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      <title>お産ＳＯＳ</title>
      <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/</link>
      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Wed, 24 Dec 2008 10:50:37 +0900</lastBuildDate>
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      <item>
         <title>（下）高リスク対応／唯一の拠点　増す存在感</title>
         <description><![CDATA[<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-left" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 20px 20px 0px" height="186" alt="20081224.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20081224.jpg" width="280" /></span>　仙台赤十字病院（仙台市太白区）に入院中の宮城県内の３０代女性は、三つ子を身ごもっていた。</p>
<p>　今月上旬、帝王切開手術の当日。大きなおなかは、臨月を迎えた妊婦の倍はある。体の向きを変えるのも大変そうだが、心は落ち着いていた。</p>
<p>　「受け入れてくれる病院が県内にあり、ラッキーだった。不安は大きかったけれど、医師や助産師が丁寧に説明してくれて、楽になれた」</p>
<p>　県北の病院で三つ子だと告げられ、勧められるまま仙台赤十字病院に移った。自宅が遠いため、万が一に備えて１カ月前に入院した。目標だった妊娠３０週を無事に超え、手術が決まった。</p>
<p>　手術室に向かって１時間半。二つの保育器に入れられ、三つの新しい命が姿を見せた。体は小さいが、元気な産声を上げている。</p>]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2008/12/post_80.html</link>
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         <category>400)総合母子医療センターは今</category>
         <pubDate>Wed, 24 Dec 2008 10:50:37 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（上）昼夜勤務／急変・救急　解けぬ緊張</title>
         <description><![CDATA[<p>　産科救急の受け入れ態勢整備が急務になっている。地域で産科医療の中核を担い、高リスクの妊婦や出産に対応する総合周産期母子医療センター。救急受け入れの機能も果たしているが、医師不足などで厳しい運営を強いられている。宮城県で唯一、総合センターの指定を受ける仙台赤十字病院（仙台市太白区）で、母子の生命を守る最前線の実情を追った。（「お産ＳＯＳ」取材班＝上村千春）</p>
<p align="center">* * *</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-left" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 20px 20px 0px" height="280" alt="20081223.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20081223.jpg" width="186" /></span>　今月上旬の平日。仙台赤十字病院の産婦人科病棟は早朝から慌ただしかった。<br />　前置胎盤のため入院中の妊婦が夜間に出血した。妊娠三十数週。緊急の帝王切開手術が決まった。</p>
<p>　「もう１度出血したら危ない。今からやります」。産婦人科部長の谷川原真吾さん（５１）は妊婦のいる母体・胎児集中治療室（ＭＦＩＣＵ）から新生児集中治療室（ＮＩＣＵ）に向かうと、新生児科医に声を掛けた。</p>
<p>　数時間後、手術が終わった。産声を上げた男児は助産師に抱えられてＮＩＣＵに。母親も出血の不安は残るが、元気そうだ。「無事で良かった」。まんじりともせず待合室にいた父親は、安堵（あんど）の表情を浮かべた。</p>]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2008/12/post_79.html</link>
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         <category>400)総合母子医療センターは今</category>
         <pubDate>Wed, 24 Dec 2008 10:47:47 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（４）自覚／命の重み　次世代に説く</title>
         <description><![CDATA[<img alt="" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20071218_02.jpg" width="200" height="300" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"/>　仙台市立病院（若林区）の産婦人科に９月上旬、出血した３０代の妊婦が駆け込んできた。
　「何カ所か回ったけれど、診てもらえなかった」。健診を一度も受けたことがない「飛び込み」だった。通常の診療はストップ。スタッフは対応に追われた。
　切迫早産の疑いがあった。胎児は２０００グラムあるかどうかだが、週数がはっきりしない。出産しても未熟児の可能性が高かった。
　女性はすぐに新生児用の設備が整う別の病院に搬送され、出産した。胎盤早期剥離（はくり）の兆候があり、母子ともに危険な状態になる恐れがあったという。
　「母子がどんな経過をたどったか、母親に感染症はないのか。情報が全くない。赤ちゃんに異常が見つかっても、治療が遅れる」。飛び込み出産の危険性をこう指摘する市立病院産婦人科部長の渡辺孝紀さん（５０）は、慌てふためく妊婦に触れる度、強く思う。
　「せめて初診さえちゃんと受けてくれれば、注意を促せるのだが。生まれてくる命をもっと大切にしてほしい」
]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_78.html</link>
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         <category>140)岐路に立つ現場</category>
         <pubDate>Wed, 19 Dec 2007 09:47:28 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（３）人材活用／妊娠期ケア　熱い使命感</title>
         <description><![CDATA[<img alt="20071218_sos.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20071218_sos.jpg" width="200" height="300" />　仙台市青葉区の東北大医学部の一室。今月１２日朝、宮城県内の助産師が集まってきた。「助産師外来」の人材養成を目的に、県が企画した研修が始まった。
　助産師外来は妊婦健診や相談業務を担う。産婦人科医不足のあおりで産科が休診となった地域の拠点病院に、県は開設を目指す。座学から実習まで。４０日間に及ぶ研修は、その足掛かりだ。
　初日の参加者は１６人。「これまでの経験を整理して新しい知識を身に付け、地域のニーズに応えてほしい」。研修プログラムを作った医学部保健学科の佐藤喜根子教授（５５）は開講式で、エールを送った。
　登米市立佐沼病院の助産師伊藤真理さん（４６）は、受講者の１人。「与えられたチャンスを生かし、前進するしかない」と気を引き締める。]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_77.html</link>
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         <category>140)岐路に立つ現場</category>
         <pubDate>Tue, 18 Dec 2007 09:54:41 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（２）過渡期／医師の支援　期待つなぐ</title>
         <description><![CDATA[<img alt="20071217.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20071217.jpg" width="300" height="200" />　仙台市泉区の「とも子助産院」の院長伊藤朋子さん（４１）はこの秋、来春以降の分娩（ぶんべん）予約を受けるかどうか、思案していた。
　「過渡期で、どうなるか分からない」。悩んだ末、予定日が来年３月後半から４月前半までの妊婦は、予約を断った。
　今年４月施行の改正医療法は、分娩を扱う助産所に対し、産婦人科の嘱託医と、産婦人科、小児科がある嘱託病院の確保を義務づけた。経過措置期間は１年。３月３１日がリミットだ。
　法改正を受け、伊藤さんは「森のおひさま助産院」（青葉区）院長の小野由起子さん（４４）と一緒に市内の病院を回った。嘱託の引き受け手は見つからなかった。

