短歌(1/26掲載)

【佐藤 成晃 選】

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久々に家族出そろう夕餉(ゆうげ)の膳(ぜん) 媼(おうな)の添えし杵柄(きねづか)の味  (石巻市わかば・千葉広弥)

【評】それぞれの仕事の都合でなかなか顔がそろわない毎日だが、今日はみんなそろった。めずらしいことだ。さて、夕餉の膳のお料理のことだが、「媼が添えし杵柄の味」と名詞止にして「媼」への温かな思いやりを滲ませている。「昔取った杵柄」などという形で使用される表現だが、お母さんや奥さんが長い時間をかけて磨いてきた「わが家の味」ということだろうか。やや古い言葉が一家の味として生き生きとした一首になった。

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わが胸の限界見越したように来る友の電話にまたも救わる  (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

【評】困り果てて、もう行き場が無い、万事休止と思った瞬間に電話のベルが鳴る。いつもそうなのだ。まるで私の「限界」を見透かしているかのような友からの電話。何度この友人に救われたことか。困り果てている事柄の内容はわからないが、このような一首にまとめられた力量に拍手を送りたい。いい友人を持つことの幸せをそっと教えてくれた佳作である。具体的なことは何も詠まれていないのに、納得させられてしまった。

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浜の家は炉端(ろばた)に吊った大鍋のぶっきり鱈(たら)に木杓子(きじゃくし)添えて  (石巻市水押・阿部磨)

【評】「浜の家」は「漁師小屋」みたいなものを想像すればいいのだろうか。「大鍋」「ぶっきり鱈」「木杓子」などの言葉を並べただけで漁師の豪快な食事が想像できそうだ。そんな荒っぽい生活も時間が過ぎればいい思い出と化してゆく。思い出を熟成させる時間を持つことができたのだろう。短歌を創る世界にのめりこんだことが、熟成にはずみをつけたとしたら、これに越した幸いはない。

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かの波に触れて泣かなくなったけど人の情けに直ぐにぽろぽろ  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

閖上(ゆりあげ)の復興道路の暗闇を灯りの矢となり街を目指せり  (石巻市流留・大槻洋子)

夜泣きの児(こ)左の腕にあやしつつネットに探す婆の知恵袋  (石巻市開北・星ゆき)

父母をはるかに超えて八十の手探り続く予想せざりき  (東松島市赤井・佐々木スヅ子)

新しき年を迎えてカレンダーに投与予定日朱く書き込む  (石巻市真野・高橋杜子美)

ひこ孫の我には通ぜぬ言葉あり寄り来て語る何度も笑みて  (石巻市丸井戸・松川友子)

老いてなお馬子(まご)にも衣装とはげまされ少し派手なるセーター求む  (石巻市中央・千葉とみ子)

年始状一枚ごとのものがたり暇にまかせて見返すあはれ  (石巻市恵み野・木村譲)

新聞をパラリと捲(めく)る紙の音は一人の朝の静けさを増す  (石巻市羽黒町・村松千枝子)

声がするその先頭上に白鳥の鉤(かぎ)になり行く靄(もや)だつ朝(あした)  (石巻市向陽町・後藤信子)

街中(まちなか)に住めば住むとてふるさとの田舎ぐらしが恋しきこの頃  (仙台市青葉区・岩淵節子)

結球にいまだ間のあるキャベツ畑ひねもす冷たき時雨にぬるる  (女川町・阿部重夫)

心身に新たな風を受け入れて令和二年の初日を拝む  (東松島市矢本・川崎淑子)

外鉢の霜に萎えたる冬すみれ陽にあたりてはむらさき戻る  (石巻市南中里・中山くに子)

大正琴の稽古(けいこ)重ねていく年や友と奏でる八十路の妻は  (石巻市桃生・三浦三峰)

参道の三十段目の石段(いしきだ)に津波来し跡記し遺(のこ)せり  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

淀(よど)みつつ短歌(うた)を練りおり海呼びて時の流れに逆らいながら  (石巻市駅前北通り・津田調作)

川柳(1/26掲載)

【水戸一志 選/評】

◎大震災の津波で岬から流された気仙沼市の恵比寿像が見つかり、無事引き揚げられた。8年以上も海底に沈んでいたが、ほぼ元のお姿で戻った。港の守り神が実家に帰る。めでたいと叫びたい。こんな明るいニュースが増えてほしい。

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◎ えびす様海の底から実家へと  (石巻市桃生町・高橋みつ子)

