お産SOS 河北新報社

第1部/最前線の苦悩

[ 2007/01/21 ]

(5完)分娩離れ/開業医疲弊 進む無床化

osan20070121.jpg 脳裏に刻まれたお産の緊張感は、そう簡単に消えない。仙台市青葉区で今泉産婦人科を開業する今泉英明さん(60)。外来診療専門に切り替えて、1年半がたつ。
 今でもふと、夜中に目が覚める。「呼び出しのブザーが耳で鳴る」
 幕末から5代続く診療所。祖父の代には付属の「産婆学校」も持っていた。亡父の英夫さんは1960年代、年1100件の分娩(ぶんべん)をこなした。大きな病院を含め、仙台で最も多かった。
 その老舗医院が出産から手を引かざるを得なかった。90年代も年500件を数えた分娩は少子化で半減。厚生労働省が2004年、看護師の内診禁止を通知したのも響いた。交代制で助産師を詰めさせるには、人的にも経営的にもきつかった。
 「わたしの老化もあるんだ」。お産が深夜まで及ぶと、翌日、患者を診るエネルギーがわかない。もう一言二言、声を掛けようと思っても言葉が出てこなくなった。
 跡取り難も決断を後押しした。2人の娘は医師を目指さなかった。産科医と見合いさせようともした。「お父さんの生活を見ていたら、産科医とは結婚したくない」。あっさりふられた。

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第1部/最前線の苦悩

[ 2007/01/20 ]

(4)絶滅危惧種/後継者難 途切れる循環

2007120sos.jpg「平成の大合併」で10町村が一つとなった栗原市。宮城県で最も広い市の産科医療は、たった一人の開業医が支えている。
 旧築館町で、ささき産婦人科クリニック(16床)を開業する佐々木裕之さん(50)。「志願したわけじゃない。気付いたらアラモ砦(とりで)に一人立てこもってしまった」。冗談めかした言い回しで窮状を説明する。
 父の跡を継いだのは1995年。当時、10町村には出産できる医療施設が公的病院と民間診療所で計5カ所あった。少子化や医師不足、医師の急死。次々に休診、閉鎖へと追い込まれた。
 「栗原、そして登米、気仙沼・本吉。宮城県北の産科医療は、がけっぷちに立たされている」。表情を険しくする佐々木さん。「見落とされている危機的な事実もある」と、こう付け加えた。
 「産科開業医の循環が途切れつつある」

 2005年に誕生した子どもの出生場所は、小規模施設の診療所(19床以下)が47.4%を占めた。日本のお産の半分は開業医が背負う。
 栗原、登米、気仙沼・本吉の3広域圏でお産を扱う開業医は今や4人。ベテランの域に入る佐々木さんが最も若い。「東北のいわゆる郡部は、ほとんどの開業医に後継者がいない。新規参入もない。絶滅寸前です」
 佐々木さんはこの10年、家族旅行も学会も行けなかった。年400件を扱っていた分娩は、2年前から350件前後に抑えている。あまりの忙しさと、求められる医療レベルが年々高まっているためだ。
 「産科開業医はとてもやりがいのある仕事。でも、苦境がやりがいを超えてしまった」。子どもが医師を志望しても跡を継がせたいとは思わない。「わたし自身、あと何年やれるか」。笑みを絶やさない大柄な体には、どこか疲労感が漂う。

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第1部/最前線の苦悩

[ 2007/01/19 ]

