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    <title>お産ＳＯＳ</title>
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    <title>（下）高リスク対応／唯一の拠点　増す存在感</title>
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    <published>2008-12-24T01:50:37Z</published>
    <updated>2008-12-24T01:57:22Z</updated>
    
    <summary> 　仙台赤十字病院（仙台市太白区）に入院中の宮城県内の３０代女性は、三つ子を身ご...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <category term="400)総合母子医療センターは今" />
    
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        <![CDATA[<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-left" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 20px 20px 0px" height="186" alt="20081224.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20081224.jpg" width="280" /></span>　仙台赤十字病院（仙台市太白区）に入院中の宮城県内の３０代女性は、三つ子を身ごもっていた。</p>
<p>　今月上旬、帝王切開手術の当日。大きなおなかは、臨月を迎えた妊婦の倍はある。体の向きを変えるのも大変そうだが、心は落ち着いていた。</p>
<p>　「受け入れてくれる病院が県内にあり、ラッキーだった。不安は大きかったけれど、医師や助産師が丁寧に説明してくれて、楽になれた」</p>
<p>　県北の病院で三つ子だと告げられ、勧められるまま仙台赤十字病院に移った。自宅が遠いため、万が一に備えて１カ月前に入院した。目標だった妊娠３０週を無事に超え、手術が決まった。</p>
<p>　手術室に向かって１時間半。二つの保育器に入れられ、三つの新しい命が姿を見せた。体は小さいが、元気な産声を上げている。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　「母子ともに頑張りました。呼吸が安定したら、ミルクを始めます」。新生児科医の鈴木力生さん（３１）の説明に聞き入った夫は「経験が豊富な施設で、安心して任せられた」と感謝した。「これからが大変ね」。付き添った女性の母親は優しくほほ笑んだ。</p>
<p>　仙台赤十字病院は県内で唯一、総合周産期母子医療センターに指定されている。高リスクの妊婦や出産に、高度な技術と設備で応える。</p>
<p>　三つ子の出産を受け入れられるのは、県内でここだけだ。昨年は２組の三つ子が誕生した。双子も県内の４割近い７８組を扱った。</p>
<p>　三つ子の帝王切開となれば、手術はチームを組む。執刀する産婦人科医２人のほか、医師は新生児科の３人と麻酔科の１人。サポートする看護師は２人、助産師も３人は要る。新生児集中治療室（ＮＩＣＵ）の病床も、３人分を確保しなければならない。</p>
<p>　総合センターとあっても、負担は小さくない。執刀した産婦人科副部長の武山陽一さん（４４）は「どのくらい前から３床を空けておけばいいか、判断が難しい。ほかの搬送を受け入れ制限しなければならないこともあり得る」と打ち明ける。</p>
<p>　生まれたばかりの三つ子たち。１７００―１８５４グラムで、そろってＮＩＣＵに入った。</p>
<p>　看護師や医師が分刻みで様子を確認する。３人とも肺が未熟なため呼吸は苦しそうだが、保育器の中で時折小さな手足を動かす。「ちっちゃいなあ」。看護師に促され、夫はいとおしそうにわが子の手をさすった。</p>
<p>　「今回は順調な例だった」と武山さん。「重症患者の場合、情報を早くから総合センターに集めることが大切だ。突然だったら、対応は難しい」</p>
<p>　多胎などリスクの高い出産は、今後も増えると予想される。一方で、周産期医療の現場は医師不足などの困難に直面する。母子を支える総合センターの存在がますます大きくなっている。</p>
<p>【写真】三つ子たちが入った保育器をＮＩＣＵに運ぶ医師や助産師</p>]]>
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    <title>（上）昼夜勤務／急変・救急　解けぬ緊張</title>
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    <published>2008-12-24T01:47:47Z</published>
    <updated>2008-12-24T01:58:14Z</updated>
    
    <summary>　産科救急の受け入れ態勢整備が急務になっている。地域で産科医療の中核を担い、高リ...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <![CDATA[<p>　産科救急の受け入れ態勢整備が急務になっている。地域で産科医療の中核を担い、高リスクの妊婦や出産に対応する総合周産期母子医療センター。救急受け入れの機能も果たしているが、医師不足などで厳しい運営を強いられている。宮城県で唯一、総合センターの指定を受ける仙台赤十字病院（仙台市太白区）で、母子の生命を守る最前線の実情を追った。（「お産ＳＯＳ」取材班＝上村千春）</p>
<p align="center">* * *</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-left" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 20px 20px 0px" height="280" alt="20081223.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20081223.jpg" width="186" /></span>　今月上旬の平日。仙台赤十字病院の産婦人科病棟は早朝から慌ただしかった。<br />　前置胎盤のため入院中の妊婦が夜間に出血した。妊娠三十数週。緊急の帝王切開手術が決まった。</p>
<p>　「もう１度出血したら危ない。今からやります」。産婦人科部長の谷川原真吾さん（５１）は妊婦のいる母体・胎児集中治療室（ＭＦＩＣＵ）から新生児集中治療室（ＮＩＣＵ）に向かうと、新生児科医に声を掛けた。</p>
<p>　数時間後、手術が終わった。産声を上げた男児は助産師に抱えられてＮＩＣＵに。母親も出血の不安は残るが、元気そうだ。「無事で良かった」。まんじりともせず待合室にいた父親は、安堵（あんど）の表情を浮かべた。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　妊娠二十数週の女性が仙台市立病院から搬送されてきた。早産の恐れがあり、ＮＩＣＵを備えた施設での受け入れが必要と判断された。</p>
<p>　仙台赤十字病院は昨年、９９４件のお産を扱った。１０分の１は他病院からの緊急母体搬送だった。</p>
<p>　ＮＩＣＵは九床、状態が安定した新生児を収容する継続保育室（ＧＣＵ）は３１床。県内の病院では充実しているが、それでも緊急搬送に応じられないことはある。</p>
<p>　「医師が帝王切開で手が離せなかったり、ＮＩＣＵが満床だったり」と産婦人科副部長の武山陽一さん（４４）。「ＮＩＣＵに１床の空きがあれば、総合センターでしか診られない子どものために取っておきたい気持ちもある」</p>
<p>　仙台赤十字病院は通常のお産や婦人科疾患も扱う。医師不足に拍車が掛かる産科医療の現場で、拠点としての重みは増している。</p>
<p>　産婦人科は、病棟が研修医を含め４人、外来は３人の医師がフル稼働していた。新生児科が６人で回す当直は、応援を含めると７、８人で受け持つ。ただ、緊急時に呼び出される「オンコール」の負担も加わる。</p>
<p>　この日の当直は谷川原さんが当番だった。ベテランとはいえ、月４―６回は入る。「あと１人か２人は受け入れる余裕がある」。ＮＩＣＵの空き病床を確認した後、パソコンで他病院の状況もチェックした。</p>
<p>　幸い、当直時に緊急搬送はなかった。それでもＭＦＩＣＵやＮＩＣＵにいる妊婦と赤ちゃんの急変に備え、気は抜けない。助産師や看護師も２４時間態勢で目配りしている。緊急手術が必要になれば、自宅待機の医師や麻酔科医も呼び出す。</p>
<p>　翌朝早く、陣痛の始まった妊婦がやって来た。当直明けの谷川原さんが取り上げた。普段通りに診療などをこなし、帰宅の途に就いたのは午後５時を回っていた。</p>
<p>　「今日は落ち着いていた方。総合センターはスタッフの献身と連携で何とか保たれている」と谷川原さん。３４時間ぶりにほんの少しだけ、緊張感から解き放たれた。</p>
<p>【写真】新生児室で赤ちゃんの様子を確認する谷川原さん。毎朝の日課だ</p>]]>
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    <title>（４）自覚／命の重み　次世代に説く</title>
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    <published>2007-12-19T00:47:28Z</published>
    <updated>2007-12-19T00:50:39Z</updated>
    