  オフサイド笛も鳴らずに日韓戦  (石巻市向陽町・佐藤功)

  育休が欲しかったなあ昭和ごろ  (石巻市蛇田・鈴木醉蝶)

  主より先にふとんにもぐる猫  (石巻市元倉・小山英智)

  奉仕演奏笑顔待ってる足軽し  (石巻市井内・高橋健治)

  コンビニに三食通うキリギリス  (石巻市鹿妻南・佐々木みどり)

  明日からはお酒やめると百万回  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

  神様は一円玉も引き受ける  (石巻市桃生町・高橋冠)

新年会スルー

 「打ち上げ、スルーします」

 最近、特に若い世代の間で流行っている表現です。「参加しません」「欠席」と言わないで「スルーします」と。それが大人の皆さんにも伝播し「悪いけど今度の会、私スルーするわ」と気品漂う高齢女性が電話口で話すのを耳にしたことがあります。

 「スルー」とは何か? 英語の through に間違いない...

 綴(つづ)り、発音とも難しい語に属します。主な意味は「~を通って」「~を抜けて」です。たとえば、go through a tunnel と言うと、「トンネルを通り抜ける」。何となく日本語の「するり」と似ていませんか?

 「新年会スルー」というのは「会を通り抜ける」→「案内・知らせを受け流す」→「欠席する」ということでしょう。

 さて、Drive-thru(ドライブスルー)という表示をファーストフード店などで見かけますが、この thru は through を省略した形で、カジュアルな場面などで使われます。書籍や仕事上の文書ではほとんど使用されません。

 ひと昔までは、手を交差させて「パス」と言っていましたが、最近はこの「スルー」に取って代わられた感があります。

 さて、皆さんは「ブレイクスルー」というカタカナ語をご存知でしょうか。これは breakthrough という長い英単語で「(難関の)突破口、打開策、(貴重な)新発見」などを意味します。break + through で、文字通り「(限界や困難などを)打ち破る」から由来します。

 最後に、この through とよく似た語を。

 though です。「ゾー」のような発音で「~だけれども」「~にもかかわらず」といった意味を表します。

 Though he is young, he is very dependable.
 「若いが頼みになる人だ」

大津幸一さん(大津イングリッシュ・スタジオ主宰)

俳句(1/19掲載)

【石母田星人 選】

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山眠る発電風車置きざりに  (石巻市小船越・三浦ときわ)

【評】風のエネルギーにより風車を回し、その回転運動を発電機に伝えて発電するのが風力発電。石油やガスなどの燃料を使わず、再生可能エネルギーとして注目されている。課題もある。不安定な発電量、風車設備の大型化などだ。この句は、沿岸部の山中で稼働中の風車を見上げた光景。枯れた山中に巨大な羽根が音を立てていた。「山眠る」という擬人化した季語を巧みに使った構成。穏やかな表現の中に風刺がある。

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九年を迎ふる浜や初日の出  (東松島市矢本・雫石昭一)

【評】顔を出した初日に手を合わせるとこの9年の出来事が浮かんできたという一句。先日の河北新報の報道で復興の遅い浜の存在を知った。初日はどの浜も分け隔てなく、神々しく照らしてくれるというのに。

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次の世も男に生れ餅を搗く  (石巻市小船越・芳賀正利)

【評】ぐっと腰を入れて軽快にぺったんぺったん。家庭用の餅つき機が主流になっても臼と杵にこだわる作者。その願望にはあふれんばかりの若さを感じる。

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日を入れてまるごと暮るる大枯野  (石巻市相野谷・山崎正子)

【評】闇が横たわる大枯野。闇の深部は見えない。だが作者には細部まで見ることができる。枯野全てを知り尽くしているという土着の思いがそうさせる。

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暗き世を明るく照らす冬花火  (東松島市矢本・奥田和衛)

正月は子らが主役のわが一座  (石巻市蛇田・石の森市朗)

龍飛ぶは枯野の夢でありぬべし  (東松島市矢本・紺野透光)

連獅子の天地打ちたる毛振りかな  (東松島市新東名・板垣美樹)

きざはしを連なり進む大旦  (仙台市青葉区・狩野好子)

極月や直方体の鯨肉  (石巻市中里・川下光子)

六本の飛行機雲の七日かな  (石巻市広渕・鹿野勝幸)

海へ出るインターチェンジ冬至来る  (石巻市桃生町・西條弘子)

残り物携え集う女正月  (石巻市南中里・中山文)