(3)防衛医療/逮捕や訴訟 揺れる医師

osan20070119.jpg 南相馬市の病院に勤める産婦人科医の木村康之さん(43)。心を決め、院長に切り出した。「もう、お産をやめたいと思っています」。引き金は半年前の“事件”だった。
 2006年2月。福島県の同じ浜通りにある県立大野病院(大熊町)で、顔見知りの産婦人科医が逮捕された。04年暮れ、帝王切開の手術で女性=当時(29)=が死亡。子宮に癒着した胎盤をはがそうとした際、大量出血を起こした。
 大野病院と同様、常勤医は1人体制。「どんなに力を尽くしても、患者が亡くなれば結果責任を問われる。お産を続けられる状況ではない」。捜査の経過は、人ごととは思えなかった。
 癒着胎盤は出産後、自然にはがれるはずの胎盤が子宮にくっ付いて取れない状態。数千人に1人の割合で起こる。事前に癒着胎盤の有無、程度まで正確に診断することは不可能に近いとされる。
 症状が似た前置胎盤の手術経験はあった。母子ともに無事だった。癒着胎盤であれば、命を救えた確信はない。「今なら、より体制の整った病院を紹介する。委縮と言われるかもしれないが、現状ではやむを得ない」
 母体に負担をかけまいと、「待つお産」を心掛けてきた。訴訟の増加もあり、自然分娩(ぶんべん)には以前ほどこだわらなくなった。
 「専門の不妊治療から出産まで一貫した診療にやりがいを感じている。自分がやめると、周囲の医師に負担をかけてしまう」。木村さんは思い直し、今もお産を続けるが、心は揺れる。

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第1部/最前線の苦悩

[ 2007/01/18 ]

(2)安全神話/「無事で当然」増す重圧  

osan20070118.jpg 赤ちゃんが元気に産声を上げる。無事、お産が終わった。そう思ったときだった。
 「お母さんの出血が止まりません」。助産師の言葉に、福島県立南会津病院(南会津町)産婦人科の医師安部宏さん(35)は全身に緊張が走った。
 助産師が胎盤を出そうと、臍帯(さいたい)を引いた際、子宮が裏返しになって出てきた。子宮内反症。1万人に1人とも言われる確率で起きる症状だ。
 一刻も早く出血を止めないと、命が危ない。止血に取り掛かりながら、会津若松市の赤十字血液センターに血液輸送を頼んだ。車で飛ばしても一時間。普段にも増して、曲がりくねった山道が恨めしい。「早く。早く、来てくれ」
 緊急輸血後、会津若松の病院に搬送される母親に付き添った。常勤医は安部さん1人。目の前の女性の容体とともに、「留守中に何かあったら」と気が気ではない。戻ってきたのは午前7時。気持ちを静め、いつも通りに外来診療を始めた。
 「先生、あのときはお世話になりました」。1週間後、回復した母親が訪ねてきた。笑顔にほっとした。同時に、ふと頭をかすめた。「もし、助けられなかったら、どうなっていただろう」

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第1部/最前線の苦悩

[ 2007/01/17 ]

(1)24時間拘束/常勤医1人 重責一身に

osan20070117.jpg 電話が鳴っている気がして、目が覚めた。午前零時を回っていた。慌てて病院へ連絡する。「今、電話くれた?」「かけてませんよ」。安堵(あんど)といらだちが交錯した。「寝ている間も気が休まらないなんて」
 福島県立南会津病院(南会津町)の安部宏さん(35)。ただ1人の常勤の産婦人科医だ。南相馬市(旧小高町)出身。着任して3度目の冬を迎えた。
 カバーする南会津郡の面積は約2300平方キロ。神奈川県全域に匹敵する。お産を扱うのは安部さん1人だ。
 有数の豪雪地帯。大きな病院がある会津若松市まで、車で2時間かかる地区もある。「誰かがここにいなければ」。そんな熱意が、24時間拘束の生活を支える。

 日本産科婦人科学会の調査によると、全国の大学医学部・医大が2005年度に産婦人科医を派遣した病院のうち、東北では23%が常勤医が1人だけ。出産受け入れに制限を設ける病院も少なくない。
 婦人科を含め、明らかに1人では手に負えない重症者以外、安部さんは断らない。「周りには『無理するな』と言われるけれど、何とかできるなら診てあげたい」。うわさを聞き付け、時間外に会津若松から駆け込んでくる人もいる。
 着任時、病院の出産は年間70件を切っていた。今は倍の140件。地域のお産の半分だ。外来患者と手術も年々増えている。「地域からの信頼が数字に表れている」と自負はできる。
 誕生の瞬間、分娩(ぶんべん)室に響く産声と母親の笑顔に心が和む。これまで取り上げた赤ちゃんは350人以上。お母さん一人一人の顔と名前を覚えている。
 「出産は一生、記憶に残る。それを支えられる仕事」。誇りと充実感に満たされる。

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