    <summary>　仙台市立病院（若林区）の産婦人科に９月上旬、出血した３０代の妊婦が駆け込んでき...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <category term="140)岐路に立つ現場" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/">
        <![CDATA[<img alt="" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20071218_02.jpg" width="200" height="300" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"/>　仙台市立病院（若林区）の産婦人科に９月上旬、出血した３０代の妊婦が駆け込んできた。
　「何カ所か回ったけれど、診てもらえなかった」。健診を一度も受けたことがない「飛び込み」だった。通常の診療はストップ。スタッフは対応に追われた。
　切迫早産の疑いがあった。胎児は２０００グラムあるかどうかだが、週数がはっきりしない。出産しても未熟児の可能性が高かった。
　女性はすぐに新生児用の設備が整う別の病院に搬送され、出産した。胎盤早期剥離（はくり）の兆候があり、母子ともに危険な状態になる恐れがあったという。
　「母子がどんな経過をたどったか、母親に感染症はないのか。情報が全くない。赤ちゃんに異常が見つかっても、治療が遅れる」。飛び込み出産の危険性をこう指摘する市立病院産婦人科部長の渡辺孝紀さん（５０）は、慌てふためく妊婦に触れる度、強く思う。
　「せめて初診さえちゃんと受けてくれれば、注意を促せるのだが。生まれてくる命をもっと大切にしてほしい」
]]>
        　分娩（ぶんべん）を扱う宮城県内の中核的な医療機関ではここ数年、飛び込み出産が毎年計３０件を下らないとされる。
　健診費用の問題に加え、東北大医学部保健学科の佐藤喜根子教授（５５）は「精神的にも子どもを持てない環境にあるのに妊娠してしまう。自己管理、自己決定できない女性がいるのではないか」とみる。
　時として不幸な結果も招く飛び込み出産。生命誕生の意味、そして命の重みを若い世代に伝え、悲劇を防ぐため、助産師らが学校現場での取り組みを進めている。
　１０月中旬。仙台市黒松小（泉区）で「命と性を学ぶ」授業があった。４年生の児童を前に、臨月を迎えた女性のおなかにモニターを付けると、胎児の鼓動が体育館に響いた。女性は「赤ちゃんの顔を見るのがとても楽しみ」とほほ笑んだ。
　講師は、市内の開業助産師と母親でつくる「うぶごえ座」のメンバー。体の仕組みを教えたり、受精卵が育つ様子をスライドで紹介したり。一時間の授業に、子どもたちは引き付けられた。
　うぶごえ座は２００１年に活動を始めた。年１０回ほど、小中高校に出向く。代表の武者文子さん（４２）は「大切に生まれ、育てられてきたことを知る子どもは、自分と相手を思いやる大人に育つはず」と期待する。

　東北大病院（青葉区）にも、学校から講師派遣の依頼が寄せられる。親よりも児童・生徒と年齢が近い医学生や助産師の言葉は、心に響きやすいという。
　「まさか妊娠するとは考えなかった」「セックスを断ってはいけないと思った」。講師を務めた経験がある助産師の渡辺幸子さん（３２）は、受診する若い女性のこんな言葉に胸を痛めてきた。
　「現場を知る人間だからこそ、伝えられることがある」。いいお産に導くことも大事な仕事だと、渡辺さんは信じている。

【写真説明】小学生に胎児の心拍を聞かせる助産師。安全で安心なお産のためにも、命の尊さを伝える＝仙台市黒松小

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    <title>（３）人材活用／妊娠期ケア　熱い使命感</title>
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    <published>2007-12-18T00:54:41Z</published>
    <updated>2007-12-18T01:13:53Z</updated>
    
    <summary>　仙台市青葉区の東北大医学部の一室。今月１２日朝、宮城県内の助産師が集まってきた...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <![CDATA[<img alt="20071218_sos.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20071218_sos.jpg" width="200" height="300" />　仙台市青葉区の東北大医学部の一室。今月１２日朝、宮城県内の助産師が集まってきた。「助産師外来」の人材養成を目的に、県が企画した研修が始まった。
　助産師外来は妊婦健診や相談業務を担う。産婦人科医不足のあおりで産科が休診となった地域の拠点病院に、県は開設を目指す。座学から実習まで。４０日間に及ぶ研修は、その足掛かりだ。
　初日の参加者は１６人。「これまでの経験を整理して新しい知識を身に付け、地域のニーズに応えてほしい」。研修プログラムを作った医学部保健学科の佐藤喜根子教授（５５）は開講式で、エールを送った。
　登米市立佐沼病院の助産師伊藤真理さん（４６）は、受講者の１人。「与えられたチャンスを生かし、前進するしかない」と気を引き締める。]]>
        <![CDATA[　佐沼病院は８月末で産科を休止にした。１５人いた助産師は配置換えになったり、病院を移ったりした。人気が高かったマタニティービクスやヨガは現在、対象者を限定し、１部の助産師がボランティアで続けている。
　県の方針に沿った助産師外来の設置に加え、健診と出産を別々の病院で担当する「セミオープンシステム」の構想も浮上している。
　「健診と言っても相談に乗ることしかできないかもしれないが、産む時は遠くに行かざるを得ない地元の妊婦の支えになりたい」。新たな役割に、助産師の袋祥子さん（３８）は使命感を燃やす。
　産科医療の現場は医師に限らず、助産師も足りない。日本産婦人科医会によると、２００５年は東北で分娩（ぶんべん）を扱う病院の４割、診療所の８割近くで、助産師が不足していた。
　助産師外来は休診で眠ってしまう人材を生かす道でもある。１１月に宮城県庁であった研修の検討会。「異常を見逃したらどうするのか」。出席した医師からは、導入に慎重な意見も上がった。
　そうした声に、佐藤教授は設置の意義を訴える。「産後うつや育児ノイローゼも妊娠期のケアで抑えられるという報告がある。助産師外来は母乳育児や家族の支援を含め、地域の女性の“駆け込み寺”と位置づけるべきだ」