黄昏に残る柿の実ひとつあり  (石巻市桃生町・佐々木以功子)

ペンと辞書しまわぬままの掃納  (石巻市開北・星ゆき)

田の神も心おきなく冬やすみ  (東松島市矢本・菅原れい子)

初日の出二拍の響き木霊して  (石巻市門脇・佐々木一夫)

暖冬や季節はずれのふきのとう  (石巻市のぞみ野・阿部佐代子)

一面の訃報広告虎落笛  (東松島市野蒜ケ丘・山崎清美)

除夜の鐘ついて息災神宿る  (石巻市桃生町・高橋冠)

川柳(1/19掲載)

【水戸一志 選/評】

◎世界終末時計は冷戦時代の核戦争を脅威の対象にしていたが、現在は気候変動のリスクが加わり、さらに複雑、深刻化している。この現実を「地球儀の自爆装置」と的確に言い換えた。下五が平易なオノマトペであるだけに、一層不気味さが伝わる。

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◎ 地球儀の自爆装置がチクタクと  (石巻市不動町・新沼勝夫)

  親も子も合格願う初詣  (東松島市矢本・畑山講也)

  孫の顔アドレナリンの製造所  (東松島市赤井・片岡シュウジー)

  がやがやと年始の茶の間ONE TEAM  (東松島市小松・浅野まき子)

  ぬるま湯を出られずに聴く除夜の鐘  (石巻市桃生町・北のから猫)

  レバノンで突然鳴った除夜の鐘  (石巻市開北・安住和利)

  十五億空から撒いて逃避行  (石巻市鹿又・遠藤錬治)

  IRとどのつまりは金ですね  (東松島市矢本・後藤桃子)

 前回の最後で、「 " When the cat's away, the mice will play."(猫がいないうちにネズミたちは遊ぶ)に似ている日本語の諺(ことわざ)は?」という質問をしましたが、答えは「鬼の居ぬ間に洗濯」です。だいぶ発想は異なりますが。

 さて、ご周知のとおり昨年の年の瀬、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告が不法に出国し、レバノンに逃亡したとのニュースが速報( breaking news )で流れました。その後、日本を出るまでの足取りが関係者への取材で分かり、年頭から連日メディアをにぎわしています。その逃亡劇たるや「ミッション・インポッシブル」( Mission Impossible )顔負けの仕掛けで驚かされます。

 ブラジル出身のゴーン被告の名前は、Carlos Ghosn と綴りますが、「ゴーン」と聞くと私などは英語の gone を思い浮かべてしまいます。中学の授業で必死で覚えた動詞の不規則変化の一つ。go < went < gone ( ゴー・行く < ウェント・行った < ゴーン・行ってしまった )。この gone は、アメリカの映画や文学のファンであればすぐ思い浮かべるでしょう。そうです。「風と共に去りぬ」の原題は" Gone With the Wind"。

 駄洒落(だじゃれ)が趣味の私などは「除夜の鐘のゴーンとともにゴーンはゴーン」などと一句、あるいは「ゴーンさん、お箱入り、べつルートへカネと共に去りぬ」などというオヤジギャグが浮かんでしまいます。

 もっとも gone だけでは「去りぬ=去った」とはなりません。高校の授業で習いましたね。たとえば「彼はロシアに行ってしまった(今は日本にいない)」は、He has gone to Russia. と「現在完了形」にする必要があります。

 古希を過ぎても英語教師根性がスルーしない私です。お許しあれ。

大津幸一さん(大津イングリッシュ・スタジオ主宰)

短歌(1/12掲載)

【佐藤 成晃 選】

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八十まで生きれば本望(ほんもう)と言いきしが叶(かな)えば次の欲が芽を出す  (石巻市向陽町・鈴木たゑ子)

【評】誰の心にも去来する本音を「あっさり」と詠った佳作。橋本喜典の歌集『聖木立』(H30)に「死の影に怯えゐるにはあらねどもいつでも来いといふは嘘なり」があった。これも本音であろう。悟りの境地には程遠い私などには「やっぱり」と叫びたい何かがある歌だ。本音をどのように吐露するかが腕の見せ所なのかも知れない。いつまでも「小鳥」や「星空」や「つばき」などを詠っているうちに白寿になってしまいます。投稿者のみなさん、自分の命に真向かって詠ってみてはいかがですか。

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制服とマフラーとスマホの冬電車我が時のように本など読まず  (石巻市渡波・小林照子)