]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_76.html</link>
         <guid>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_76.html</guid>
         <category>140)岐路に立つ現場</category>
         <pubDate>Mon, 17 Dec 2007 08:59:06 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（１）常勤医不在／地域の分娩　守る助産師</title>
         <description><![CDATA[　東北のお産事情が一段と悪化している。分娩（ぶんべん）施設の減少に歯止めはかからない。産婦人科医の確保もままならない。限られた医療者で、安全・安心な出産をいかに守っていくか。難題に直面する地域社会で、手探りながらも前を向く現場を追った。
（「お産ＳＯＳ」取材班）＝４回続き

<center>* * *</center>

<img alt="20071216.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20071216.jpg" width="200" height="300" />　１１月半ば。岩手県立釜石病院（釜石市）の産婦人科病棟で、助産師の松内真実さん（２３）は退院を控えた女性に生活指導をしていた。
　「落ち込んだり、涙もろくなったりするのは誰にでもあること。気軽に相談してくださいね」
　声を掛けられた大槌町の高橋絹江さん（３０）は大きくうなずいた。４日前、ここで長男を産んだ。]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_75.html</link>
         <guid>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_75.html</guid>
         <category>140)岐路に立つ現場</category>
         <pubDate>Sun, 16 Dec 2007 11:05:40 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（５完）共有／絶望感　癒やし支え合う</title>
         <description><![CDATA[<img src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070820sos.jpg"/>　テーブルを囲んで、４人の女性が向き合う。
　「自己紹介からお願いします」。真ん中に座った佐藤由佳さん（３８）＝仙台市泉区＝の一言に誘われるように、それぞれが秘めた過去を語り始めた。
　７月下旬、青葉区の繁華街に立つビルの一室であった「ｗｉｔｈゆう」のお話し会。一人一人が吐露する言葉に、皆でうなずき合った。
　集まった女性は、赤ちゃんを亡くした親たち。「皆、失った子どもの存在と悲しみを胸に抱えて生きている」。佐藤さんは参加者の思いを代弁する。
　佐藤さん自身も、２０００年の暮れに長男右京ちゃんを死産で亡くした。「子どもの存在を確かめ、同じ目線で悲しみを共有できる相手がほしかった」と振り返る。
　インターネットを使って、同じ経験をした人を募った。０２年５月、佐藤さんら宮城や関東の女性１０人で、ｗｉｔｈゆうの歩みは始まった。
]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/08/post_74.html</link>
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         <category>130)悲しみに寄り添う</category>
         <pubDate>Mon, 20 Aug 2007 10:16:16 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（４）支え／分かち合う心 生きる糧</title>
         <description><![CDATA[<img alt="138.168.180.61.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/138.168.180.61.jpg" width="300" height="195" />　アルバムをめくる手を止め、母は娘に言った。
　「あなたも、よく頑張ったわね」
　「ううん。お母さんがいてくれたから」
　笑みを浮かべて、娘はゆっくりと頭を振った。
　岩手県矢巾町にある岡田源子さん（３９）の生家。岡田さんと母の只野光子さん（７５）が語り合う。
　岡田さんは４年前の秋、長男真翔（まさと）ちゃんを亡くした。臍帯（さいたい）の異常で、２時間しか生きられなかった。]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/08/post_73.html</link>
         <guid>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/08/post_73.html</guid>
         <category>130)悲しみに寄り添う</category>
         <pubDate>Sun, 19 Aug 2007 11:02:19 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（３）孤立／タブー視　心の痛み増す</title>
         <description><![CDATA[<img src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070818sos.jpg" width="300" height="175" />　夫と暮らす自宅だけが自分の居場所だった。
　「見るもの聞くものすべてがつらかった。自分が自分じゃないみたいで」。岩沼市の猪股幸さん（３２）は、１人でふさぎ込んでいた５年前の日々を振り返る。
　その年の１１月、５年勤めた保育園を休職した。医師の診断は「うつ状態」。半年近く、自宅にこもりがちになった。