　「産科空白域」となっていた遠野市は今月１日、独立型の公立助産所を東北で初めて設けた。お産は扱わないが、妊婦は市内で健診を受けられるようになった。
　盛岡市などの分娩施設９カ所とインターネットで結んだ「遠隔健診」。助産所開設に先行して昨年１０月、試験的に始まり、これまで４０人ほどが利用した。
　「助産師ならではの指導がある」と助産師の菊池幸枝さん（３９）。体調の変化に気を配る、急変に備えて常に移動手段を用意しておく、病院のスタッフとコミュニケーションを図る―。
　「お産を他人任せにしないという心構えを持つことが大切。医師が不足する地域では特に、自分の体は自分で守らなければならない」。健診に訪れる妊婦には、時間をかけて伝えている。

<strong>【写真説明】産科休診の直前、母親の妊婦と一緒に来た子どもが健診の様子を描いた絵。再開を願い、今も産婦人科に飾られている＝登米市立佐沼病院</strong>]]>
    </content>
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    <title>（２）過渡期／医師の支援　期待つなぐ</title>
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    <published>2007-12-16T23:59:06Z</published>
    <updated>2007-12-18T01:13:46Z</updated>
    
    <summary>　仙台市泉区の「とも子助産院」の院長伊藤朋子さん（４１）はこの秋、来春以降の分娩...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <category term="140)岐路に立つ現場" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/">
        <![CDATA[<img alt="20071217.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20071217.jpg" width="300" height="200" />　仙台市泉区の「とも子助産院」の院長伊藤朋子さん（４１）はこの秋、来春以降の分娩（ぶんべん）予約を受けるかどうか、思案していた。
　「過渡期で、どうなるか分からない」。悩んだ末、予定日が来年３月後半から４月前半までの妊婦は、予約を断った。
　今年４月施行の改正医療法は、分娩を扱う助産所に対し、産婦人科の嘱託医と、産婦人科、小児科がある嘱託病院の確保を義務づけた。経過措置期間は１年。３月３１日がリミットだ。
　法改正を受け、伊藤さんは「森のおひさま助産院」（青葉区）院長の小野由起子さん（４４）と一緒に市内の病院を回った。嘱託の引き受け手は見つからなかった。

]]>
        <![CDATA[　嘱託医の診療科を限定し、救急に応じられる医療機関の確保を要件に加えたのは、助産所出産の安全性を高めるのが目的だ。ハードルが上がった改正に反発する助産師もいるが、伊藤さんは「母子の命を守るためには必要なこと」と理解を示す。
　それでも、期限は刻々と迫る。「廃業」の二文字が頭をよぎる。「嘱託が見つからなければ、その時は仕方がない」と覚悟していた。
　存廃に揺れる助産所。その窮状に、医師側が動きだした。日本産婦人科医会宮城県支部と仙台産婦人科医会を中心に、連携方法を探る話し合いが持たれるようになった。
　「助産所で出産を希望する妊婦の安全を守らなければならない気持ちはある。でも、病院はどこも余裕がない」。市内の産婦人科医は現場の実情を訴えながらも、「組織としてなら、嘱託を引き受けられるかもしれない」と説明する。
　「助産師のことを真剣に考えてくれている。うれしい」と伊藤さん。わずかながら差し込んだ光明を頼みに、予約を控えていた時期の分娩も少しずつ受け付け始めた。

 　産婦人科医の集約化が急速に進む岩手県。嘱託病院が決まっているのは、今月１日に開設された遠野市助産院だけだ。
　県内に５人いる開業助産師は自前の分娩施設を持っていない。出産を介助する場合、妊婦の自宅に出向く。法律上、嘱託を定める必要はないが、助産師の１人は「医師のバックアップがないまま、お産はできない」と打ち明ける。
　全員が産婦人科医の嘱託や支援を望んでいる。ただ、分娩を制限する条件付きでなければ、首を縦には振ってくれないという。
　「緊急時、一命を取り留められるかどうかは搬送時間に左右される。病院から遠いケースもある自宅分娩は不安が大きい」と県産婦人科医会の小林高会長（６２）。助産師側には、病院の設備を利用してお産を扱う「オープンシステム」を持ち掛けている。
　「新しいシステムで技術を認めてもらうことから始めたい」。将来の連携強化に期待をつなぐある助産師は、提案を一歩前進と受け止める。

<strong>【写真説明】出産を終えたばかりの母子を世話する助産師。安全な出産に医師のサポートは欠かせない＝とも子助産院</strong>]]>
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    <title>（１）常勤医不在／地域の分娩　守る助産師</title>
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    <published>2007-12-16T02:05:40Z</published>
    <updated>2007-12-16T02:26:41Z</updated>
    
    <summary>　東北のお産事情が一段と悪化している。分娩（ぶんべん）施設の減少に歯止めはかから...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <category term="140)岐路に立つ現場" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/">
        <![CDATA[　東北のお産事情が一段と悪化している。分娩（ぶんべん）施設の減少に歯止めはかからない。産婦人科医の確保もままならない。限られた医療者で、安全・安心な出産をいかに守っていくか。難題に直面する地域社会で、手探りながらも前を向く現場を追った。
（「お産ＳＯＳ」取材班）＝４回続き

<center>* * *</center>

<img alt="20071216.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20071216.jpg" width="200" height="300" />　１１月半ば。岩手県立釜石病院（釜石市）の産婦人科病棟で、助産師の松内真実さん（２３）は退院を控えた女性に生活指導をしていた。
　「落ち込んだり、涙もろくなったりするのは誰にでもあること。気軽に相談してくださいね」
　声を掛けられた大槌町の高橋絹江さん（３０）は大きくうなずいた。４日前、ここで長男を産んだ。]]>
        <![CDATA[　産婦人科医の集約化が進む岩手。釜石病院は７月いっぱいで常勤医がゼロになった。代わりに、県立大船渡病院（大船渡市）の医師４人が１週間交代で派遣されている。
　医師は原則的に健診などの診療に当たる。分娩は、助産師が中心になって扱う「院内助産システム」が取り入れられた。
　高橋さんは破水しても強い陣痛がなかなか来なかった。丸１日以上待った後、医師が陣痛促進剤を投与し、長男は無事誕生した。脇でずっと励ましてくれたのは助産師だった。
　「助産師だけと聞いて最初は不安だったけれど、心強かった。処置が必要な時はすぐに医師が手当てしてくれた」

