第10部/打開の糸口
(8)完 産科を守り続けるには/医療費抑制 国は改めよ
宮古市長 熊坂義裕さん(55)
岩手県立宮古病院(宮古市)の産婦人科が2005年、お産休止の危機にさらされた。東北大が、派遣していた医師2人の引き揚げを打診してきた。切迫した事態に、市民が立ち上がった。産婦人科医の確保を求める署名活動が広がり、人口の6割を超える約4万人分が集まった。
「産婦人科医や小児科医は地域の共有財産。市民の暮らしでは欠かせない存在だ。医師がいなくなることは、地域で子育てができなくなることを意味する。いないということ自体が異常。住民や行政にとって切実な問題だ」
第10部/打開の糸口
(7)賢い患者になるには/不信克服 協働の関係に
ささえあい医療人権センターCOML事務局長 山口育子さん(41)
ささえあい医療人権センターCOML(コムル、大阪市)は1990年、医療を消費者の目でとらえ、命の責任者として自覚を持った賢い患者を目指そうと発足した。ちょうど、医療のインフォームドコンセント(説明と同意)が国内で認識され始めた時期。活動の柱に据える電話相談にはこれまで、4万件以上の声が寄せられた。
「この17年間で患者の姿はすごく変化した。初めのころは、医師に言うなんてとんでもない、愚痴を聞いてもらえるだけで気持ちが軽くなる、という相談が多かった」
今、理不尽な主張で怒鳴り散らす「怒れる患者」が受話器の向こう側にあふれている。検査したが病気がはっきり分からなかった、なぜ検査料を払うのか―。入院しても良くならない、医療ミスがあったに違いない―。
「手術後、家族が亡くなった。以前は長々と話をした後、解決するには裁判しかないのか、でもお金が欲しいわけじゃない、という相談パターンだった。最近は違う。いくら請求できますか、相場は? といきなり聞かれる。すごくドライだ」
「治ったら金を払うが、満足できないなら払わないと、成功報酬的な考えを医療に持ち込む人が多く、びっくりする。少ない負担で最高の医療を受けたいということか。節度の規範が変わってきたこともあるが、背景には医療不信のうねりがある」
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(6)助産師の力を生かすには/専門性高め地域密着を
上田市産院副院長 広瀬健さん(57)
長野県の上田市産院は、市立の産婦人科専門病院だ。市内で最も多く分娩を扱っていた施設が2005年、存廃に揺れた。医師を送っていた信州大から引き揚げの通告を受けた。大学は医局員不足を理由に、拠点病院へ配置換えする集約化を進めていた。
産院の危機に、長野県内の別の病院に勤めていた広瀬さんは決断する。医局に異動を志願し、翌年4月に着任した。現在は常勤医2人と非常勤医1人の体制で、以前より多い年約700件のお産を受け入れている。
「大学側の勝手な理由で、産む場所がなくなることに怒りを感じた。母乳育児に力を入れる産院は県内で唯一、ユニセフ(国連児童基金)とWHO(世界保健機関)の『赤ちゃんにやさしい病院』に認定されている。地域に愛されている施設を、閉鎖に追い込むわけにはいかなかった」
「高リスク分娩を引き受ける大病院に医師を集めることは必要だが、そこに正常出産まで集中すると、妊婦へのケアが手薄になりがちで、かえって危険性も増す。集約化ではなく、分散化こそ周産期医療を救う鍵になる」
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(5)産婦人科に医師を引き寄せるには/実習重ね価値伝えたい
東北大教授 岡村州博さん(59)
日本産科婦人科学会の東北6県の会員は2006年で1083人と、ここ10年余りで100人近く減った。04年度の新臨床研修制度導入を境に、大学医学部の産婦人科医局に入る研修医は減少。東北に六つある医学部でも入局者が合わせて1年に10人前後と、制度を導入する前の半分程度に落ち込んでいる。
「大学は地方の病院に適材適所で医師を送ることで、地域医療も担ってきた。供給源の弱体化は医療の低下に直結する。現状のまま推移すれば、診療にとどまらず、産科、婦人科の医学革新に不可欠な専門的研究に支障を来しかねない」
「研修医の目を向けさせる仕掛けが必要だ。魅力的な研修を用意しなければいけない。仙台産婦人科後期研修ユニットは、その一つ。産婦人科は出産、不妊治療、がん治療と幅広い。東北大病院(仙台市青葉区)を拠点に仙台圏の主要病院で、各分野の最先端の臨床を経験できるようにした」
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(4)地域医療を維持していくには/派遣医師に後ろ盾万全
長崎県病院事業管理者 矢野右人さん(70)
大小55の離島に約17万人が暮らす長崎県。へき地の典型といえる離島の医療は、独自の医師養成制度で支えられてきた。
医学生に授業料や生活費を支給し、その倍の期間、地域に勤務する。制度は1970年に始まった。地方の医師養成を目指す自治医大が開学する2年前のこと。全国でも先駆的な事業だった。
「40年近い地道な取り組みが今、実っている。行政が動かせる医師がいなければ、いくら地域医療に予算を出したとしてもどうにもならない。1人辞めただけでオロオロしてしまう」
長崎県離島医療圏組合が運営する九病院の常勤医104人のうち、県が人事権を持つ「養成医」は自治医大出身者を含め38人。予定では、今後8年間で新たに43人が地域医療の現場に入る。
