第8部/離脱防止
(5完)地域ネットワーク/役割分担 支え合う医師
「砦(とりで)」。いわき市の産婦人科医たちは、市立総合磐城共立病院をこう例える。
共立病院は地域周産期母子医療センターに指定され、新生児集中治療室(NICU)を備える。昨年5月、産婦人科の常勤医が4人から3人に減り、お産の受け入れは高リスクと救急に限定した。通常の出産は6カ所の診療所と、民間の松村総合病院が引き受けることになった。
市内に住む大河原正美さん(35)は2月、共立病院で女の子を産んだ。分娩(ぶんべん)をやめる施設が増え、ようやく松村病院を紹介してもらった。妊娠29週目に急変し、1週間後、共立病院に移った。
早産だった赤ん坊はNICUに入った。順調に成長し、無事退院した子どもをあやしながら、大河原さんは実感する。「松村病院では、須賀川市の病院に搬送するかもしれない、と聞かされていた。地元で産めて、本当に良かった」
共立病院の常勤医は4月から、5人に増えた。半面、松村病院は産婦人科の体制が縮小された。再び、通常出産も共立病院に集中しかねない状況。以前、市内で働いていた産科医は「地域の医師数がさほど変わらない中、どこまでに持ちこたえられるか」と砦の守り手を思いやる。
第8部/離脱防止
(4)助産師活用/医師と協調 可能性開く
神戸市の佐野病院の診療部門案内には、外科、内科などと並んで「助産科」がある。
助産科の札が掲げられた部屋は産婦人科の隣にあった。「診察室」としては異質な畳敷き。助産師は妊婦健診や産後ケアに当たり、別室で分娩(ぶんべん)も扱う。
「うわー、あこがれのおっぱいや」。4月上旬に訪れた伊藤由香子さん(31)は、うれしそうに声を上げた。1月に長女を出産したが、母乳があまり出なかった。助産師の石村朱美さん(58)がしばらくマッサージすると、母乳は弧を描いてほとばしった。
長男(4つ)も、医師の勧めで助産科で産んだ。最初に抱いた不安は「健診でじっくり話を聞いてもらううちに消えていった」。次は、迷わず助産科を選んだ。「安心感がいい。子育てで心配なことがあっても石村さんがいてくれる」
第8部/離脱防止
(3)線引き/内診不可 診療に足かせ
「看護師内診が犯罪行為になってしまった。自分はともかく、スタッフまで刑事責任を問われる状況では続けられない」
1軒の診療所が3月、分娩(ぶんべん)の扱いをやめた。大阪市のオーク住吉産婦人科。「医師は5人もいる。看護師の内診が認められなくなったためです」。産声が消えた院内で、院長の中村嘉孝さん(39)はやりきれない表情を浮かべた。
内診は、子宮口の開き具合や赤ちゃんが下りてくる状況などから、お産の進行を管理する行為。オークでは2000年の開業以来、医師が半年間付きっきりで指導した看護師が受け持っていた。
オークに限らず、開業医を中心に長年、看護師も内診に携わってきた。「医師と助産師以外には内診を認めない」。状況を一変させたのは、02年と04年に厚生労働省が出した通知だった。
06年11月には、看護師らが内診していた堀病院(横浜市)の院長らが保健師助産師看護師法違反の疑いで書類送検された。横浜地検は今年2月、「構造的問題で行政が解決すべきだ」と全員を起訴猶予にした。
第8部/離脱防止
(2)子育て支援/勤務に配慮 意欲つなぐ
「10年目ごろになると、産婦人科の女性医師の約半数は分娩(ぶんべん)の現場から離れる」。日本産科婦人科学会が3月、女性会員を対象とした調査結果をまとめた。
経験10年。臨床の場数を踏み、技量も増す。若手から中堅へと成長する時期。既婚者の多くは同時に、子育ての忙しさもピークを迎える。
「今、手を打たないと、5年後の産科医療は本当に大変なことになる」。調査を担当した「女性医師の継続的就労支援のための委員会」委員長の桑江千鶴子さん(55)は危機感を募らせる。学会の20代会員は、女性が7割を占める。
大阪厚生年金病院(大阪市)は2004年、仕事と育児の両立が可能な制度を取り入れた。正職員の最低労働時間は週30時間。当直に入らなくても構わない。産前産後で約3カ月の休暇は、パートタイム勤務の医師にも保障する。
第8部/離脱防止
(1)待遇改善/「誇り保てぬ」訴え切実
1枚の紙に、東北の総合病院で働く医師の勤務状況が記録されていた。40代の産婦人科医。2001年4月。時間外勤務は「150時間」。過労死と認められる基準(80時間)の倍近い。休日はわずか3日だった。
当時、産婦人科では同僚2人が前月に退職し、1人でお産や診療、手術に忙殺されていた。昼食は仕事中に立ったまま、おにぎりをほおばる程度。当直明けも夜まで残る。「あと、どれぐらいもつだろう」。疲れは日々、蓄積していった。
ある日、事務職員に呼び止められた。「1人で頑張ってくれているのに、申し訳ない…」。時間外手当はどの診療科も、20時間で打ち切られていることを知らされた。
産婦人科医として、深夜の呼び出しや拘束時間の長さは覚悟していた。それより、生命の誕生に携わるやりがいを大切にしてきた。ただ、真夜中の出産に立ち会っても感謝の言葉さえ、あまり掛けられなくなってきた。
「人手が足りない上に、無料奉仕は当たり前。お金がすべてではないけれど、こんな状況では誇りを持って働けない」