　釜石病院で出産できるのは、経過が順調な妊婦に限られる。分娩には助産師と看護師計３人が立ち会う。スムーズに進行すれば、そのまま助産師が赤ちゃんを取り上げる。異常があった場合、派遣の医師を呼び出す。緊急時は大船渡病院に搬送する仕組みも整えた。
　「医師の激務が緩和された」。釜石病院から大船渡病院に移った産婦人科医の小笠原敏浩さん（５７）はシステムがもたらした効用を語る。常勤２人体制だった釜石病院で、深夜の呼び出しは月１５回程度に上った。それが８月は全員で８回、９月は３回に減った。
　月４、５０件の分娩が半分以下に減ったこともあるが、「助産師スピリットが芽生えた。お産に主体的にかかわっていくうちに、技術も向上した」と小笠原さんは目を見張る。

　学習会を開いたり、研修に出向いたり。１０人余りの助産師はシステム導入にえ、助産術を学び直した。医師と検討を重ね、独自のマニュアルを作った。２年前に始めた助産師外来で得た経験と自信も大きかった。
　「釜石からお産の場所をなくしてはいけないと必死だった」。地元出身の助産師東百合子さん（５４）は振り返る。
　妊婦たちの意識も変わった。「やはり釜石で産みたい」という妊娠９カ月の佐々木栄子さん（４０）。「健診で異常があれば、次からは車で一時間近くかかる大船渡病院に行かなければならない。助産師の助言をしっかり守りたい」と体調管理に気を配る。
　医師側には今も、「危なくて助産師には任せられない」との意見が少なくない。そんな声に触れる度、小笠原さんは「まだ余裕があるんですね」と問い返す。「助産師の力を生かさないと、岩手はやっていけない」
　院内助産システムは、他の県立病院でも導入の検討が進んでいる。

<strong>【写真説明】超音波で胎児の様子を妊婦と一緒に確認する助産師＝岩手県立釜
石病院</strong>]]>
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    <title>（５完）共有／絶望感　癒やし支え合う</title>
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    <published>2007-08-20T01:16:16Z</published>
    <updated>2008-01-09T06:26:24Z</updated>
    
    <summary>　テーブルを囲んで、４人の女性が向き合う。 　「自己紹介からお願いします」。真ん...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <![CDATA[<img src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070820sos.jpg"/>　テーブルを囲んで、４人の女性が向き合う。
　「自己紹介からお願いします」。真ん中に座った佐藤由佳さん（３８）＝仙台市泉区＝の一言に誘われるように、それぞれが秘めた過去を語り始めた。
　７月下旬、青葉区の繁華街に立つビルの一室であった「ｗｉｔｈゆう」のお話し会。一人一人が吐露する言葉に、皆でうなずき合った。
　集まった女性は、赤ちゃんを亡くした親たち。「皆、失った子どもの存在と悲しみを胸に抱えて生きている」。佐藤さんは参加者の思いを代弁する。
　佐藤さん自身も、２０００年の暮れに長男右京ちゃんを死産で亡くした。「子どもの存在を確かめ、同じ目線で悲しみを共有できる相手がほしかった」と振り返る。
　インターネットを使って、同じ経験をした人を募った。０２年５月、佐藤さんら宮城や関東の女性１０人で、ｗｉｔｈゆうの歩みは始まった。
]]>
        <![CDATA[　お話し会はこれまでに２９回を重ね、延べ約３００人が参加した。青森や岩手など県外から足を運ぶ人が少なくない。
　岩手県矢巾町の岡田源子さん（３９）もその一人。長男真翔（まさと）ちゃんを亡くして２カ月がたった０３年１１月、初めて会に顔を出した。
　「自分だけが、こんなにつらい思いをしているのだろうか」。喪失感に押しつぶされそうになっていたころだった。
　その日は約２０人が集まった。周りの話を聞くだけで、涙が止まらない。岡田さんも、普段は口にできない寂しさや真翔ちゃんへの思いが自然と口をついて出た。

　「初対面でも、皆と分かり合えた。自分だけじゃないと思えて、救われた」。帰りの車中、悲しみ一色だったそれまでとは違う自分がいた。
　０４年１１月、岡田さんの地元岩手で、赤ちゃんを亡くした親たちが語り合う取り組みが始まった。
　「ちいさなお星さまの会」。岡田さんと知り合いの助産師らが中心となって発足させた。盛岡市などで定期的に会合を開いている。
　かつて絶望のふちにいた人たちが、癒やす側に回る。支え合いの輪が広がっている。
　残された親たちの悲しみはその後の暮らしの中で、癒やされるよりもむしろ、深くえぐられることが多い。
　「心に寄り添い、分かち合える存在がそばにいなければ、わたしたちは歩んでいけない」
　親たちの思いを、佐藤さんはこう訴える。悲しみの当事者とともに生きる、すべての人たちに向けた願いでもある。（「お産ＳＯＳ」取材班）

<strong>【写真説明】ｗｉｔｈゆうのお話し会。佐藤さん（右）らは胸に秘めた悲しみを語り、分かち合う</strong>]]>
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    <title>（４）支え／分かち合う心 生きる糧</title>
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    <published>2007-08-19T02:02:19Z</published>
    <updated>2007-08-19T02:19:34Z</updated>
    
    <summary>　アルバムをめくる手を止め、母は娘に言った。 　「あなたも、よく頑張ったわね」 ...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <![CDATA[<img alt="138.168.180.61.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/138.168.180.61.jpg" width="300" height="195" />　アルバムをめくる手を止め、母は娘に言った。
　「あなたも、よく頑張ったわね」
　「ううん。お母さんがいてくれたから」
　笑みを浮かべて、娘はゆっくりと頭を振った。
　岩手県矢巾町にある岡田源子さん（３９）の生家。岡田さんと母の只野光子さん（７５）が語り合う。
　岡田さんは４年前の秋、長男真翔（まさと）ちゃんを亡くした。臍帯（さいたい）の異常で、２時間しか生きられなかった。]]>
        <![CDATA[　アルバムには、母や祖母らに抱かれた真翔ちゃんの姿が残る。写真の中の時間は、その日で止まったまま。ページをめくりながら、２人は記憶の糸をたどった。
　「どんな言葉をかけてあげればいいのか分からなかった」。申し訳なさそうに話す只野さんに、岡田さんは応じた。
　「わたしの思いを受け入れ、認めてくれた。それがありがたかった」
　死から１週間後、岡田さんは長女（７つ）を連れて、只野さんらが待つ実家に帰った。家族の前では気丈に振る舞った。夜、１人になると、涙をこらえられなかった。
　「真翔を身ごもったのは夢だったのか」「自分も真翔のところに行こう」。頭を巡るのは、悲痛な思いばかりだった。
　失意に暮れる岡田さんを、只野さんはそっと見守っていた。「言葉にしなくても、気持ちは痛いほど分かった」。そばに行って、黙って一緒に泣いたこともあった。
　生後間もないわが子を失う悲しみは時に、言葉が介在できないほど深い。痛みを分かち合おうとする周囲の思いが、残された親の支えになる。

