み野・木村譲)

小正月の女の年越しささやかな膳(ぜん)にズワイの三本の足  (気仙沼市赤岩・小野寺敦子)

ひと日たりと見ぬ日無かりし鏡面に今朝も映れる心の影絵  (石巻市南中里・中山くに子)

「ああすればよかった」だけはなんぼでも無くして生きたい緑寿の先は  (東松島市矢本・菅原京子)

気まぐれに小遣(こづか)いはずんだだけなのに呆けたと見らるる傘寿(さんじゅ)はつらい  (東松島市赤井・佐々木スヅ子)

運命と言うならこれがそうなのか そうかも知れぬ夫の介護 (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

ほほえみし亡夫の角度の時計から今日も励めの声が聞こえる  (石巻市須江・須藤壽子)

人生の荒波越えた浜の人 苦労が消えて翁の顔に  (石巻市水押・阿部磨)

栓(せん)ひねりや湯の出ることの有難く心ほっこり冬の一朝  (石巻市不動町・新沼勝夫)

原爆死の弟背負う少年は裸足(はだし)で並ぶ火葬待つらん  (石巻市中央・千葉とみ子)

生かされて生きいることの定まりて今日という日の温もりもらう  (石巻市蛇田・千葉冨士枝)

庭隅のあら土破り緑(あお)からぬふきのとう出ず小雪ふる朝  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

ひと言を探しあぐねて冬椿熱もて立てり視線の先に  (石巻市開北・星ゆき)

震災後更地となりし田や畑に並ぶマンション町内照らす  (石巻市丸井戸・松川友子)

近道と人が歩けば道が出来る車走らぬ斜面の道が  (石巻市羽黒町・松村千枝子)

「いいがら」とそっぽ向いてる父の顔スマホかざしてシャッターを切る  (石巻市水押・佐藤洋子)

お見事に真っ赤に稔った実南天食(は)み尽くされてはと網を張りたり  (石巻市桃生・三浦三峰)