　２００２年４月、猪股さんは長男祐真ちゃんを先天性の心疾患で亡くした。生まれてわずか４日後の出来事だった。
　悲しみ一色の日々を過ごし、２カ月がたった。産休が明け、「これ以上休むと、申し訳ない」と職場に復帰した。
　祐真ちゃんを亡くしたことで、職場での生活は一変した。触れるものすべてに、心をえぐられるような毎日だった。
]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/08/post_72.html</link>
         <guid>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/08/post_72.html</guid>
         <category>130)悲しみに寄り添う</category>
         <pubDate>Sat, 18 Aug 2007 10:25:43 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（２）証し／「ずっと一緒」感謝つづる</title>
         <description><![CDATA[<img alt="20070816.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070816.jpg" width="215" height="300" />　母となる喜びや死別の悲しみをつづった１冊の本に、愛娘の生きた証しが刻まれている。
　「産まれたままの姿で」。西村英代さん（３４）＝仙台市宮城野区＝が２００１年１２月に自費出版した。
　その２カ月前、西村さんは第一子の長女幸（さち）ちゃんを亡くした。妊娠中につけていた日記をもとに、誕生や火葬までの思い、支えてくれた友人らへの感謝の言葉を９０ページにわたって記した。「幸が生まれたことをずっと忘れたくなかった」
　悲しい出産だった。
　妊娠二十六週目の健診で、胎児に異常が見つかった。先天性の腎臓病だった。「もって半年」。産科医の説明に、がくぜんとした。
　無事に生まれても、長くは生きられない。「わたしのおなかの中では、元気に生きられる。ずっとおなかにいさせてあげたい。産むのが怖い」。本の一項には、身を切られるような当時の心境が吐露されている。
　出版に向けた作業は、つらかった。パソコンのキーをたたくたびに、涙があふれ出た。

]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/08/post_71.html</link>
         <guid>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/08/post_71.html</guid>
         <category>130)悲しみに寄り添う</category>
         <pubDate>Thu, 16 Aug 2007 09:24:15 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（１）葛藤／写真の中で　亡き子抱く</title>
         <description><![CDATA[　新たな命が誕生する産科医療の現場は死と隣り合わせだ。「お産は病気ではない」とも言われるが、常にリスクが付きまとう。死産などの予期せぬ結果は、喜びの場面を一瞬にして悲しみで包む。失意に暮れる親たちは、心の痛みに寄り添う支えを求めている。（「お産ＳＯＳ」取材班）＝５回続き

<center>* * *</center>

<img alt="20070815.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070815.jpg" width="300" height="199" />　やわらかな日差しが降り注ぐマンションの一室。片隅に、小さな位牌（いはい）と１枚の写真が並んでいた。
　写真の中で、西村英代さん（３４）＝仙台市宮城野区＝と夫の仁さん（４４）はほほ笑みかける。それは、長女幸（さち）ちゃんの戒名が刻まれた位牌に向けられているようだった。
　傍らの花瓶には、ユリが挿してある。「この香りをかぐと、落ち着くんです」。そう言って、英代さんは６年前の出来事を語り始めた。
]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/08/post_70.html</link>
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         <category>130)悲しみに寄り添う</category>
         <pubDate>Wed, 15 Aug 2007 09:43:09 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（５７完）　医師と患者　心通わせて　</title>
         <description><![CDATA[<img alt="20070626osana1.JPG" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070626osana1.JPG" width="219" height="320" />　福島県立南会津病院（南会津町）で唯一の産婦人科医安部宏さん（３６）は、孤軍奮闘の状態が続いている。福島県立医大が昨年１２月に始めた応援医師の派遣は、４カ月で途絶えた。
　休みは月にわずか２日。以前と同じになった。病院には応援の再開や増員を訴えている。「住民のためにも、あきらめたくない。声を上げなければ、何も変わらないから」。それでも、仕事に力を注げば注ぐほど、疲労がたまる。
　「１人のままで、いつか医療トラブルが起きたら…。僕にも限界がある」。体制が変わらなければ、来春以降に南会津を離れようと思っている。
　盛岡赤十字病院（盛岡市）の産婦人科医川原寿緒さん（３３）は４月、新たな生活を始めた。３年いた岩手県立二戸病院（二戸市）から移った。昨秋結婚した夫と初めて一緒に暮らし、今は戸籍上の「畑山」を名乗る。
　常勤医は４人。２人体制の前任地では対応が難しかったリスクの高い妊婦も引き受ける。忙しくても、外来や手術を当番で回せるゆとりがある。
　「高リスクのお産やがん手術など、高度な医療が勉強できる」。毎日が充実している。ただ、気掛かりもある。二戸病院には先輩医師が１人残された。綱渡りが続く。