　仙台市泉区の佐藤由佳さん（３８）は２０００年１２月末、早期胎盤はく離による死産で、第二子の長男右京ちゃんを亡くした。
　「あの人がいなかったら、ずっと我慢を続けて、今もふさぎ込んだままだったかもしれない」
　入院中の病室では周りの妊婦らを気遣って、感情を胸の中に押し込んでいた。
　「あの人」とは、以前から近所付き合いのあった友人の女性（４０）。右京ちゃんを亡くして４日後、病室に見舞ってくれた。
　目を合わせるなり、女性は佐藤さんを優しく抱きしめた。そして、涙声でこう言ってくれた。
　「泣きなさい。我慢しなくていい」
　当時の佐藤さんにとって、どんな励ましや慰めの言葉より、ありがたく思えた。せきを切ったように、佐藤さんも人目をはばからずに泣いた。
　「心のよりどころができたみたいで、安心できた」。真っ暗闇だった心の中に、小さな明かりがともった。

<strong>【写真説明】只野さん（右）と語り合う岡田さん。母は同じ思いを重ね合わせて、娘の悲しみを支えた</strong>]]>
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    <title>（３）孤立／タブー視　心の痛み増す</title>
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    <published>2007-08-18T01:25:43Z</published>
    <updated>2007-08-19T02:10:58Z</updated>
    
    <summary>　夫と暮らす自宅だけが自分の居場所だった。 　「見るもの聞くものすべてがつらかっ...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <![CDATA[<img src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070818sos.jpg" width="300" height="175" />　夫と暮らす自宅だけが自分の居場所だった。
　「見るもの聞くものすべてがつらかった。自分が自分じゃないみたいで」。岩沼市の猪股幸さん（３２）は、１人でふさぎ込んでいた５年前の日々を振り返る。
　その年の１１月、５年勤めた保育園を休職した。医師の診断は「うつ状態」。半年近く、自宅にこもりがちになった。
　２００２年４月、猪股さんは長男祐真ちゃんを先天性の心疾患で亡くした。生まれてわずか４日後の出来事だった。
　悲しみ一色の日々を過ごし、２カ月がたった。産休が明け、「これ以上休むと、申し訳ない」と職場に復帰した。
　祐真ちゃんを亡くしたことで、職場での生活は一変した。触れるものすべてに、心をえぐられるような毎日だった。
]]>
        <![CDATA[　「生まれたの？　おめでとう」。いきさつを知らない知人の一言が突き刺さった。
　預かっている子どもたちを見ていると、祐真ちゃんが生きるはずだった未来に思いをはせた。胸が締め付けられた。
　そんな思いをごまかすように、作り笑いを周囲に振りまく自分が嫌になった。
　親しい同僚には本音を打ち明けた。すると、当時の上司に、「ここではそんな話をしないでほしい」とたしなめられた。
　限界だった。かつての日常に、悲しみを癒やしてくれる空気はなかった。「しばらく休んで、環境を変えた方がいい」。通院した心療内科の医師の言葉に従うしかなかった。
　誰にとっても、赤ちゃんの死は受け入れがたい。親を取り巻く実生活で、死はタブー視される。悲しみの当事者を支えるすべを、多くの人は知らない。

　「最近言いたいことも言えない。（中略）こんな所、もういたくない。疲れたよ」。猪股さんの日記には、当時の心境がこうつづられている。
　祐真ちゃんを授かり、産んだこと。大きな声を上げて、会う人皆に知ってもらいたいくらいだった。
　花巻市の佐賀ナナ子さん（３４）も同じ思いに苦しんだ。０４年９月、死産で二女・のの華ちゃんを亡くした。産後、それまでと同じように接する周囲の態度が悲しみをより深くした。
　「亡くなった子どもの存在自体がなかったことにされているようで。つらかった」。佐賀さんは涙ながらに語る。
　残された親にのしかかるのは、死別による悲しみだけではない。「亡くなったわが子の存在を感じ、確かめたい」。そんな思いは周囲とのすれ違いの中でかき消され、さらなる痛みを生む。

<strong>【写真説明】猪股さんがパソコンで記した日記。悲痛な思いがつづられている</strong>]]>
    </content>
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    <title>（２）証し／「ずっと一緒」感謝つづる</title>
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    <published>2007-08-16T00:24:15Z</published>
    <updated>2007-08-16T00:25:53Z</updated>
    
    <summary>　母となる喜びや死別の悲しみをつづった１冊の本に、愛娘の生きた証しが刻まれている...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <![CDATA[<img alt="20070816.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070816.jpg" width="215" height="300" />　母となる喜びや死別の悲しみをつづった１冊の本に、愛娘の生きた証しが刻まれている。
　「産まれたままの姿で」。西村英代さん（３４）＝仙台市宮城野区＝が２００１年１２月に自費出版した。
　その２カ月前、西村さんは第一子の長女幸（さち）ちゃんを亡くした。妊娠中につけていた日記をもとに、誕生や火葬までの思い、支えてくれた友人らへの感謝の言葉を９０ページにわたって記した。「幸が生まれたことをずっと忘れたくなかった」
　悲しい出産だった。
　妊娠二十六週目の健診で、胎児に異常が見つかった。先天性の腎臓病だった。「もって半年」。産科医の説明に、がくぜんとした。
　無事に生まれても、長くは生きられない。「わたしのおなかの中では、元気に生きられる。ずっとおなかにいさせてあげたい。産むのが怖い」。本の一項には、身を切られるような当時の心境が吐露されている。
　出版に向けた作業は、つらかった。パソコンのキーをたたくたびに、涙があふれ出た。

]]>
        <![CDATA[　気持ちの整理をつけようと、執筆を進めた。最後のページは感謝の言葉で結んだ。「わたしたちはいつでも幸と一緒です。だから幸せです」
　亡くなって５年がたった昨年７月、西村さんは二女希美ちゃんを産んだ。
　１歳になった希美ちゃんは人なつこく、笑顔を振りまく。そんな姿に目を細め、西村さんはある願いを口にした。
　「成長した希美にこの本を読ませて、お姉ちゃんがいることを教えてあげたい。４人で、わたしたち家族だから」

　子どもを宿したその日から、母と子はきずなをはぐくむ。生後間もなく命は失われても、親の愛情は深く、うせることはない。
　猪股幸（みゆき）さん（３２）＝岩沼市＝は６年前の夏、長男祐真ちゃんの妊娠が分かったときの喜びを今も忘れない。
　結婚３年目に授かった待望の第一子。日増しに大きくなるおなかをさすり、「早く出ておいで」と声を掛けた。
　翌年４月、出産した。間もなく、希望は絶望に変わった。重い先天性の心疾患だった。４日後に息を引き取った。
　祐真ちゃんのために、猪股さんはベビー服や靴下などを買いそろえていた。今も、家族で使う洋服だんすの中に並んでいる。
　「祐真とわたしたちは、これから先もずっと一緒」。亡くなって５年がたっても、猪股さんの思いは変わらない。

