短歌(3/8掲載)

【佐藤 成晃 選】

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慰霊碑の名前それぞれに暮らしありき「希望の丘」の風に潮の香  (石巻市流留・大槻洋子)

【評】3.11の震災で亡くなったすべての人の名前が彫られた石碑。その前に立って亡くなった一人一人の生活を思いやっている作者。岩沼市が造営しているいわば鎮魂の丘の碑だ。折から海の匂いのする風が吹いてきて、鎮魂の気持ちがいよいよ掻き立てられたのだろうか。9年前の惨事を思い出しての作品を今回も数首選ばせていただいた。いずれも思わず手をあわせたくなるような作品たちであった。忘れないで詠み継いでいくのが私たちの務めなのかもしれない。

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シクラメンの香りを唄う布施明香らぬ花も匂わせる声  (石巻市中央・千葉とみ子)

【評】小椋佳より提供された「シクラメンのかほり」はミリオンセラーだった。「霧の摩周湖」の10年ほど後だった。この作品は、下の句で生きたと言ってもいい。やわらかで透き通った美声を「いい声」などと書かないで「香らぬ花も匂わせる声」と詠んだところが絶妙と言うしかない。作歌の面白さは、このような表現を探すことの面白さなのかもしれない。歌謡曲と言えどもいい歌は生き続け、私たちを作歌へといざなう「他山の石」にもなるのです。

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潮(しお)を呑(の)み切り倒されし桧葉(ひば)の木は荒れ地に九年(くねん)年輪さらす  (東松島市矢本・川崎淑子)

【評】3.11の歌。津波をかぶって生長を止めてしまったのだろうか。檜葉の木は切り倒されて無残な姿をさらしながら横たわって九年。この歌も下の句で生きた作品だと思う。「九年年輪さらす」でその物への作者の思いが迫ってくるような気がする。九年間もさらされたままの檜葉の木。津波も残酷だったが、津波によって樹木に対する人の心まですさんでしまったことへの嘆きも含まれているのではないだろうか。

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五年日記めくれば去年の始まりに目標があり「夫の介護」と  (石巻市羽黒町・松村千枝子)

夕闇の虚空をたたく羽根の音や陣変(じんが)えしつつ北斗の空へ  (石巻市門脇・佐々木一夫)

真夜中の進水前の祭司ごと御神(ごしん)納める宮司(ぐうじ)の唸(うな)り  (石巻市水押・阿部磨)

弥生の雪屋根にひと夜の凍えし身 年は経(ふ)れども未だに消えず  (石巻市駅前北通り・津田調作)

「底力」生きざま感じる言の葉や人の強さを生んだあの年  (石巻市大門町・三條順子)

千年の人の棲処(すみか)のはかなさよ原野となるにわずか九年  (石巻市恵み野・木村譲)

デモ帰り歌声喫茶「ともしび」に集いし友らいかに生きしや  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

向けられた視線が痛い 病院で誤嚥(ごえん)し噎(む)せたただそれだけで  (東松島市赤井・佐々木スヅ子)

新聞のクイズに今日も挑戦し出来た夫の夕飯作り  (石巻市向陽町・鈴木たゑ子)

宵の街に雲水(うんすい)の笠黒く立ち大人の百円に辞儀(じぎ)深々と  (石巻市開北・星ゆき)

新酒酌(く)み友と語ろう世の動き駄弁弄(ろう)して鬱憤(うっぷん)晴らす  (石巻市不動町・新沼勝夫)

買い物は週に一度と決めており親子なれどもそれぞれのスーパーへ  (石巻市丸井戸・松川友子)

白内障進みボヤける我が視界政治と同じみなもやもやに  (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

柚子の種5、6個カップに植えてみる観察係を自分に与えて  (石巻市須江・須藤壽子)

福島のクルマナンバー見て思う宮城ナンバー他所(よそ)はどう見る  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

柚子の果(み)を摘みて食せばこの味は初恋よりもすごく酸っぱし  (女川町・阿部重夫)

娘から「また着てるの」と言われても未だ捨てられず古きセーター  (石巻市新栄・堀内ひろ子)