【評】今どきの若者の生態を詠みとった一首。まさに現代風俗にまみれっぱなしの若者の「いきいき」した一面でしょうか。これが、もしも若者への説教だとしたら短歌的に「くさい」作品となってしまうのではないだろうか。こんな生き方に対して「責任をとれ」みたいな発想は文学とは縁がないからです。時代が作った環境の中での「生き方」だからです。同時に、時代遅れの生き方を詠うという美学も当然にありますので、そんな作品にも出会いたいものです。面白い視点に、つい、長く書いてしまいました。

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月一の集いのありてマンションの今日はとん汁その後は合唱  (石巻市中央・千葉とみ子)

【評】震災復興住宅という名の「集合住宅」が、被災地のあちこちに建ちあがり、入居を喜ぶニュースが放映されることも多かった。けれども、今までの町内会や集落がそのまま入居したわけではないので、新しい人間関係の構築で苦労するとも。作者の所はうまくいっているのだ。下の句の「とん汁」と「合唱」が雄弁にそのことを語っている。「うまくいってます」と言わないで、行事の中身を並べたところが読者の共感を呼ぶのです。

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看護師の頑張ってねの声を耳に検査ベッドに上がる身重し  (東松島市赤井・茄子川保弘)

年の瀬の慌ただしさも馴れ馴れにそつなく済ます初春近し  (石巻市北村・中塩勝市)

風強き頂きにつけば震災で割れた馬頭観音(ばとうかんのん)碑かたむきしまま  (石巻市高木・鶴岡敏子)

秋日和のベランダに干す幾枚の布団に今宵の夢を託さん  (石巻市わかば・千葉広弥)

歳末の福引当たり鐘鳴りぬ疲れたわれに小さな褒美(ほうび)  (角田市角田・佐藤ひろ子)

ポインセチア紅白錦糸で変身す昨日は西洋今日は和となり  (東松島市矢本・川崎淑子)

物書くは内なるものを育てると言葉の糸で心をぞ編む  (石巻市桃生・佐藤国代)

緞帳(どんちょう)の矢をくわえたる鷹一羽つばさを広げ場内見おろす  (石巻市須江・須藤壽子)

塀越しに咲くテッセンの花模様行きかう人に安らぎ与う  (石巻市桃生・千葉小夜子)

受け止められぬ病と共に生きてきて疲れしならん言葉がほしい  (東松島市野蒜・山崎清美)

かの日から岬の先のその先へ吠えても吠えてもまだ吠え足りぬ  (多賀城市八幡・佐藤嘉久)

ディサービス卒寿の祝いの記念品に勝るものなし今すこし生きん  (石巻市鹿又・高山照雄)

昔から泣くも笑うも年は暮れ新年迎えてことは変わらず  (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

北西風(ならい)背に日和の山に立ち見れば田代郷島のおさなの夢が  (石巻市駅前北通り・津田調作)

眠れぬ夜めずらしく亡夫(ちち)と語り合いようやく言えた感謝の言葉  (東松島市赤井・佐々木スヅ子)

枇杷(びわ)の花白く咲きたる庭の隅 夏の実りに冬日を受けて  (石巻市桃生・三浦多喜夫)

冬来れば春遠からじと言うけれど寒さが日に日にわが身に沁みる  (石巻市水押・小山信吾)

川柳(1/12掲載)

【水戸一志 選/評】

◎年齢には逆らえずガタがきた体を、このように明るく詠めることに拍手を送りたい。中七のオノマトペ(擬声語)と漢字熟語のマッチングも楽しい。川柳は単なる言葉遊びや語呂合わせとは一線を画するが、言葉の切れ味、響き合いは技巧とみる。

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◎ どの部位もポキポキ古希と音がする  (石巻市須江・市川つね子)

  あんこ餅正月来たぞ舌笑う  (石巻市桃生町・佐藤俊幸)

  初詣で健の一字を祈るのみ  (石巻市蛇田・鈴木醉蝶)

  年賀状余り川柳投句する  (石巻市向陽町・佐藤功)

  お年玉もらいバイバイ孫帰る  (石巻市桃生町・高橋冠)

  甘く見て暮れにゴーンと逃げられる  (石巻市築山・飯田駄骨)

  初ごよみ外科歯科眼科そろい踏み  (東松島市赤井・川元とき江)

  インフルエンザ施設の母を遠ざける  (石巻市蛇田・大山美耶紀)

ネズミの年

 新年のお喜びを申し上げます。

 年末の強風とともにイノシシたちは走り去り、元旦のカウントダウンとともにネズミたちが舞台に躍り出てきました。これで十二支( the twelve horary signs )は、一回りしました。次にイノシシ君( boar )が登場するのは12年後というわけです。

 さて、ネズミ君を英語で何というでしょう?