<strong>【写真説明】祐真ちゃんのために買いそろえたベビー服を手にする猪股さん。共に生きた証しが今も暮らしに残る</strong>]]>
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    <title>（１）葛藤／写真の中で　亡き子抱く</title>
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    <published>2007-08-15T00:43:09Z</published>
    <updated>2007-08-18T02:18:05Z</updated>
    
    <summary>　新たな命が誕生する産科医療の現場は死と隣り合わせだ。「お産は病気ではない」とも...</summary>
    <author>
        <name>河北新報メディア部</name>
        
    </author>
    
        <category term="130)悲しみに寄り添う" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/">
        <![CDATA[　新たな命が誕生する産科医療の現場は死と隣り合わせだ。「お産は病気ではない」とも言われるが、常にリスクが付きまとう。死産などの予期せぬ結果は、喜びの場面を一瞬にして悲しみで包む。失意に暮れる親たちは、心の痛みに寄り添う支えを求めている。（「お産ＳＯＳ」取材班）＝５回続き

<center>* * *</center>

<img alt="20070815.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070815.jpg" width="300" height="199" />　やわらかな日差しが降り注ぐマンションの一室。片隅に、小さな位牌（いはい）と１枚の写真が並んでいた。
　写真の中で、西村英代さん（３４）＝仙台市宮城野区＝と夫の仁さん（４４）はほほ笑みかける。それは、長女幸（さち）ちゃんの戒名が刻まれた位牌に向けられているようだった。
　傍らの花瓶には、ユリが挿してある。「この香りをかぐと、落ち着くんです」。そう言って、英代さんは６年前の出来事を語り始めた。
]]>
        <![CDATA[　２００１年１０月１４日、幸ちゃんは市内の病院で生まれ、すぐに新生児集中治療室に移された。先天性の腎疾患だった。生後２時間半で短い生涯は閉じた。
　最期をみとった夫婦は喪失感にさいなまれた。「何もかも終わってしまった」。むなしさすら覚えた。
　２日後、亡きがらを連れて自宅に戻った。親子水入らずの最初で最後の夜。客間に設けた祭壇には何種類かの花に交じって、ユリが咲いていた。
　「目を開くことも、泣き声をあげることもないと分かっていた。でも、わが家に赤ちゃんがいて、家族が一緒にいられた時間が幸せに思えた」
　１カ月近くたったころ、英代さんは立ち寄った近くの花屋で、ハッとした。店頭のユリの香りが、記憶を呼び覚ました。
　親子３人で過ごした「あの日」。英代さんは仁さんに頼み、幸ちゃんを抱いた姿を写真に撮ってもらっていた。

　「亡くなった子どもと写真を撮るなんて…。最初は抵抗があったけれど、後になって後悔したくなかった」。悲しみのふちで、葛藤（かっとう）もあった。
　英代さんが写真を目にするまで、それから３年もの歳月が必要だった。「健康に産んであげられなくて、幸が自分のことを恨んでいる。怒った顔をして写っていたらどうしよう。そう思えて、写真を見るのが怖かった」。自責の念にかられ、人知れず思い悩んだ。
　最近、英代さんは写真を見ると、悲しみとは違う思いも抱くようになった。
　「今でも泣きたくなる。それでも、かわいい子で良かったと、不思議に穏やかな気持ちになれる」
　幸ちゃんの死を乗り越えたわけではない。悲しみとしっかり向き合ったことで、失意に差し込む一筋の光を見いだしつつある。

<strong>【写真説明】位牌のそばに飾ったユリ。幸ちゃんの思い出と悲しみの間で、西村さんの胸の内は揺れ動いた</strong>]]>
    </content>
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    <title>（５７完）　医師と患者　心通わせて　</title>
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    <published>2007-06-26T02:42:07Z</published>
    <updated>2007-08-16T02:20:13Z</updated>
    
    <summary>　福島県立南会津病院（南会津町）で唯一の産婦人科医安部宏さん（３６）は、孤軍奮闘...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <![CDATA[<img alt="20070626osana1.JPG" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070626osana1.JPG" width="219" height="320" />　福島県立南会津病院（南会津町）で唯一の産婦人科医安部宏さん（３６）は、孤軍奮闘の状態が続いている。福島県立医大が昨年１２月に始めた応援医師の派遣は、４カ月で途絶えた。
　休みは月にわずか２日。以前と同じになった。病院には応援の再開や増員を訴えている。「住民のためにも、あきらめたくない。声を上げなければ、何も変わらないから」。それでも、仕事に力を注げば注ぐほど、疲労がたまる。
　「１人のままで、いつか医療トラブルが起きたら…。僕にも限界がある」。体制が変わらなければ、来春以降に南会津を離れようと思っている。
　盛岡赤十字病院（盛岡市）の産婦人科医川原寿緒さん（３３）は４月、新たな生活を始めた。３年いた岩手県立二戸病院（二戸市）から移った。昨秋結婚した夫と初めて一緒に暮らし、今は戸籍上の「畑山」を名乗る。
　常勤医は４人。２人体制の前任地では対応が難しかったリスクの高い妊婦も引き受ける。忙しくても、外来や手術を当番で回せるゆとりがある。
　「高リスクのお産やがん手術など、高度な医療が勉強できる」。毎日が充実している。ただ、気掛かりもある。二戸病院には先輩医師が１人残された。綱渡りが続く。


]]>
        <![CDATA[　仙台市泉区の開業助産師伊藤朋子さん（４１）は、来春に思いを巡らせる。助産所出産の安全性を高める目的で、産科の嘱託医と、緊急時に対応できる病院との連携が義務付けられる。
　連携先探しは難航している。都市部の病院も産科医不足は深刻。急変した妊婦を受け入れ、万一の場合の責任を危惧（きぐ）する向きも強い。
　「医師も助産師も、妊婦さんと赤ちゃんを幸せにしたいという目標は一緒のはず。今は信じて待ちたい」。助産所の役割を理解し、連携に向けて動き始めた医師もいることが支えだ。
　泉区の美容師佐久間ゆう子さん（３１）は周囲にお産の体験談を伝えたり、相談に乗ったりしている。伊藤さんの助産所で長女（２つ）を出産したのが、きっかけになった。
　医療者に自分の意思を伝えることや、自己管理が大事だと実感した。「いいお産をするには妊婦の意識が大切。もっと知識を持たなければいけないし、うまくいかないときに相手のせいにしては前に進まない」