養成医は大学卒業後、「親元病院」と呼ばれる国立病院機構長崎医療センター(大村市)で2年間の初期研修を受け、離島に派遣される。再研修、再々研修の制度もあり、養成医同士や、医療センターのスタッフとコミュニケーションを築けるように配慮されている。
「医師はマイスター(職人)の世界。面識がないと本当の情報交換はできない。何かあったとき、電話1本で相談できる関係を親元病院でつくる。仲間意識を持たせている」
「最近、各県で奨学金を使った医師養成を始めたが、養成医の受け皿づくりが不可欠だ。長崎は離島医療圏組合と医療センター。卒後教育、人事配置のよりどころがないと、養成医は安心して仕事に取り組めない」
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(3)医療事故の「なぜ」解決策は/法廷に委ねず教訓探る
弁護士 加藤良夫さん(59)
祖父と父は医師。学生時代、母親が薬害スモンの被害者になり、患者会にかかわった経験から、医療訴訟を専門とする弁護士の道を選んだ。1990年に全国の弁護士や医師らと「医療事故情報センター」(名古屋市)を設立。シンポジウムや勉強会を通して、患者の視点に立った情報発信に努めている。
「多くの被害者は原状回復、真相究明、反省謝罪、再発防止、損害賠償という5つの願いを持つ。亡くなった人を返してもらいたい、障害を治してほしいという原状回復の願いが最も強い」
「失われた健康が戻らない場合、当事者が立ち直り、生きていく上で重要なのは真相究明と、被害を無駄にしない再発防止。訴訟では損害賠償しかかなわない。時間もかかる。司法による救済に限界がある以上、新たな選択肢が必要だ」
その選択肢となるのが、患者側と病院の間に入り、紛争を解決する「第三者機関」。97年、検討のたたき台として「医療被害防止・救済センター」構想をまとめた。医療機関による調査の客観性や公正さをチェックし、専門家や市民らの判定員が補償すべきと判断すれば、補償金を支払う。再発防止のため、事故の教訓は公開する。
「救済と再発防止の両方を担える点が特徴。真相究明では『誰が悪いか』より『なぜ起きたか』を重視する。個々の過失や責任にとどめず、根本的な原因を探らないと、医療の質は向上しない」
「運営の財源は国や自治体の補助金、医療機関の拠出金のほか、患者の一部負担も考えている。訴訟になる医療事故は氷山の一角。構想を実現するには、医療事故が人ごとではないことを社会全体で認識してもらわなければいけない」
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(2)地域で医師を育てていくには/病院スクラム 研修充実
「群星沖縄」臨床研修センター長 宮城征四郎さん(68)
2004年4月、新しい臨床研修制度が始まった。2年間の初期研修が義務化される一方、研修先は研修医が自由に選べる新制度。導入の1年前、沖縄県内の14病院は臨床研修病院群プロジェクト「群星(むりぶし)沖縄」を始めた。民間病院を主体に連携し、医師を育てる試みだ。
新制度下で、東北の病院は研修医の確保に苦しんでいる。対照的に、群星沖縄には04年から2年連続で定員いっぱいの研修医が来た。現在、参加病院は27。初期研修医は115人で、東北大、山形大など東北の大学出身者も9人いる。
「研修医が集まるのは、群星沖縄に哲学があるから。研修医は明日の日本の医療を担う貴重な人材。天下国家のため、良き医療人を育てようという大きな理想を掲げている」
「研修医が来ないのは、医療を医療者のものと勘違いしている病院。若い医師は、こき使おうとする病院を敏感にかぎ分け、敬遠する。医療の主役が国民であるように、研修病院では研修医が主人公であるべきだ」
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(1)妊婦たちにできることは/自分の体に責任持とう
「どうする?日本のお産」ディスカッション大会企画者 熊手麻紀子さん(38)
高校2年を頭に、3人の子どもの母親。経験者の立場から、お産や育児に関する情報発信を続ける。産科の休診が相次ぐ中、出産環境について語り合う「どうする? 日本のお産」ディスカッション大会も発案。交流があった母親仲間や医師、助産師らの協力で開催にこぎ着け、実行委員長を務めた。
「みんなが、このままではお産が大変になると不安を感じていた。でも、何が起きているのか、何から手をつけたらいいのか分からない。まずは集まって、それぞれの視線で今の問題を話そう、と呼び掛けた」
「『こうしてほしい』と望む前に、動くことが大事。『どうする?』には、そんな思いを込めた。国、行政、医師に求めるだけではなく、社会の一員として自分たちに何ができるのかを考えるきっかけにしたかった」
2006年5月の横浜市を皮切りに、仙台市、東京など全国9カ所で話し合う場を設け、合わせて1000人近くを集めた。一方通行になりがちなシンポジウムとは違い、参加者が自由に発言する方式を採った。
「母親、父親、医師、助産師、学生、教員、行政の人、議員…。あらゆる職業、年齢の人が同じ視線で話せた点が大きな収穫。互いに知っているようで、知らないことが多かった」
「母親にとってお産の経験が、育児にどうつながっていくか。医療者やその教育者が理想としているケアが、さまざまな壁のために実現が難しく、医療者たちが過重労働でどんなに疲れているか。互いの状況が分かり合えた」