 「知らないの?!」「マウスだよ。mouse と書くんだ」と、幼い子どもたちに笑われそうですが、「では『3匹のネズミ』ってどう言うの?」と聞き返すと皆黙ってしまいます。

 これは意外と知られていないようです。以前、授業で3人の学生に尋ねたら3人とも「マウセズ」mouses と...。やむを得ないことです。ディズニーのキャラクターは何匹いても「ミッキー・マウス」で定着していますから。それに「ミッキー・マイス」というのは何となく言いにくい。

 a mouse は、3匹で three mice となります。

 「sを付ければ複数形」と学校で習いましたが、英語には例外があるのです。「子ども」child の複数形は children(チルドレン)、「足」foot は feet などのように。

 それからネズミを表すもう一つの英語があります。rat(ラット)。こちらは野生的でドブネズミのような実験に利用されるネズミです。一方、mouse は可愛らしく、ペットとして飼うような小型のネズミで「ハツカネズミ」として区別されます。

 最後に mice が登場するよく知られた英語のことわざを紹介しましょう。

 " When the cat's away, the mice will play. "(猫がいないうちにネズミたちは遊ぶ。)

 これに近い日本語のことわざは何でしょう。正解は次回に。「鬼」が出てきてちょっと怖いですが。

大津幸一さん(大津イングリッシュ・スタジオ主宰)

俳句(1/5掲載)

【石母田星人 選】

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松が枝を透かし令和の初日かな  (石巻市南中里・中山文)

【評】松竹梅のひとつの「松」。日本では神としてあるいは神が宿ることのできる清浄な存在としてよく慶事に用いられる。掲句の松は枝ぶりよく剪定されている。その常緑の松を透過して令和の初日が届いた。

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去年今年積みクルーズの離岸かな  (東松島市矢本・雫石昭一)

【評】デッキから初日の出を楽しむクルーズの光景だろう。上五「去年(こぞ)今年」は新年の季語。大みそかの一夜にして去年と今年が入れ替わることを言う。去りゆく年を惜しみつつ、今年へ夢をはせるという越年の意識も含んでいる。それらすべてを積み込んだという上五から中七の表現が掲句の魅力だ。年の変わり目の漠とした感覚は洋上での揺れに近いような気もする。また「離岸かな」の詠嘆は新年の旅の始まりを語る。

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かたまつて白鳥の田と雁の田と  (石巻市桃生町・西條弘子)

【評】日中は水辺近くの田んぼに行って給餌をする水鳥たち。白鳥と雁が田ごとに分かれて泥にまみれている。対象を素手でつかんだような実感があり好感。

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でこぼこの柚子の香りの勢いかな  (仙台市青葉区・狩野好子)

【評】下五の「勢(きお)い」が独特。例えば「強さ」では言い表せなかったのだろう。想像以上に元気な威勢のいい香りだったのだ。柚子湯の句なのかもしれない。

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渋柿を剥くテーブルに来る夕日  (石巻市蛇田・石の森市朗)

一行の余白もなくて年詰まる  (石巻市相野谷・山崎正子)

番鴨泥の水尾引く日暮かな  (石巻市小船越・三浦ときわ)

買初に極彩色の松葉杖  (東松島市矢本・紺野透光)

係留の綱に雪また氷柱かな  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

ほんのりと山茶花の白暮れにけり  (石巻市桃生町・佐々木以功子)

無医村に古稀を迎える冬の医師  (石巻市北上町・佐藤嘉信)

手品師の予測はできて竜の玉  (石巻市中里・川下光子)

結界を埋め尽したる猛吹雪  (石巻市小船越・芳賀正利)

冬木の芽光零るる無人駅  (東松島市新東名・板垣美樹)

喧騒の街の外れや大枯木  (石巻市広渕・鹿野勝幸)

藁仕事薬缶の蓋が笛を吹く  (石巻市吉野町・伊藤春夫)

冬ざれや野良猫に撒く魚の骨  (石巻市開北・星ゆき)

青森の冷たさ抱いて着くりんご  (東松島市矢本・菅原れい子)

隙間風仮設の灯り二軒ほど  (石巻市元倉・小山英智)

冬の海まっすぐ向いて津波地蔵  (石巻市渡波町・小林照子)