　青森県深浦町の佐藤美喜子さん（３７）は２月、第一子の佳奈ちゃんを授かった。産声を聞いた瞬間、うれしくて、自然に涙がこぼれた。
　妊娠中、お産環境の危うさをひしひしと感じた。出産場所は６０キロ離れた五所川原市の診療所。周囲の病院で産科が休診し、通院先の妊婦がどっと増えた。「先生が倒れたら、どうなるんだろう」。健診のたびに疲労が濃くなり、昼も夜も懸命に働く姿が心配だった。
　今はとても幸せだ。ベビーカーに乗せて散歩すると、地元の人が笑顔で寄ってくる。「わらしは宝だはんで」。新しい命は家族だけでなく、地域を元気づけている。「お産は簡単じゃないけれど、また産みたい」。出産を経験し、強く思う。

　激務で余裕を失う医療者、信頼関係が揺らぐ医師と患者。産科医療の現場には、地域医療のゆがみが凝縮されていた。
　「最善の医療に取り組める環境を整えてほしい」「安心して産みたい」。それぞれの願いをかなえるのは、厳しい現実を分かり合うことが出発点となる。
　東北の現場に交錯する「ＳＯＳ」に耳を澄ませよう。そして考えよう。地域社会で一人一人がお産を守っていくことは、そこから始まる。
◇　
　連載「お産ＳＯＳ―東北の現場から」は今回で終わります。（「お産ＳＯＳ」取材班＝報道部・大江秀則、中島剛、肘井大祐、藤田杏奴、上村千春、福島総局・熊谷吉信、写真部・門田勲、小林一成）



<strong>【写真説明】長距離通院を乗り越えて佳奈ちゃんを出産した佐藤さん。「たくさんの苦労があったけれど、喜びの方がはるかに大きい」＝青森県深浦町</strong>]]>
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    <title>打開の糸口／「地域全体で産科医支えよう」</title>
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    <published>2007-06-26T02:02:23Z</published>
    <updated>2007-08-16T02:21:30Z</updated>
    
    <summary>　連載「お産ＳＯＳ―東北の現場から」はこれまで、崩壊の危機に立つ東北の産科医療の...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <category term="111)反響特集" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/">
        <![CDATA[<img alt="20070626osans2.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070626osans2.jpg" width="320" height="227" />　連載「お産ＳＯＳ―東北の現場から」はこれまで、崩壊の危機に立つ東北の産科医療の実態を追った。昼夜を問わず出産と向き合い、疲弊する医療者たち。相次ぐ産科の休診で産む場が狭まり、不安を募らせる妊婦たち。地域に広がる悲痛な心の叫びを受け止め、窮状を救う道筋も探ってきた。医師の待遇改善や産む側のリスク管理、社会全体で出産環境を整える仕組みづくり―。現状の打開を目指す提案は、インターネットの専用掲示板やメールを通じて数多く寄せられた。（「お産ＳＯＳ」取材班）

]]>
        <![CDATA[　「産科医療では刑事責任を問わないとか、給与面で破格の待遇をするとかしないと、即効性はない」。深刻な医師不足の対策に、静岡県の産科医（３８）はこう提起する。「ここ数年の産科医志望者の減少で、本当に産科医療が滅びる気がする」と強い危機感をにじませる。

　兵庫県の産科医（４３）は出産の安全性を保つため、医師を拠点病院に集中配置する集約化の推進を唱える。患者側が望む医療の水準が上がっている状況も踏まえ、「高度な要求に応えるには、複数の産科専門医を特定施設に集めるしか方法がないのではないか」と指摘する。

　助産師の活用を挙げるのは、仙台市内の病院で昨年、第一子を産んだという仙台市の女性（３３）。医師とともに助産師による産前産後の手厚いケアに感謝し、「各地に助産所を設置したり、教育制度を整えたり、国はもっと助産師を生かす必要がある」と訴える。

　医療者を支える環境づくりが急務という意見が多い一方で、妊婦らの姿勢を問う声も少なくない。
　仙台市の助産師（２８）は母親学級などを通して学ぶことの重要性を強調し、「お産は医師や助産師がさせるものではなく、妊婦自身がするもの」と主体的な取り組みを求める。高齢出産の増加といった実態に即し、愛知県の産科医（３３）も「患者さんも危険性を知るべきだ」と自覚を促す。

　こうした要請に、連載を通して「医師の大変さがよく分かった」という仙台市の女性（３４）は「一人一人が体調管理をしっかりして、なるべく健康でいることが大事」と問い掛ける。

　多くの人が危機意識を共有しているが、それでも各地で産婦人科医の「お産離れ」は止まらない。過酷な勤務環境を嫌い、産科医療の現場では研修医の確保もままならないのが実情だ。

　将来を危惧（きぐ）する北海道の医師（３９）は若手医師を支援する体制づくりを提唱し、「産科医として活躍できる環境をつくるのは、医師、患者、行政に携わるすべての人の使命」と断言する。


<strong>【写真説明】実習で産婦人科医の指導を受ける医学部生ら。地域全体で医師を育て、支える取り組みが求められている＝仙台市青葉区の東北大病院</strong>]]>
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    <title>（８）完　産科を守り続けるには／医療費抑制　国は改めよ</title>
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    <published>2007-06-25T01:28:17Z</published>
    <updated>2007-06-25T01:47:28Z</updated>
    
    <summary>宮古市長　熊坂義裕さん（５５） 　岩手県立宮古病院（宮古市）の産婦人科が２００５...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <category term="110)第10部／打開の糸口" />
    
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        <![CDATA[<strong>宮古市長　熊坂義裕さん（５５）</strong>

<img alt="20070625_01.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/osan20070625_01.jpg" width="129" height="200" />　岩手県立宮古病院（宮古市）の産婦人科が２００５年、お産休止の危機にさらされた。東北大が、派遣していた医師２人の引き揚げを打診してきた。切迫した事態に、市民が立ち上がった。産婦人科医の確保を求める署名活動が広がり、人口の６割を超える約４万人分が集まった。
　「産婦人科医や小児科医は地域の共有財産。市民の暮らしでは欠かせない存在だ。医師がいなくなることは、地域で子育てができなくなることを意味する。いないということ自体が異常。住民や行政にとって切実な問題だ」
]]>
        <![CDATA[<img alt="20070625_02.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/osan20070625_02.jpg" width="204" height="300"  align="right" />　産婦人科は、岩手医大が代わりに２人を派遣することで維持された。ただ、１９９４年に１３２人だった岩手県全体の産婦人科医は、１０年間で４３人も減った。医師不足は宮古に限らず、各地で深刻化する。
　全国市長会は今月、産婦人科などの医師確保対策に関する緊急要望を採択した。東北市長会を中心に、国への働き掛けを強めている。
　「自治体が医師を確保するのはおのずから限界がある。産科医などの場合、限られた医師を地域間で奪い合っているのが現状だ。それでは何の解決にもならない。かつては医師が偏在しているといわれていたが、その認識は間違い。医師はどこにも余っていない。臨床研修制度の義務化（０４年度）をきっかけに、医師不足はさらにはっきりした」

