河北新報社

(1)疲弊する浜/廃業続々、漁存続の危機/後継者難、未来描けず

saisei_01.jpg 陸(おか)に上がって10カ月が過ぎた。「もう漁師の手じゃないな」。宮城県女川町の離島・出島の阿部作雄さん(73)の手は白く軟らかかった。
 東日本大震災の大津波で出島寺間にある自宅は壊れ、島の仮設住宅に夫婦で暮らす。ホタテやホヤの養殖いかだは全て流された。漁具の購入などに1千万円以上かかる。
 阿部さんは高齢を理由に「陸上がり」を決めた。寺間の漁師58人のうち再開できたのは十数人。「みんな迷っている」(阿部さん)という。

<養殖の灯消滅>
 「此処(ここ)より下に家を建てるな」。津波への警告を刻んだ石碑が立つ宮古市重茂姉吉。木村民茂さん(65)も養殖業の再開を断念した。姉吉漁港は壊滅的で、復旧の見通しが立たない。
 「漁船も漁具も加工場も流された。釣り船へ商売替えも考えたが、肝心の港がなくなっては...」
 姉吉の養殖漁師は5人。漁場の管理など共同作業を分担し、浜を守れる最低限の人数だった。3人が廃業し、2人は隣の千鶏の漁場に移る。先人の警告によって集落11戸が全て無事だったにもかかわらず、姉吉から養殖業の灯が消える。

<「86%」の衝撃>
 廃業率86%-。石巻市の宮城県漁協雄勝町東部支所(組合員約500人)の調査結果が、漁業関係者に衝撃を与えた。
 県漁協が昨年5月に行った組合員1万人アンケートで「漁師をやめる」割合が、県内で最も高く、県平均の28%を大きく上回ったためだ。
 雄勝町地区は壊滅的な被害を受けた。人口流出が止まらず、震災前4300人だった人口が今や1000人前後。漁港はことごとく破壊され、東部支所の漁船700隻はほとんど流失した。
 支所運営委員長の大和久男さん(56)=石巻市雄勝町名振=は「後継ぎがいなければ、自分もやめていた」と明かす。
 国や県が漁船、倉庫の共同利用による再起を促すが「経営規模の小さい漁師がほとんど。雄勝の浜ではうまくいかない」と大和さんは難色を示す。

<特区にすがる>
 石巻市桃浦は集落62戸のうち59戸が流失.倒壊した。この浜が昨夏、脚光を浴びた。養殖業の漁業権を開放し、企業など民間資本の参入を促す宮城県の「水産業復興特区」に県内で唯一、浜を挙げて賛同したからだ。
 桃浦の漁師は18人。過去30年で6割減った。平均年齢は60代半ば。高齢化と若者の漁業離れが進む中、震災が起きた。
 メーンのカキ養殖の再建には、国の補助金以外に1人最低1500万円の自己資金が要る。今、養殖を始めても出荷は3年後。民間活力の導入は魅力的に映った。
 漁師たちは「震災が無くても浜の疲弊は止まらなかった」と口をそろえる。強い危機感から特区に賛成したが、県漁協の反対で頓挫したままだ。
 県漁協石巻支所桃浦支部長の後藤建夫さん(63)は「今までのやり方では浜が消滅する。サラリーマン漁師と呼ばれても浜を守りたかった」と話す。
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saisei_02.jpg 浜の未来図を描けないまま、漁師たちの2012年が明けた。高齢化、後継者難、魚価低迷-。大震災の前からさまざまな課題を抱えていた三陸の浜の多くが「3.11」により存続の危機に立たされている。
 河北新報社は、東北の復興と新たな発展を目指し、3分野11項目の提言をまとめた。提言「世界に誇る三陸の水産業振興」では、多様な協業化の本格導入を柱に、資源管理の重要性や産地市場のsaisei_03.jpg高度化、浜ごとに分断された漁業者の意識改革などの視点を盛り込んだ。
 再起を模索する被災地の現状や、全国の先進地の取り組みを取材し、提言を実現していくための課題と道筋を探る。
(東北再生取材班)=第1部は10回続き


【写真】地盤沈下した漁港を仲間と歩く後藤さん(左から2人目)。再生への針路はまだ見えない=2011年12月、石巻市桃浦

(2012/01/23)