]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/06/post_69.html</link>
         <guid>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/06/post_69.html</guid>
         <category>120)エピローグ</category>
         <pubDate>Tue, 26 Jun 2007 11:42:07 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>打開の糸口／「地域全体で産科医支えよう」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="20070626osans2.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070626osans2.jpg" width="320" height="227" />　連載「お産ＳＯＳ―東北の現場から」はこれまで、崩壊の危機に立つ東北の産科医療の実態を追った。昼夜を問わず出産と向き合い、疲弊する医療者たち。相次ぐ産科の休診で産む場が狭まり、不安を募らせる妊婦たち。地域に広がる悲痛な心の叫びを受け止め、窮状を救う道筋も探ってきた。医師の待遇改善や産む側のリスク管理、社会全体で出産環境を整える仕組みづくり―。現状の打開を目指す提案は、インターネットの専用掲示板やメールを通じて数多く寄せられた。（「お産ＳＯＳ」取材班）

]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/06/post_68.html</link>
         <guid>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/06/post_68.html</guid>
         <category>111)反響特集</category>
         <pubDate>Tue, 26 Jun 2007 11:02:23 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（８）完　産科を守り続けるには／医療費抑制　国は改めよ</title>
         <description><![CDATA[<strong>宮古市長　熊坂義裕さん（５５）</strong>

<img alt="20070625_01.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/osan20070625_01.jpg" width="129" height="200" />　岩手県立宮古病院（宮古市）の産婦人科が２００５年、お産休止の危機にさらされた。東北大が、派遣していた医師２人の引き揚げを打診してきた。切迫した事態に、市民が立ち上がった。産婦人科医の確保を求める署名活動が広がり、人口の６割を超える約４万人分が集まった。
　「産婦人科医や小児科医は地域の共有財産。市民の暮らしでは欠かせない存在だ。医師がいなくなることは、地域で子育てができなくなることを意味する。いないということ自体が異常。住民や行政にとって切実な問題だ」
]]></description>
         <link>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/06/post_62.html</link>
         <guid>http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/06/post_62.html</guid>
         <category>110)第10部／打開の糸口</category>
         <pubDate>Mon, 25 Jun 2007 10:28:17 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>（７）賢い患者になるには／不信克服　協働の関係に</title>
         <description><![CDATA[<strong>ささえあい医療人権センターＣＯＭＬ事務局長　山口育子さん（４１）</strong>

<img alt="20070624_01.jpg" src="http://blog.kahoku.co.jp/osansos/20070624_01.jpg" width="144" height="200" />　ささえあい医療人権センターＣＯＭＬ（コムル、大阪市）は１９９０年、医療を消費者の目でとらえ、命の責任者として自覚を持った賢い患者を目指そうと発足した。ちょうど、医療のインフォームドコンセント（説明と同意）が国内で認識され始めた時期。活動の柱に据える電話相談にはこれまで、４万件以上の声が寄せられた。
　「この１７年間で患者の姿はすごく変化した。初めのころは、医師に言うなんてとんでもない、愚痴を聞いてもらえるだけで気持ちが軽くなる、という相談が多かった」
　今、理不尽な主張で怒鳴り散らす「怒れる患者」が受話器の向こう側にあふれている。検査したが病気がはっきり分からなかった、なぜ検査料を払うのか―。入院しても良くならない、医療ミスがあったに違いない―。
　「手術後、家族が亡くなった。以前は長々と話をした後、解決するには裁判しかないのか、でもお金が欲しいわけじゃない、という相談パターンだった。最近は違う。いくら請求できますか、相場は？　といきなり聞かれる。すごくドライだ」
　「治ったら金を払うが、満足できないなら払わないと、成功報酬的な考えを医療に持ち込む人が多く、びっくりする。少ない負担で最高の医療を受けたいということか。節度の規範が変わってきたこともあるが、背景には医療不信のうねりがある」
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         <category>110)第10部／打開の糸口</category>
         <pubDate>Sun, 24 Jun 2007 11:58:45 +0900</pubDate>
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