　国全体の医師数は０４年で約２７万人。１０年間で約４万人増えた。その間、産婦人科医は約８００人減少した。国は、宮城を除く東北５県などの大学医学部で暫定的に定員を増やす方針だが、診療科間の偏在は顕著になっている。
　「医師に、義務的に産科をやらせるのは無理。仮に産科に関する診療報酬を手厚くしても、勤務医の給料は決まっている。開業医が得をするだけだ。リスクの高いお産に対応する勤務医を確保するには、医師の総数を増やすしかない」
　「実際に、医師が増えるには時間がかかる。今の状況がしばらくは続くだろう。当面は若い医師に産婦人科を選んでもらう工夫がいる。放っておけば、産科など東北の地域医療は崩壊する。激務に追われている産科や小児科の医師を社会全体で支える仕組みが必要だ」

　産科医療の体制維持に向け、国は拠点病院への医師集約化推進などを打ち出した。出産時に子どもが脳性まひになった場合、医師の過失の有無にかかわらず患者側に数千万円を支給する無過失補償制度の創設や、緊急的な医師派遣システムの構築も議論されている。
　「集約化や無過失補償制度は有効かもしれないが、国の対策は総じて付け焼き刃にすぎない。日本は経済大国なのに、国民１人当たりの医師数や医療費は先進国の中で低いレベル。医療費の抑制という国策の誤りが医師不足を招いていることに、早く気付かなければいけない。国民は安心を求めている。医療費が増えて困るとは思えない」
　「病院の経営はどこも苦しい。産科や小児科は不採算部門といわれている。なおさら、税金をつぎ込むべきではないか。患者の負担や保険料は限界まで上がっている。公共事業などを減らし、医療費に回すという考え方もあるが、省庁間の壁は厚く、現実には難しい。たとえ負担が増えても、国民が安心して暮らせる道を探るべきだ」
　　　　　　　
　<strong>くまさか・よしひろ</strong>　福島市出身。弘前大医学部卒。内科医。厚生労働省社会保障審議会医療部会委員などを務める。

<strong>【写真説明】産科医療の維持は地域の将来も左右する。窮状を打開する医療政策の在り方が問われる＝岩手県立宮古病院</strong>
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    <title>（７）賢い患者になるには／不信克服　協働の関係に</title>
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    <published>2007-06-24T02:58:45Z</published>
    <updated>2007-06-24T03:12:01Z</updated>
    
    <summary>ささえあい医療人権センターＣＯＭＬ事務局長　山口育子さん（４１） 　ささえあい医...</summary>
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        <name>河北新報メディア部</name>
        
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        <![CDATA[<strong>ささえあい医療人権センターＣＯＭＬ事務局長　山口育子さん（４１）</strong>

<img alt="20070624_01.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070624_01.jpg" width="144" height="200" />　ささえあい医療人権センターＣＯＭＬ（コムル、大阪市）は１９９０年、医療を消費者の目でとらえ、命の責任者として自覚を持った賢い患者を目指そうと発足した。ちょうど、医療のインフォームドコンセント（説明と同意）が国内で認識され始めた時期。活動の柱に据える電話相談にはこれまで、４万件以上の声が寄せられた。
　「この１７年間で患者の姿はすごく変化した。初めのころは、医師に言うなんてとんでもない、愚痴を聞いてもらえるだけで気持ちが軽くなる、という相談が多かった」
　今、理不尽な主張で怒鳴り散らす「怒れる患者」が受話器の向こう側にあふれている。検査したが病気がはっきり分からなかった、なぜ検査料を払うのか―。入院しても良くならない、医療ミスがあったに違いない―。
　「手術後、家族が亡くなった。以前は長々と話をした後、解決するには裁判しかないのか、でもお金が欲しいわけじゃない、という相談パターンだった。最近は違う。いくら請求できますか、相場は？　といきなり聞かれる。すごくドライだ」
　「治ったら金を払うが、満足できないなら払わないと、成功報酬的な考えを医療に持ち込む人が多く、びっくりする。少ない負担で最高の医療を受けたいということか。節度の規範が変わってきたこともあるが、背景には医療不信のうねりがある」
]]>
        <![CDATA[<img alt="20070624_02.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070624_02.jpg" width="300" height="180"  align="right" />　大きな転機は９９年に横浜市立大病院であった患者取り違え事件にあったとみる。医療事故やミスに関する報道が激増し、医療不信を訴える相談も増えた。
　「不信感を持つ患者の前では医師も身構える。医療不信と患者不信が現場に渦巻いている。結局は患者にマイナスで返ってくる。勤務環境が厳しい産科や外科などで医師が減ったり、医師から挑戦する意欲が消えたりする」
　「報道機関の責任もある。メディアは刺激を好む。大きく扱うのは先端医療という光の部分か、ミスの暗闇。医療に対する過度な期待と不信の両方を患者に植え付ける」
　患者側に大切なのは、医療を冷静に見られるように医療の限界、不確実性を理解すること。そしてコミュニケーション能力を磨くこと。コムルはそう訴えてきた。
　「きちんと理解・確認できるまで、医師から情報を引き出す。病気を自覚し、どんな医療を受けたいのかを、医師とやりとりして最終的には自分で決断する。家や車を買うとき、吟味、選択せずに任せる人はいないはず。まして一番大切な自分の体なのだから」
　「産科医不足にしても、医師一人で頑張れと求めるなら、そのリスクの責任は誰が取るのか。なぜ一人勤務は難しいのか理解した上で、医療者側と一緒に考えなければ。結局は社会を変えないと解決しない。近くで産みたいという個人の思いを社会全体の問題にどう発展させられるかだ」

　コムルには医療機関からの依頼も多い。「病院探検隊」では、持病を持つ会員が実際に受診して対応を調べることもある。医師や看護師、医学生が患者に接する訓練の相手役や、患者向け文書の推敲（すいこう）なども引き受けている。
　「その中で見えてきたのは、医療者だけで考えても、患者の立場はよく分からないということ。患者の視点をどんどん医療に生かした方がいい」
　「医療者の気持ちを考えず、患者の立場を武器にする理不尽な人が増えたのは、患者が弱い立場に置かれ続けてきた反動なのかもしれない。今は過渡期。不信を超えて、協働する関係を築いていかなければいけない」

　<strong>やまぐち・いくこ</strong>　大阪府出身。大学卒業後、がんで入退院を繰り返す。１９９２年からコムルの活動に参加している。

<strong>【写真説明】常勤スタッフとボランティアが詰めるコムルの事務局。月３００件前後の電話相談が全国から寄せられる＝大阪市北区</strong>]]>
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